本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「朝鮮通信使」の記録がユネスコ記録遺産になりました。

2017-10-31 20:41:02 | 住職の活動日記

秀吉の朝鮮出兵の後、

少しは途絶えるのですが

それ以前も徳川幕府になっても

朝鮮と日本はとても親密な交流を

していたのです。

対馬に行った大きな目的は

朝鮮通信使の跡を訪ねることでした

 

 

対馬は深く入り江が入り組んでいて

絶好の港がありますが

山が多く、お米はさほど採れない

ですから、石高は低いのですが

朝鮮との貿易で10万石という待遇

ということです。

 

 

朝鮮通信使はここの港から上陸し

そこから対馬藩の案内で日本へ

瀬戸内海を通り、

大阪から淀川を上り

伏見で休息してそこから陸路を

江戸まで行ったということです。

 

 

その行列の様子です

前後に対馬藩の武士が案内と護衛

行く先々の藩で大歓迎を受け

 

 

そこそこの文人墨客たちとの

交流が盛んに行われ

 

 

それは一大イベントだったようです。

この絵はお菓子屋さんの店先にあった

複製の画のようです

 

 

この石垣の手前がお店になり

朝鮮通信使が通る道は

この独特の石垣

(対馬ではこういう四角石を積んで

います)

で道を荘厳したのです。

 

通信使という言葉ですが

通信というと今では

電話とか郵便とかを思いますが

古い意味では

「信義を通わす」という意味で

通信使という名前が付きました。

まごころを通わす、という

とても意味深い言葉のように

思います。

 

また、対馬といえば

「ツシマヤマネコ」も有名です

 

 

一応、抱っこしました

ぬいぐるみですが

重さは本物と同じ重さ

ずっしりと重たく

我が家のねこたちとはまた違った

存在感です。

 

まあ

語り切れるものではありませんが

対馬でもほんのさわりに触れた程度

まだまだ歴史のポイントが

たくさんあります。

何回訪ねても時代に沿った

遺産がたくさんあるようです。

 

何はともあれ

「朝鮮通信使の記録」が

ユネスコの記録遺産になったことは

なによりのことと思います。

 

 

 

 

 

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明るいナショナル!

2017-10-30 17:40:21 | 住職の活動日記

ナショナルも今はパナソニックに

以前、

ナショナルのコマーシャルソングは

「明るいナショナル」

で始まる歌でした。

三浦先生、この歌がお気に入りで

「人間明るくなければいけない

眉間にしわ寄せて、

腹に一物、手に荷物と

難しい顔して考えてるようだけど

ただ困ってるだけで

たいしたことは考えてない。」

とおっしゃっていました。

 

最近、

明るいということは

とても大事なことではないかと

思うようになりました。

 

さとった!さとった!といっても

誰がそれを証明するのか

そこで、唯識というお経には

「証自証分」(しょうじしょうぶん)

ということがあって、

自分がさとった(自証)を

自分が悟ったことをさらに証明する

ということです。

 

ジャータカというお経に

こういうたとえ話があります。

ある島に頭のはげた猿たちがいた

そこに一匹だけ頭に毛のある猿が

でてきた。

みなは、頭に毛がるといって

笑っという話ですが、

 

さとった!さとったといっても

もしかしたら自分だけが

迷っているかもしれない

そういうこともあるかもしれません

 

だから悟りを証明するには

証明する仏たちがいるわけです。

科学の世界は

一つ真理といわれることが出ても

さらにそれを証明していくという

ことが常に行われています。

 

先日の京都新聞「天眼」の欄

永田和宏先生、

ヒトの細胞は60兆といわれていた

ところが最近の研究では

37兆個ということが分かってきた

というのです。

この先生にとっては驚きであり

とても興奮し感動したと

一つの真理が証明されさらに

それを検証して行った結果

37兆個ということが分かってきた

さらに研究が進めば

また、

違った結果が出てくるかもしれません

 

それと同じように

さとったといっても

それを到達点にして固定化して

実体化してしまえば、

さとりではなくなってくる。

 

証自証ということも

常にさとったことを検証する

というか、

自証も自証して行かなければ

いけないということでしょう。

 

三浦先生から

「明るく悩め!」

ということをいわれました。

悩んだら暗くなるだろうと

どういうことなのか、と

なかなか疑問が解けませんでした

 

本当は、

明るく悩むということは

道が見つかったということなのです

普通の動物は悩みません

人間だけが悩むのです

それだけ精紳が勝れているとも

いえるのです

だから悩む道が見つかったと

その道を求めていけば

その道を歩んで行けば

暗くなる必要はないのです

何か特別なものを欲しがるから

悩むのです。

 

さとったということも

さとりを求めて道を歩む

その道が見つかったということで

知っていることは知っている

知らないことは知らない

何もそこに暗くなる必要はない

そこに一つの証明として

 

「顔が明るくなる」

 

ということがあると思います。

だから単純に

「明るいナショナル」

ということもあながち

馬鹿に出来ないことでは

ないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

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壺切茶

2017-10-29 17:57:12 | 住職の活動日記

八十八夜で刈り取った荒茶を

壺に入れて夏場涼しいところで

熟成させる

そしてその壺の封を切るのが

11月といわれています。

 

 

散歩道途中の

丸久小山園のショーウィンドーには

もう壺切茶が売り出されています。

 

「ズイズイズッコロバシ

ごまみそズイ、茶壺に追われて

トッピンシャン…」

と子どもの頃よく歌いましたが、

よくよく見るとなんの意味だか

よくわかりません。

宇治から将軍へお茶を献上する

そのお茶壺道中の時の歌のようです

まあ、それほどお茶壺道中とは

権威があったものでしょう。

 

 

ショーウィンドーの上には

「茶は知己に逢って喫す」

とあります。

 

 

添え書きのように

亭主は今日の客のすべてを

知己として歓迎する意、

とあります。

 

一服の茶を通して

亭主と客との心の触れ合いを

表しているのでしょう。

 

禅の言葉には

「酒は知己に逢うて飲む」

という言葉があります。

肝胆相照らすということがあって

酒をのみ、飲むほどに

人生の本当のことを語り合う

飲んでくだを巻くのではなく

お互いの本心で語り合う

 

なかなか、こういうことが

なくなりました。

三浦先生の頃は教えを聞いた後

お酒が出て、そして自分を語る

ということがありました

飲んだ時くらいはめ外して

楽しく飲んではどうか、と

思っていたのですが、

 

今ごろになると

そういう真剣に語ることが少なくなり

淋しい思いもします。

 

また、

「喫茶去」(きっさこ)

という言葉もあります。

「どうぞお茶を召し上がれ」

ということです。

誰に対しても分け隔てなく

平等にお茶をどうぞ、と

この言葉も禅の言葉です。

奥深い意味があるようですが、

お寺では、まず

「喫茶去」です。

お茶をどうぞ召し上がれ

それから

一杯のお茶を味わい

そのお茶によって心もほぐれ

本当の話も出てくるものです。

 

心を込めて入れたお茶

その味を味わい

お互いのことを話し合う

「喫茶」ということも

そういう意味があります。

 

早速、

壺切茶を味わってみたいものです。

 

 

 

 

 

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ハッピーフラワー

2017-10-28 19:14:59 | フラワー

フラワーアレンジの先生

幸せなことがったとか!?

という先入観で見るからでしょうか

 

 

花も幸せそうに微笑んでいる

ようにも見えました。

 

 

こういう土から生え出てきたような

花器に活けられた花です

 

 

先生の嬉しさを表現したような

教室でも大盛り上がりとか

 

 

正面からは見えませんが

右下にはそっとリボンがあります

なんだか象徴しているような

 

 

上からの風景です

 

HAPPY 幸せということも

その語源は HAPPEN から

出てきた言葉とか

ハップン 偶然、たまたま起る

ということです。

人との出会いもたまたまです

偶然の出会いが

その人が絶対的なことになってくる

出会うべくして出会った

偶然の出会いが必然になってくる

 

幸せということも

偶然に出会い

それが必然だったという出会いに

なってこそ

幸せを勝ち取っていく

ということになるのでしょう。

 

どうぞお幸せに      

 

 

 

 

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『65歳からの京都歩き』

2017-10-27 20:37:57 | 住職の活動日記

 

面白い本を手に入れました。

 

 

『65歳からの京都歩き』

という本です。

新聞の広告に出た時から

気になっていて、

また今日は京都新聞にも紹介され

本屋さんで手に取ってみると

読みやすそう、

そしてまた、

大きさも手になじむ大きさで

持って歩くには何よりのサイズ

 

ちょうど今の自分と

かぶるところもあり、

この作者の方、永江朗さん

東京の方ですが京都の町屋を買って

月に10日ほど京都で暮らしている

ということです。

 

目次を見ても

第1章 京都を歩く楽しみ

第2章 季節を歩く

 春の京都・夏の京都・秋の京都 

 冬の京都

第3章 趣味を歩く

第4章 歴史を歩く

という構成です。

 

 

中もわかりやすい地図もあり

行く道筋のトイレとか喫茶店

ベンチなどもあり

初めての方でも親切な内容です

 

 

興味津々で

また周る楽しみがふえました。

 

晴れの天気も今日までのようで

またぞろ台風近づく様子

この天気見逃す手はないと

この本よろしく

ご近所をウォーキング

 

 

近鉄沿線にはクローバーの塊

栄養がいいせいか

とても立派に育っています

 

 

このピンクが目を引きます

 

 

誰が植えたのでもなく

誰に注目されるのでもなく

美しさを誇る訳でもなく

 

 

見れば見るほど美しい

 

 

四つ葉のクローバーは

発見できません

京都のヤサカタクシー

クローバーが会社のマーク

1440台の車の中で

四つ葉のクローバーのタクシーが

たった4台あるということです

偶然にも乗り合わせたら

記念のカードがもらえます。

残念ながら予約は不可!

 

 

次々と可愛い新芽が出て来て

 

 

このお辞儀をしたような姿も

いいものです。

 

やはり歩くとういう目線は

大切だと思います。

車で素通りしたら絶対に見逃す

そういうちょっとした出来事を

発見できるのではないでしょうか。

 

この本を参考にしながら

歩いてみたいと思います。

 

 

この輝くような紫色の

「ムラサキシキブ」

この美しさは

今日までかもしれませんね。

 

 

 

  

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久しぶりの青空

2017-10-26 20:12:54 | 住職の活動日記

きれいに晴れ上がった青空

 

 

切符を買いにJR小倉駅へ

駅前のハナミズキは

紅葉を始めたようです。

 

ちょっと足をのばして

久しぶりの日の光りを浴びながら

気持のいい散歩、

 

 

のどかな風景、

丸久小山園の店の前の細い路地

つきあたりにこの池は見えてきます

養魚場と看板が見えます。

 

 

カマキリと遭遇

日の光りを楽しむように、

それとも今日の晩御飯を狙って

 

 

ここにもいます

横から見る姿はまるで拝んでいる

おもしろいことに

縄張りがあるのでしょうか

3メーター間隔でいるようです

 

 

このカマキリは茶色

雌なのか雄なのかそれとも年寄り

なんとも貫禄があります。

 

池を後にすると

 

 

お茶屋さんのお宅でしょうか

「上空注意」の看板

宇治独特の看板です。

軒先が道路上に張り出している

ということでこの看板を付けた

ということのようです。

 

 

お茶の木も日を浴びて

緑も濃く成長しています。

 

 

よく見ると花らしきものを

付けているようです。

 

 

小山園さんのお茶は有機肥料で

育てられているようです

言われるように、少し臭いがします

 

 

しっかり肥料が施されている

こうやっておいしいお茶が

できるのでしょう。

 

 

美しい茶畑が広がっています。

 

その筋を過ぎて行くと

 

 

巨椋神社へ出て来ます

最近巨木に興味が出て来て

その場所で何百年と生き続ける

黙って語らず、人々の暮らしを

見続けているようです。

 

 

この巨木も宇治名木百選に選ばれていて

「えのき・むくのき」とあります

推定樹齢300年

かなり古木です。

 

 

足元にはキノコ類が生えだして

気が弱りかけている証拠です。

本殿横にも大木があります

 

 

高さが20メーター以上あるでしょうか

 

 

その根元のしっかりした生え方

対になっているところから

うまくいけば「連理の枝」かも

しれませんね。

 

 

本殿越しに見ると

山のような大きな塊に見えます。

 

色々見とれて歩いていたら

もう小一時間たったようです。

ひと汗かいたので帰るとします。

     

 

 

 

 

 

 

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元気に芽を吹いてくれた牡丹の新芽

2017-10-25 19:33:37 | 住職の活動日記

今年の夏は暑く、また

出かけることも多く庭木の水遣りが

おろそかになっていました。

ある日久しぶりに帰ってみると

牡丹の木がすっかり弱り

葉の色も緑を失くし

ところどころ茶色に変化

これで、駄目かもしれない

半分諦めかけていました 

 

ところが、

 

 

今日、小さな芽を膨らませています

よかった 

 

だめもとで、水だけは遣続けて

いたのですが、

すっかり葉を落としてしまい

本当にあきらめかけていたのです

 

 

可愛い芽をあちこちにつけています

 

 

なんともうれしいかぎりです

 

 

多分10個くらいは

芽を付けているようです。

しかし、

 

 

横に出た枝は駄目のようです

また楽しみがふえました。

 

ところが下に目をやると

 

 

サツキの葉が食べられている

虫がいるのだろう??

 

 

いました。いました。

お昼寝の最中でしょうか。

見るところ十数匹

まあこれくらいはいいか

夜には雨になりそう

裸の虫には寒いかもしれません

もうすぐ寒くなります

あと少しの命かもしれません。

この枝は剪定する枝でもあるし

サツキとしても一応の働きを

終えているのかもしれないと

そっとしておくことにしました。

 

そういえば、

表のピンカミノール

 

 

この草は大体は雑草除け

という草で、

茂ってくると外の草が生えない

そういう性質を持っています。

ところが、

この小さな世界にもせめぎ合いが

あって、

 

 

ドクダミが葉を伸ばしています

花が咲いた後、切ったのですが

根は連結していて

切ってもまた違う所から出て来ます

このドクダミも曲者です。

 

 

そこにまた、

芝生も根を伸ばしてきて

これもまた、命を広げています。

 

三者三様それぞれの戦いがある

 

小さなスペースですが

当初植えた

ピンカミノールの世界になるのか

性の強いドクダミの世界になるのか

また芝生が力を持ってくるのか

まあ、見続けて

三つ巴で共存するのか

これも小さな世界の命の戦い

なのかもしれません。

 

 

 

 

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諦める !

2017-10-24 14:24:09 | 住職の活動日記

西行法師は

俗名を佐藤義清(さとうのりきよ)

といって、北面の武士でした。

ところが、23歳のとき

親友の藤原憲康の頓死に遭い

世の無常を感じて出家得度しました。

時の、後鳥羽上皇は

出家を思い止まるよう

説得するのですが、

「惜しむとて 惜しまれぬべき

 此の世かな 身を捨ててこそ

 身をも助けめ」

と詠んで出家してしまいます。

 

お釈迦さまも伝説では

四門出遊(しもんしゅつゆう)

という物語で出家の動機を

説明しています。

お釈迦さまは早くに母を亡くし

何かと物思いにふける少年だった

のでしょう。

王様はじめ周りの人たちは

何とか気を晴らそうと計画します

そこで、城下の様子を見て回っては

どうかと勧めるのです。

そこで、

東の門から遊びに出ると

腰は曲がり顔はしわだらけの人に

出会います。

あの人はどういう人か?

あの人は老人といってみな人は

年とともにあのようになります。

それを聞くと

遊びに出る気持ちも失せて

お城へ帰ってしまわれます。

南の門から出ると、

病人に出会い

西の門からですと葬儀の列に

出会い

心も重苦しく

塞ぎ込んでしまわれます。

北の門から出た時に

身なりは貧しくても

顔が輝いている修行者に

出会われます。

あの者は道を求めて修行している人

ということを聞き、

なにかしら心惹かれるものを

感じられます。

 

やはり、出家得度ということは

世の中の相を明らかに見る

見きったからこそ

世の無常ということを感じ

真なるものは何かと

それを求め出家されたのです。

 

この事を仏教では

「第一義諦」(だいいちぎたい)

といいます。

まず一番先に考えなければいけない

ことという意味です。

 

よく忙しい、忙しいというと

そりゃたいへんですね!

何も言えなくなってしまいます。

忙しいのは善で

閑なのはまるで悪かのように

誰かが、

忙しいという字は

心を亡ぼすと書きます。

といっていましたが、…

 

よく見ると、

時間には限りがあります。

しかし、

本当に知るべきことは無限にある

だから、

金や地位や名誉と世俗のことに

躍起になっている暇はない

ということです。

 

しかし、

世の中のことは楽しいし

おもしろい

千変万化で目が離せない。

といいつつ

捨て難いものです。

 

『往生要集』を書かれた

源信僧都(げんしんそうづ)は

世の無常を明らかに見て

急ぎ、浄土へ参るべし、と

厭離穢土(おんりえど)

欣求浄土(ごんぐじょうど)

と説いておられます。

 

この世の無上さを明らかに見よ

すると厭い離れることができる

そうすれば自ずと

浄土を喜び求めることができると

 

何時まで経っても

ウロウロしているのは

本当に世の中の姿を

明らかに見ることが

できないのでしょう。

 

そういうことからすると

「諦める」、ということも

「明らかに見る」

ということがなければ

ほんとうにあきらめることは

できないのです。

 

「わかっちゃいるけどやめられない」

という歌がありましたが、

なんだか、

どこで分かっているのですが

まだ楽しみが欲しくて

うろうろ動き回っているのです。

 

「あきらめる」

諦める、と漢字で書けば

この世の中を明らかに見切る

という、

凄い言葉ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

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諦めない!

2017-10-23 20:36:54 | 漢字

昨夜は忙しい時でした。

なでしこジャパンのスイスとの試合

なでしこの心情も「あきらめない!」

そのせいか2対0で勝利

なかなかいい試合でした。

それが終わると、

村田諒太とエンダムの試合

前回の判定で敗れ

今度は雪辱を晴らす一戦となり

勝利を収めました。

やはり、あきらめないという精紳が

この試合をものにしたのでしょう。

 

それが終わると衆議院選挙の

投票結果の番組

これも興味深く目が離せません

この選挙戦も絶対あきらめない

心が悲喜こもごもをもたらした

のではないでしょうか。

 

そのテレビの間にはコマーシャルで

IKKOさんでしたか

美容の宣伝で、

あきらめない!」という

アンチエージングでしょうか

若さをあきらめてはいけない

というような文句が流れていました

 

あきらめない

漢字で書けば「諦めない」

『諦』(タイ)という字です。

漢和辞典には、

あきらかにする。

つまびらかにする。

そして、断念する。思いきる。

という意味が続いています。

やはり、本来はあきらかにする

ということでしょう。

 

普通には、あきらめるというと

断念する。思いきる。

という意味で使います。

 

しかし、

仏教ではとても重要な言葉として

使います。

お釈迦様が最初に悟りを開かれた

その内容は四諦八正道

(したいはっしょうどう)

というふうにいいます。

この場合の『諦』は真理という意味

『諦』はインドの言葉でサトヤと

いいます。

ですから、四諦とは

四つの正しい真理ということです

苦諦・集諦・滅諦・道諦

く・じゅう・めつ・どう

の四つです。

 

諦ということも

普通には「あきらめる」

仕方なく思い切って断念する

ということですが、

もう一歩考えると

物事を明らかに見る

明らかに見るからこそ、

断念すべきことは

喜んであきらめることができる

悔しくてあきらめるというのは

まだ、物事の真実が見えていない

ということでしょう。

 

しかし、そこにいたるには

あきらめない

という心が大事だと思います

中途半端で諦めるということは

それは努力不足で悔いが残る

 

とことんあきらめない

この根性でやればこそ

ほんとうにあきらめることができる

という、化学変化が起きるのでは

ないかと思います。

 

 

 

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宇治のまちは期日前投票で大渋滞!

2017-10-21 15:01:35 | 住職の活動日記

この時期には珍しい大型台風が

接近中です。

というよりどうも上陸しそうな気配

ということもあって

宇治の市役所へ投票へ

ところが出て見ると道は大渋滞

市役所は観光地に近いこともあって

たぶん、観光の車と投票の車

それに台風に備えての買い出しと

それぞれが入り混じっての

渋滞ということでしょう。

 

市役所へ着くと

もう長い列ができています。

先ず、誓約書へ署名して並び

投票用紙を受け取ります。

今までは気がつかなかったのですが

選挙カード(投票時入場券)には

バーコードが付いていて

それを読み取るとすぐ確認ができる

という便利なシステムです。

それで、さほど待つこともなく

投票できました。

 

もしもに備えてと

スーパーによるとここも大混雑

創業記念セールともあい重なって

ということのようです。

 

段々、雨足もきつくなってきました

先程家の周りの片づけは

済ませましたので、

このひどい雨には合わなくて

よかったです。

 

明日の投票も大変でしょうが

是非、一票を投じて欲しいと

思います。

それと台風の被害も無いように

祈っています。

 

 

 

 

 

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