本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

メンテナンス

2017-01-31 21:25:21 | 住職の活動日記

午前中は奥村歯科へ

午後からは済生会熊本病院へ

身体のメンテナンスに大わらわです。

 

1月31日、

お正月を迎えたかと思えば

あっという間にもう一月は終わりを

告げています。

 

 

奥村歯科では今日が最後の

お正月の飾りでしょう。

酉年にちなんだしつらえになっています

 

 

今年の幸せを呼び込みそうな

大きく羽を広げた姿はいいものです。

 

 

まあ、美しい…、

木目込みの鳥さん

ちりめん素材の雄鶏は

美しい!!

 

 

玄関には今年の福を呼び込む

お飾りです。

 

いつも行く済生会病院

何気なく見ていたことに

 

 

トイレの便器の上には

案内表を入れてくださいの

プラスチックのケース、

置いてあるのを見ると

本当に助かります。

折りたたんで脇に挟んだり

もっと小さく折ってポケットに

突っ込んだりと、

結構、どうしたものかと

置き場に困るものでした。

 

順番を待っていると

前の画面に

 

 

済生会病院は医療の質では

全国3年連続1位という評価を

受けておられます。

 

矢張り、

患者さんの目線に立った

体制はとても気持のいいものです。

料金の支払いも機械、

初めてですとご婦人の方が

支払機のそばには職員の方が

懇切丁寧に教えておられました。

 

「菊芋パワー」を

期待していったのですが、

今回は残念!!

思ったほどの効果はなかったようです。

まあ、便通の良さはなにより

という結果でした。

 

いずれにせよ

心身ともにメンテナンスは

大事なことです。

 

 

◎別にさわってはいないのですが、

 今回から写真が大きくなりました。

 見やすいのはいいことではないかと、  

 思いますが…、

 

 

 

 

  

 

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「菊芋」を求めて益城へ

2017-01-30 18:15:51 | 住職の活動日記

電話をすると、

お店の方は震災でやられて

近くの「益城復興市場」という屋台村に

 

 

車で30分、わりと近い

益城に入ると道の凸凹が気になる

これも震災で道に亀裂が入った

ということでしょうか、

 

テント村には食べ物や衣料品

お茶のお店、花の店などが

並んでいます。

 

 

テントの壁一面には

励ましのエールが

所狭しと書かれています。

 

 

頑張ろう!

それに応えるように

「頑張るばい!!」の言葉

 

 

「おいしかったよ」の言葉

から揚げのお店もあり

今日はもう売り切れという札が

上がっています。

 

 

外国の方のエールも

届いているようです。

 

 

「益城魂」という

明日に向かっての志も

掲げてあります。

 

 

肝心の「菊芋」

矢張り注文が多いのでしょう、

ここのテント村には2袋しか

ありません、

製造元のお店へ連絡していただき

早速届けていただきました。

京都からということで、

「菊芋入りのうどん」を

お土産に頂戴いたしました。

 

 

食べだしてから1月あまりでしょうか

明日の検査が楽しみです。

それにしても便通だけでも

素晴らしいので、

続けたいと思っています。

 

そして、お店の復興を

心から念じています。

 

「バーニーバーニー」

という店の名前ですが

紅茶の入れ方も指導されている

ようで、

お店が完成したら

また紅茶も頂きに行きたいと

思っています。

 

 

 

 

 

 

 

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熊本震災復興の『梵鐘』火入れ式

2017-01-30 10:20:57 | 住職の活動日記

平成29年1月27日大安吉日1時より

京都の『岩沢梵鐘』にて火入れ式が

無事に執り行われました。

 

 

工場内は熱気に包まれ

溶鉱炉からは炎を噴き上げています。

 

 

鋳型の上には『本蔵院』の名札

が上がっています。

 

 

鋳型の中の確認です。

反対に彫られた文字

銅が注がれ文字が浮き上がります

 

 

住職の確認も終り、

鋳型をはめ込む作業へ

 

 

ここが一番微妙で大事な行程

ミリ単位の作業です。

 

 

この間に銅が注がれ、

梵鐘の胴の部分になります。

これが狂うといい音が出ないという

ことになるのでしょう。

 

 

上の部分の鋳型が結合されます。

 

 

溶鉱炉からバケットへ

溶けた銅が移されます。

 

 

少し温度が下がるのを待ちます。

こまめに温度が測られ、

その中にも、

 

 

住職の導師は梵鐘鋳造の

「表白文」が読み上げられ、

祈念の作法は順々と進みます。

 

 

ちょうどいい温度になったところで

錫が入れられます。

溶けた銅の温度は1100度ほど

 

 

この熱さの金属を手作業で撹拌

これも大変危険なな作業です。

金属から出る湯気のような煙が

立ち上ります。

 

 

コアを取って、銅と錫が

よく混ざったかの確認です。

 

いよいよ、鋳型へ

 

 

社長陣頭指揮のもと注がれていきます

一番神経を使く作業でしょう。

無事均等に

注がれるのを祈るばかりです。

 

 

社長さんは注連縄のようなもので

調節しながら注がれます。

 

 

読経の中着々と

梵鐘の鋳造行程も進んで行きます。

 

 

バケットの中の銅と錫もすっかり

注ぎ終り、

 

 

後は静かに梵鐘として固まって

いくのを待つばかりです。

上の四角い部分が「竜頭」リューズ

龍の形をした吊り下げるところです。

 

熊本の菩提樹苑では

鐘楼堂の基礎が出来上がっています

 

 

切妻型の屋根をした鐘楼堂

眼下には

 

 

熊本市内を見下ろせ、

 

 

ちょうど菩提樹苑の一番上、

4000基のお墓が見渡せる場所

 

震災復興を祈念し、

亡くなられた方々の菩提を弔い

熊本市中に響き渡ることでしょう。

 

鐘楼堂の建立、梵鐘の鋳造

夢魔成満することを祈るばかりです。

 

 

 

 

 

 

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『世界』  世という字も面白い

2017-01-26 15:42:08 | 住職の活動日記

人間は背きながら生きている

それもほかならぬ自分に、

キリスト教の場合は神に背く

ということが罪ということでしょう。

仏教では自分に背くと、

本来の自分に背きながら

生きているのが私達といっています

 

般若心経に

『一切顛倒』(いっさいてんどう)

という一句が出てきます。

私達はちょっとぐらい間違って

生きているのかな?

と思うのですが、

般若心経では『一切』と

すべてが間違って逆さまになって

生きているのが私たちのあり方

だと説いているのです。

 

私たちが生きているところを

大きくは「世界」といいます。

one world  世界は一つとか

また、world にはそこに住んでいる

人びと、人類という意味もあります。

 

仏教では、

蓮華蔵世界とか

奈良の大仏さんの表現する

世界です。

三千大千世界と、

もっと大きく広い世界観で

世界ということ見ています。

 

似た言葉で、

「世間」という言葉もあります。

世間に対する言葉は出世間

迷いの世界を出て仏の世界に

入るということで出世間、

略して『出世』という言葉が

一般的になりました。

内容は少々違いますが。

 

世間ということを仏教では

このように定義しています。

1.否定され滅ぼさねばならぬもの

2.うつろいゆくもの

3.真理に背いたそらごとたわごと

 

また、

『世』という字の成り立ちを見ると

十を二つ並べて「廿」と書き、

世という字は十を三つ並べた

ところからでき上がっている。

そこから30年ということを意味し

そして、「一代」という意味が生まれた

とこのように書いてあります。

なるほど!

人生50年と言ってましたが

もっと古くは30年ということ

なんでしょう。

定年が65才とはよく言ったもので

人間が活躍出来るのは

30年ということでしょう。

妙に頷いてしまいます。

 

また、

仏教では「世界」ということで

時間と空間を表します。

「世」は三世という言葉もあり

過去・現在・未来をあらわします。

過去世・現在世・未来世と

空間的には東西南北を「界」と

いっています。

世界という言葉も

loka-dhatuローカ・ダートゥ

「壊れるべき場所」

ということがもともとの意味です。

 

だから、急ぎ「出世」せよと!

出世間ということですけど、

この世は、無常であり・不浄であり

世間虚仮といわれるように

急ぎ離れるべきところと

定義しているのでしょう。

 

しかし、

この世は嘘と真が入り乱れ

騙しだまされるその世界、

愛憎渦巻くこの世界が

恋しいと述懐している方も

おられます。

だからこそ悲喜こもごも

そこに本当の人間の姿を見て

煩悩の深さを知りつつ

さとりの広さも実感していくのが

人生の醍醐味かもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

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お花の宝船

2017-01-25 17:27:46 | フラワー

見た印象で思ったのですが、

活けた方の思惑とは違うかも?

 

 

ちょうど宝船を帆を上げている

そのような姿に見えたのです。

 

宝船も縁起物、お正月には

ピッタリの形かと?

 

 

黄色もオレンジも芥子の花

英語ではポピーというようです。

芥子とい響はなんだか物騒な

ひびきもありますが、

ポピーというと可愛いイメージに

変わってくるようです。

 

芥子の実も、

不動護摩の時に使ったり

また、経典にも出てきたり

仏教にも関係するけしの実です。

けしの実は最小の形量をあらわす

譬喩としても用いられ

護摩の時には炉の中に投げ入れ

その辛い味から、

悪魔や煩悩を退散させる

ということで用います。

 

密教の教えを求めて、

その経典が入っているという

南天の鉄塔を開けるのに

この芥子の実を投げて

その扉を開いたという

話も伝わっています。

 

まあ、七福神が乗ったような

可愛い花たちが

今玄関を賑わせています。

 

 

 

 

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宇治鳳凰大学、「これからの宇治」

2017-01-24 14:20:17 | 住職の活動日記

今年もあとは大学祭と卒業式

今日が最後の講義になります。

締めのお話として、

宇治市まちづくり推進課の

杉本宏さんが講師でした。

「これからの宇治」

副題として

「歴史文化を活かしたまちづくり」

という題を掲げてあります。

 

なかなか興味深い話で

目から鱗というか、

もっともっと聞きたいそそられる

内容です。

 

日本の人口が減っていく中

限界集落という65歳以上が増えて

維持できなくなるという現状、

宇治市でも月に100人減っている

10年以内に1800ある自治体が

半分になるだろうということです。

 

日本の文化は多様な地域の

文化がそれを支えてきたという

そこから強靭な歴史文化を

生み出してきたということです。

自治体が減り、多様性が無くなると

これから文化というものを

どう維持していくかということが

問われてくるということです。

それが町づくりということにおいても

大きな問題ということです。

 

宇治というと

平等院、宇治茶という文化的な

香りがしてきますが、

江戸時代の人にとっては

宇治とは

古戦場ということだったのです。

都へ行く要衝の地、

宇治川を渡ればもう都という

ですから、ここが戦場になった

 

「楠正成」

「宇治にとってはひどい人ですよ」

と、話されます。

足利尊氏を待ち受けるのに

尊氏に陣を作らせないよう

宇治の町を一軒も残さず

焼いてしまったということです。

平等院も鳳凰堂は残りましたが

宝蔵とか塔もすべて焼いた

この難に遭わなければ

もっと貴重な文化財が残って

いたということです。

1334年宇治が焼失したということです。

 

文化遺産ということについて

面白い譬えで、

象さんを文化遺産とする、

普通は象さんだけをする

という考えですが、

そうではなくて、

象さんが生きるためには

どういう餌が必要か

その餌はどうやって栽培するのか

そして象さんはどのように生きるのか

という、象という単体ではなく

その環境を含めたすべてを

文化遺産というそうです。

 

文化ということも

西洋と東洋とでは

大きな隔たりがあるということ、

西洋は手を加えないもの、

町並みにしても作られた時のまま

日本は木造建築、

それを修理して建て直し

維持していくことがことが文化、

その技術の伝承こそが文化

という考え方なのです。

 

京都ということも

昔は男の舞台という

戦場にもなり、政権交代もあり

男が活躍する舞台だった、

それを明治以後

天皇さんは東京へ

行ってしまわれるし、

京都 = 女性

というイメージを植えつけていった

雅という王朝文化を作り上げた

というのが、

京都が生き残る起死回生の策

だったということです。

 

文化をモノとして見るのでなく

ただ、

街並みが残ったというのではなく

それを受け継いできた歴史文化

を目指した町づくり、

そこにある個ということを

大事にして、作り上げる。

 

お茶という世界も、

静岡とかいろいろ有名な産地は

たくさんありますが、

お茶を作り、そこで消費して

文化を生み出している

宇治茶はブレンドが勝れている

拝見窓というのがって

ブレンドしたお茶を飲み比べる

その中から自分に合うお茶を

作り上げるという

そしてお茶を売る店、

お茶を加工して売る店が

備わっているのは

宇治だけということです。

 

自分たちが自分たちを発見できない

今日の話、

宇治に関することばかりだったのですが

誰もが初めて聞くような話

案外そこに住んでいる人の方が

その場所のことを知らない

そういうことを認識していくことも

文化を伝承していくことに

つながるのではないかと、

 

もっともっと内容が豊富で

ぎっしり身の詰まったお話だった

のですが、簡単に要約しました。

 

 

「歴史は今の私たちの話」

「歴史は今にある」

「今とは歴史の総和である」

という、

メッセージを発信しておられます。

 

 

 

 

 

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しのぐ

2017-01-23 17:22:56 | 漢字

残念ながら錦織選手

フェデラーに負けてしまいました。

さすが元世界チャンピオン

試合運びのうまさは見事、

フルセットまで行ったのですが

しのいでしのいで、

ここぞというチャンスと見るや

反撃に出る。

 

「しのぐ」

辞書を引くと「凌ぐ」と書きます。

意味はいろいろあるようですが

この場合は「我慢する」という

意味でしょう。

「凌」 もともとは氷室という

始まりのようです。

ですから、氷。氷室。の意味があり

「しのぐ」という意味は

熟語としてはあまり見かけません。

 

「凌雲」というと

雲をしのいで天に高くあがる。

そこからでしょうか

嵯峨天皇の命で作られた

最初の勅撰詩集は

「凌雲集」といいます。

 

親しくさせていただいた

京都の古美術商の

「凌霄」(りょうしょう)さん、

意味が辞書に出てきました。

お知り合いになった時に

調べておけばよかったのですが

亡くなられて、

今ごろ気がつくとは… 残念!

 

ここのお店、スティーブジョブズさんも

よくお見えになったそうです。

『凌霄』、空をしのぐ。ということから

志の高いさまをあらわしている

そういう気持ちで命名されたのです。

「凌霄之志」という熟語もあります。

大空をもしのぐ高い望み。

独立して店を持たれた時

そういうお気持ちだったんだ

ということを知らされました。

ご存命の時であれば

もっと話にも花が咲いたことと

思います。

 

しのぐということも

懐石料理の途中とかには

「おしのぎ」というのも出ますが

これは、まず

空腹をしのぐ、ということで

少しだけでるチョッとしたもの

今ではご飯とか麺類も

あるようですが、

そういう使われ方もあり

 

『凌』  という言葉も

幅広い意味をもった言葉ですね。

 

また、勝負の時の

「しのぎを削る」となると

『鎬を削る』で、

はげしく切り合う、激しく争う。

という意味になります。

『鎬』は刀の用語で、

真中の反った部分で

そこがあたり合い削れるほどに

あたるところからの言葉です。

 

外はまた冬将軍が大暴れ

この地でも小雪が舞っています。

ここのところ籠りっきりです。

 

 

 

 

 

 

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おっくうがる心を刻々に切り捨てて

2017-01-22 20:56:39 | 漢字

「おっくう」ということ、

面倒くさい、というような意味

この言葉だんだん身に堪える

ようになりました。

わりとまめな方なんですが、

お礼の手紙でも、

明日にでもと思っていると

あっという間に時は経ち

遅れた言い訳やら、

また出しそびれてしまうと

とても心に引っ掛かるものが

残ってしまいます。

 

この、森信三先生の言葉、

 

人間は億劫がる心を

刻々に切り捨てねばならぬ。

そして齢をとるほどに

それが淒まじく

ならねばなるまい。

 

とおっしゃっています。

三浦先生もこの言葉を

自分の宝物のように

常に口ずさみ実行されていました。

 

わかっているけど

なんだかんだ理由をつけて

先延ばしにしてしまい

ついには忘れるか

それをいいことになかったことに

してしまいがちです。

 

「おっくう」という言葉

漢字で書くと「億劫」となります。

億に劫という字が付いています。

なんだか仏教語のような

やはり、

「劫」ということは時間の単位で

インドの言葉でカルパといい

とても長い時間のことを表します。

一説には、

40里四方の石に100年に1回

天女が降りてきて舞を舞い

その衣で擦って

石が無くなるのを1劫といいます

 

まあ普通では考えつかないような

長い時間ですが、

その劫が億あるというのですから

想像がつかない長さです。

 

そこから、「億劫」ということは

時間がかかりすぎてやりきれない

ということで、面倒くさい

ということになったようです。

 

インドという国の発想でしょうか

数の考え方が凄い

経典のなかには

五百千億那由多阿僧祇というような

数を数えるのです。

数字というのは私たちにとっては

数を数える道具ですが

インドの人にとっては

数を愛するというか

便利だから

数を使うというのではなく

数自体がおもしろく

そうなってくると数が舞う

数が歌うというような

学問として数をあつかう

ということになるそうです。

 

「0」の発見はインドですが

インドでは数を愛し、

「0」から無というような思想を

生み出した。

ところがアラビア人は

それを経済に使って道具として

使いこなした。

ということを聞いたことがあります。

 

億劫ということも

本当は数としてのいい言葉だった

それが、いつの頃からか

まったく別な「面倒くさい」という

意味に変わってきたようです。

 

それはそうとして、

億劫という数も自分のこととして

考えると、

あらゆることを「億劫がらずに」

軽やかにこなしていかなければ

ならないように思います。

そして、

年とともにそれがますます

億劫がる心を切り捨てて

いかなければならない

ということです。

 

肝に銘じておかなければ!!

 

 

 

 

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キミエホワイト・プラス

2017-01-21 21:33:56 | 住職の活動日記

家内が通販で買ってくれたのです。

 

 

ちょっと前から、

口の周りが黒ずんできて

人からも「カールおじさん」

みたいともいわれ

それがだんだん濃くなってきた。

 

病院へ行ったのですが

なんだか、一笑され

アッハッハ!!

そうですか、で終わり。

 

電話すると

上手に言われるようで

もう60歳を超えていたら

皮膚が生れ変るのに

普通の人の3倍はかかる

それで、3か月分注文した方が

いいのでは、と

 

薬のネーミングも面白く、

「キミエホワイト」

開発者のお母さんがキミエさん

その母のために作りました

というのが名前の由来のようです。

 

面白いものでは

一番気になる「便秘」

「ツージーQ」とか

よく出るということで「ヨーデル」

とかさらりとでるので「サラリン」

また、痩せるということでしょう

「ビスラットゴールド」

なんだか、美しくすらっとなれる

それもゴールドという

ゴールドのように美しくなれる

そのような想像をしてしまいます。

 

キミエホワイトも

100錠とかせずに93錠と

一月分としたところが

ちょっとした工夫なのでしょうか。

しかし、成分を見てみると

アスコルビンサンという

ビタミンCが主な成分で

他の製薬会社が出している

製品と全く同じものです。

 

富山というから漢方薬の本場

もっと漢方を主体にしたものかと

思いきや、

中の成分は今の科学的なもの

そこらで

もう一工夫欲しい気がしますが

一応一月分飲んでみます

少しでも薄くなればいいのですが

 

 

 

 

 

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いのちのあかし絵画展

2017-01-20 21:03:32 | 住職の活動日記

熊本の菊池恵楓園の絵画展が

京都で行われています。

恵楓園とは深いご縁がありまして

祖父の代からお邪魔しています。

恵楓園開設当時からでしょう。

息子の住職を入れると

4代にわたりお参りしています。

 

とても身近に感じ、

早速絵画展へ足を運びました。

 

 

東本願寺の「しんらん交流館」の

ロビーに展示してあります。

 

 

とても明るい色が目を引きます。

画に添えられた

「海は広い 大きい

魚はおしゃれ だから魚大好き

自由でいいな」

この文句にも、わかりやすそうで

その心情を思うと

恵楓園という場に置かれた

そのご苦労が伝わってくるようです

 

 

九十九島の画も明るい色使い

長崎出身の方にとって

自慢の景色だったのでしょう。

 

 

「生の輪廻」という題が

付けられています。

『この病気になってなげやりに

なったり、落ち込んで気持ちが

弱くなったりしました。

こうした生活に打ちひしがれないで

この人生に勇気を持って

立ち向かって、

負けずに生きて行こうと、

そのときそのときの精一杯を込めて

描きました。』

と、書いてあります。

 

 

故郷の神社を思い出して

描かれたのでしょう。

「故郷の社」と

題が付けられています。

 

 

「遠足」という題です。

6歳でハンセン病を発病し、

学校に通ったのは1年足らず、

学校ではいじめられて

泣いてばかりいたそうです。

満開の桜を見に列を作って

菜の花畑を歩いた遠足は

友だちと行動を共にした

唯一の記憶だそうです。

らい予防法が廃止された年

作者の方が82歳の作品です。

82歳とは思えない若々しい

構図と色使いに驚きます。

 

 

「鎖」という題です。

恵楓園内に残っている監禁室と

隔離の壁が描かれています。

らい予防法廃止後に描かれた作品ですが

作者は、

「差別は絶対になくならない、

口に出さないだけでその感情は

ずっと残っている」

と、いつも穏やかな方ですが

珍しく断言されていました。

 

 

「日向ぼっこ」

のどかな写真ですが

このが描かれたのも

80歳を過ぎてからということです。

生きてこられた人生を思うと

察して余りあるものがあります。

 

 

猫(愛娘)とあります。

このネコちゃんが友となり

娘となって一緒に生き抜いて

こられたのでしょう。

 

『生きんとね。

生きて生きて、

生き抜くばい

それがわしらのプライドだけんね』

 

という言葉が身にしみてきます。

 

東本願寺としても

立派なパンフレットもつくり

力を入れておられます。

ぜひ足をお運びください。

1月29日までです。

入場無料。

 

 

 

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