本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

雨のフライト

2019-08-30 17:45:43 | 住職の活動日記

出発するときは大阪は曇り

しかし、

予報では九州方面は雨の予報

 

 

隣の出発便は美しく描かれた飛行機

 

よく見ると

 

 

「TOKYOU2020」の機体

オリンピック応援の飛行機です

 

飛び立つといきなり雲の中

機体を揺らしながら上昇

 

 

この揺れは初めてです

結構揺れました

客室乗務員の方も坐ったまま

まあ、揺れに身を任せて

そうするうちに

下がりだすと熊本市内が

見えてきます

 

 

フラップを下ろし着陸態勢

やはり雨のようです

窓の水滴が真横に飛んでいきます

 

 

着陸するとすぐに

エアーブレーキの羽が上がります

急激なブレーキがかかり

これだけ小さな羽が上がるだけで

大きな空気抵抗がかかり

飛行機はスピードを落としていきます

 

 

やはり熊本は雨

結構な強い雨が降り続いて

いるようです。

 

お不動さまの時には曇り空

しかし、何かすると

その時に限って急な雨が

降り出すものです

佐賀では大変な被害が出ています

山一つ隔てただけで

こうも違うものです

線状降水帯ということの影響

なのでしょう

 

 

帰りはプロペラ機です

心配なのは雨による欠航です

雨の予報ながら

時間通りに飛べたのは何より

 

 

雲の上へ上がると

そこは青空が広がっています

プロペラ機なので

揺れを心配したのですが

思ったほど揺れもなく

 

 

下に大阪の淀川を見ながら

無事に到着

するとこちらも雨が降っています

 

宇治の方も雨雲が近づいている

携帯に大雨の警報が出ます

 

 

そのせいかどうか

アスファルトの隙間に生え出た

草や薊(あざみ)

勢いを増して元気です

 

 

どうやって

ここに飛んできたのでしょう

天気になって掃除の方が

邪魔!

と抜かれるかもしれません

が、

落ちたところが自分の生きる場所

そこで根を張り元気に育っている

 

 

ド根性の薊です

それも美しく咲いています。

頑張れ!

たしかに今日出会いましたよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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心頭滅却すれば火もまた涼し

2019-08-28 14:20:07 | 住職の活動日記

8月のお護摩

一番暑い月です。

けど、九州方面は大雨警報

福岡佐賀は大変で高速道路も

通行止めが出ているようです。

おかげさまで、

熊本はほんのちょっとした違いで

雨は続くものの

さほどの大雨ではなく

今日も午後からは曇りです。

 

しかし、

不思議なもので

護摩の炎と対峙していると

熱いとか涼しいという感覚が

ないようにも思います。

 

「心頭滅却すれば火もまた涼し」

というのは

快川紹喜(かいせんじょうき)

という方が

寺の焼き討ちに遭い

この辞世の句を残して

亡くなられたのです。

 

そういう大層なものでは

ないのですが

重ね着してそれだけでも

暑そうなのに

間近に火を焚くというのは

はたから見るほど大変ではなのです

確かに、汗は滴り落ちますが

その時はそうも感じません

相対的なものかもしれませんが

終わって冷たい水をいただくと

とてもおいしく

体の中にしみこんで

気持ちがいいのです

涼しいところにいると

火の前というのは熱い

しかし、熱いところだけですと

それしかないので

暑い涼しいという感覚が

なくなるのかもしれません。

 

ということで、

無事に8月のお護摩も

務めることができました。

 

 

 

 

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京都御苑の百日紅

2019-08-26 21:16:14 | 住職の活動日記

夏の好きな花は何といっても

「百日紅」です

暑さに負けないように

赤々とした花を咲かせます

 

 

その前に出かけたところが

井筒法衣店

 

 

店内はお洒落なつくり

普通衣店というと

所狭しと衣が山積みなっている

ここは上手に片づけられ

 

 

いつも出て来るのは

おせんべいとお茶、

きょおう今日は冷たいコーン茶

とても香ばしく美味しい

 

 

それから気になっていた

京都御所へ

この寺町御門の前にある百日紅

 

 

とても大きな木です

 

 

この木はとても枝ぶりがいいのです

葉が落ちても

その枝のつくりは一つの芸術品

おもしろい形を見せています

 

 

しかし、

花はもう終わりがけ

所々実を付けています

 

 

この木は別の木ですが

本当に猿も滑るような

ツルツルの肌をしています

しかし

テッポウムシが難敵というか

中に入り外側を肌に添って

食べていきます

一周回ると枯れてしまいます

 

 

いたるところに

それも大きな百日紅が咲いています

 

 

御所の中は緑で覆われていますが

その中でひと際百日紅に赤さが

際立っています

 

 

よくみると

風は秋の感じがします

セミもツクツクボウシが泣き

耳を澄ますと

虫たちの声も聞こえてきます。

 

御所も次第に秋の装いに

なっていくようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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巨椋池再現 昭和28年災害の記録

2019-08-25 20:53:09 | 住職の活動日記

JR宇治駅の隣「めりあ宇治」という

ところがあり

そこで、歴史講座として

「巨椋池再現 

   昭和28年災害の記録」

という講演会がありました。

 

昭和28年というと

熊本でも白川が決壊

水が市内に流れ込み大きな被害が

出ました。

ちょうど小学生の頃

家の前の道が川のようになり

牛や馬が流れていくのを

そして周りが皆水浸しになった

今でも恐ろしい記憶として

思い出します

水が引いた後

お寺の地下に溜まった水を

ポンプでくみ上げるのが日課でした

 

6月4日から5日にかけ

中国・四国・九州の豪雨

7日には台風の襲来

それから24日から29日にかけて

再び豪雨が襲いました

8月14日から15日にかけて

近畿地方の豪雨「南山城水害」

追い打ちをかけるように

9月25日には台風13号災害

と、立て続けに発生しました。

 

その時

熊本と同じように

宇治川の氾濫で干拓した巨椋池が

元の湖のように水に浸かりました。

その時の写真をスライドで見ながら

お見えになっている方々も

ほぼ私と同じ年配

その時の記憶がよみがえるように

「ああそうだった!」

というような声が聞こえます

 

今住んでいる所は

宇治の伊勢田という所

「伊勢」という地名は

水に関係があるというか

水際、海の側というような意味が

あるようです

そのように、

ちょうど高台のようになっていて

その縁から巨椋池が始まっています

 

その写真も映しだされ

その淵に立って巨椋池が

水に浸かっている所を見ている

人々の様子がうかがえます。

 

当時の新聞

「宇治市政だより」には

流失浸水4300戸に及ぶ

宇治市も空前の台風水害!

800万石の米倉地帯も濁水の下に

という見出しが見えます

記事には

被害総額21億3千万円

人的被害は少なったけれども

巨椋一帯700町歩の収穫は絶望的

ということが書いてあります。

 

それから後半は

「天ケ瀬ダム」建設の様子を伝える

映画が上映されました。

琵琶湖から出る水は一つ

瀬田川から流れ出るだけです

それが宇治川となり淀川となって

大阪湾へ注いでいます

この時も、

水がはけ切れなくて

琵琶湖の水がオーバーフロー

湖周辺の畑が水浸しになりました。

 

やはり工事は大変な難工事の

様子です

ダムを作っていく工程を

始めてみたのですが

こんなに大変なものと初めて

知りました

しかし、このダムのおかげで

琵琶湖も水の調節ができ

下流もその水で発電したり

ダムによって水を貯水して

それを利用できるようになった

ということです。

 

今ではよく想定外の天気

ということをいいますが

こうやって見せていただくと

いつの時代も想定外の出来事が

起こっているようです

改めて、

いつ起こるか分からない

災害に心しておかなければ

いけないような気がしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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夏の終わりのジャズコンサート

2019-08-24 21:07:20 | 住職の活動日記

先日お邪魔した

文化パルク城陽プラネタリウムで

ジャズコンサートがありました

 

 

サックスだけの構成です

7名で演奏されます

サックスも色々あって

低い音から高い音までだせる

サックスがありその組み合わせです

 

 

 

ふと、祖父のことを思い出します

祖父は雅楽の篳篥(ひちりき)を

やっていて

楽器としては同じ仲間です

リードがあり

祖父はいつも茶碗にお湯を入れ

篳篥のリードを蘆舌(ろぜつ)と

いうようですけど

それを浸して調子を確かめ

吹いていました

その音色が祖父にとっての

健康のバロメーターになっていました

 

それから、

若い頃に聞いて

すっかりファンになった

ファウストパペッティの

アルトサックスの音色を

思い出していました。

 

やはりいいですね

切々と語りかけるような

むせび泣くという音色

そう目立った楽器ではないのですが

音の幅というか

演歌にしろjazzにしろクラシックも

なくてはならない楽器です

 

また、場所もよかったです

プラネタリウムの会場

どうなるものかと思っていましたが

曲も星や月に関するもの

「スターダスト」の時は

満天の星空になり、流れ星も飛び

なるほど !

ムードは満点です。

 

アンコールは

「ムーンライトセレナーデ」

会場は照明も消され

映し出される月と星のなか

演奏されます

この演出も抜群です

聞き入ります

真っ暗なか星を見つめて聞く

サックスの音色

なんとも素晴らしいものでした。

 

何といっても指導された

「酒井康允」という方

ビッグバンドも経験され

今は関西を中心に指導とか

演奏活動をされています

取りに演奏されたオリジナルの曲は

素晴らしいものでした。

 

早速次回の演奏会も予約をして

CDも求めました。

 

久しぶりに生の演奏に酔いました

また次回を楽しみにしています。

 

 

 

 

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源氏物語

2019-08-23 20:44:25 | 住職の活動日記

 

『源氏物語』

まあ、

この本は読むことがないだろう

と思っていたのですが、

ふとしたことから

本屋に立ち寄り目にとまったのが

 

 

 

この本です

岩波文庫から出ていて

桐壷から末摘花まであります

中を開いてみると

何よりも原文で書いてあるのがいい

現代文にしたものもありますが

やはり、原文に触れるのは

何かしら呼吸が伝わってくるようで

お経も原文に接するのも大事です

 

同じような

中公文庫から出ている

『十地経』というものを

求めましたが

これは現代文に訳してあり

またっく伝わってくるものが

ありません。

 

「いづれの御時にか、女御、

更衣あまたさぶらひ給ひける中

いとやんごとなき際にはあらぬが」

 

という文で始まっていきます。

一頁には原文で反対のページには

解説がついています

ちょっと声を出して

読みたくもなります。

 

「この世をばわが世とぞ

思う望月の欠けたることも

 なしと思えば」

と呼んだ藤原道長

一家立三后と娘孫と三人を

天皇に嫁がせ院政を行い

すべてのことが我が世の春のように

思い通りに行ったのでしょう。

 

『源氏物語』もちょうどその時に

書かれたものです。

 

また、かな文字がこの頃

一つの完成形を見るのです。

 

 

道長も最初からこういう野望を

持っていたわけではなく

たまたまの偶然がこういう

思わぬことがかなったという

ことのようです

さかのぼると、

菅原道真を大宰府に流した

藤原時平ものの早くに亡くなり

三男の忠平が跡を取ります

そして師輔(もろすけ)と続き

またその三男・兼家が跡を取り

兼家の三男が道長です。

だから跡を継ぐつもりもなく

家督は長男の道隆へ行きます。

 

道隆の長女が定子(ていし)

その定子は一条天皇に嫁ぎ

一時はよかったのですが

道隆が亡くなってから力を

なくしていきます

その定子に仕えていたのが清少納言

 

道隆の死によって

思わぬ幸が転がってきたのが

道長です

早速、娘の彰子(しょうし)を

強引に一条天皇に嫁がせます

この彰子に仕えていたのが

紫式部です。

ですから、

『源氏物語』を書くにあたり

大きな力添えをしたのが道長の

ようです。

ある先生は、

道長と紫式部との間には徒ならぬ

関係があったとか?

とおっしゃっています。

 

一条天皇をめぐるこの人間関係

これが『源氏物語』の題材のようです

一条天皇と定子の間に出来た子が

「光源氏」ということでしょう。

 

「先の世にも御契りや深かりけむ、

世にきよらかなる玉のをの子

御子さへ生まれ給ひぬ。」

 

と光源氏の誕生を述べてあります

 

まあどこまで読めるか分かりませんが

こういういい文章に触れて行くのも

いいものです。

 

 

 

 

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美のキューブ

2019-08-22 20:53:25 | フラワー

久しぶりにお花が来ました

お盆休みがったり

こちらの都合が合わなくて

なかなか通えなかったようです

 

 

今日の教室はこのキューブの花

この生け花専用に

手を加えられた花を

特殊な樹脂で固めていきます

 

 

一輪入った花も宙に浮いている

 

 

これも何かの花でしょう

角度によってはおもしろい姿を

見せてくれます

 

 

今日新たに加わった花の塊り

 

 

前の作品とで4つのキューブです

 

これも時間がかかるようで

1液、2液と加え

それも36滴と厳密に数えて

足していき

それから固まるまで

じっと待つということのようです

 

 

また、明かりを消して

スポットライトを当てると

違った趣を見せてくれます

 

 

なんとも不思議な形です

花も前処理してあるので

これ以上変わることはありませんが

ただ、光の加減で

色々の姿を楽しむことができるのが

面白味です

 

玄関先が賑やかに

華やかになってきました。

 

 

 

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本気で三年、懸命で一生

2019-08-21 20:55:31 | 住職の活動日記

昔からこういう面白い話があります

それはある剣術の名人が

もう一つ物足りなく感じることが

あって道を究めようと

ある山奥にいる老大家を尋ねたのです

そうして、

「私は先生を尋ねて来たのは

どうも至らぬところがあって

さらに教えを受けたいのです。

本気で修業をしたいと思うのですが

どうでしょうか?

どれ位の期間で

いい所へ行けましょうか」

といいましたところ

 

「お前さんの腕で本気でやれば

三年もたったならば

よい所へ行くかな」

という答え。

 

本人では二ヶ月か三ヶ月で

その奥義を極めようと思って

来たのです

ところが三年と言われて、

ちょっと人を馬鹿にする

と思ったのですが

老大家のことだから敬意を表して

「そうですか、

じゃ、寝食を忘れて励みますが

どうなりましょうか」

 

「まあ寝食を忘れてやったら

七年位かかるかな」

 

四年増えた。

ご老人そろそろボケたのかも

そこで今度は大きな声を張り上げて

「命懸けでやったら

 どうでしょうか」

 

「命懸けでやったら

 一生かかるかな」

という返事であったのです。

 

何とも面白い

とんちみたいな話ですが

味わいのある話でもあります。

 

さとりということも

私たちは誤解をしている

のではないかと思うのです

さとれば

素晴らしいものが手に入って

何とも楽な世界が開けると

大きな誤解をしているようです

 

お釈迦さまの

さとりの内容は

「人生は苦なり」という

ことなのです

楽なことだとは

おっしゃっておられない

 

だから、一休さんも

そこをひねって

こういう歌を詠まれています

 

「釈迦といういたずらものが

  世に出でて

 多くの者をまよはするかな」

 

何も知らないときは

何も考えず呑気に暮らしていたのに

「人生は苦なり」と

とんでもないことを悟ったものだ

そんなことは言わないでくれ

というところでしょうが

そこをひねってこういうように

詠んだのだと思います

 

修行ということも

奥深いものがあります

簡単にちゃっちゃっとやれば

一応決められた1年で

済むのでしょう

しかし、

自分自身の身の修行と考えれば

それは一生続くものです

 

「人生は苦なり」、

ということも

その苦を背負って一生歩み続ける

ということなのでしょう

しかし、

仏教の教えには

「抜苦与楽」(ばっくよらく)

ということを言います

苦を抜き、楽を与えると

それは本当のことなのです

矛盾するようですが、

 

「苦」ということも

「四苦八苦」という苦の見方も

ありますし

「三苦」(さんく)という

考え方もあります

苦苦・壊苦・行苦という三つです

苦苦(くく)と壊苦(えく)は

誰でも感じる苦です

 

苦苦というのは

自分にとって都合のわるいこと

例えば病気ということも

罹りたくないけど必ず病気になる

それが身に付いてくるという

反対に

壊苦とは

自分にとっては離したくない

都合のいいものが離れていく

老いということもそうですが

いつまでも若くいたい

アンチエイジングです

しかし、

誰でも若さは壊れていきます

 

そこで分からないのが

行苦(ぎょうく)です

諸行無常の「行」で

普通は感じない苦しみです

お釈迦さまは王子様ですから

何不自由ない暮らしです

地位も名誉もお金も

美しい奥方もそれに子供も生まれ

それなのに出家してしまわれます

 

一瞬たりともそのままではない

楽しいという裏には嫌なことが

控えています

花金と言われましたが

「花の金曜日」

土日は休みであるという

しかし、日曜日になると

明日から仕事という嫌なことが

顔を出してきます

 

そういう楽しそうに見えても

その裏には

必ず嫌な苦しいことが控えている

だから本当の楽ではない

ということです。

 

抜苦与楽の楽は

お経には

小さな個人的な楽を否定する

そこに本当の楽がある

というように説かれています。

 

だから本当に修行ということに

なってくると

一生かかるということでしょう。

どうもそこがキーワードのようです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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永代供養というお墓

2019-08-20 20:24:19 | 住職の活動日記

不思議な縁がつながった

何気なく地図を見ていいると

ちょうど我が家から真北に進むと

下賀茂神社がある

それをさらに進むと

彼女の父の出里である市原があり

さらに北に方角をとると

貴船神社がある。

へ~!!と思いながら

反対に南を見ていると

ちょうど真南に橿原神宮がある

初代天皇の畝傍陵墓があります。

 

今年は

大文字はテレビでお参りしました

何だか気が乗らなかったというか

おとなしくテレビ中継を見たのです

その時、

市原の親戚の方が出ておられて

彼女はとても懐かしく見ていました

 

やはり少子高齢化ということは

親戚も少なくなってきます

彼女の家も娘二人

父親がお墓を作ったものの

後をどうしようというのが

問題になってきました

そこで

色々見ているうちに

「永代供養」というお墓を

知ったのです。

京都で探し回ったのですが

どうも規模も小さい

後の管理もどうなるか?

では、

菩提樹苑で作ってみようという

ことが始まりでした。

 

やはりそういうことを

考えていた方も多くいらっしゃって

「島崎観音廟」は

完売になってしまいました

そこで、現住職が新たに

「雲上観音」という

永代供養墓を作ったのです。

 

すると、

彼女の父の実家もやはり

だんだん後を見る人が少なくなり

どうしようと

では、

離れるけれども菩提樹苑に

お墓を移すということに

なったのです。

 

そこで、

思い立ったが吉日

その市原に向かって出かけたのです

ご親戚の方も快く賛同して頂き

大文字のテレビにも出演され

この市原にも「い」という

大文字があったそうで

その火床も見つかったそうです

その折拝見した「盆踊り」

とても古い形です

ゆっくりした動きで鐘ぐらいの

なりもので、

今では京都市の無形文化財に

なっているそうです

「はま踊り」というそうで

お聞きすると

「南無阿弥陀仏」がなまった

ということですが

「ナムアミダブツ」が「ハマ」

どうも繋がらない様な気がしますが

思うに、

ナマダブ、ナマンダ、ナマ、ナマ

ハマとなっていったのではないかと

昔のお婆さん方は

子供の頃、

「はあ・はあお婆ちゃんが来た」

といっていましたが

あれもナムアミダブが「ハア~」

という一言に約まったのでしょう。

 

突然お訪ねしたのですが

快く相談にも乗っていただき

懐かしい話やら

また大文字の貴重な話とか

切れかけていた親戚の細い線が

繋がったようで

また、

地形的にも宇治の地と市原の地が

一直線上にあるという

不思議なご縁がつながった日でした。

 

 

 

 

 

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四住期(しじゅうき)

2019-08-19 20:49:37 | 住職の活動日記

この年になるとよく目にするのが

「セカンドライフ」ということ

いかに楽しく次の人生を送るか

ということで

色々の習い事から、勉強会や

また、

自分がしているセカンドライフの

楽しみ方の発表とか

そういうことが目にとまります。

 

古代インドでは

「四住期」という考え方があって

仏教辞典にない所から見ると

やはり仏教以前からあった

考え方なのでしょう。

 

学生期(がくしょうき)

 生まれたから25歳まで、

 人間としての生きる知恵を

 つけるための学びの期間。

学生(がくしょう)という言い方は

仏教でもそういいます。

伝教大師の

『山家学生式』サンゲガクショウシキ

仏教の立場からすれば

人生の全体が学生(がくしょう)と

いうあり方なのです。

常に学び求道に立つという

 

家住期(かじゅうき)

 25歳から50歳

 社会人として伴侶を得て

 家庭を作り

 仕事に励む時期。

人生で一番輝いて仕事に恋愛にと

励むという時です。

 

林住期(りんじゅうき)

 50歳から75歳

 仕事や家庭から卒業して

 林に庵を構えて

 自らの来し方、行く末を

 深く瞑想する時期。

今でいうセカンドライフの

時期なのでしょう。

第一線を退いて悠々自適

最近はそうもいきませんが

今までの人生を見直すとき

そういう時間でしょう。

 

遊行期(ゆぎょうき)

 75歳から100歳

 林(庵)から出て

 思うままに遊行して

 人に道を説き、耳を傾け

 人生の知恵を人々に授ける時期。

まあ、この年まで遊行できれば

いいのですが、

病院のベッドの上かもしれません

お釈迦様の説法に回られるのを

遊行といいます。

今でも政治家の方とか遊説という

遊ぶという字を使いますが

 

仏教でも

園林遊戯(おんりんゆげ)

ということをいいます。

さとったけれど再び迷いの世界に

舞い戻ってすべてのもを救う

そういう楽しみというか

仕事ではなく遊びにまで昇華された

そういう境地を言うのでしょう。

努力が努力でなくなる

すべてが遊びとなるような

まるで子供が林の中で遊ぶような

一休さんの子供と遊ぶような

姿なのでしょう。

 

こうやって見てくると

セカンドライフということはなく

すべてが人生の成すべきこと

第二の人生とかいうと

もう一度人生輝かそうと

いうのでしょう。

そうではなく

林住期は林住期のやるべきこと

遊行期には歩けなくなったら

ベッドの上でも

人の話に耳を傾け、笑顔で返す

たとえ動けなくなっても

口はかなわなくなっても

感謝の気持ちの笑みを浮かべる

それだけはできるのではないかと

思います。

 

そういうものの

年を取っていくという残酷さ

本当に難しいものを感じます。

 

 

 

 

 

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