講義の中でも
鈴木大拙さんのことも
よく出てきます。
「この、妙という字を
非常に大事にしている人が
鈴木大拙や。
鈴木大拙は一番この妙という
もう仏法というものを
妙の一字に尽くすという。
ええ、妙心寺の妙です。」
鈴木大拙(1870~1966)
明治3年生まれ、昭和41年没
安田先生が(1900~1982)
ですから30歳ほど年上です
この明治のころは
いろいろな思想界の人が
生まれておられます。
哲学、芸術、理性、科学
というような言葉を訳された
西周(にしあまね)は
1929(文政12)~1987
(明治30)の人です
井上哲次郎(1856~1944)
安政2年~昭和19年
は形而上学、範疇という
言葉を訳された人
また、西南戦争が1877年
いろいろ動乱もあり
思想界も大変革の時代です。
この『仏教の大意』は
昭和21年に昭和天皇に講演
されたものを更に詳しく
本にされたものです。
『The Essence of Buddhism』
と、英訳もされました
鈴木先生は英語も堪能で
この本が西洋に
仏教というものを伝えるのに
大きな役目を果たしています。
ちょうど大学の時
英語の授業の教科書が
『The Essence of Buddhism』
でした。
これがとても難しく
日本語でも読んだことが
なかったので
全くちんぷんかんぷんでした。
その一つに
「one is all all is one」
がありました。
一が全部で全部が一
どういうこと?
そのような折
やはり安田先生の講義を
聴聞しておられた明光先生
英語の先生で
毎夜、部屋を訪ねて
この本の訳を学んだのです
その時、感じたのは
明光先生という方
職人さんのような方で
英語の訳仕方が実に
素晴らしいものでした
one is all all is one
を一即一切 一切即一
という具合です。
いま読み直してみても
やはり独特な言葉の
使い方があって
安田先生の難しさとは
また別物です
よくぞ
天皇陛下もご理解された
ものだと驚きます
やはり、昔の方は
こういう難しい文章に
慣れ親しんでおられた
のでしょう。
「普通われらの生活で
気のつかぬことがあります、
それはわれらの世界は
一つでなくて、
二つの世界だということです
そうしてこの二つが
そのままに一つだと
いうことです。
二つの世界の一つは
感性と知性の世界、
今一つは霊性の世界です。
これら二つの世界の
存在に気のついた人でも、
実在の世界は
感性と知性の世界で、
今一つの霊性的世界は
非実在で、観念的で、
空想の世界で、
詩人や理想家やまたいわゆる
霊性偏重主義者の頭の中に
あるだけのものだと
きめつけているのです。
しかし
宗教的立場から見ますと、
この霊性的世界ほど
実在性をもったものは
ないのです。
それは感性的世界のに
比すべくもないのです。」
と、こういうように
始ります。
ちょうど熊本への行きし帰り
読み始めても、歯が立たない
まずは慣れ親しむのも
大事ではないかと
めくりながら、響く言葉を
探しながら
行きつ戻りつしながら
そうすると
表現は違うが
十地経の講義と重なる
文言があることに
何となく気がつきます。
思うのは
最近ほど優しい心地好い
言葉にあふれている
こういう難解な文章を
噛み砕く力が欠けている
ように思うのです
理解しよう分かろうとせず
読書百篇ではないですが
繰り返し読み砕くには
絶好の書ではないかと
思います。
今は便利で簡単な機械も
あるのですが
読み砕きながら考える
そういうことも大事なように
思います。