本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「戸無瀬」 ?

2013-11-30 20:59:29 | 住職の活動日記

 先日、南禅寺付近を散歩してましたら、

お寺の塔頭 ( たっちゅう ) の門前に

 

  

 

こういう歌に出合いました。

 

 「 惜しめども よもの ( 四方 ) 紅葉は

    散りはてて

  戸無瀬ぞ 秋のとまりなりける 」

      金葉和歌集

 

気になったのは 「 戸無瀬 」 という言葉です。

ためしに 広辞苑を引いてみますと、

ちゃんと載っていました。

「 戸無瀬 」 ( となせ ) と読みます。

意味は嵐山の異名ということです。

やはりなんといっても紅葉の一番は嵐山です。

 「 藤原公実 」 の作ということです。

 

 それをしばらく歩くと、

哲学の道に出ました。

 西田幾多郎が散歩したので、

「 哲学の道 」 といったのでしょう。

そこには西田幾多郎の

 

 「 人は人 吾はわれ也

    とにかくに

   吾 行く道を吾は行くなり 」

 

という碑があります。

 

 日本では本来は静かに座って瞑想する

ということが思惟する、在り方ですが、

西洋では逍遥学派ということもあって、

思索するということは、歩くということです。

歩きながら思索したのでしょう。

 

 そこで、西田幾多郎も歩きながら思索したのでしょう。

これは、ハイデルベルグに

「 フィロゾーフェン・ヴェーグ 」 というところがあって、

哲学する道、というか思索する道、ということが

ここ 「 哲学の道 」 の語原になったのでしょう。

 

 けれども、今では ( 特に紅葉の頃は )

人人人で、あふれかえって、

思惟するどころではないようです。

 

 まあ~  なんといっても

今はとても忙しい時代になりました。

静かに思索するということとは無縁のようです。

けれども、

「 止観 」 ということが人間の本来の姿です。

思惟をめぐらすことも、

覚えてみるとなかなか楽しい発見があります。

お話しすることを頼まれたり、

また話をしようと思って、

考えているときが一番楽しいのです。

話をしてしまうと、考えたことが薄まってしまうようで

たまに話をしなくてもよいときは

そのことを温めて、楽しいことがずっとつずくような気がします。

 

 いろいろ忙しいですが、

ほんのひと時でも静かに座ってみることも

いいものですよ !!!

 

 

 

 

ただ、猫ちゃんだけが人の通りにもめげず

静かに思索しているようでした。 

 

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熊本済生会病院 JCI 取得 の快挙

2013-11-29 21:07:38 | 住職の活動日記

 2カ月ぶりに診察を受けた 「 熊本済生会病院 」

段取りよく進み、ふと隣の診察室を見ると、

当院の檀家の先生が久しぶりにお見えでした。

 ちょっとした合間を見つけて、

挨拶だけと思いドアを開けました。

お久しぶりです。

との挨拶を交わし、私の最近の変化の報告を

ほんの2・3分ほど、

次の方がお見えになりましたので、

私の担当の先生の場所へ、

 「 今度、熊本済生会病院は JCI を

  取得したので、そのことで

  檀家の先生は忙しくしておられたのですよ 」

ということをお聞きしました。

 そして、パソコンでその 「 JCI 」 のところを

見せていただきました。

 そこで目にとまった言葉が、

「 チーム力 」 ということです。

 日本の医療はとても進んでいると思っていましたが、

やはり、国際的な基準からすると

遅れているところもあるようです。

設備関係とか新しい医療機器が備わっていたとしても

問題はそれを動かす人にあるように思います。

だから、チーム力でこの取得ができたことは何よりのことと思います。

 

 そういえば、お邪魔するのは2か月に一回なのですが、

対応の仕方が少しずつ、行くたびに改善されているように思います。

今日も待合の掲示板には、患者さんの受付番号が表示されるのですが、

今、何時に受付した方の診察をしています。

という表示が出るのです。

 「 ○○先生は30分遅れです。 」

というアナウンスも流れています。

 フロントクラークという、受付の横に受付があり

うろうろしていると、声をかけていただきます。

 

 今日もいつもの病気に加えて、

ちょっと気になることがあったのですが、

すぐ対応をしていただき、

とても段取りよく診察していただきました。

 

 素人の私には 「 JCI 」 の基準とかわかりませんが、

何かしら、こちら側の目線に立って、

見ていただいているような感じは

伝わってくるものがあります。

 

 大変な基準だと思いますが、

「 JCI 」 の取得とは何よりの快挙と思います。

   

 

 

 

 「 JCI 」  ??

( Joint Commisson International )

というこの略だそうです。

医療の国際基準ということで、

いま日本でも取得しているのは7つだけだそうです。 

 

 

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「むらにちんじゅのかみさまの~ 」

2013-11-28 21:25:56 | 住職の活動日記

 「 村の鎮守の神様の …  」  と

子供のころによく歌いました。

子供心に何かしらわくわくするものを覚えたものです。

今は、この歌の存在すらなくなっていると思います。

それはそうでしょう !

確か 明治45年ごろの唱歌ですから。

 

 この歌がふと心に浮かんできたのは、

奥村歯科にお邪魔した折、

 

 

    

 

この楽しそうな人形を見たからです。

 

    村の鎮守の神様の

 

   

 

今日はめでたい御祭日

 

   

 

 

ドンドンヒャララ ドンヒャララ

 

 

   

 

 

年も豊年満作で村は総出の大祭

 ( 豊年満作 という言葉も死語になりましたが 

   何かしら自然の神々に対する感謝の言葉のような気がします )

 

 

    

 

 

太鼓をたたく手も勢いようです。

 

 治まる御代に神様の

 恵み仰ぐや村祭り

 

 

    

 

 

 

聞いても心が勇み立つ

 

 というところで歌は終わっていますが、

 

どことはなしに、懐かしさを感じるものです。

 

祭りも賑やかで騒ぐだけのような祭りも多くなったような気がしますが、

このお人形さんたちのように、

自然の恵みに対する感謝の表情が

とてもユーモラスに出ていると思います。

 

 懐かしい子供のころの

思い出を思い出しました。

 

 

 

 

 

   

 

   

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「 いんくらいん 」 !?

2013-11-25 18:08:30 | 住職の活動日記

 「 インクライン 」 と普通にはカタカナですが、

発音を聞いているとすっかり京都訛りになっているように聞こえます。

そこで、あえて 「 いんくらいん 」 と書いてみたのですが ?

 

そこは 「 蹴上 」 という地名、

京都の水がめにあたるところです。

「 蹴上の浄水場 」 という建物があります。

そこの標高が、東寺の五重塔と同じ高さといいますから、

市内から見れば、55メーターの高さになります。

 

   

 

疏水記念館から見た水の流れ込むところです。

この記念館は無料 ! 

とてもためになる、人も少ないし、穴場です。

 

   

 

琵琶湖の水がここに流れ込んでくるのです。

 

 「 いんくらいん 」  よく耳にしていたのですが、

そのものは見たことがありませんでした。 

 気になり、辞書で見ると、

「 inclined plane 」  ( 傾斜した )

という意味なので、

「 傾斜鉄道 」 ということです。

ケーブルカーも同じ傾斜鉄道ですが、

人を運ぶものが 「 ケーブルカー 」

荷物を運ぶものが 「 インクライン 」 というようです。

 

   

 

記念館を出て、その横に長い坂道が出てきます。

どうも、この下が船溜まりがあったところのようです。

 

    

 

幅の広い線路が二往復分出てきます。

 

 昔は、今と違って荷物をたくさん運ぶ手段は

船ということになります。

 すべて、栄えた町ということは船の拠点になったところです。

と同時に水運によって宗教も盛んになったと、

商業が栄えた町は宗教も栄えたのです。

 

     

 

 

これが台車です。

写真のように 「 三十石舟 」 を乗せて、

引き上げていきます。

 

    

 

こんな感じに上がって行ったのでしょう。

 

    

 

ここが登りきったところで、先に水が見えます。

ここからは水の上を走って、

琵琶湖の大津へ向かうのです。

 

 それと画期的なことは、

この疏水を設計したのは弱冠21歳の 「 田辺朔朗 」 という方です。

京都に水を引くということも大変な工事だったようです。

さらに、水を引くだけではなく、

その水の落差を考えて 「 水力発電 」 に利用しました。

 

    

 

水はいったん調整池のようなところに導かれ、

そこから、

 

    

 

送水管を通って、

 

    

 

この発電所へ送られてきます。

そこで待ち受けているのが、

 

    

 

この大きな水車です。

これを回して、

 

   

 

この発電機を回すという仕組みです。

 

 水力発電もここ京都の蹴上が日本最初なのです。

この電気の力によって、京都の産業も盛んになってきます。

そして、インクラインで船を持ち上げるのにも

この水力発電がフル活躍したのです。

 今日とも古い町でありながら、

結構新しいものをいち早く取り入れていく

そういうことも京都の人の心意気のようです。

 

 新たな発見と、先人たちの知恵と力と

その情熱にただただ感動していました。

 

 

 

 

 

 

 

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紅葉三昧 !!

2013-11-25 09:58:19 | 住職の活動日記

 24日日曜日、穏やかな秋晴れとなりました。

紅葉の綺麗なお寺さんはどこもいっぱいでしょう。

 少しだけですが散策しました。

 

     

 

下から見上げるものいいものですが、

鳥になった気分で、俯瞰しました。

 

     

 

 

ここは、 「 南禅寺三門 」  です。

 

    

 

遥に平安神宮の鳥居の頭の部分が拝めます。

 

 

    

 

まさに見事です。

 

    

 

この黄色に色ずく紅葉も風情があるものです。

 

 

     

 

一本だけ枝ぶりのいい紅葉が美しさを際立たせています。

 

 

     

 

斜面に流れるような懸崖の紅葉です。

 

  

     

 

南禅寺を抜けて、哲学の道へ

 

  この紅葉を見ながら遅めのお昼、

 おにぎりを頂きました。

 

     

 

寄ってきた猫たちにも、おすそ分け

4匹もやってきたのですよ!!

 

 

  しばらく歩くと、

 

     

 

お休み中の猫にも出会いました。

親子のようで、母親に寄り添って

日向ぼっこを楽しんでいるようです。

 

   

     

 

ま~~ いずこも

紅葉の美しさに  カンゲキ です。

 

 哲学の道を散策しながら、

見下ろすように立派な庭に出合いました。

 

     

 

上から拝見させていただきました。

 

この道は猫ちゃんがとても多く、

ノラちゃんのようでも行儀がよく、

お互いに自分の分限を守って、

仲良く暮らしているようです。

 

     

 

ひとり、瞑想 …  哲学しているのかもしれません ??

 

     

      

 

圧巻の紅葉です。

 

     

 

白い花は山茶花でしょうか ?

紅葉とのコントラストも見事です。

 

ゆっくり歩いて 「 蹴上 」 にでてきました。

 

    

蹴上の疎水に映る紅葉も

なんともいいものです。

しばし見とれて、付近で遊ぶ水鳥の姿も

何とものどかな風景でした。

 

 すばらしい紅葉三昧でした。    

   「 星三つです  」

 

 

 

 

 

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錦秋路を行く西国巡礼

2013-11-23 15:36:01 | 住職の活動日記

 ちょうど、秋酣の西国巡礼となりました。

 

     

 

 

 

今回で3回目、8ヵ寺お参りで兵庫県を中心に京都の北のお寺さんで

29番松尾寺まで打ち終える予定です。

来春、滋賀県方面をお参りし満願となります。

 今回私目が一番調子が悪く、喉の状態が最悪でした。

市販の風邪薬やら喉の薬をスプレーしながら、

なんとか声を出すことができました。

 やはり冷え込んで、冷たい空気が一番こたえました。

体のほうは調子よく、トレーニングの成果もあって、

階段も驚くほど快調に駆け上がりました。

 第一日目は姫路を中心に、

25番播州清水寺 ( 加東市 ) 26番一乗寺 ( 加西市 ) の

二ヶ寺です。

そして、一路城崎温泉へと北上します。

西国巡礼はお四国さんと違って、

一ヶ寺一ヶ寺のお寺さんが離れていてバスでの移動が大変です。

 第二日目は天橋立を中心に

28番成相寺、29番松尾寺そして番外の花山院を打ちます。

 

     

 

天気も良く、逆光気味ながら天橋立がとても美しい線を描いています。

松尾寺は先日の台風の被害で道が崖崩れでバスが上がりません。

急遽、タクシーを手配していただき山上まで、

よくぞ、先人たちは文明の利器がない時代に、

このような立派なお寺を作ったことにただただ驚きです。

いずれのお寺さんも本山のような立派なお寺さんで、

風光明媚な場所ばかりです。

ということは、それだけ山奥を切り開いて建っているということです。

俗世界を離れ、修行して瞑想するには

こういう場所が必要なのです。

 そういう空気を頂きながら、

皆さんとても元気になっていかれるようです。

 

    

 

第三日目は姫路の27番圓教寺を打ち、

一路東へ向かい、宝塚の24番中山寺、そして茨木の22番総持寺さんで

今回の打ち止めです。

23番箕面の勝尾寺さんは次回お参りするということにいたしました。

 圓教寺さんは西の比叡山といわれるだけあって、

その構えは見事です。

姫路市内とはいうものの小高い山の上でロープーウェイで上がり、

そこからまたお寺の専用バスでジェットコースターのような

道を本堂まで進みます。

今はまた、 NHK大河ドラマ 「 軍師官兵衛 」 の

舞台ともなるそうで、一般の方のお参りも多いようです。

 

 

     

 

本堂は舞台作りで、 「 ラストサムライ 」 のロケ地にもなったところです。

 

 また、今回は私の新しいグッズもお目見えして、

 

    

 

 

「 引金 」 ( いんきん ) という仏具です。

携帯用の金です。

金をたたく金属の細い棒が握り手の中に

収まり、磁石が入っていてその棒が落ちないという、

一工夫された道具です。

握り手の色も品の良い漆塗りで、お気に入りの一つになりました。

 

 今回も無事にお参りを務めることができました。

これもひとえにご一緒していただいたみなさんの

お蔭の賜物と感謝いたしております。

 また次回、全員で満願成就をいたしましょう。

 

 

 

 

 

 

  

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永観堂ナイトウォーク

2013-11-18 21:54:49 | 住職の活動日記

 いま、京都の有名なお寺さんでは

どこも紅葉のライトアップが盛んです。

 昔行った、 『 みかえり阿弥陀 』  さまを

思い出して、永観堂まで足を延ばしました。

 夜、それも月曜日というのに

次々とバスも押しかけ、とてもたくさんの人でにぎわっています。

 

    

 

 むつかしいところで、いまいち早めだったか ??

下旬ごろでしょうか ?

お寺の方も、こればっかりは分かりません、

昨年は今頃が見ごろだったようです。

 

    

 

所どころ 真っ赤に染まった紅葉がきれいです。

 

    

 

 わかりにくいかもしれませんが、

水辺に映った紅葉なのですが ??

これを撮るために大変な行列ができていました。

 

   「 みかえり阿弥陀様 」 をお参りして

私の好きな 「 今様の句 」 をみつけました。

 

    

 

 「 仏は常にいませども

   現ならぬぞ あわれなる

   人の音せぬ暁に

   ほのかに夢に見えたまふ 」

 

 

 明日から、また冷え込んできそうです。

紅葉もこからが見ごろを迎えることでしょう。

 

 

 

 

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西国巡礼 第3回

2013-11-17 21:10:34 | 住職の活動日記

 いよいよ巡礼も佳境に入り、

残すところ12ヵ寺となりました。

 今回は22番札所 「 総持寺 」 さんから

8ヵ寺、29番札所 「 松尾寺 」 さんまでとなります。

 今はちょうど、錦秋の播州平野、天橋立、

そして近畿一円をお参りします。

 紅葉も最高に良い時期で、

真っ赤に染まった寺寺を参ることにまります。

 ネットで見ても、どこのお寺さんも

今が紅葉の見ごろのようです。

 そして素晴らしいお寺さんばっかりで、

とても楽しみな巡礼に期待を膨らませています。

 

 初日は新神戸駅より、

25番札所 「 播州清水寺 」 を皮切りに

加西市の 26番札所 「 一乗寺 」 、姫路の 27番札所 「 圓教寺 」

の3ヵ寺を打ち、一路針路を北にとって、

お宿の城崎へ向かいます。

 二日目は城崎から天橋立へ、

28番札所 「 成相寺 」 、天橋立を見ながらの昼食、

28番札所 「 松尾寺 」 を打って、

二日目は2カ寺だけのお参りです。

その日のうちに姫路まで戻ります。

 三日目は、茨木市の 22番札所 「 総持寺 」 さんを打ち、

箕面市の 23番札所 「 勝尾寺 」 8万坪もあるお寺です。

最後は 宝塚市の 24番札所 「 中山寺 」 となり、

此処が今回の巡礼の打ち納となります。

 

 今、近畿地方はどこも紅葉が真っ盛りのようで

「 もみじ祭り 」 が催されているようです。

 熊本とは一味違った、スケールの大きさと

紅葉の色の素晴らしさをご堪能いただけるのではないかと思います。

 

 私めも、声の調子を整えて  …  

今までのように声を出す機会も少なくなったので、

今また練習中なのです。   

 

 

 

 

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ウミガメ仙人 !?

2013-11-16 22:16:24 | 住職の活動日記

 最近、 「 ウミガメ 」 というあだ名がつきました。

  エエッ  と聞いてみると、

どうも、つるんとした顔の形と、

なによりも、顔のシミがウミガメの模様と似ている

ということでした。

 言われて、鏡を見てみると、 … そうなのか ???

 

 そういえば、今日の新聞には、

最大級のウミガメ 「 オサガメ 」 が定置網に掛かったそうで、

介護の手もむなしく脱水症状で亡くなったそうです。

 

 お経の中にも、 「 亀 」 はいろいろな場面で出てきます。

そして、余談ですが、

戒名とかつける場合にもいろんな約束事があって、

だいたい動物の名前とかはつけません、

が、 「 亀 」 とか 「 鶴 」 とかは

使ってもいいということになっています。

 大海の中でお経を背中に乗せて運んできたということもあります。

それから、こういう譬え話をお釈迦さまが話されます。

 「 大海の海の底に目の見えない亀が住んでいた。

   その亀は百年に一度、海の底から出てくるという、

   その時、海の上に穴の開いた木片が浮かんでいた。

   その亀が海の上の顔を出したとき

   偶々そも木片の穴に顔を出した。」

 

 この話は 「 盲亀浮木 」 という、

めったにないことの喩として有名な話です。

しかし、さらに深めて仏教ではお経の最初の言葉に、

 「 無上甚深微妙法  むじょうじんじんみみょうほう

   百千万劫難遭遇 」 ひゃくせんまんごうなんそうぐう

という文句で始まります。

 仏の教えに遇うことの難しさ、

まして、人として生まれることの難しさ、

を述べているのです。

 何気なく使っている、

「 ありがとうございます 」 という言葉も

「 有り難うございます 」 と漢字で書きます。

 これもお経の言葉で、

有ること難し ( アルコトカタシ )

有りうべからざることが有るという、

人として生まれることの難しさを述べた言葉です。

 

 ま~   ウミガメ仙人でも

亀は仏教では大切な動物ですから、

いいことにしましょう。

 

 

 

 

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DA SEIN

2013-11-13 22:01:44 | 住職の活動日記

  「 DA SEIN 」 ( ダーザイン )

というドイツ語です。

 哲学用語で 「 実存 」 という意味です。

もう一度詳しく調べてみようとネットで検索すると、

「 DASEIN 」 というロックバンドが一番にヒットしました。

  と一瞬びっくりです。

どういう意味で DASEIN という名前にしたのかわかりませんが

えらく難しい言葉をロックバンドの名前にしたものです。

そして、このバンドのファンを 「 ザイナー 」 と

いうのだそうです。

 

 DA SEIN  英語では THERE BING となります。

DA というのは 「 ここ 」 という意味です。

哲学的には、 「 今 」 「 此処に 」 「 誰か 」 

として在る、ということになります。

SEIN というのは 「 在る 」 ということ。

有るというのは、今有る、ここに有る、誰かとして有る、

ということです。  

 話はそれますが、

「 十戒 」 という映画が昔ありました。

その中でモーゼが神に会うという場面があります。

モーゼが神に 「 あなたは誰か 」 と尋ねるのです。

すると、神の声として、

 「 I AM WHO I AM 」

という言葉が響いてきます。

その時の訳は、

 「 我は在りて在るものなり 」

と出ていました。

 やはり、哲学でもキリスト教でも

存在というか実存、在る、という概念が

中心になってくるようです。

 

 

 そして、在るということ、存在という概念は

仏教の中心問題でもあります。

 今読んでいる 「 唯識 」 というお経、

その最初の文にも、

「 異熟 」 ( いじゅく ) 「 思量 」 ( しりょう )

「 了別境 」 ( りょうべっきょう )

という聞きなれない言葉がでてきます。

人間の意識を三つに分けたものです。

 この中で 「 異塾 」 という、

異なって熟する、このことが

先ほどの 「 DASEIN 」 ということにあたります。

 唯識というお経は面白くて魅力的なのは

仏とか如来という立派なものから出発していないのです。

どうにもならない、苦悩している、今いる自分という

具体的に現存する自己、

そこをまずおさえて、そこから出発している

ということがあります。

 

 異熟、異なって成熟している。

これはただ有るというだけでなしに、

成ってきたもの、という意味もあります。

前とは異なった状態で今結果した、成熟した、

と同時にまた異なった状態に移っていく、という。

 

 赤ちゃんを見ていると

日々とても速いスピードで成長しているようです。

口にも態度にも具体的には出てきませんが

ありとあらゆる情報をインプットしているのでしょう。

 今は母親の両親のもとで育ち、

やがて、ひと月を過ぎるころになると、

今度は親子3人での生活が始まります。

その時その時の環境が変わっていくわけです。

その折々の環境を受けながら

成長していくわけです。

その環境に合わせた自分になっていきます。

環境に合わせて、異なって成熟していく、

そういうことを異熟とあらわしたのでしょう。

 

 弘法大師も

  「 心境冥会して道徳玄存す 」

  ( しんきょうみょうえ どうとくげんぞん )

と述べておられます。

心と環境は別物ではなく、

心によって環境も作り出すし、

また、環境によって心は作られていく、

心と環境は切っても切り離せないものです。

 

 今、現実に自分が在るということは

振り返ってみると、自分の歴史は

いろいろな環境によって、その影響を受けつつ

異なりながら成長してきたし

またこれからも、今の自分と違って

成熟していくと思います。

 

 赤ちゃんの寝姿を見ながら

ふと、考えてしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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