先日、南禅寺付近を散歩してましたら、
お寺の塔頭 ( たっちゅう ) の門前に
こういう歌に出合いました。
「 惜しめども よもの ( 四方 ) 紅葉は
散りはてて
戸無瀬ぞ 秋のとまりなりける 」
金葉和歌集
気になったのは 「 戸無瀬 」 という言葉です。
ためしに 広辞苑を引いてみますと、
ちゃんと載っていました。
「 戸無瀬 」 ( となせ ) と読みます。
意味は嵐山の異名ということです。
やはりなんといっても紅葉の一番は嵐山です。
「 藤原公実 」 の作ということです。
それをしばらく歩くと、
哲学の道に出ました。
西田幾多郎が散歩したので、
「 哲学の道 」 といったのでしょう。
そこには西田幾多郎の
「 人は人 吾はわれ也
とにかくに
吾 行く道を吾は行くなり 」
という碑があります。
日本では本来は静かに座って瞑想する
ということが思惟する、在り方ですが、
西洋では逍遥学派ということもあって、
思索するということは、歩くということです。
歩きながら思索したのでしょう。
そこで、西田幾多郎も歩きながら思索したのでしょう。
これは、ハイデルベルグに
「 フィロゾーフェン・ヴェーグ 」 というところがあって、
哲学する道、というか思索する道、ということが
ここ 「 哲学の道 」 の語原になったのでしょう。
けれども、今では ( 特に紅葉の頃は )
人人人で、あふれかえって、
思惟するどころではないようです。
まあ~ なんといっても
今はとても忙しい時代になりました。
静かに思索するということとは無縁のようです。
けれども、
「 止観 」 ということが人間の本来の姿です。
思惟をめぐらすことも、
覚えてみるとなかなか楽しい発見があります。
お話しすることを頼まれたり、
また話をしようと思って、
考えているときが一番楽しいのです。
話をしてしまうと、考えたことが薄まってしまうようで
たまに話をしなくてもよいときは
そのことを温めて、楽しいことがずっとつずくような気がします。
いろいろ忙しいですが、
ほんのひと時でも静かに座ってみることも
いいものですよ !!!
ただ、猫ちゃんだけが人の通りにもめげず
静かに思索しているようでした。