本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

厭離穢土(おんりえど)欣求浄土(ごんぐじょうど)

2017-12-31 14:44:25 | 住職の活動日記

「厭離穢土・欣求浄土」

徳川家康の旗印でもあります。

戦国の世にあって、

一日でも早く戦の日々を終わらせ

平和な世を願っての家康の

思いを込めた言葉でしょう。

この世を厭い離れ、

浄土を希(こいねが)う

という意味です。

家康は日課念仏を書き綴り

それが大きな掛け軸にもなっています。

 

鳴かぬなら殺してしまえホトトギス

と詠んだ織田信長

鳴かぬなら鳴かしてみせよう

ホトトギス、と詠んだ秀吉

鳴かぬなら鳴くまで待とう

ホトトギスと詠んだ家康

そこに

それぞれの性格というか

生き様、人生観があるように思います

 

お釈迦さまのさとりの内容は

「人生は苦なり」

ということです。

以前、三浦先生からも

よく聞かされました。

その時は、

悟りとはもっと素晴らしい

ものではないのか?

という具合に思っていました。

 

しかし、最近思うのは

人生は苦なりと感じたのは

そこにはすでにさとりが

あるということではないのか

ということです。

私たちが思うのは

人生楽ありゃ苦もあるさ

全部が苦ということではなく

苦楽相半ば、と思っています。

お釈迦さまのように

一切皆苦、すべてが苦だとは

とうてい思えないのです。

 

ですから、

人生は苦なりと実感した

ということは

そこにはさとりの兆しが見えてきた

ということでしょう。

 

最近よく、NHKのテレビを見ます

民放よりもとても充実したものが

あるように思うのです

眠れないこともあって

つい最近

「72時間」という番組でしたか

24時間の喫茶店とか

長距離トラックのスーションとか

生地屋さんとか

そこに72時間張り付いて

色々な方の取材をするのです

本当に様々な人生に驚かされたり

共感したり、

どの生き方も素晴らしいと

思わざるを得ません。

 

以前息子が歌手になりたいと

困ってしまって

三浦先生に息子を連れて相談すると

その返事が、

それはいい! おおいにやりなさい

あなたならできると

思い止めてくれるかと思いきや

えらく息子を応援されて

途方に暮れていると

あとで、心配いりませんよ

ちゃんと戻って来るから

落ち着いて見守ってあげなさい

ということでした。

 

この頃見ていると

人生はそれぞれあるのだな!

ということです

どれが良くてどれが駄目

ということはありません

それぞれに素晴らしい人生

だと思います。

 

お釈迦様がさとりを開かれた時

さとってみたら

自分が一番遅かった、と

みなそれぞれ仏さんではないか

世の中は光り輝いていると

そういう風にご覧になった

ということも書いてあります。

お釈迦様のある瞬間の心境でしょう

 

さとり、さとり、ということだけに

注目するということではなく

自分の苦ということがわかれば

そこにさとりはある

生老病死ということでも

他人事ではなく

自分の事として受け止めたら

案外明るく受け止めれる

 

「72時間」の番組で

生地屋さんに訪れた女性

大きなマスクに深々と被った帽子

長いコートを着て

インタビューを受けられると

癌の治療中だとか

しかし、

生地からものを作っていく喜び

そのことを知りました

ガンになって初めての経験です

この病気になって本当に生きる

ことを知りました。

ガンに感謝です。

と答えておられました。

一見すると変な風采

しかし、

その中身は生きることに喜びを

感じておられる。

 

明らかに見て

受けとめることができたら

事実は明るいのでしょう。

 

ただただ

浄土を希うというのではなく

本当にこの世の姿が見て取れて

事実が解れば

自ずと浄土ということが

明らかになってくるように

思うのです。

「人生は苦なり」

ということの発見こそが

本当は素晴らしことと思います。

本当に苦と分かれば

それは大きな歓喜ということでしょう。

そこから一歩が始まるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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雖も而も(いえども・しかも)

2017-12-30 17:32:16 | 漢字

お経の中に

「雖・而」という言葉が出てきます

言葉をつなぐ文字として

出てくるのですが、

何でもないようで、重要な働きも

持っている言葉です。

 

先日求めた

「ごまかさない仏教」という本

半分ほど読んだのですが

やはり、対談の後、

3年も宮崎さんが抱え込んで

おられたということで、

なんというか、

宮崎さんの論文発表!?

まあ、仕入れたことを

これでもかとばかり披瀝しておられ

対談というよりも

宮崎さんの勉強の結果を

読む人に対して知ってるかとばかり

なんともいただけない感じもします

もっと、佐々木先生に問うという

形で話が進めばもっと面白い展開が

あったように思うのですが??

 

経典には二つの相(あい)対する

ことが同時に成り立つということが

でてきます。

たとえば、

「色即是空」とか「煩悩即菩提」

というように、

「即」という言葉もあるのですが

そこにはちょっと飛躍もあるような

気もするのですが… ?

 

『十地経』では

こういう一文で出てきます。

「能く寂滅定に入ると雖も

 而も寂滅定を証せず」

(寂滅という涅槃・さとりに

入ることができるけれども

涅槃には入らないで世間にいる)

というような内容です。

 

「雖」という字も

虫という字と唯という字から

出来ています。

もともとはトカゲの意味も

あったのですが、

いえども、という意味に借用した

ことからもっぱら、たとい…でも、

というように使うようになったのです。

「雖不中不遠矣」

(あたらずといえども遠からず)

というように使います。

 

「而」という字も

もっぱら助辞として使います

滅多に手に入らない三重県のお酒も

「而今」というのがあります。

(しこうして今)

思うに、

試行錯誤して色々やってみたけど

今現在作れる最高の酒はこれです

という意味から名が付いたのでは

と、勝手に思っています。

 

話しは飛びますが、

『ごまかさない仏教』でも

お釈迦さまの原点に帰り

ということを述べておられます

ですから、

お釈迦さまの言葉に忠実にという

ことでしょう

サンスクリットの経典に戻って

とおっしゃっていおられるようですが

しかし、

サンスクリット・パーリー語では

本来の意味は伝わらない

ようにも思います

玄奘三蔵法師が苦労して翻訳された

ところに本来の意味が潜んでいる

ように思います。

 

サンスクリットなりパーリー語

からではやさしい言葉にはなりますが

訳する私たちの頭がお粗末ですから

味のない内容になってしまいます

 

雖も・而も

というところに思索の深さが

あるようにおもいます。

アウフヘーベンという言葉も

本来は手を上げるというような

上にあげるという意味ですが

ヘーゲルという人も苦労したのでしょう

AでもなければBでもない

AかBかという二元論では片づけ

られない内容を

普通の言葉から見つけて

こられたのでしょう。

 

さとることはできるけれども

あえてさとりにははいらない

というようなことを

しかりと雖も

という言葉で表現されたのだと

おもいます。

そこには自分自身に問うていくという

考える深さが出てくるのでは

 

今の時代は

右か左か、あるかないか

見えるものはある、

ないものは見えない

どちらかに決めてしまうという

傾向があるようです

見えないけれどもいらっしゃる

そういう感覚が

薄れてきているようにも思います

 

何気ない言葉のようですが

「雖も・而も」

という文字の中には

人間が考える

自分の問題として考える

そういう要素を含んだ言葉のように

思えてなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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沈香(じんこう)

2017-12-29 20:21:49 | 住職の活動日記

沈む香木と書いて沈香

水に沈むところからこの名が付いた

ということです

 

お香の中でも一番いい香木

なんともいい香りがします

昔からとても重宝され

正倉院の御物の中にもあります

 

ツトム山下さんミックジャガーと

共演して

御礼にタイの王室から頂いた沈香を

プレゼントされた、

と話しておられました。

 

何折りも大切なお香として

お寺では取り扱います。

あるお香の店で話したのですが

沈香を輸入する時は

医薬品として輸入すると

ただ香りを楽しむお香ではなく

漢方の薬としても珍重される

ということです。

沈香の中でも特に良いものを伽羅と

いいます

この香りは、

伽羅を爪楊枝ほどに細く割り

煙草に刺して吸うと

煙草の香りを消してしまう程

伽羅の香りが圧倒します。

伽羅ともなると重さが金より高い

という代物です。

 

京都新聞の「生薬ばなし」に

津田篤太郎先生が連載されています

その項目に「沈香」がでてきました。

歴史と重ねあわせて漢方の話を

書いておられますので

とても面白く楽しみに読んでいます

 

学習院を創設された仁孝天皇の

次の天皇孝明天皇、

その妹さんが嫁がれたのが家茂将軍

長州征伐の途中大坂城で体調を崩し

病の床に就いてしまわれます。

その知らせを受けた

和宮と姑の天璋院はすぐさま

漢方医・浅田宗伯を派遣します

宗伯はすぐに脚気であることを

見抜いたのですが、

既に蘭方医による治療が始まって

いたのです。

 

その当時は「江戸わずらい」

という言葉もあって

白米中心の食事が脚気という病気を

もたらしていたということです

 

家茂を治療していた蘭方医の診立ては

「心臓の炎症」

脚気による心臓の炎症

当時は炎症を抑える薬はなく

尿を出して心臓の負担を

軽くするのがやっと

ということで、その数日後

家茂は20歳の若さで亡くなります。

 

宗伯は大坂に滞在中

将軍の接待係を治療しています

家茂と同じ症状でした

「沈香降気湯」という漢方薬で

見事に治しています。

 

沈香は生薬としては

鎮静作用や胃腸の機能を整える

働きがあるそうです。

 

これを見た幕臣の一人は

「将軍様もこのように治療

なさっておれば!!」

と悔しがったということです。

 

家茂の死の11年後

今度は和宮が脚気にかかって

命を落としたということです。

 

沈香も御香としても

最高のものですが

漢方の生薬としても

素晴らしい効果があるものです。

本来お香というものは

香りを楽しむというだけでなく

薬としての側面も

持っていたのでしょう。

 

幕末の歴史が

こういうお香というつながりで

展開していくのも

面白いものです。

 

 

 

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納めの不動 in 本蔵院

2017-12-29 19:48:16 | 住職の活動日記

今年最後のお不動さま

5時半には家を出発

 

 

大阪空港では新しい保安検査を通り

プロペラ機でゆっくりと空の上へ

 

 

ちょうど後ろに朝日を見て

 

 

きれいな雲海の上を飛んでいきます

 

 

次第に阿蘇山も見えてきます

 

 

中岳の噴煙も見えています

 

 

こうやって見る熊本空港は

ちょうど空母のような台地の上に

作られているようです

 

 

市内の熊本ドームも見えてきました

プロペラ機ということもあって

上からの景色はなかなかいいものです

 

 

このドームを目印のように

左旋回して飛行場へ入ります。

 

 

本蔵院では正月飾りも出来、

後のポスターには

今年から始める震災復興の鐘による

「除夜の鐘」の案内が

 

 

今ちょうど山茶花が見ごろ

満開の花や、まだ蕾の花が

咲き誇っています

 

無事にお護摩も終り

 

 

新しく入ったダイソンの掃除機

音も静かで吸引力もよくなった

 

 

なにせこのヘッドというか

吸い込み口が絨毯のような

以前のブラシではなくなったので

ゴミを跳ねることなく吸い込みます

ダイソンとの付き合いも長く

初代の大きな機種ピンク色の

なんとも面白い形でした

この機種で4代目です。

 

今回は早々に終わり

日帰りでUターンです

 

 

熊本空港には

こういう面白いものもあるのですね

 

 

この受話器で

名残りを惜しむのでしょう

若い二人にはいいサービスかも?!

 

 

東京行きの787を見送って

もう暗くなりかけた熊本空港を

飛び立ちました。

 

 

 

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学習院発祥の地

2017-12-27 20:10:50 | 住職の活動日記

御所の東にある「建春門」の前

 

 

大宮御所の北側に

学習院の発祥の地があります

 

 

立札の横に珍しい木が目印です

 

 

パッと見はよく分かりませんが

松の木が倒れてその幹に

桜の木が生え出てきたのです

 

 

根元からボッキリ折れて

松の幹が栄養分となって

さくらを育てたのでしょう

その跡地をちょっと歩いてみると

奥に、

 

 

バッタが原と立札があります

京都御苑では自然の生き物を

大事にされていて

ここはバッタの遊び場なのかも

しれませんね!

 

 

コオロギの里というところも

ありますので。

 

公卿の師弟育成のための学問所

として仁孝天皇が発願し

1845年建春門外の500坪の土地に

建立されました

しかし、仁孝天皇は

講堂の建築に着手したところで

崩御、翌年の

1847年に開校されました。

 

この時、仁孝天皇の命を受けて

指揮に当たったのが

三条実万(さねむつ)です

尊王攘夷で活躍した方で

安政の大獄では幽棲され

安政6年には落飾して僧籍を持たれ

明治天皇からは「忠成公」の贈名を

頂かれています。

その方をお祀りしたのが

「梨木神社」です。

 

 

御所の東側にあります。

 

 

拝殿を迂回して本殿へ

色々のご苦労を思いつつ

お参りして

振り返ってみると

 

 

もう枯れてはいますが

萩の花が枯れながらも

美しかったであろう

その姿をとどめています。

 

その学習院も開校したときは

幕末で

気鋭の公家や志士たちの

尊王攘夷の温床となった

ということです。

 

1849年孝明天皇より

「学習院」の額が下賜されています

 

ちょうど今はよくテレビでも

幕末の歴史が取り上げられています

梨木神社の三条実万という方も

調べていくと

なかなかおもしろいことが

わかってきます。

 

最近、なんとなく点として

見ていたものが

つながりを見せてくるのは

興味が一層湧いてきます。

 

 

 

 

 

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高齢者用肺炎球菌ワクチン予防接種

2017-12-27 19:43:20 | 住職の活動日記

最近、「高齢者・高齢者!」と

よく言葉が出てきます。

先日の自動車運転高齢者講習

それから、数か月前に来ていたのですが

「高齢者肺炎球菌ワクチン」を

接種してくださいという案内

 

 

 

延び延びになって

年内にと思って今日接種しました。

「忘れないようにしてくださいよ!」

「5年に1回ですから!!」

としつこいくらい言われましたので

念のために

忘れないためにもブログにアップします

時間が立つと、ついつい

何時だったかな?? と

分からなくなりますので!

 

 

こういうシールも頂きました

見えるところやお薬手帳に貼って

忘れないようにしてください!

と、さらに念押しされました。

 

そういえば、なかなか思い出せなくて

頓珍漢な受け答えになりますので

やはり高齢者です。

 

「高齢者」

気分は若いつもりですが

こういう言葉を繰りかえされる度

次第に思い知らされ

身に添って来るのでしょう。

 

 

 

待たされている間

ロビーのシクラメンがとても美しい

姿が目に入りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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『ごまかさない仏教』

2017-12-26 20:49:54 | 住職の活動日記

ちょっとお坊さんには

耳に痛い本かも知れませんが

『ごまかさない仏教』という本が

出版されました。

 

 

ときおりお話を聞いている

佐々木閑先生からの紹介で

求めたのです。

 

対談形式で

評論家の宮崎哲弥さんとの

共著になります。

宮崎さんもテレビでよくお見受け

しますが、幅広い見識で

仏教についても私たちよりも

はるかに造詣が深いようです。

 

帯のところには

「日本の仏教理解は

 いい加減過ぎる!」

と、警鐘を鳴らしておられるようで

「ブッダの教えに立ち返り、

 根本原理から問い直す」

とあります。

 

佐々木先生とお話したとき

この本を出すまでに

3年ほどかかった、

ということだったようです。

対談の後、

お互い校正を入れ補考したりして

時間がかかったということです。

 

対談の難しさ

そしてそれを本に仕上げる

というと時間が必要なのでしょう。

以前、

安田先生と日蓮宗の茂田井氏の対話

が『不安に立つ』という題で

本になりましたが、

対話の形式はとっているものの

茂田井氏が安田先生に聴く

という形で進んだようです。

 

何も二人でお互いの共通点を

探るのではなく、

話せば話すほどお互いの立場が

明らかになってくるのが

対話の大事なところではないかと

話しておられました。

 

この本も、

仏・法・僧から問い直す

ということですから

大きく、

仏と法と僧という三部構成で

第1章 仏-ブッダとは何者か

第2章 法-釈迦の真意は

       どこにあるのか

第3章 僧-ブッダはいかに

      教団を運営したか

というように

釈尊の教えの根本に忠実にそって

話が展開して行きます。

 

本の帯の裏には

仏教でもっとも大切な基本が

あやふやになってませんか?

●どのお経が「正典」と

    されているのか?

●なぜ「梵天勧請」は決定的瞬間

     なのか?

●釈迦は本当に「十二支縁起」を

     悟ったのか?

●なぜ「無我」と「輪廻」は

     両立するのか?

●善い行いをしても「業」は

     生じるのか?

●時間は「未来→現在→過去」の

     順に流れるのか?

●日本仏教になぜ「サンガ」が

     ないのか?

と、問いかけておられます。

 

お釈迦さまの説かれた原点に

立ち返り、もう一度見直すには

絶好の書ではないかと思います。

 

新潮選書から出版されています。

 

 

 

 

 

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デコポン

2017-12-25 15:44:37 | 住職の活動日記

デコポンが届きました。

というわけではないのですが、

お仏壇のお掃除をして、

お供えをしました。

 

 

そして、

頂いたのですが

本当に美味しいミカンです。

本蔵院にいるときは

お供えとしてよく頂いたのですが

お見えの方にあげることも多く

自分で頂くことは滅多たにありません

 

今日は、

ご本尊さまも出して

瓔珞から常花、常夜灯に

そしてお位牌に

いたるまで全部拭き上げ

もとに位置にかえしてみると

いつもとは違う清々しい気持ちに

なるものです。

 

そして、

一つ頂きました。

あらためてデコポンの美味しさに

感動です。

持った感じもずっしりと

中の皮は薄く

剥いただけで中の実が出てきそう

味は濃厚

甘味と酸味の調和がよく

普通のみかんとは一味もふた味も

違うようです。

こんなに美味しい物なら

熊本にいるときに

もっと食べておけばよかった

と思うのですが、

 

寺に生まれた宿命というか

罰当たりなことで

あまりお供え物は頂かなかった

のです。

小さい頃、

たまにバナナのお供えが

食べたい! 食べたい!

と思うのですが、

なにせその頃はバナナは高級品

祖父のお許しが出ません

大事なものだからもっとお供えして

と、

やっとお許しが出る頃には

バナナは黒く色づいていて

もはや食べごろを過ぎたものでした。

 

どちらがいいのか分かりませんが

昔の方たちは

折角頂いたんのだから

出来る限り仏様へお供えして

ということだったのかもしれません。

 

こうやって、今日

お掃除も終り一息ついて

頂いたデコポンの味は

最高のものでした。

 

一応、

お正月に向けて

お仏壇の掃除も終り、

着々と掃除もすんでいきます

後は、窓ガラスを拭き上げる

くらいかな?

というところです。

 

そして28日には

今年最後のお不動さま

納めの不動というか

終いの不動のお護摩が待っています

一年長いようで早い!

しかしながら一日一日

幸せに過ごさせて頂くことは

なによりも有り難いことです。

 

 

 

 

 

 

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この世をば 我が世とぞ思う 望月の

2017-12-24 15:15:48 | 住職の活動日記

藤原道長が詠んだこの句

「この世をば 我が世とぞ思う

  望月の 欠けたることも

    なしと思えば」

道長が絶好調の時に読んだのでは

ないでしょうか。

道長は紫式部が書いた「源氏物語」

の主人公といわれています。

この歌が詠まれた場所が

 

 

土御門第(つちみかどてい)です。

南北二町に及び、

上東門第(じょうとうもんてい)

京極第(きょうごくてい)などとも

呼ばれていたようです。

今はひっそりと立札が立っています。

 

 

御所の南、仙洞御所の東側です。

その跡を歩いてみますと

 

 

さくらの固い蕾がありました。

 

一家三立后(いっかさんりっこう)

といって

自分の娘三人を

一条天皇・後一条天皇・後朱雀天皇

に嫁がせたのです。

 

1018年10月三女威子(いし)を

後一条天皇に嫁がせその宴席で

詠んだのがこの歌です。

来年で秋で1000年になるという

ことです。

 

おもしろいことに

その頃の貴族たちはこまめに日記を

書いていたようで、

世界的に見ても千年も前の

日記が残っているということは

珍しいことのようです。

それらを読み合わせると

貴族たちの超多忙な一日を

垣間見ることができるようです。

 

道長の「御堂関白記」には

この歌を詠んだことを

「余読和哥人々詠之」

私は和歌を詠んだ、人々は詠唱した

としか書いてないようで、

また、

藤原実資(さねすけ)の「小右記」

には、

「誇っている歌である。ただし

準備していたものではない」

というように書き残している

ようです。

こういう日記を読むと

貴族たちは朝から晩まで

超多忙のようで、

政治経済、社会、宗教など

当時の様子を事細かに記している

そして、また日が変わる頃まで

宴席が続いたりと

今と変わらない忙しさのようです

 

1000年というのは

遣唐使も廃止されて

中国からの文化も途絶え

書にしても漢字からかな書という

日本独自の文字も発展していった

ということで、

女流文学も花開いたのでしょう。

 

道長の長女・彰子(しょうし)は

一条天皇に嫁ぎ

その彰子に仕えたのが

紫式部・赤染衛門・伊勢大輔

和泉式部という方々で

大勢の才媛が互いに妍を競ったので

女房文化が花開き

「源氏物語」「枕草子」なども生まれ

なんとも華やかな時代だった

ようです。

 

そして、道長の長男は

藤原頼通(よりみち)で

平等院を建立した方です。

 

しかしながら

この歌を詠んだ3年後の1019年

には道長は出家をしています。

法成寺を建立、現存はしませんが

とても立派なお寺だったようで

九体の阿弥陀さまをお祀りし

1027年、

九体の阿弥陀さまから糸を引き

自分の手に持って

お釈迦さまと同じように

頭を北に向け顔を西に向けて

お坊さんが唱える読経の中

62歳で亡くなったということです

 

華やかに見えるようなその姿にも

病魔は襲って来るし

(どうも、糖尿病の症状だった)

色々の確執もあり、悩みの絶えない

人生だったようで

名誉も地位も財産もすべてが

思うようになっても

そこには四苦八苦は付き纏い、

 

ということを思って

この歌を読みかえしてみると

ただ、

栄華を誇ったというだけではなく

そこに流れる無常なものを感じつつ

今は満月であっても、

やがて欠けていく月に

自分の姿が重なり、

欠けないでほしいという願望も

汲みとれるように思われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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電気自動車(EV)

2017-12-23 17:13:27 | 住職の活動日記

そういえば最近ご近所の

ガソリンスタンドがさら地になって

いました。

新聞でも、ここ数年スタンドが

減少しているとの記事が

車も省エネになり

スタンドに行く回数も減り

たちゆかなくなったのでしょう。

 

そして、トヨタさんも

これから電気自動車にシフトして

いくという記事がでています。

トヨタとしては

ハイブリットのプリウスでつなぎ

最終は水素の燃料電池車の方向

だったのかもしれませんが?

今も「MIRAI」という水素と酸素で

発電し走るという自動車もあります。

なにせ、

水素ステーションがない

ということが、

大きなネックのようです。

 

そして、プリウスも

エンジンがあるということで

外国ではエコカーから

外されているということです。

 

トヨタとしては、

電気自自動車にするというのは

大きな決断だったのでしょう。

そこにはパナソニックとの提携で

電池の開発と供給ということで

道筋が見えたということでしょう。

2030年には550万台を目指すという。

 

世界的にも電気自動車へと

国を挙げて大きく方向転換

しているようです。

公害の多い国では特にそうでしょう。

 

日本ではいち早く日産自動車が

電気自動車の量産に成功しています

高速道路でもよく見かけるように

なりました。

サービスエリアでは充電設備を

見かけます。

しかしです、

もし、ほとんどの車が電気になれば

そのインフラはどうするのでしょう

今でもところによっては

電気のステーションで順番待ちも

起っているようです。

 

そして、電気もどうするのでしょう

やはり原発が必要ということに

なってくるのでしょうか?

 

やはり、ドイツの自動車メイカーです

BMWという会社は

電気自動車を作るにあたり

その作る時の電気の供給を

自然エネルギーによるということで

太陽光、風力による発電設備から

作っているということです

なんだかそこらも徹底してますね。

 

充電の時間も

問題になってくるようです。

今の状況ですと

夜に家で充電し、昼間の走行

ということで、

買い物は大丈夫ということです

長距離が問題になってきます。

 

 

 

ここの会社は

デザインも素晴らしいが

充電時間も短くコンセントもない

方法を考えているようです。

 

車ができて130年余り

その進歩には

目を見張るものがあります。

そして、一番気がかりなのは

電気自動車になると

部品の40パーセントが削減される

ということです。

ということは、

40%の下請け工場がなくなる

ということなのでしょう。

いらん心配なのですが、

エンジンを作っていた工場は

なんとか方向性を考えないと

大変なことになってきます。

 

よく考えて見れば

電気自動車が走りまわる頃には

私はこの世にはいないのですが

勝手に無用な心配をしていました。

しかしながら

1200年の昔から

男は乗り物が好きだったようで

牛車にハマっていて

デザインとか装飾に個性豊かに

こだわっていたようで、

男という生き物

どうも、乗り物というものが

好きなのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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