本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

8020運動

2017-09-30 18:35:04 | 住職の活動日記

8020とは

80歳で20本の歯を残そう

ということです。

歯が動物の寿命を決めるとも

いわれています。

歯がなくなると

ものがおいしくいただけない

息が漏れて上手に話がしづらくなる

ということで

80歳までに20本の歯を残そうと

 

というわけで、

定期検診で奥村歯科医院を

訪ねました。

 

結果は、

前回よりも改善しているとのこと

インプラントを除いて

26本ありますということです

まあ、80まではあと10年

たぶん、一斉に抜けない限り

20本は確保できると思います。

 

いつもの奥村歯科のお飾りですが

9月はやはり

「藤崎宮秋の例大祭」

 

 

うちわがその雰囲気を盛り上げています

 

 

 

わらじにハチマキ、そして鈴

今年も出席されるのでしょうか

 

 

例のラッパもあります。

 

今年は台風の上陸で9月17日が

10月7日に延期になりました。

 

昔は9月15日敬老の日でしたが

敬老の日が動くために

それに合わせて

お祭りも動くようになったのです。

 

 

 

 

クマモンも法被を着て

参加するのでしょうか。

楽しみですね!!

 

おせわになりました。

 

 

 

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和多津美神社(わだつみじんじゃ)

2017-09-29 20:32:37 | 住職の活動日記

対馬のちょうど中央部分に

「和多津美神社」は位置しています。

 

 

 

厳島神社のように

海の中に鳥居が立っています。

ここでは海の中に二本の鳥居

 

 

ここから神社に向かいます

 

 

振り返ると、

一直線上に鳥居が並んでいます

 

この鳥居を入れると

四つに鳥居をくぐり本殿に向かうという

形です。

 

 

途中にはこういう三本足の鳥居も

見うけられます。

京都の蚕ノ社も

こういう三本足の鳥居が見受けられます

やはり何か、

神様がいらっしゃった岩座というか

御蔵なのでしょう。

 

 

 

本殿は海の潮風にさらされて

湿気も多いようで

やはり傷みも激しいようです。

 

ご神体は「山幸彦」

彦火火出見尊

(ひこほほでみのみこと)

ということです。

この神様が仏教では不動明王

ということのようです。

何かしら不思議なご縁を感じます。

 

その近く、

5分ほど山に向かって上がると

烏帽子岳があります。

 

 

対馬の山々を見わたせる場所

 

 

深く入り込んだ入り江

山々はこんもりした

山肌をみせています。

 

 

本当に平地が少ないようです。

山からいきなり

海が広がっています。

 

暮らすには厳しい条件でしょう

しかし、

韓国との貿易で栄えたようです

日本よりも韓国に近い場所、

そこには当然、

外交努力というか

国際感覚を要求されるでしょう。

日本と韓国の間に入って

苦労もあったし、

2万石ながら10万石以上の

地位を保ったという努力

それが対馬藩を支えていたようです

 

そこから海に下りてくると

 

 

珍しい建物、「藻小屋」があります

海藻を蓄えたところです

 

 

こういう対馬藩独特の石積みを

見ることができます。

大きな石を中心にその周りを

小さな石を積んでいくという

風雨にさらされないように

こういう石積みをしたのです

 

海岸に出て見ると

海は美しいながら

 

 

漂着物が多いようです

 

 

色々の国の漂着物が

色々の国の文化のなりの果てを

見るような感じです。

 

またその所に不思議な石積み

 

 

山の上では良く見かけますが

海で見るのは珍しい気がします。

「ヤクモ塔」と呼ばれています

 

 

 

やはり海の安全を祈ったものでしょう

 

対馬という土地条件

複雑な外交もあったようで

その間合いと空気を読まなかったら

絶対に対馬藩を維持できなかった

ようです。

 

時間の許す限り

対馬の空気に触れ

色々と感じとりたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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諫鼓(かんこ)

2017-09-28 21:43:13 | 漢字

閑古鳥(かんこどり)は聞きますが

諫鼓(かんこ)はあまり聞きません

 

 

形としてはこういうものです

柱に龍が巻き付き

その上に太鼓がのっています

 

 

この太鼓の上にも鳥がいたのですが

壊れて今は横に置いてあります。

 

昔、人民の中で、

朝廷を諫めたいと思う者のために

その意を通じさせるために

太鼓を打たせたと、あります。

 

諫鼓苔むす、という言葉もあり

叩く人がいなかったので

この太鼓が苔むしたというのでしょう

それほど国が無事におさまった

ということです。

同じような意味で

諫鼓鳥が鳴く、ということも

叩く人がいなかったので

鳥が止まって鳴いている

ということで、

やはり、太鼓を打つ必要がない程

領地が治まったということです。

 

閑なことを閑古鳥が鳴くとも

いいますが、

本来は「諫鼓」ということが

元になったのでしょう。

 

衆議院も解散したようですが

人々はどのように

諫鼓を打ち鳴らすのでしょうか

それとも鳴らさななくていいほど

国が治まっているのでしょうか?

 

今こそ、

この諫鼓が必要な気がします。

 

 

 

 

 

 

 

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黄色い彼岸花

2017-09-28 09:04:15 | 住職の活動日記

昨日、一日中降り続いた雨も上がり

爽やかな風が吹いています。

気持ちのいい朝です!

 

 

ふと、気が付くと

紫陽花の中に彼岸花が咲いています

昨年はなかったような?

 

 

どうやって種を飛ばしたのか

不思議に

アジサイの中に守られるように

 

 

枝をかき分けを覗いて見ると

丁度今が一番の見ごろ

 

この黄色いヒガンバナは

普通の赤の彼岸花と形も違い

種類が違うのでしょう。

 

昨日は

 

 

雨に濡れながらも

美しく咲いていました。

ここが定位置です

ここから参道を隔てた紫陽花の元に

花を飛ばしたのです

 

 

雨に打たれている

彼岸花も風情をそそります。

 

今日は大祭

秋の護摩法要です。

空は青空が広がっています。

1時からのお護摩

とても気持ちのいいお勤めになりそうな

予感です。

 

 

 

 

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対馬、豆酸崎灯台

2017-09-26 21:10:19 | 住職の活動日記

空路で30分、

飛び立ったと思ったら

水平飛行になって5分

もう着陸態勢です。

 

 

対馬の島は森に覆われているような

山深い島のようです。

 

 

山を切り開いて作られたのでしょう

小高い岡の上に飛行場はあります。

 

 

初めての対馬!!

心が踊ります。

 

着いたのは昼過ぎ

ちょっと時間がったので

ひとっ走り南の岬目指して

 

 

眼下に広がる切り立った岩肌

ちょっと見かけない風景

 

 

土質はこういう岩が入り組んで

出来ています

タモリさんなら喜ぶような

高低差と岩の塊、

 

灯台まで山を上ります

 

 

こういう景色を楽しみながら

 

 

 

海にも岩が突き出ているせいか

この灯台も重要な役目です

 

 

今度は分かれ道を下のほうへ

風で痛めつけられた木々は

枯れたり葉が吹き飛ばされたり

面白い風景です

 

足元には

 

 

まだ美しい彼岸花が

咲き誇っています。

 

 

西南端の展望所

通り道に見た岩肌が

海の中まで続いています

 

 

この海の海上安全を見守るように

お不動さまが海に向かって立っていらっしゃいます

 

夕日が落ち始めました

 

 

なんとも幻想的な夕日

 

 

ちょうど雲も出てきたようで

海とお天道様がつながる

真っ赤な海は見れませんでした。

けれども

このような美しい夕日は初めてです。

今日も一日有り難うございました、と

手を合わせたくなるようなお天道様です。

 

日が落ちるのも早く

真っ暗になった道を一路ホテルへ

 

 

 

 

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豆酸崎(つつざき)の夕陽

2017-09-24 22:27:59 | 住職の活動日記

対馬最南西端の豆酸崎、

対馬海峡に沈む夕陽

遥か向こうは釜山でしょうか❗

 

 

 

なんとも他では見れない景色

 

 

 

5時50分、

こんな夕陽は初めてです。

 

 

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お寺に彼岸がやってきた!

2017-09-22 18:29:31 | 住職の活動日記

当たり前のような、

時間的に見れば20日が彼岸の入り

明日の23日がお中日

26日が彼岸明けということです。

しかし、

空間的に考えると

一寸微妙なところがあるような

お寺が彼岸の浄土になったのか

 

 

確かに彼岸花は咲き

 

 

庭木の剪定もすみ

 

 

砂利のところも掃き清められて

まさにそのような

しかし、

私たちのところに

お浄土という彼岸が来たのか

 

弘法大師の言葉に

「心境冥会して道徳玄存す」

ということがあります。

心と環境は互いに相互関係している

外の環境はその人の心の表れである

ということです。

その人の心の浄土が

外の環境を表現しているのでしょう

心が乱れれば環境も汚れてくる

外の環境が整えば

おのずと心も清められてくる

 

ふと思うのですが

「初発心時すでに正覚を成ず」

ということがあります。

志を起こした時、

その時に仏の正しい悟りが

その人の心に成り立っている

ということです。

修行する時、

人間の心が段々に仏に近づいていく

ということではないのです。

仏の心を頂いて

修行が始まっていくということです

 

人間心で修行しても

人間の心を延長するだけで

賢い凡夫になるだけです。

仏に近づくことにはなりません

 

仏の心で仏の修行をするのです

お経には

「般若波羅蜜多」と書いてあります

般若、智慧の修行をすると

般若という智慧で波羅蜜を行じる

ということです。

でなければ、

前五波羅蜜(布施、持戒、忍辱、

精進、禅定)はただの道徳修行と

なんら変わらないことに

なってしまいます。

波羅蜜の修行になるには

最後の智慧波羅蜜がなければ

波羅蜜の行にはならないのです。

 

では般若の智慧とは

これは自分を見抜く智慧です。

何も仏の智慧ということではなく

自分のずるがしこさ、ええ頃加減な

そういう自分の醜い心が見えてくる

ということが智慧なのです。

だからこそ、

波羅蜜の修行ができるということです

 

仏の心を頂くとは

そうだったかと!

自分の悪さが頷ける

ということです。

であればこそ修行に励める

ということになるのでしょう。

美しいと思ってやる修行

こそが迷いということでしょう。

 

自分の心の汚れが解るからこそ

仏の美しい心が解る

 

自分の考えた延長線上には

仏はないということです

自分の心に絶望して

自分の心の醜さを知った人

だけに仏は見えるのでしょう

 

「地獄に仏」といいます

地獄を知った人にしか仏は

見えてこないということです。

たまたま地獄に仏さんがいた

ということではないのです。

 

明日はお彼岸のお中日

心にもお寺にもお彼岸がやってくる

ということでしょう。

 

 

お掃除していたら

どこかきたのかナメクジ君

自分の浄土を探して安住の彼岸を

求めているのか

それとももうすでに

自分の浄土を表現しているのかも

 

 

 

 

 

 

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2017-09-20 20:18:45 | 漢字

「禅」ということも

座禅とか禅宗という言葉もあり

すっかり日本語ですが

もともとはインドの言葉

ドヒヤーナDhyanaの音写で

禅那(ゼンナ)とも音写し、

これがさらに略されて「禅」と

なりました。

静慮(じょうりょ)、思惟修習と

訳されました。

 

六波羅蜜の第五番目禅定波羅蜜です

心を一つの対象に専注して

つまびらかに思惟すること。

と辞書には出ています。

 

では、

忙しく慌ただしいこの世の中で

どうやったら

心を静かに整えることができる

のでしょうか?

 

兼好法師は『徒然草』のなかで

このように述べておられます。

「筆を執れば何かを書きたいと思い

楽器をもてば音を出したいと思い

盃を持てば酒を思い浮かべ

サイコロを手にすれば賭け事を

しようと思います。

心は必ず、物事に触れて動くのです

ですから、仮初にも良くない遊びを

してはいけません。

 少しでもお経の一句を見れば、

何となく前後の文句も見えてきます

そのお陰で突然に、長年の誤解を

改めることもあります。

もし経典を開かなかったら、

この間違いには気づかなかった

これは、

触れたからこその御利益なのです。

 信心が起こらなくても、

仏の前に座って数珠を取り経を開く

怠け心の内にも善い行いが身に付き

気持ちが乱れていても、

僧侶の座に坐れば、

いつの間にか禅定に到達します。

 事理(現象と真理)は、もともと

別々のものではありません。

外見の姿が正しければ、

心のさとりも実現します。

ですから形だけであっても

信仰心が足りないといっては

いけません。

外見だけでも敬って尊ぶべきです。」

 

何はなくてもまず座る

机の前であれ、

編み物する方はその場に坐る

初めは心が乱れていても

坐っているうちに

心は落ち着いてくるものです。

 

そういえば

「マインドフルネス」

ということを先日のテレビで

放送していました。

一日3分間、椅子に座り

ゆっくりと複式呼吸を繰り返す

ただそれだけなのですが

そのテレビでは若さを保つ秘訣

として語られていました。

 

私たちの生活は雑念だらけの中で

暮らしています。

その中で唯一、心を整える方法は

呼吸を整えるということです。

座禅しても、

一つ、二つ、三つと十まで数え

また、一つ二つ、と繰り返す

これが入出息念です。

 

なかなかすぐには雑念はとれません

けれども、続けるうちに

禅定波羅蜜、

静慮という静かな世界が開けて

くるのです。

 

お彼岸ということも

両親、祖父母さらにはそのご先祖

仏壇やお墓の前で手を合わせ

しずかに呼吸を整えていく

今ある自分の姿が

おかげさまという心境が

開けてくるのではないでしょうか。

 

 

 

 

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大蒜・忍辱・アホ

2017-09-19 16:44:24 | 住職の活動日記

大蒜・忍辱・アホと妙な取り合わせ

のような気がしますが、

全てニンニクのことなのです。

大蒜は食べるニンニク、ガーリック

のことです。

忍辱は六波羅蜜の修行で最も肝要な

忍辱波羅蜜という

堪え忍ぶということです。

 

 

 

「アホエン」というサプリです。

名前がどうも!?

「アホ」とつきますので

阿保を連想してしまい

どうしてこういう名前を

付けたのだろうと不思議に思って

いたのですが、

「アホ」とは(Ajo)と書いて

スペイン語でニンニクノことです

それを研究した方の名前からか

「アホエン」と命名されたとか

ということです。

 

なんだかんだといいつつ

もうお彼岸が間近にせまっています

お彼岸、彼(か)の岸と書きます。

 

近くの平等院の造りは

本堂の前に大きな池があります

ご本尊は阿弥陀様

その壁面には音楽を奏でる

天女たちの姿があり

極彩色の画と相まって

まさに浄土の姿を現しています。

 

此の岸より(この苦しい世界)

彼の岸へ向かって

阿弥陀さまの極楽浄土へ生まれる

そのことが大きな願いだったのです。

阿弥陀さまの手と自分の手を

糸でつなぎ、念仏を唱え

極楽浄土へ行くことを人生の

最大の目標にしたのです。

 

大きな池は

この苦しみの世界から渡って行く

その修行の段階を表現したのでは

ないでしょうか。

 

その修行が六波羅蜜といいます。

その六つとは

布施波羅蜜・持戒波羅蜜・

忍辱波羅蜜

精進波羅蜜・禅定波羅蜜

そして最後が、智慧波羅蜜です

忍辱ということは三番目です。

 

忍辱ということは

普通には堪え忍んで我慢する

ということですが、

この忍は言遍がついた「認」

ということで、

認識の忍ということです。

ただ我慢せよ、ということではなく

物事をよく認識すれば

我慢する時は我慢でき、

もう堪忍袋の緒が切れた

ということにはならないのです。

 

六波羅蜜の修行も

似たようなことがあって

一歩間違うと修行にはなりません。

布施ということも

人に施しをするということですが

まあ、俗的には

「蒔かぬ種は生えぬ」、

ということがあります。

人に施しをしておくと

廻りまわって自分の為になる

ということであれば

その行は汚れてしまいます。

廻りまわってくる徳を

期待しているのです。

そうなると、自分が汚れてしまいます

 

本来は、

自分の物惜しみの心を対治する

ということが大きな目的です。

 

持戒ということも

娑婆を生き抜くにはほどほどに

忍辱も

ならぬ堪忍するが堪忍

といって我慢しておけば

大風は通り過ぎていく

我慢してこそ本当の我慢だと

精進も

稼ぐに追いつく貧乏なし

何でも一生懸命やれば

貧乏せんで済む、と

一歩間違えば単なる世渡りの術と

なってしまいます。

 

すべて、あてにして働くと

その行が汚れてきます。

計算通りにならなかったら

腹を立ててしまします。

だから幸福追求を波羅蜜とは

いわないのです。

 

この娑婆(此の岸)の延長線上に

浄土(彼の岸)があるのでは

ないのです。

浄土を捨てて彼岸へ行く

そこが大事で、

平等院も前に大きな池があるのです

此の岸(迷いのこの世界)と

阿弥陀さまのいらっしゃる浄土とは

一線を画しているのです。

 

六波羅蜜でも

最後の智慧波羅蜜が大事で、

智慧がなかったら

単なる、世渡り上手の幸福追求

になってしまいます。

智慧があるからこそ

自分自身の本当の姿の認識ができ

この世界を厭い

六波羅蜜の行が始まるのです

 

家康の旗印も

「厭離穢土・欣求浄土」

ということです。

この世を厭い離れ、浄土を希う

そこに家康の本当の願いがある

のではないでしょうか。

 

自分自身の物惜しみの強さ

人から借りたことはすぐ忘れる

人に貸したことはいつまでも

覚えているというように、

また決まりも人が見ていなければ

破ってしまう。

我慢できなくてすぐに腹立ててしまう

ちょっとした隙にすぐ怠けてしまう

そういう本当の自分自身の姿が

見えてこそ

六波羅蜜の修行に励めるのでしょう。

 

私たちの延長線上にあるのは

幸福追求で、

自分の姿の再確認から

(そこが智慧波羅蜜でしょう)

始まるのが本当の修行のように思います。

此の岸と彼の岸の間に

池があるということは

大きな意味があるようです。

 

 

 

 

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海住山寺(かいじゅうせんじ)

2017-09-18 19:20:40 | 住職の活動日記

ナビに(カイジュウセンジ)と入れると

「かいじゅうやまでら、へ案内します。」

とアナウンス、

言葉だけ聞くと

「怪獣山寺」!?

怪獣が出る山寺かと、

思ってしまう。

 

 

台風一過、

青空が広がりました。

京都でただ一つの村

「みなみやましろ村」へ

ちょうどテレビで放送がったせいか

 

 

道の駅のドライブインは

車であふれています。

 

 

ここはお茶の産地、

美しい茶畑が広がっています。

 

 

入り口に不思議な形をしたモニュメント

なんだろう??

横の解説には駐輪機と

ここに前輪を入れて固定する

という仕掛けのようです。

 

そして道をちょっと外れて

山道へ

細い道をどんどん上がって行きます

離合できないほどやっと一台通れる

道を車が来なければいいのに

と思いつつ道も広くなり

やっとの思いで目的地の

「海住山寺」到着

 

 

山門を抜けて本堂へ

 

 

わりとこじんまりとした本堂

明治の頃に再興されたとか

 

 

本堂前の賽銭箱には

石に彫られた法句経(ほっくきょう)

の一文があります。

この言葉がもとになって

「ありがたい」という言葉が

生まれました。

「有ること難し」有り難し

ということです。

 

ご本尊は十一面観音です。

観音さまの浄土はポタラといいます

チベットのポタラ宮殿と同じです。

ポタラが補陀落(ふだらく)と

音写され、

ここのお寺の山号も補陀落山

そして、

海住山寺という名前も

一瞬不思議な気もします

海に住む山の寺、

というのは

観音さまの浄土補陀落は

海の向こうにあるということで

海の向こうの観音さまの浄土のお山

ということでしょう。

 

 

やはり真言宗のお寺です

弘法大師もお祀りされています

 

本堂横には

 

 

国宝の五重塔

小さいながら美しい形です

 

 

一番下の屋根には裳階(もこし)が

あってそれを支える柱も

珍しい形です。

 

本堂横の細い道を上がっていくと

開けたところに出て来ます

 

 

一望に見渡せるところからは

むかし、恭仁宮(くにのみや)が

あったであろう盆地です。

天平12年から4年ほど聖武天皇が

都を開かれたのです。

この周辺は木津川沿いに発展した

遺跡がたくさん存在します。

 

 

モミジの木の古木、少し色づき

はじめています。

 

 

周辺の木々も紅葉が多く

これからはさぞかし見ごたえのある

真っ赤な山に変身するでしょう。

 

 

立派な本坊もあります

 

 

珍しい形の鐘楼堂

周りは板で覆われています

音を上へ広がらせる効果が

あるのかもしれません??

 

 

あぜ道は豊かに実った稲と

 

 

彼岸花がたくさん咲き誇っています

 

早や秋を感じさせる風景です。

暑い暑いといっていたら

いつのまにか秋になったようです。

 

 

 

 

 

 

 

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