本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

ほめ達!!

2018-03-31 20:09:59 | 住職の活動日記

最近「ほめ達」という言葉が

あるようです。

先日のテレビで、

自動車教習所での先生が

褒め上手になったとか、

ということもあり色々なところで

褒めて伸ばすというか

欠点を指摘するのではなく

あえて、欠点を褒めることに変えて

相手の欠点を認めてあげる。

 

そこで、

「ほめる」ということの

スクールもあるようです。

まずは「ほめる」

そして「注意する」

さらに「またほめる」

というようなテクニックの

ようですが、

時代と共に人と接することの

難しさがそこにはあるのでしょう。

 

ほめる、漢字で書くと

「褒める」

ころもへんの字です。

もとは、

脇下に広いマチを作り

わきすそを広くした衣

という意味です。

音が「称」に同じで、

称賛することから、ほめる

というようになったようです。

 

ほめて物を与える、「褒美」

という言葉や

褒章や褒賞という言葉も生れました

 

仏教の十善戒という中に

「不綺語」

という戒律があります。

綺語とは人に対して上手をいう

ことなのです。

お世辞とかそうですけど、

人に対して悪口をいうのでもないので

いいような気がしますが

あまり言いすぎると

自分の心の中に残っている

わずかな真心までなくしかねない

ということがあります。

人を気持ちよくさせることは

いいのですが、

自分の真心を失くすという

ことになってしまいます。

 

玉三郎さんは父から

「褒められたら疑え」

と、教えられたそうです。

「褒め殺す」

ということもあります。

芸人を駄目にするには

3日間褒めれば

本人もその気になり

遂には駄目になるとか…

ということなのでしょう。

 

褒めるということも

道を求め修行に励んでいる人には

禁物なのでしょう。

しかし、

普段何気なく生活している分には

褒めるということも

人と人との潤滑油になるのでしょう

 

鶴瓶さんも言ってましたが

関西人は

「人の欠点には傷を開き

 そこに塩を塗る

 それで傷も治ると」

というようなことをすると、

逆説的に、

褒めるのではなく

あえてそこを叩く、と

それも愛情なのかもしれません。

 

「ほめ達」

もいいのですが、

ほめ過ぎて自分の真心を

失くさないようにしたいものです。

 

 

 

 

 

 

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日が沈み、日が昇り!

2018-03-30 16:02:15 | 住職の活動日記

お彼岸から少し長めの熊本

 

 

もう、3月終りとなると

5時30分、美しい夕日が見えます

そして、

 

 

6時には美しい朝日を拝み、

大坂の渋滞を通り

我が家到着!

 

気になっていたのは

草花の水遣り

でも、

自然の力は立派なもので

 

 

我が家のシクラメンは

やっと今ごろ満開です。

 

 

裏の山法師も

小さな新芽を出しています

 

 

出るときはつぼみだった新芽は

初々しい葉を出していました

 

 

梅の木も元気に葉を伸ばし

 

 

表のピンカミノールも

若い葉を出し、紫色の花を

一杯につけて待っていてくれました。

 

元気に育っていたことは

なにより嬉しいことでした!!

 

 

 

 

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あらたふと青葉若葉の日の光り

2018-03-28 12:28:40 | 住職の活動日記

熊本は桜が満開

でも、他の木々も新芽を吹き出し

まばゆいばかりです。

 

 

今日も天気はよく

もみじの若葉が美しく

ひかりかがやいています。

その景色を見ていると

 

「あらたふと青葉若葉の日の光り」

 

という芭蕉の句が浮かんできます。

卯月朔日(4月1日)とありますが

今の日時では5月19日ごろ

 

 

もみじの下では

つつじが花芽を膨らませています

もう次の花の準備が整ています。

 

 

下から見上げるもみじ

若葉の緑は初々しい

 

 

奥の細道には

弘法大師が参詣の折り

「二荒山」を「日光」に改めた

とあります。

 

観音さまの浄土を

ポーターラといいます

それを二荒(ふたあら)と

音写したのです。

それを二荒を「にこう」と読み

さらに、「日光」と書き換えた

ということです。

 

 

つつじも種類によっては

まだ固い蕾もあります。

 

 

梅の木も花もすっかり終わり

元気に若葉を出しました

 

 

イチョウも根っこのところでは

芽が吹き出しています

 

 

アジサイの若葉も美しい

 

 

コデマリも花芽をだし

 

 

アオキも美しい緑を

まばゆいばかりに日の光りに

当てています。

 

今日のお護摩は熱くなりそう

外の気温は

早や20度を超えていることでしょう

若葉に負けず、元気にお護摩を

修法しましょう。

 

 

 

 

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分段生死・変易生死

2018-03-27 20:11:25 | 十地経

分段生死(ぶんだんしょうじ)

変易生死(へんにゃくしょうじ)

解ったようでわからない

ずっと気になている言葉です。

 

「生死」と書いて

普通には「せいし」と読み

仏教では「しょうじ」と読みます

インドの言葉ではサンスカーラ

輪廻とも訳します。

生まれかわり死にかわりして

迷いの中にいるということで

生死とは迷いをあらわします。

それに対する言葉は「涅槃」です

 

分段生死というと、

つい、分断ということが頭に浮かび

切れ切れになった

ということをおもいますが 

分段となると、

限られたとか限定される

というような意味があります。

普通に生まれるとは

限られた環境や限られた命の中に

生きて行くのです

寿命も限りあり姿かたちも限定され

そういう身をもって

迷いの中に生きて行くということが

分段生死だというのです。

 

『十地経講義』のなかでは

「煩悩や業を縁として、生まれ

業によって三界に生れ、

業を果たして死んで行く。

だから頓死ということはない。

死にたくても業がある限り

死ぬことはできない。

業にこたえて、前の世の、

作った業にこたえて

我々は生まれてきた。

そしてその業を果たして

初めて死ぬことができる。」

というように出てきます。

 

変易生死ですが

どうも辞書を見ても

しっくりこない

学術的意味はそうかもしれませんが

どうもわからない?

 

ふと感じたのは

 

先日、興味があって

潜伏キリシタンを訪ねて平戸の

生月島(いきつきしま)へ

口伝えに残っている「オラショ」

を聞きたかったのです。

博物館の中で流れているオラショ

どこか、ご詠歌というか和讃に似た

響きをもている。

その歴史を見ていくと

それこそ殉教に生きた人々の姿が

あります。

信仰の為には命を捧げても悔いない

ということです。

 

「迷いの中にある分段生死が

願を以て包むと変易して

変易生死になる。

生れさせられ、死なせさせられ、

仕方なしに、

そういうのを、今度はあえて

願生しようと。

あえてそれを背負って立つ時に

意味は変わってくる。

喜んで死ぬんだ、自由に。

仕方なしにのやつがですね、

自由意思で生死するでしょう。

つまり必然を自由に転じている。

そういう時に生死の意味は

変ってくるでしょう。」

 

と、『十地経講義』は続きますが

 

先日のNHK大河ドラマ「西郷どん」

のなかで、

いよいよ篤姫が徳川将軍に嫁ぐ

ということが決まったとき

「喜んで不幸になります!」

と、篤姫が答えます。

その時、

今まで生きてきた分段生死が

変易生死に変わったのでしょう。

あえて、不幸の中に身を投じます

という覚悟が決まったのです。

ただ漫然と生きてきた命に

悔いのない道が見つかった。

 

そういうことを変易生死と

いうのではないかと思うのです。

 

「つまり生死が、

実は生死というものが

ただ生死だけの意味じゃない。

穢土を荘厳するというような

意味をもってくるでしょう。」

 

潜伏キリシタンも篤姫も

普通の生活が

命をかける場を見出した時

いのちの意味が変ってくる

喜んで命を捨てよう

神のために命を捧げても悔いない

というように

一面から見ると(普通の考え)

不幸で悲惨な出来事も

(仏の目から見ると)

悔いのない人生が見つかった

そのことによって、

その人の人生が清められた

荘厳された、ということになると

それこそ本当の人生を生きた

ということになるのでしょう。

 

変易生死、ということは

迷いの生死の意味が

変ってくる

そこに大きな意味があると思います。

 

まだまだ不十分な理解かも

しれませんが、

潜伏キリシタンの里を訪ねて

そういうことが

ふと、心に感じたのです。

 

 

 

 

 

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熊本城の復興を見守る醍醐の桜

2018-03-26 14:58:12 | 住職の活動日記

加藤神社に植えられた醍醐の桜

 

 

ちょうど見ごろに美しく咲きました

 

 

この加藤神社から見る熊本城

間近に見る本丸と二ノ丸

まだまだ修復はかかりそう

 

 

持ち上げて下の石垣を

積み直すのでしょうか

大変な大工事です

 

 

眼を右に移すと

こちらの櫓は宇土櫓でしょうか

そうだとすれば

加藤清正が築いたお城です

外から見る分には大丈夫のようです

 

 

今、熊本城の桜はすべてが見ごろ

石垣の後ろには

工事の為の長い仮の通路が作られ

そこから重機が運び込まれ

着々と工事は進んでいます。

 

 

この地にあって

醍醐の桜は熊本復興と熊本城の修復を

見守り続けています。

 

しかし、工事は長丁場のようです

この醍醐の桜が

見事な大木になる頃に

熊本城の完成を見るのでは

ないでしょうか。

 

秀吉、縁の醍醐の桜

この桜はそのクローンです

なんとも不思議なご縁です

秀吉が愛でたであろう醍醐の桜

今の技術でクローンとして蘇り

その桜が熊本城の復興を見届けて

いるということです。

 

この地にお祀りされている

加藤清正も

秀吉の桜を愛でながら

熊本城の復興を見続けている

のです。

 

醍醐寺より移植された

醍醐の桜

見えない糸で繋がっているようにも

思えてきます。

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菊池恵楓園はさくら満開

2018-03-25 18:33:23 | 住職の活動日記

久しぶりにお邪魔しました。

門を入ると

 

 

静かな園内はもう桜が満開

といってもまだ蕾の花もあり

これから楽しめそうです。

 

 

いつもこの桜の下で車を止め

お参りの時間調整するところです。

一番好きな桜です

以前と比べるとちょっと弱った??

というか

まだ咲ききってないのかもしれません

 

 

天気も良く

青空との対比が見事です

 

 

幹は半分ほど空洞

樹齢が80年とか

恵楓園で一番の古木です

開園当初に植えられ

恵楓園の歴史をずっと見続けて

きたのです

幹の中からは新しい枝が伸びて

次のいのちをつないでいるようです

 

 

今日もしばしここで

昔からの思い出にふけっていました

 

 

桜並木のさくらも

ふりそそいできます

 

 

ふと思い立ってお邪魔したのですが

一番の見ごろでした

 

 

微笑んでいるようにも見え

苦難の時代を優しく見守って

くれていたのでしょう

秋にはここ一面に彼岸花が

咲きだします。

 

時はめぐりながらも

自然は精一杯の姿を見せています。

 

お奨めの花見スッポトかも

しれませんね!

 

 

 

 

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愚痴

2018-03-22 20:30:20 | 十地経

愚痴を零すとか

グチッた! ぐちる!

というようにあまりいい意味では

使わないようです。

 

愚痴とかきますが

痴という字は俗字で

癡と書くのが本当です。

疑って決めかねるということから

なり立っているようです。

 

癡も三大煩悩の一つで

貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)

というように、

むさぼり、いかり、ぐち

ということです。

 

癡のことをサンスクリットでは

moha(モーハ)といいます

この言葉が訛ってバカと

なったようで

そして、馬鹿と漢字をあてたという

ことのようです。

 

いろいろ嫌なことや苦しいことが

あると

ついつい、ぐちが出てきます。

しかし、

仏教ではこの愚癡を大切にします。

 

お経の中でも

あるご婦人がお釈迦さまに

ぐちをこぼされる。

お釈迦さまはそれを黙って

聞いておられる。

それは

愚癡という形で宗教心が現れている

ということです。

つまり

自分が問題になってきたのです。

 

グチを愚痴のままで終わらせないで

宗教心まで導くのが

本当は私たちの仕事なのです。

という意味では

お寺とはグチの捨て場所なのです

 

グチという俗の俗たるものを

宗教心まで高める

というのは、

一番、身近で一番低いように

思うのですが、

じつは低いものが深いところから

出ている、からなのです。

 

よくお寺にも相談の方が

おみえになります。

話すうちに心のわだかまりも解けて

グチを喋り出せば

それでいいのです

一端グチが出だすと次々と

長い時には3日間にわたり

お話を聞くこともあります。

 

お話をされているうちに

次第に

問題は自分であったかと

気がつけば

それでいいのですが

なかなか、自分が …

というところまではいきません

しかし

話しができるということは

帰るときには

心が軽くなりましたと

足取りも軽く

お寺を後にされるものです。

 

今に時代なかなか

ぐちをこぼせる相手もいないし

そういう場所もないようです

 

私たちは

お寺こそ、

そういう場でありたいと

常々願っているのです。

 

たかがグチかもしれませんが

されど愚癡です

宗教心の根が宿っているのです。

そのことを大切に思ってほしい

と思います。

 

 

 

 

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寒いお彼岸になりました!

2018-03-21 20:25:39 | 住職の活動日記

ところによっては雪情報もある

寒いお彼岸となりました。

 

 

もみじの若葉も雨に濡れ

とても冷たそうです。

 

朝からお台所では

お接待の御斎の準備で大童です

御斎を運ぶもろぶた

 

 

ずいぶん年期もの

ひっくり返してみると

 

なんと昭和30年に作られたものです

おおかた60年ほど経っています

今日も大活躍です。

 

雨にもかかわらず

大勢の方のお参りです。

 

「彼岸」

彼の岸と書きます

その反対は此の岸「此岸」

私たちが住んでいるこの岸

から希う彼の岸をお彼岸と

その彼の岸を実際に作られたのは

藤原氏・あの平等院です。

池を渡り阿弥陀如来のいる浄土が

本堂に当たります。

六波羅蜜の修行の船で

池を渡って阿弥陀さまのもとへ

ですから

亡くなる時は

阿弥陀さまの手から五色の糸を引き

それを握りしめて

念仏を唱え、

阿弥陀如来の浄土を観想します。

 

浄土があるとか無いとかではなく

浄土を願う心に浄土があるのです

現実は苦しい世界かもしれません

そこに浄土という心境を開くのです

 

今日も帰りしなに

挨拶していましたら

「たまに血圧が良い時があるの

主人とも喧嘩したり仲直りしたり

63年になりますのよ、

お医者さまで診てもらったら

血圧の変化を見ていると

ちょうど、本蔵院さんに

お参りした時に血圧が下がっている

のよ、

心が安定するのでしょうね」

と話されていました。

 

本蔵院の行事の折りには

必ずご一緒にお参りされます

知らず知らずのうちに

浄土という世界を

感じ取られているのでしょう。

 

仏法は毛穴から入るといいます

浄土という世界に身を運ぶうちに

自然と沁みこんでいくのでしょう。

 

寒さの中のお彼岸でしたが

季節は着実に

春のハタラキを感じ取っています

 

 

前のつつじもたくさんの花芽を付け

もう少し暖かくなるのを

待ちわびているようです。

 

 

 

もう今にも

膨らみそうな花もあります。

 

気分は春なのに

気温の変化に

体がついていかないようです。

どうぞ御身大切に

この時期を乗り切りましょう。

 

 

 

 

 

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菩提樹苑の醍醐桜

2018-03-20 21:02:23 | 住職の活動日記

明日はお彼岸の中日というのに

熊本はまだ寒い、

もう春かなと思っていたのに

冬の寒さが逆戻り

しかし、

熊本の桜は今が見ごろ

 

 

となりの本荘小学校

4月の入学式を待たずして

桜の花が開花しています。

 

 

その横には肥後六花の一つ

「肥後椿」が植えられています

 

 

普通の椿とは花弁のところが

違うようです。

 

熊本はもう桜が楽しめます。

菩提樹苑の桜も八分咲き

 

 

苑内を見下ろすと

ピンクに彩られた桜の中に

ご先祖さまがいらっしゃいます。

さぞかし楽しんでおられることでしょう。

 

昨年植えた醍醐桜も

今年は見事に咲きました。

 

 

熊本の震災復興を願い

阿蘇神社と加藤神社にも植えられ

ました。

 

 

美しいピンク色の花を付けています

 

 

下から見上げると

ふりそそぐように花が

かぶさってきます

 

 

まだ蕾の桜もあり

しばらくは楽しめるようです。

 

 

秀吉が植えた桜

この桜はそのクローンに

なります。

 

 

震災復興の鐘と醍醐桜

これからこの地で

熊本の復興を見守り続ける

ことでしょう。

この三本の醍醐桜が震災復興を

祈っているのです。

 

明日はお彼岸のお中日

余寒まだ続く寒い一日となりそうです。

でも、

菩提樹苑では花咲き鳥歌う

浄土を体現したような

そのような空気が広がっています。

 

是非、

浄土を願い、

ご先祖さまに手を合わせ

お墓やお仏壇でお参りましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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獺祭(だっさい)

2018-03-18 21:04:37 | 住職の活動日記

美味しいお酒「獺祭」

なかなか手に入らないとか、

安倍首相が各国の要人に贈った

ところから有名になったようです。

 

「毎年よ彼岸の入に寒いのは」

 

という、正岡子規の一句があります

母の言葉が句になったという

まえがきがあるように 

「お彼岸というのに寒いね」

と語りかけた子規に母八重が何気なく

つぶやいたことが

そのまま句になったということです

 

正岡子規の別号として

「獺祭書屋主人」

というのがあります。

獺(だつ)というのは

カワウソのことで、

獺祭とはカワウソが自分の得た魚を

並べること、とあります。

人が物を供えて祭るに似ている

のでそういうようです。

そこから

詩歌や文章を作る時に多くの参考書を

右左に並べること。

漢和辞典には出ています。

 

今日から彼岸の入り、

朝からお仏壇の掃除、

仏具やら出して磨いたり

ワックスがけ

清々しくなったところで

お参りしました。

 

今年も寒さが厳しかった

まだ、余寒も続きます

時折、4月の陽気になったり

急に冬に逆戻りしたりと

気温の変化は続きますが

確実に春の陽気が感じられます。

 

このお彼岸の一週間で

桜もほころび始めることでしょう

お彼岸という浄土を感じるのは

この時かもしれません。

花は咲きはじめ、

鳥も歌いだし、

一番いい時期を過ごせるのです。

 

浄土という世界も感じとるもの

でしょう。

浄土を願う心に浄土はあるのです

嫌なことの多い世の中

この一時だけでも

今自分が有ることを思いおこし

先祖代々続いてきたいのちの歴史を

考えてみるのも

とてもいい時間だと思います。

 

私の机の上も

カワウソのように

パソコンやら辞書やら本を並べ

獺祭のような状態です。

 

 

 

 

 

 

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