最近ではあまり使われることも少なくなったように、
思われる言葉です。
昔は、 「 娑婆の空気は … 」 とか、
本来は仏教用語です。
インドの言葉で 「 サハー 」 が、そのまま 「 しゃば 」 と音写されました。
『 忍土 』 と訳されました。
この世は 「 シャバ 」 「 忍土 」 である。
耐え忍ばなければならない世界、 であると
先日、私と同じ年の方が亡くなられました。
二十歳ごろから、闘病生活の毎日だったそうです。
「 一生のほとんどを病院で、
彼女の人生は … 」
と、残された親族の方が、しみじみと話されていました。
最近、よく目にすることがあります。
悩まない ! 苦しまない ! 責めない!
癒されたい !!
などなど、人生の辛い苦しいことから逃げるような言葉が
気になります。
むかしの方のほうが、人生を正確に受け止めて、
この世は苦しい、忍土である、 認識しておられたのでしょう。
プラトンという方も、
「 イデアの国 」 というよに、神の世界を表現しておられます。
人間の魂は本来イデアの世界に住んでいたが、
この世で肉体という牢獄に閉じ込められた。
そこで、人間は故郷である 「 イデア 」 の世界に郷愁をもつ、
と、いっておられます。
この世を、肉体の牢獄に閉じ込められるとは、
面白い表現ですが、
やはり、仏教で言う 「 娑婆 」 と同じように、
この世を 「 忍土 」 とみていたのでしょう。
闘病生活という中にも、その人生を忍土として
身にもって受け止めてこられた人生は
言わず語らずではありましたが、
そのなかにも重たいものを感じます。
そのような話の中、横では、幸せそうに、
ここのおうちのワンコ、甘えていました。
亡くなられた方も、初めての女の子で、とても親にかわいがってもらったそうです。
「 親から一杯の愛情をもらって、
幸せだったようですよ ! 」
親からの精一杯の愛情があったればこそ、
苦しい闘病生活を耐え忍んでいかれたのでしょう。
今の世の中、ややもすると、
やさしさ、 しあわせ、 … 楽なほうへ
… ということばかりを求めすぎるような気もします。
やはり、この世は 「 忍土 」 であるということも
心のどこかに、据えておくことも大事なことではないでしょうか。