本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

人の一生はあまりにも短い !

2014-08-31 19:38:06 | 住職の活動日記

尊敬する、平沢興先生の言葉です。

以前にも書いたと思いますが、

段々とこの言葉が身に染みてくる

特に、つい最近は他人事でなく

自分の生き方を見直さなければ

とつくづく思い知らされました。

 

人の一生はあまりにも短い。

わたしは齢(よわい)既に70を超したが、

いよいよ人生に学ぶことが多く、

いよいよ世の中は奇跡に溢れ

いよいよ自らの愚なるを知って、

ただ驚くばかりである。

だが、この驚きは驚嘆であり、

驚喜であって、

更にわたしに強い生きる力を与えてくれる。

わたしは自らの無能を

誰よりもよく知っている。

だが、同時に自信をもって言え得ることは

自覚を持った無能は、

断じて無力ではなく、

祈りと実行のある限り、

無能にもその展開と

向上があるということである。

人生は限りない宝の山である。

堀りに堀り、探りに探ろう。

 

私の人生の指針にしよう。

 

 

 

 

 

  

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明日から9月

2014-08-31 19:28:17 | 住職の活動日記

お寺ではお盆が終わると、

一気に一年が過ぎ去ろうとしています。

9月に入ると、お彼岸、そして

28日はお不動さまの大祭、

と駆け足で行事が続きます。

それが終わると、

もう来年の星祭りの準備と、

8月が過ぎると、もう1年の終わりを

感じるのです。

 

今、外では虫の音が

涼しげな羽音を奏でています。

 

   

 

もう朝夕は25,6度

ずいぶんと涼しくなったものです。

 

    

 

先ほど、草花に水やりをしていましたら、

草むらから飛び出してきたのが

この虫です。

コオロギかな、今鳴いているのかな、

まだ子供のようです。

 

お寺では、

 

    

 

彼岸花の根っこが盛り上がっていました。

また一段と、株が増えたようです。

その横では、

   

    

 

アジサイが最後の色ずきを見せています。

そして、

母の可愛がっていたアロエも

 

    

 

しっかりと根を下ろし、

また一段と大きく成長していました。

 

8月もいろいろありました。

嬉しいこと悲しいこと

悲喜こもごもです。

 

今日無事にある一日に感謝です。

 

 

 

 

 

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目を凝らす !!

2014-08-30 21:06:10 | 住職の活動日記

見るといっても、観という字もあります。

観音さまの観です。

見るという字も「正見」(しょうけん)

といって、この字も

仏教ではとても大切な字です。

 

何気なく見ていたら気がつかないでも

よくよく目を凝らしてみると、

見えてくるものがあります。

 

ふと、池のほとりの石を見ると

 

   

 

この細かい屑はなんだ ??

やや、虫の糞なのか

その上には松の木がある。

パッと見ただけでは分からない。

じーっと、それこそ

目を凝らして見ていると、

いるいる !!

 

    

 

この写真もパッと見ただけでは分かるでしょうか ??

松の葉っぱに同化したように、

いま、一生懸命食事中です。

 

この糞の量からすると、

やはり、取っておかないと

松の方が枯れてしまう。

 

今読んでる 十地経の中で

「止観」ということが出てきます。

このことが中心のようですが、

止まる、観る  という、

簡単には、

ものそのものとなって見る、

そうすると、ものの方が語りかけてくる、

ということらしいですけど、

 

虫には迷惑な話かもしれませんが、

松の葉っぱとなって、

見続けていると、

突然、あそこにも、こちらにも

たくさんの虫が目に入ってきます。

 

殺虫剤を噴霧したらいいかもしっれませんが、

それでは大量虐殺になる。

虫と虫との真剣勝負、

私の目にとまらなかったら、

それは虫の勝ち、

松を住処として生き続けるでしょう。

だから、目にとまった虫を

一匹ずつ、手で取っていきます。

松を食べているせいか、

虫は松のとてもいい香りがするのです。

 

私の目にとまっただけでも、

松の木は大分息を吹き返すでしょう。

しかし、もっと大量に虫がいたら

松の木は枯れてしまうかもしれません。

松の木も剪定で、枝を切られます。

そのところで、お互い

虫と松とが微妙な綱引きで

どちらも命をつないでくれたらと

思うのですが、 ??

 

ま~~のんきな私の判断かもしれません ?

 

    

 

写真が小さくて分からないかもしれませんが、

ここにも虫がいるのですよ  

 

命と命は絶妙のバランスで

お互いの命を保っているのかもしれません。

 

 

 

 

 

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態度価値

2014-08-29 21:57:13 | 住職の活動日記

気になっていることがあって、

読んだり話したりする中で、

先日、お伝えしようと思って、

見つからずにいた文が出てきましたので

ご紹介します。

 

最近は、幸せを求めることに夢中ですが、

自分の幸せはどうしたらやって来るかとか、

幸せさがし、とか、

神社やお寺にはご利益を求め、

自分が自分が …

ということが盛んなようです。

 

幸せは求めても絶対に

やってこない、と

フランクルという方はおっしゃっています。

その方のお話で、

 

「新しい生活を創り出すということは

病気のためにもう手足が動かなくなって、

ベッドに寝ていることしかできない、

そういう人にもあるということです。

それは『態度価値』ということです。

 

病気になれば労働によって生産する、

労働する人間としての価値

というものは奪われてしまいます。

 

けれども、ラジオを聞いたりテレビを見たり

そういう文化的価値は楽しむことができる。

もっと病気が重くなると、

もうテレビを見ることも疲れるという

状態になります。

それでもまだ、新しい生活創り出す

ことが人間にはできる。

それを「態度価値」といいます。

 

たとえば病院のベッドで寝ている、

看護婦さんが注射を一本してくれる。

そのときに、『ありがとう』といって

にっこり笑うか、

『痛い、嫌だ!』といってわめくか、

これだけの違いです。

「ありがとう」といってにっこり笑ったら

その微笑みが看護婦さんの心を和らげ、

看護婦さんに働く喜びを与えていきます。

そのときに、

『痛い、嫌だ、早く死んでしまいたい』

といったら、看護婦さんの心を暗くする。

 

つまり、一刻一刻

自分がその瞬間にどういう態度を

とるかということです。

人間は関係存在の中で生きています。

自分が今日の一日をどう生きるか

ということが、最も身近な人間を通して

世界中に広がっているのです。」

 

と、そういうことを話されています。

幸せといっても、

遠くにあるものではなく、

今ここの、自分のあり方ひとつで

言葉の選び方ひとつで

周りの人を明るくも暗くもすることができるのです。

 

そこに「態度価値」という、

ことがあるのではないでしょうか。

今、自分に与えられた環境の中で、

態度ひとつによって、

新たな価値を創り出していくこともできるし、

せっかくの縁も無価値どころか

悪い心をまき散らすことにも

なりかねません。

 

「態度価値」

耳慣れない言葉ですが、

毎日の自分に起こる

すべてのことに

自分で価値を創り出していく

これほど素晴らしい

幸せなことはないと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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父の肌着

2014-08-27 21:26:55 | 住職の活動日記

9月4日は父の七回忌にあたります。

少し早めですが、

子ども達や孫ひ孫が集まって、

ささやかですが勤めました。

 

この日のため大事にしまっていた

父の肌着を持参しました。

 

整理している時、

母が、

「どうするね ? この肌着」

と聞くのです。

麻の縮みのしっかりした肌着です。

すかさず、

「私が着ます。!」

と頂いてきました。

 

着てみると、ぴったり

初めて父の大きさを実感しました。

何だか分からないのですが、

もっと大きい父を感じていたのです。

意外と、私と同じくらい  …

とても近くに感じたのです。

 

今日もこれを着てお参りしました。

何かしら思い出します。

父の身体を抱きかかえながら、

白衣を着せ、衣の

褊衫、如法衣を着せて、

寝巻き姿だった父が

やはり威厳のある姿に変わりました。

 

父をごろんと寝かせたり、

なんだか、おかしいような、

悲しいような、

涙が出ながら、笑いがこぼれたりと、

動かなくなった父を

始めてゆっくり触ったような

不思議な感覚でした。

 

明日は28日 お不動さま

ご本尊の前にお位牌を置いて

父にも見てもらいながら

護摩を焚きたいと思います。

 

ずっと焚き続けてくれた父の姿を

思い起こしながら   …

 

 

 

 

 

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ナチュラル・ヘルシー・ジューシー

2014-08-27 15:03:11 | 住職の活動日記

今は、黒毛和牛が主流です。

「WAGYU」 という言葉も

世界共通語に成ったようで、

なにも日本のお肉でなくても、

美味しい肉の代表として

よばれているようです。

 

熊本は昔から「肥後の赤牛」

といって赤牛が飼育されています。

「草原の中で育っているので、

健康で医者いらずですよ!」

と、飼い主の方は話しておられますが、

ただ難点は、

今は、サシの入った、霜降り肉に人気があるようで、

元気に歩き回って育った肥後の赤牛は

脂肪分が少ないそうです。

 

今の私達の身体は

サシの入ったいい肉体に育っています。

若し食べる人がいたら、

一番の食べごろかもしれません  ? 

私たちの健康にはサシのない

筋肉質の体がいいのです。

「年とともに貯筋しよう!」

という掛け声もあるくらいです。

 

しかし、また近年は見直されて、

脂肪分の少ない肥後の赤牛は

「ナチュラルでヘルシーで、さらにジューシーで

とても美味しい」 と見直されている、

ということのようです。

 

そういえば、全日空のファーストクラスにも

この赤牛が採用されたと、

ということが記事になっていました。

 

肥後の赤牛に負けないよう、

私たちの体もサシの少ない

筋肉質の体に変えていかねば !!

 

これからは、

お肉も、身体も、

ナチュラル・ヘルシーでなければ …

と思うのですが     

  も怠けがちでいけません

さらに気を引き締めて   

 

 

 

 

 

 

 

 

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DHC8-Q400

2014-08-26 21:41:28 | 住職の活動日記

お昼ごろの便は乗客が少ないこともあって、

とても小さい、プロペラ機です。

 

 

全日空さんですが、オリジナルのカラー

ブルーではなく、グリーンの機体です。

歩いて飛行機に乗り込みます。

 

とても小さく大きさはシロナガスクジラより

少し大きいくらい、

座席は74席、スピードも時速580キロほど、

 

エンジンの近くの座席、

音も振動も大きい、

何とも不気味な音ときしみ音、

小さい機体なせいか滑走路の振動も

まともに拾うよう、

一生懸命滑走路を走り、

ふわりと機体が浮く  一安心 !!

 

久しぶりの飛行機、

新幹線に比べるとアットホーム的な気がする。

小さな機体、客室乗務員の方の

笑顔と、飲物のサービス、

新幹線は待合室のようで

駅により乗ったり降りたりと

次々に人が変わっていく、

飛行機は乗ったら、着くまでがみな一緒、

まるで一つの運命共同体のよう、

乗った以上は文句は言えない、

揺れるからといって、途中で降りますともいえない、

後はお任せするより他はない、

 

まるで、信仰のようにも、

決断と任せる

ここにも、信仰のキーポイントトが

決めて決断して、お任せする、

 

ゆれようがぎしぎし音がしようが

客室乗務員の方々に

お任せする。

何気なく乗っているようでも、

何かあれば、みな一緒の共同体です。

 

ゆれながらも平気で眠っている方も居る。

 

 

雲を抜けると、

見事な青空が広がっている。

機体も安定して、コーヒーのサービスが

ゆっくり飲んで少し本を読み、

音さえなければ快適そのもの、

 

 

窓の外を見ると

「ECO」 の文字、

緑色ということはこの機体はエコなのでしょう。

 

やがて、広島上空へ

 

 

やはり厚い雲に覆われている。

被災地の方々もまだ何も手がつけられなく

何をどうしいていいのか、

本当に大変なことです。

上空からとはいえ、少しでも何かできればと

思うばかりです。

 

近づくにつれ、機体は下っていきます。

すると、雲の中に突入です。

雲は外から見る分には何とも美しく

また、いろいろな顔を見せますが

中に入ると、

空気が乱れているのでしょう

気体は少し揺れたり、

落ちるような、何とも言えない

気分になります。

 

それを抜けると、

熊本の空は晴れ !!

暑い日差しが照りつけています。

 

ボンバルディア DHC Q400

お疲れさまでした。

またの出会いを待ってます。

    

 

 

 

 

 

 

   

   

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一転晴れ間も!

2014-08-26 10:49:54 | 住職の活動日記

昨夜は雷  や きつい雨 

それもそのはず、

昨日の夕方、

 

    

 

結構暗雲が立ち込めていました。

ここの所気象が不安定です。

 

そして今朝になってみると

晴れ間も出てきて、

 

    

 

バラの葉の露がキラキラと

輝いていました。

 

バラの花なのですが、

知らないことは罪なことで、

バラにとってかわいそうなことをしてしまいました。

夏は暑いだろうと、

枝を落としてしまったのです。

 

先日のテレビ、園芸コーナーでは

秋口になって花を咲かせたいときに

枝を切らなければ、 …  

ということで、

丸坊主の枝で夏を迎えるのは

バラにとっては大変なことのようです。

 

    

 

今年は、花は望めないでしょう、

それよりも、元気でこの夏を越してくれるだけで、

有り難いと思っております。

 

しかし、空の様子も、

もう曇ってきています。

ややっこしい天気が続きます。

 

 

 

 

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腰が !!!

2014-08-25 20:52:54 | 住職の活動日記

五日ほど前、

洗車して、タイヤのホイールを

丁寧に洗っていたところ、

何かしら腰に違和感が ??

その感じは日増しに、気になりだして

なんとも、動くのにスムースにいかない

なんだろうこれは   

自分なりに柔軟をやったりしてみても

一向になくならない。

 

そいえば    

昔の友人の息子さんが

整体院を開いているとのことで

見てもらうと、

「ぎっくり腰の軽い番ですね!!」

電気当てて、マッサージをしてもらって

ずいぶんとは軽くなったのです。

 

しかし、ここの整骨院、

入ってびっくりしたのは

子どもたちの遊び場のよう ??

聞いてみると、

夏休みで子供たちも通って来てる

とのこと、   

今どきの子供はサッカーとかスポーツで

身体を壊したり、

勉強しすぎて肩が凝ったり、

と、遊び感覚で

こういう場所にも気楽に来ているようです。

 

もうお年寄りの場所ではなく、

老若男女、体がおかしいと

誰でも来るところなのです。

今まで行かなかった私の方が

おかしいのかもしれませんが、 …

 

腰  月(にくづき)に要、

やはり人間の要のようです。

なにをするにも、腰がおかしいと

やる気も出ないし、

立っても座っても寝ても

身体の持っていき場がないような、

なんとも不自由なものです。

 

でも御陰様で、

ずいぶんと軽くなりました。

若き町の技師に感謝  

 

 

 

 

 

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つるっと冷やして水羊羹 !

2014-08-25 20:26:20 | 漢字

「つるっと冷やして水羊羹」

なんとも、夏においし、

食べたくなるキャッチコピーです。

気になったのが、

「羊羹」 という字、

あの美味しい羊羹が、

ひつじへん、の字なのです。

羊は、ひつじの頭と角の形

からできた字です。

この字はめでたい意味の「祥」

に通じるところから、羊や善美

に関する字に用いられる。

漢和辞典では 「羊羹」

の本来の意味は

羊肉のあつもの。羊肉のスープ。

ということです。

 

、には

ぐつぐつ煮る、まぜる、の意味があり、

野菜や肉を混ぜて煮た吸い物、

ということです。

ねっとりとした汁物。

この料理が精進料理として

肉が使えなかったことから、

代わりに小豆を使った。

そして、ねっとり固めたことから

今の羊羹が誕生したのでしょう。

 

羊も、羹も、

どちらもひつじへんの字、

美人の美もひつじへん

羞恥心の羞もひつじへん、

お経に出てくる

羯磨(かつま)の羯もひつじへん、

六波羅蜜の忍辱波羅蜜の音写は

羼提波羅蜜(せんだいはらみつ)

という字も尸の中に

羊が三匹、騒がしく錯乱している

という意味ですが、

お経のなかでは羼(せん)という音だけを

借りているようです。

 

当たり前に使う文字でも

注意してみると面白いものです。

 

 

 

 

 

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