本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

京都の宿より

2007-06-30 23:36:14 | 住職の活動日記
 京都ではいつもお世話になる宿です。

今回は空いてたのでしょう、そのせいか、

  『 いいお部屋を、準備させて頂きました。 』

 その部屋から見た、『 京都タワー 』 です。

目の前に見える、このロケーションは迫力ものでした。

 こんな部屋はまたとないでしょう。

そこで、記念写真を ( パチリ ) という次第です。
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プチ京都観光

2007-06-30 23:21:15 | 住職の活動日記
 用件もはやく終わり、少し京都観光と、

比叡山延暦寺根本中堂にお参りしてきました。

 観光気分で京都の町を久しぶりに通りました。

やはり、京都はいいですね!  (住んでる時はそう思わなかったのですが)

南禅寺、岡崎、永観堂、蹴上げを横目に、別当町より比叡山へ

 何十年かぶりの根本中堂はとても素晴らしかったです。

宝物館で 『 天台法華学生式 』

  『 一隅を照らす これ即ち国宝なり 』

 の文句で有名な、そのものを拝見しました。 (複製品でしたが)

言葉はよく、聞いておりましたが、

伝教大師最澄の文字にまじかに見ることが出来ましたのは

何よりの感動でした。
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京都にいます

2007-06-30 07:54:46 | 住職の活動日記
 急な用事で京都へ、

 用事の前に師匠に、ご挨拶へ参りました。

少し前、こけて、腰を打たれた様子で、

 そのせいか、なんか、少し小さくなられたようでした。

それでも、毎日幼稚園に行かれて、子どもと遊ぶのが

 なによりの楽しみだそうです。

今、95歳 

『 100まで、もうすぐやな ! 』 とおっしゃってました。

どうも、師匠 120歳が目標みたいです。

『 将来のことは、思いわずらうな、今を一生懸命やりなさい 』

 この言葉頂いただけでも、なんか肩の荷が下りたような

ちょっと、ほっとした気分になりました。


 本当に、師匠の生き様は、お会いするだけで、

元気をいただけます。
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この蒸し暑さは !!

2007-06-29 00:11:17 | 住職の活動日記
 今日の蒸し暑さはなんだろう。

 じっとしていても、汗が滴り落ちる。

 今日は28日お不動さまのお護摩の日です。

 準備のときはティーシャツ一枚なのですが、それでも汗が出る。

 帯を締めなおして、ヨッシ! 気合を入れる。

 シャツ、襦袢、白衣、木綿の衣、その上にお袈裟をつける。

 そしてお不動さまの火と対峙する。

 腹を決めて、お護摩を焚くと、暑さを忘れてしまいます。

 噴出してくる汗、

 お参りのときは、(私は)汗を拭きません。

 汗を拭きだすと、なおさら暑くなるのです。

 出るがまま、護摩を焚いておりますと、暑いという感覚がなくなってきます。

 しかし、汗が目に入ってくるのは、これが一番大変なんです。

 眼がしみて、とても痛いのです。

 仏具が触れないほど熱くなります。


 終わった後の方がなんか暑く感じます。

 でも、暑い時のお護摩が気合が入って、集中できるし、いいですよ!


 『 心頭滅却すれば 火もまた涼し 』 ? というところでしょうか。
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省エネ電球発見

2007-06-27 18:40:37 | 住職の活動日記
 インターネットで省エネ電球を取り寄せました。

先ず見本として何種類か注文、今日届きました。

早速付け替えてみました。(電球器具に使えるのです)

 30ワットの明るさで、消費電力 なんと 5ワット

 40ワットの明るさで          7ワット

 60ワットで          なんと 13ワットです。

 ここまでの、省エネ電球はないように思います。


 『 キャンボール 』 という名前です。

 一度お試しあれ !!
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一大事(いちだいじ)

2007-06-27 18:29:53 | 住職の活動日記
 今日、池の濾過器の掃除をしました。

池の水は、ここ数年替えたことがありません。水道の水をポタポタ落としています。

水がよかったのか、金魚君たちはとても元気でとても立派です。


 濾過器のフィルターを洗ってましたら、初めは真っ黒だったんですが、だんだん

綺麗になっていくうちに、フィルターに、全長5ミリほどの赤いミミズのようなものが

たくさんいるではありませんか。  なんだろう?

バケツの底にもたくさん残ってました。池に返すと、残念!ながら、

金魚君たちにはおいしいご馳走だったようです。

 フィルターを洗った水を庭木にやってましたが、ミミズは死んでしまいます。

どうしよう、と思いつつ、

 掃除もそこそこに、濾過器を池に戻そう。


 本蔵院の池も小さな自然の生態系が出来ていたのです。

あの、ミミズ君たちもどっからどうやって来たのだろう。

 よく見れば、身近な周りに『 無量無数 』 の命があることを実感しました。
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懺悔

2007-06-27 00:19:20 | 住職の活動日記
     懺悔
 
 普通は 『 ざんげ 』 と読みます。

 お経の中に出てくると 『 さんげ 』 と読みます。濁らないのです。

 やはり意味があるのです。( さ )でも ( ざ ) 変わらないように思うのです

が、仏教では深くとらえているようです。


 昔、勉強会で、『 真の仏弟子 』 ということで、討論しました。

自分は仏弟子といえるのか? 仏の弟子、と言えるほど、立派なもんではないだろう。

この問題は、今でも、ふう~っと、頭のどこかにあるのです。

 自問自答することがあります。


 懺悔(ざんげ)と普通に読んだ場合、それは自己反省して今までの罪を悔い改める。

そういうことになります。それは道徳の範囲なのです。


 自分を振り返った時、一応は衣着て坊主の格好はしているものの、

よくみれば、自分は逆に仏に背いて生きているのではないか?

自分は仏弟子なんかとてもに値しない、と自分で思うのです。

しかし、これが、仏の側から見れば、仏はそういう自分でも、仏弟子とされる。

そこに転回があるのですが、 ( 転回というか飛躍というか実感として )

  それは 『 もったいないことです 』、となると、

それが、懺悔 ( さんげ ) となるのです。


 ( ここのところは理解しずらいと思います。 )

 ( 偽りの仏弟子が懺悔したら、真の仏弟子になるのではないのです )

 ( 偽りのままが、真の仏弟子として迎え入れられる )

 ( そこに、反省ではない、かたじけなくもと、身を投げ出す、というか

   そういう転回があると思います。 )


 人間が人間で自己を反省するような反省ではない。自己反省ぐらいではおっつかない、

そういう意味で、懺悔を ( ざんげ ) と濁らないで、( さんげ ) と読み、

道徳的意味合いと、宗教的意味合いを、区別しているのです。


 『 真の仏弟子 』 『 懺悔 』 この言葉も重い問題です。

 また読み返して、この言葉が復活してきたのですが、昔から、悩んでたことです。

    「 変わらんな~ 」 

  この年になってもまだ、二十歳代の問題を引きずっているのです。

 ここのところ、なんか、重い問題が頭の中にデーンとかまえているのです。



 
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今週の言葉6/25~7/1

2007-06-25 15:41:15 | 住職の活動日記
 『 一大事と申すは今日、只今の心なり
             それをおろそかにして翌日あることなし 』

                道鏡慧端(どうきょう えたん)・ 『 一日暮 』

 道鏡慧端という方は、武士の真田信幸の子として生まれ、江戸に出て、
 
至道無難(しどう ぶなん)のもとで出家し、後に信州飯山に隠棲した禅僧です。


 名前も難しいが、言葉も厳しい。真剣に読めば、刀をす~っと、正面に振り下ろされた

感じです。


 不思議なもので、いろいろブログ書いたり、勉強してる時にこの言葉に頷いたんです。

よしよし、これを今週の言葉にしようと、決めてまして、

 昨日、テレビ見ながら、あの言葉は 「 確かこの本にあったはず 」 と思い、

探しましたが、出てこないんです。  エエーなんで-!


 部屋に戻って、もう一度心落ち着けて読み返したら、すぐに見つかったんです。

こころ、散乱して、パラパラッと見ても、本当の言葉は姿を見せないのですね。


 真剣勝負の言葉は、こちらも真剣に読まないと、見えないものです。

             肝に命じます!!
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アゲハの幼虫発見

2007-06-24 23:52:16 | 住職の活動日記
 昨年、間違って山椒(さんしょ)の小さな木を切ってしまいました。

いつも山椒の木には、アゲハの幼虫が来ます。

今年は山椒は出ないだろうと諦めてました。ところが、

命は強いものです。小さな芽を出し、段々大きくなってきました。

 時期も遅かったし、アゲハは今年はつかない、と思ってましたが、

どこから、どうして、やって来たのでしょう。

 ちゃんと、山椒の芽が出ると、アゲハの幼虫もやってきました。

ほんとに不思議です。


 仏教では、命のあり方を、四つに分けて考えます。

「 胎・卵・湿・化 」(たい・らん・しっ・け)

 胎生-これはお腹から生まれる、人間とか動物でしょう。

 卵生-卵から生まれる生き物。

 湿生-虫とか蚊とか、どこからともなくわいて出るような生き物、

  (今日のアゲハ君も湿生ですね)

 化生-突然出てくる、人間では計り知れない生きもの (ここはちょっと難しい)


 仏教の生きものに対する、考え方、分け方も、おもしろいですね。


 湿生のアゲハ君、今後の成長を見守りたいと思います。

 ( しかし、世の中、虫が嫌いな人が結構多いので、
 
    アゲハの幼虫君のことは、内緒です、読まれても絶対口外しないで下さい )

                                               
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出家 (しゅっけ)

2007-06-22 22:51:26 | 住職の活動日記
 今日久しぶりに、ゆっくりと昼から夕方まで話しました。

たまに訪ねてこられる、同じお坊さんです。

 私は自分が坊さんなのであまり坊さんが好きではありません。

この方は、いつも新鮮な問いを持ってこられるので、話が弾みます。

 気になった言葉で、最近、『 保坂尚輝さん 』 という方でしたか、

熊本のお寺で得度されたとか、話題になりました。そのとき 『 在家出家 』

とか 『 出家在家 』 とかおっしゃってました。

 こういう言葉もいつ出来たのでしょう。 『 除霊 』 という言葉も、今までなかっ

た言葉です。勝手な宗教言葉が氾濫してるようです。


 『 出家 』 は 『 家出 』 とは違います。 字は似てます。行動も同じです。

家を出ることには違いないのですから。では、何がどう違うのでしょうか?

  考えてみてください!


 一つのヒントとして、

『 家出 』 は 『 不安になる 』     家を出て、生活どうしようかと。

『 出家 』 は 『 不安に立つ 』

 不安になる、不安に立つ、なんか似てます。不安に立つ、チョッと聞きなれない言葉で

す。不安になんかに立てるか、と思われるでしょう。 
                   

 ありがとう、という言葉も お経には

    『 やがて死すべきものの 今いのちあるは有り難し 』

有ること自体が貴重なのだ、というんですね。


 保坂さんもたぶん、得度の時、白い着物を着られたはずです。これは死を覚悟する、

ということです。死を背中に背負って立つ。死を自覚して生きる。

だから、のんきに生きてますが、不安に立つ、という生き方が事実を認識した生き方にな

ると思います。

 そんなこと考えたら、とても明日から生きていけません。

 まあ~、自分だけは大丈夫、と思って…、 なんとかごまかして、見ないように

一日を過ごします。 

   (人間は事実と、事実が大事と、よく言いますが、

     本当は事実は見れないし、見たくないものなのですね。)


 出家、という、不安を認識して、不安という立場に、しっかと立つ、

この方が、人間として、正直な生き方と思いませんか。

    『 不安に立つ 』
 
  これが、私の一生のテーマです。
 
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