本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

十地経

2015-08-28 12:58:02 | 十地経

帰ってみると、大蔵経が広げてある。

 

 

おもいがけなくも、

崇正住職も十地経の講義を読み進めるうち

その原本が知りたくなった、

ということで、大正大蔵経を調べていたとのこと、

 

先月帰った折、

大蔵経のなかから「華厳部」のところ

開けてみると丁度、「十地経」があったので

そこをコピーして、

今書き写している最中なのですが、

 

崇正住職が調べていると

翻訳にもいろいろあって、

どの翻訳を安田先生は使われて

いるのだろうと??

 

    

 

目次をみると、

いろいろな方の翻訳が出ています。

 

私は何気なく、出てきたところを

書き写していたのですが

言われてみると、

確かに、何種類かの翻訳が載っているのです。

 

経典も面白いもので

中国の方がインドへ行って

サンスクリットから中国語へ翻訳した

経典もあれば、

インドの方が中国へ来て訳された

経典もあるのです。

 

十地経はどうも後者のようで

インドの方の翻訳ということで

どうもしっくりこないところもあるようです。

 

やはり、三蔵法師・玄奘三蔵が

翻訳された経典が一番読みやすいようです。

そこには、個人が訳したということではなく、

翻訳のプロジェクトチームを組んで

作業されたところに

素晴らしい読みやすいお経になったのでしょう。

 

崇正住職が言われるように

私の書き写している十地経は

たとえば、

「三昧」という言葉が「三摩地」と

翻訳されているのです。

比べてみると、

言葉使いが少しずつ違っています。

 

まああ、それも面白いもので

また、別な翻訳を書き写してみる

という楽しみも出てきました。

 

読書百遍ということもありますから、

翻訳の違う経典を書き写し

比べてみるのも面白いと

思います。

 

やりだすと次々と

やってみたいことが出てくるのも

愉しみが増えてくるものです。

不思議なもので、

今までは経典といえば漢字の羅列

にしか見えませんでしたが、

こうやって書き写し

経典のなかに身を浸す、

すると、文字が飛び込んでくる

というか、分からないけど

飽きない、退屈しない

そういう一面も見えて来ました。

 

「愉しみながらゆっくりと」

です。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏炉冬扇

2015-08-26 21:23:19 | 漢字

「夏炉冬扇」

夏の火鉢に冬のうちわ、

時期に合わない無用なものの

譬えです。

 

何気なく

「夏」という字を引いてみると、

すいにょうという部に入り、

もとは舞の名前、

その舞が夏に行われたところから

季節の名前になったようです。

面白いことに、

このすいにょうという部には

3つしか字がないのですが

その一つに、という字があります。

キと読み、「もののけ」という意味

角があり一本足で、面・手・足は

人に似た怪物とあります。

「ものけ姫」という映画がありましたが、

もののけという漢字があるのは驚きです。

 

夏炉冬扇と同じような意味で

「臘扇」という言葉があります。

臘とは12月の別名で、

臘扇とは12月のうちわということで

やはり、無用のものという意味です。

 

明治の宗教家に「清沢満之」という

この方の命日を「臘扇忌」といいます。

自己否定に徹したところから

こういう名前を付けられたのでしょう。

戦後になって司馬遼太郎さんから

高い評価を受けて一躍

有名になった方です。

 

それまでの仏教に対して、

特に明治以後においては

ヨーロッパという長い伝統を持った

思想との対決ということで、

そういう対決を通して

仏教を明らかにしていこうという

意識が高まったのです。

 

清沢満之という方は英語にも堪能で、

仏教を西洋哲学という観点からも

見直されていった方です。

そして、

夏目漱石や正岡子規にも

多大な影響を与えた方です。

 

夏炉冬扇

今の私にとっては

何かしらとてもぴったりする

言葉です。

ということもあって、

この言葉が気になったと思います。

しかし、調べてみると

いろいろ尽きないほどの興味が

次々と湧いてくるものです。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北海道は抜けるような青空!!

2015-08-26 14:09:31 | 住職の活動日記

台風一過、宇治の地も

青空が広がってきました。

でも、昨夕からは雨風も強く

台風の余波の影響を受けて

少しばかり心配しました。

 

北海道では台風の影響もなく

すっかとした青空が広がったのでしょう。

 

   

 

支笏湖からのメールが届きました。

 

   

 

なるほど綺麗な青空が広がっています。

そして、花のたよりも

 

   

 

もう「ななかまど」も

色ずきはじめているようです。

まだ残るアジサイ

 

    

 

これは「柏葉アジサイ」でしょうか?

初夏と初秋が同居しているような、

 

    

 

不思議な季節感のようです。

 

そういえば先日の北海道旅行パンフ

9月が一番高くて10月下旬が

一番安かったようです。

北海道では9月に紅葉が始まり

そこに雪がちらつくという

なんとも絶妙な景色ではないでしょうか。

 

   

 

これは「おみなえし」ですかね?

 

    

 

そしてガマの穂も青空をバックに

美しい形を見せています。

 

 

      

 

北海道ならでは

まだアジサイも残っているのですね。

 

秋の北海道も一度は行ってみたい

紅葉もまた素晴らしいのでしょう。

 

いつもながら

北海道の美しい青空と

綺麗な花々の写真有り難うございました。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四条烏丸

2015-08-25 17:37:24 | 住職の活動日記

四条烏丸より祇園に向かって

四条通は片側1車線になりました。

 

     

 

急用でちょっとだけ出かけたのですが

1車線の工事も終わったようで

歩道が広くなり、

歩く方にはとても便利になりました。

 

しかし、反対意見も多いようで

賛否両論です。

車で来る方には不便になったと、

1車線でバスも通るしタクシーも

混雑するのは当然です。

 

今までの様子を見ていると

結構、路上駐車も多く

片側2車線あったものの

1車線は路上駐車の車で占められ

実際のところ1車線状態でした。

 

写真のバスは207番

祇園まで行き、そこから東大路を南下

そして九条通りを東寺まで行きます。

昔はよく利用したバスです。

 

写真では2車線ありますが

ここは左折する車線、

その後ろにタクシー用の駐車スペースが

数台止まれるほど確保してあります。

 

ちょっと走ってみましたが

休日ではなかった点もありますが

さほどの混雑はなく、

以前の方がもっと渋滞していた様子、

気持ちよく走れました。

 

門川市長さんの思い切った決断

よかったのではないでしょうか。

 

また時間を見つけて、

ゆっくり四条ぶらりをしてみたいと

思っています。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地蔵盆

2015-08-24 20:58:06 | 住職の活動日記

24日はお地蔵さまの日、

8月24日は地蔵盆で、

子どもたちにとって夏休み

最後の楽しい行事です。

地蔵盆が終わるといよいよ

学校が始まります。

 

最近では地蔵盆というより

夏祭りとして、その前後の日曜日とかに

行われるところも多いようです。

 

祠からお出ましになったお地蔵さま

顔は白塗りされお化粧が施され

よだれかけも新調され

年に一回美しい姿に、

 

子どもたちを静かに見守り

子どもたちの安全を祈っておられるのです。

しかし、

近年は子供たちの悲惨な事件があり

心が痛みます。

 

 

     

 

 

賑やかだったわが家も

静かになってきます。

お盆で実家に帰りゆっくり過ごした

楽しい時間もあっという間に終わります。

 

子どもというもの

一人でいるときはさほど

うるさくはないのですが、

 

    

 

集まってくると

2倍にも3倍にも賑やかになります。

 

賽の河原で遊ぶ子供たち

鬼にいじめられて

泣き叫び逃げ惑う子供を

やさしく衣のなかに入れて

守ってくれるのがお地蔵さま

そして、

次の仏さま(弥勒菩薩)が

お見えるまでの無仏の時を

辻辻に立って見守っていただくのも

お地蔵さまのハタラキです。

 

錫杖と宝珠を持ち

頭は剃髪して優しいまなざしで

大地の蔵のような

大きなお母さんのような働きをするのも

お地蔵さまです。

 

やはり私たちに身近な仏でしょう、

「とげぬき地蔵」や「日限の地蔵」

などなど、私たちの一番の相談相手

のような仏さまだったのです。

 

辻辻で見守ってくださってる

お地蔵さまに

そっと手を合わせてみる

何かしらの心の安らぎを

覚えるものです。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「義」という字

2015-08-23 21:43:30 | 漢字

「義」 羊へんの字です。

羊に我と書いて義が出来ています。

美しい舞の姿から、美しい礼をする、

そこから、

正しいみちすじ、

公のためにする心がけ、

という意味になってきたようです。

 

十地経のなかに

繰り返し「義」という字が出てきます。

たとえば、

「善思義三昧」とか

「分別義蔵三昧」 「擇一切義三昧」

「種種義蔵世間涅槃門菩薩三昧」

などなど、

三昧といってもいろいろな種類の

三昧があるのです。

そこに一つずつ「義」

が入っています。

 

最近、特に気になることがあります。

いろいろな問題が起こるのに

だれも責任を足らないような気がするのです。

第三者委員会とか作って

だれの責任かをぼやかしてしまう。

 

「怒りは敵と思え」

という言葉もありますが、

「義憤」ということもあります。

私(わたくし)的ないかりでなく、

正義ということに立った怒りも

あるのではないかと思います。

 

義という言葉も幅広く使われ、

任侠の世界ではないですけど

「義理がすたればこの世は闇よ」

という歌もあります。

また、

「赤穂義士」というふうにも使われ、

戦争の方面では

ある種間違った使われ方もしたようです。

 

仏教では、

「義」はサンスクリットのアルタarthaの

訳になり、

意味、道理、意義、

正しい伝統の教えを正義(しょうぎ)

そうでないものを不正義、邪義

といいます。

「了義経」というお経は

究極の道理を現しているという

意味で了義というようです。

ですから、

経典では「義」という字は

とても大切な意味があります。

 

マザーテレサは

「愛の反対は無関心」

とおっしゃっています。

この無責任な世の中に

注意深く関心を持って見つめていく

それが愛であり

責任ということの一つの取り方

取り返しのつかないことをしてしまって

責任をとれと言われても

取れるはずはありません。

ただ責任感を感じ取る。

その責任感をどう受け止めるか

そのことも一つの責任の

取り方ではないかと思います。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『霊がふるふる受けとめよ』

2015-08-22 21:43:11 | 住職の活動日記

梅原猛先生、卒寿の時の言葉です。

 

    

 

作品は96センチ42センチの

大きなものですが、

これは長3の封筒の大きさです。

 

「霊」という言葉、

最近ではあまり良い意味では

使われないようです。

心霊写真とか除霊するとか、

霊という言葉自体が祟りを表すような

ニュアンスで使われるようです。

 

辞書を見てみると、

古い書体では、 靈 と、

雨の下に口が三つその下に巫

と書きます。

雨は農業に最も大切な恵みであった

そこから雨を神の力と表し、

その神の力を多くの口が受けとめる

ということが本来の意味のようです。

そこに神のことを司る巫女を加えて

この字が出来上がった。

 

古くは神聖な意味合いで使いました。

峰富士を仰ぎみて、とか

八十八ヶ所場とか

人間は長類の頂点である、

鈴木大拙先生は「日本人の性」

という題で本を書いておられます。

 

梅原猛先生は

「霊がふるふる受けとめよ」とは

どういう意味で使われたのでしょう。

 

今の私たちは悲しいかな

二元論に毒されて、

あるかないか

あるものは目に見えるし

目に見えないものはない、

というどちらかにしか受け取れない

という感覚になってしまいました。

 

目には見えないけれどいらっしゃる

という、昔の日本人が持ち合わせた

大切な心を見失ったようです。

 

「仏は常にいませども

 現(うつつ)ならぬぞあわれなる

 人の音せぬ暁に

 ほのかに 夢に見えたもう」

 

と、梁塵秘抄には

仏さまの存在を表しています。

 

目には見えないけれど

感じとり受けとめる力を

昔の人は持っていたのでしょう。

 

人間の心も霊性ですが、

それ以外にも、

物質的なものにも

霊性を感じ取る能力を

持っていたのが私達でしょう。

 

お盆も終り、もう来月はお彼岸

有縁無縁のご先祖さま

目には見えないけれど

そこここに帰って見えられたのです。

 

本当に「霊がふるふる」

ということでしょう。

受けとめよとは、

私たちの心を研ぎ澄ませ

ということでしょうか?

確かに、目に見えないものを

粗末にしてきました。

そこに今の私たちの欠点も

あるようですが、

 

しかし、「こころ・心」といっても

仏教は

「物質を尊敬するというのが

本当の精神です。」

といいています。

心を大切にするとは

物を大切にすることです。

 

使い捨てといって

物を粗末にしていたことが

知らず知らずのうちに

心までなくしていったのでしょう。

 

お釈迦さまのお弟子さんに

物を大切にする、ということで

衣も捨てないで継ぎ接ぎして

着ておったのですが

終いに継ぎ接ぎがたくさんになり

衣というより大きな塊のように

見かねて、お釈迦さまも

何もそこまで大切にしなくてもよい

と諌めたという話も残っています。

 

物とこころ

切り離せないところに

大切な意味があるようです。

 

そんなことを考えながら

梅原猛先生の

「霊がふるふる受けとめよ」

ということを考え直して

いたのですが …  ?!

 

なにかしら考えてみるのも

面白いのでは  !!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ママジャリ』 ?

2015-08-20 20:18:36 | 住職の活動日記

「ママチャリ」ではありません、

また、『ママジャリ』という言葉もありません。

勝手に作った言葉なのですが、…?

 

「ママ」+「アジャリ」さんの造語です。

 

アジャリさんといえば「阿闍梨」と書きますが、

京都には『阿闍梨餅』という銘菓もあり、

比叡山の千日回峰行をする

「阿闍梨さま」の笠を形に似せた

とても美味しいお菓子です。

 

また、「阿闍梨」といえば

一つの官職にもなっています。

天皇陛下のお衣ご祈祷する

『御七日御修法』の導師を

「大阿闍梨」といいます。

 

阿闍梨とはインドの言葉で

アーチャーリヤを音写したもので

もともとの意味は「行者」といい、

行を行う人、

修行している人を指したのです。

だからとても幅広い言葉でした。

 

念仏を唱える人を「念仏行者」のように

真言宗・天台宗とかに限った言葉

ではなく、

広く仏道修行する人を「阿闍梨さま」

「行者さん」と呼んだのです。

 

行といってもいろいろありますが、

究極は「止観」の行を指します。

止と観とを兼ね備える行、

止と観という二つの行ですから

「双行」(そうぎょう)といいます。

 

建仁寺の「風神雷神図」は

この止観ということを表現している

ということです。

風神は勢いよく動いている

慈悲の眼で人々を救おうと、

よく見ているということで「観」

雷神は踏み止まって、

坐禅をしているのでしょう。

だから「止」をあらわしてる。

と見ることが出来ます。

 

だから「止観」ということを

もっと具体的に表すと、

『ものそのものになって見る』

ということでしょう。

 

なぜ、「ママジャリ」と、??

お母さんの子育てを見ていたら

まさに「止観の行」が備わって

いるように見えたからです。

 

自分の殻に閉じこもっていたら

赤ちゃんの声は聞こえません。

自分を無にして、

赤ちゃんそのものになりきらなければ

赤ちゃんの声は聞こえないと思うのです。

 

聞く耳ができるということは

自分を無にして

ものそのものになる、

仏師が木のなかに仏を見出す

ことと同じだと思います。

仏が自分を呼んでいる、

このように彫り出せと、

という声がきこえるのでしょう。

 

お母さんが慈母観音に

譬えられるのは

他を持って自となす、

というように自分を抜きにして

他そのものになれるからです。

 

「己を滅し他を利するは

慈悲の極みなり」

 

と伝教大師の言葉ですが、

そこにこそ、

真の阿闍梨としての

行があるように思うのです。

 

だから、ある時期においては

お母さんは観音さまにもなる

そこには自ずから「止観の行」が

備わってくる。

知らず知らずのうちに

母親というものは

「止観の行」を行じている。

 

であればこそ、

母親は阿闍梨さんではないかと、

というようなわけで、

私にとって、

「ママジャリ」という言葉が浮かんだのです。

 

人は誰しも

己を無にして他のために

つくせたなら、

それこそ誰でも阿闍梨さんでしょう。

また、

阿闍梨さんにならなければ

何ごともできないと思うのです。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百日紅

2015-08-19 17:38:06 | 住職の活動日記

「さるすべり」の別名を

『百日紅』(ひゃくじっこう)ともいいます。

開花の時期が夏から初秋までと

非常に長く、百日ほど咲いている

ところから名づけられたようです。

 

    

 

少し足をのばすと

いたるところに見かけることが出来ます。

夏の暑い盛り、

赤というかピンクに近い色が

目を楽しませてくれます。

 

    

 

京都のお寺にもよく植えられています。

当院にもあったのですが、

「テッポウムシ」が入って、

幹を一周してしまい枯れてしまいました。

 

    

 

 

木の肌はつるつるなのに

知らぬ間に虫が住みついたのです。

猿も滑るところから

この名前が付いたようです。

 

     

     

 

 

よく見ると花の形も不思議です。

黄色の花芯を中心に花びらが

分かれて咲いている。

隣りの小さなつぼみのようなものは

次に花開く蕾でしょうか。

 

苔づける百日紅や秋どなり

 

と、夏目漱石も詠んでいますが、

ここ最近朝夕はめっきり

涼しくなりました。

 

 

     

 

昨夜も23度と

外の方が涼しいくらい、

秋が早いのかもしれません?

 

でも、もうしばらくは「さるすべり」も

楽しめそうです。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヤンジー !?

2015-08-18 21:19:30 | 住職の活動日記

「ヤンジ―」 

最近、こういう言葉があるようです。

『やんちゃな爺さん』を略して、

世代的には丁度

私たちの世代でしょうか。

団塊の世代、

物のない時代に育って、

今は子育ても終り、定年を迎えて

それで昔出来なかったことに

挑戦しようと!!

 

大型バイクを乗り回したり、

サーフィンに挑戦したり、

女子会を開いてワインを振る舞ったりと

まあ、そういうやんちゃなじいさまが

増えているとか??

 

「不良老人の勧め」

というような企画もあるようで、

 

「無印良品」という品もあるようですが、

こちらは「無印不良老人」です。

一切の肩書を離れ、

無印になって、好きなことして、

正に不良老人です。

 

昔は、

「一銭の徳にならんことをして!!」

と叱られたものですが、

今は叱る人もなく、

時に任せて、好きなことをできる

幸せをかみしめています。

 

本当に人が見たらバカみたいな

一銭の徳にならんことにはまっています。

 

まあ、書き写すというか、

写経です。

写経といっても大層なものでなく、

紙と鉛筆です。

 

十地経の講義を書き写し

分からない言葉を調べ、

それにも飽き足らず、

原点の経典を書き写し、

大蔵経と同じ行数で、

一行も同じ文字数で書き写し、

今また、同時進行ですが、

原稿用紙を買って来て、

経典には句読点があるのですが、

その句読点で切って、

書き写しています。

 

意味も解らないのですが、

講義を聞いてるだけが

聞き覚えのある言葉が出てきて

何かしら身近に感じ、

今日新しい発見があったのですが、

句読点で句切って書いてみると

経典のリズムというか、

心地よい響きみたいなものが伝わってきます。

 

やはり翻訳された方のご苦労でしょう

同じ言葉があえて省略せずに

繰り返し出てくることが

経典にリズミカルな動きを

生み出しているのです。

 

漢字の羅列で、

一見退屈そうな感じにもみえますが

さっきも言いましたがリズムがある

というところが何かしら筆が進むのです。

 

まずは、1センチ角の方眼用紙に

正確に書き写し、

それを今度は句読点で句切り

原稿用紙に書き写し、

それを現本にしてコピーして

分からない言葉を調べ、

読み方とかをふり仮名ふって

同時に講義録と読み比べしていく、

と考えると、なかなか忙しい!!!

 

と同時に、孫たちとは

「ヤンジー」を発揮 

周りからは顰蹙かうも

根が幼いものですから、

おかまいなしにやんちゃしています。

 

不良老人      ですよ 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする