本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

ロシアワールドカップ出場おめでとう!!

2017-08-31 21:43:13 | 住職の活動日記

宿敵・オーストラリアを降して

ロシアワールドカップ出場を決めました。

今まで勝ったことのない相手

ハラハラドキドキでの応援です。

 

 本当におめでとうございます 

 

前半、浅野選手が決めてくれました

 

 

後半には井手口選手が決めて

勝負を決定的なものにしました。

若い選手が大活躍です。

 

 

ちょっと照れながらのインタビュー

よくぞ決めてくれました!

 

 

皆抱き合っての喜びです。

 

おめでとう !!

 

しかし次はサウジ戦

40度の所での試合のようです

どうぞまた、

頑張ってほしいと思います

 

よかった  よかった

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美しき誤解!

2017-08-30 21:43:35 | 住職の活動日記

人と人とのつながりも

本当に理解しあっているという

場合もありますが、

お互いが自分の良いように理解して

関係を保っているということも

あるのではないでしょうか?

 

私たちにとっても

それぞれのお祖師様のことを

本当に理解して信じている

ということは少ないように思います

「お大師様はすごい方」

「立派な方」と褒めちぎっても

何も、

お祖師様は喜ばれるわけではなく

かって、迷惑されているのでは?

 

人を褒めるということも

自分より上の方、師匠とか

から認められるのは

有り難く自信が付くのですが

下の人というか弟子から

立派ですねと言われても

失礼な話です。

 

自分のことを理解できる方が

言われるのであれば

もっともなことかもしれませんが

理解できるキャパを持たない

人から言われても

自分の何が解るのか、

と言われそうです。

 

私たちもそれぞれの宗派の

祖師方を祀っていますが

はたして、??

一歩間違えば利用している

ともいえるのではないかと思います

反面的にいえば

美しき誤解によって

それぞれの宗派集団は

成り立っているのかもしれません。

 

勿論、祖師方は私たちの煩悩は

先刻ご承知、

そのことを知った上で

あえて目をつぶっておられるのかも

しれません。

 

私たちの人間関係にしても

お互い分かったつもり

という誤解がいいのかもしれません

そこでうまいこと

人間関係が成り立っているのでしょう

本当の自分の姿がわかったら

一番驚くのは自分自身でしょう

私たちは本当の自分の姿を

知らないから、

平気な顔して生きておれるのです。

 

長いこと付き合っていても

解らないことは沢山あります

たまたま、何かの条件が揃い

あゝこういう一面もあったのかと

再認識すことがあります

そういうことも新たな出会いでしょう

そのことからすれば

人は同じ人といても新たな出会いを

常に経験するはずです。

 

百八の煩悩があるということは

それだけたくさんの心の姿を

持っているということです。

解り合えた

ということは

心のある部分の一点が

ふれあったということでしょう

そのことからして全人格が

わかったというから

大きな誤解が生まれてきます

あんな人とは思わんだと!

一点だけを見て

こうだと決めつける所に

誤解が生まれてくるのでしょう。

 

お祖師様からは

本当にわかっているのか、と

叱咤の声が聞こえそうです。

弘法大師も親鸞聖人も

お釈迦様のお心に触れらたからこそ

宗派を開かれたのでしょう。

お釈迦さまの心を頂いて

今の時代にどのように表現したら

いいかと悩まれた結果が

一つの宗派ということになったと

思うのです。

 

私たちも美しき誤解をしているから

救われているのかもしれません。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広島名物「あなごめし」

2017-08-29 19:04:42 | 住職の活動日記

12時36分さくら554号

滑るように熊本を出発

 

 

666mの金峰山(きんぼうざん)を

左手に見て、

今日はとても美しい姿に見えます。

一路、新大阪へ

 

2時半ごろ広島到着

今か今かと待つことしばし

ワゴンがやって来て

「ご注文のあなごめしです」

 

 

やはり広島のあなご飯は絶品です

3日ほど前までに電話で注文しておくと

乗っている列車の座席まで

届けてくれるというシステムです。

 

家内がこの方法を見つけてくれて

以前にも注文したことがあり

今回も、

舌をなが~あくして待っておりました

 

 

立派な煮あなごが二匹

夫婦(めおと)あなごめしという

ことなんですね!

 

 

付いているたれをかけて

「いただきま~す」

 

遅めの昼食というか

私にとっては早めの夕食

ということになります。

 

やはり、絶品です!!

 

舌鼓を打ちながら

頂いているうちに列車は岡山

そうこうしているうちに

新大阪です。

 

新大阪でも待ち合わせは5分

早くから出口に陣取り

ドアが開けが一番先に走り出て

京都へ行くこだまのいる25番ホームへ

駆け上がり、

まあ、ちょっとの余裕で間に合い

ちょっとほろ酔い気分も覚め

 

新幹線のホームを出ると

すぐ目の前がJR奈良線のホーム

ゆっくり揺られながら

無事到着という次第です。

 

今回も心の通い合う友と

話しも出来て

有り難い時間を頂きました。

また、わかっているつもりの人とも

あらためて話すことができ

新たな発見もあるものです。

 

世間に流されすぎてもいけないし

また、孤高の人のように

無の境地に入ってもいけない

やはり、世間という「有」(う)の

世界が自分の立ち位置を

思い知らせてくれるようです。

さとりという世界と

迷いという世界が

舷舷相磨しているようで

さとりと迷い

世間と出世間どちらかが大きくて

どちらかが小さいというものでは

ないようです。

人間の迷いが深いからこそ

仏のさとりも大きく深いのでしょう

ぶつかりあいどっちも磨き合う

そういう関係のようです。

 

そういうことも肌で感じたことは

大きな収穫だったような気がします

なかなか、

出会ったようで(気分で)

人と人との出会いは

ないようなきがします。

 

求めていれば

何かのちょっとしたきっかけで

縁が熟し

また出会いということがあるようです。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八月のお不動さま

2017-08-28 10:28:15 | 住職の活動日記

今日も暑くなりそうです!

空は見事に晴れ上がっています。

一番暑くなる1時からのお護摩です。

 

それまで、

庭の様子はというと

ちょっと気になったのが

 

 

この草花、

先月は気がつかなかった、

どこから飛んできたのか

はたまた、

鳥が種をくわえてきたのか?

もう、ここが我が家とばかり

根を下ろし始めています。

 

というと何でも気になりだして

 

 

この根の形も面白い、と

興味も湧き出すと

見るもの全てが不思議に思えてきます

 

 

この柘植(つげ)の木も

最小は良い形をしていたのですが

次第に上の方の枝から枯れだして

丸い形が失われて

今はなんとも

好き勝手に枝を伸ばしている

 

 

柘植は次第に枯れていくとも

聞いた事があります

そのせいでしょうか

その隣には次の命を飛ばしています

そしてまたその隣には

 

 

まだ、初々しいやっと根を下ろしたような

次の命を植えつけているのです。

 

 

梅の木には、

葉っぱが元気になったと思ったら

その葉をめがけて

毛虫君もやってきていました。

たくさん食べてサナギになり

来春には蝶になって、と

その準備の真っ最中でしょう。

 

 

アジサイも他の木は全て

花を落としていたのですが

この株だけは

小さな花を残していました。

 

その隣のもみじの木も

 

 

見事な造形美を見せています。

一時は枯れかかったものの

皮だけになりながらも

ぐいぐい成長を続けているようです

 

 

松に生えた苔も日に照らされながら

美しい姿を見せています

最近は苔もブームのようで

 

 

雨が降らなければ

じっと我慢して命を保ち

雨が降ると

待ってましたとばかり

緑に輝き

命をのばしていきます。

 

そういう姿に共感をおぼえる人も

多いのではないでしょうか。

 

なんでもない

ただの庭なんですが

目を凝らしてみると

面白い姿を見ることができるようです。

 

さあ、これから

お不動さまのお護摩です。

舷舷相磨す、

お不動さまの火を介して

私たちの煩悩と

お不動さまの智慧とが響きあう

私たちが小さくて

大きな仏さまに救ってもらう

そではなく、

私たちの煩悩が大きいからこそ

仏さまお不動様の徳も大きいのです

どちらも相摩している

ということでしょう。

 

よろしくお願いします!!

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本蔵院のお宝!?

2017-08-27 21:20:26 | 住職の活動日記

地震以来気にはなっていたのですが

取りあえず、お寺の法務が優先

といっているうちに

本蔵院でも次から次と新しい行事も

執り行われて、

日々のお勤めも休む間もなく、

 

時折夢にも見ていたのですが

代々伝わってきた雅楽の楽器が

虫に喰われているという夢までみる始末

 

そういう時にちょうど、

息子の住職から時間があったら

見てほしい

ということもあって、

押入れの扉を開けてみました。

 

小さなものは崩れ落ちたり

大きなものは倒れる事もなく

上手に収まっていました。

順に取り出しながら

先代のことも思い出しながら

落ちてきた土ぼこりを掃除機で吸い

雑巾で一つずつ拭きあげて、

懐かしいというか、先代のご苦労

に触れる思いです。

 

落雁の型も出てきました。

御札の版、版を摺る道具など

昔は全て家内工業でやっていたのです。

 

お寺には硯はつき物で

和歌をやっていたという事もあって

歌会用の硯箱のセット10組

意匠を凝らした硯たち

子供のころに磨ったことのある硯

祖父が作品を書くとき

大きな墨で腕がだるくなるほど

磨らされました。

一つずつ埃を払い拭いていきます。

そして、

大物を取り出し、

雅楽の太鼓、鞨鼓(かっこ)、

鉦鼓など、

さいわいどの楽器も無傷のようです

気になっていたのは「笙」です

竜笛や横笛、篳篥(ひちりき)も

あったのですが、

笙が見当たらない、

虫食いがなければいいかと

何気なくあった大きな紙の包み

開けてみると風呂敷包みがあり

解くと、

立派な箱が出てきました。

 

 

 

箱書きには「笙」の文字

ヤッパリあった!!

一安心です。

恐る恐る開いてみると

絹の袋に入った笙がお目見えです

虫食いもなく、

昔の姿をとどめています。

 

 

 

さっとからぶきして

息を入れてみると

とてもきれいな音が響いてきます。

調律した記録もあり

何事もなく残っていた事は

本当に有難いことでした。

 

皆、気になっていたのですが

どうやって手をつけてよいやら

もし壊れていたらどうしよう

ということもあって

手付かずだったようです。

 

なにはともあれ

全てが無事で何よりでした。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中大八葉院(ちゅうだいはちよういん)

2017-08-26 16:08:08 | フラワー

胎蔵界曼荼羅の中心には大日如来

蓮の花が開いたように八つの花びら

そこから中大八葉院の名前が

付けられました。

 

ところで、

生け花と違って

フラワーアレンジとなると

自由な発想でいろいろな花の形が

生み出されるものです。

 

 

今回は難しかったとか …… 

葉っぱでもって花びらの形に

 

 

作っていくということです。

葉を針金で止めながらの細工、

 

ふと見た時に

曼荼羅の中大八葉院のような形

ではないかと??

まあ、面白い!

 

 

 

全体の形は足の長いポットに

まとめられているのですが

中心の作られた葉の形を見ると

八葉の花のような、

 

曼荼羅では大日如来を中心に

東(曼荼羅でいうと右)に

宝幢如来(ほうとうにょらい)

南に開敷蓮華王如来

西は無量寿如来(阿弥陀如来)

北には天鼓雷音如来

   (てんこらいおん)

と聞きなれない仏さまたちです。

その間に、東南には普賢菩薩

西南に文殊菩薩、

北西に観自在菩薩、

東北には弥勒菩薩がいらっしゃいます。

この如来四体菩薩四体で

中大八葉院を作っています。

 

 

曼荼羅の中はやはり沢山の花々で

荘厳されています。

 

 

この花も葉で作った花が

中心なのかお花が中心なのか

どちらもまけずに

それぞれが競い合っているようです。

 

 

舷舷相磨す(げんげんあいます)

という言葉がありますが、

本当は舟と舟とがふれあう程に

激しく戦うことなのですが

お互いが競い合うという意味もあり

競い合いながら一つを形作っている

 

曼荼羅もそうですが

一つ一つの仏たちは独立しつつ

全体として一つをなしている

そういうものだと思います。

 

 

 

 

こういう形は初めてのこと

だったようですが

なかなか面白いものを

見せていただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本懐(ほんかい)

2017-08-25 21:39:42 | 漢字

先週のNHK大河ドラマ

「おんな城主 直虎」

政次(高橋一生)、捕えれて

その時の一言

「これは私の本懐」

なるほど、こういう風にも使うと

気にかかりました。

 

本懐の「懐」という字

ふところ、という意味です。

本懐とは、かねてからの願い

と広辞苑にはあります。

また、本望とも本意とも

のっています。

 

一応、漢和辞典の「懐」を

見てみると、

字の本来の意味は、

こころにいだくこと、

思って忘れないこと、

とあります。

そこから、おもうとかなつく

そして、ふところ、いだく

という意味も生まれてきたようです

ですから、

懐妊とか懐柔そして懐紙という言葉

懐疑・懐古という言葉も

でてきたのですね。

 

そして、経典にも

「出世本懐」このときは

(ほんがい)とにごりますが

お釈迦さまがこの世にあらわれた

真の目的、

という意味で使います。

法華経方便品には

「諸仏世尊はただ一大事因縁を

以ての故に世に出現す」

と出て来ます。

衆生を悟りに導く大切な理由

(一大事の因縁)

そのことを出世の本懐と

いっているのです。

 

出世という言葉も

立身出世と高い地位や

有名になることの意味で使いますが

本来は世間に対して出世間と

世間をでる、得度するという意味

世を捨てて仏の道に入る

ということなのですが、

全く反対の意味で使われるようです

一切の世間の名誉や地位を捨てる

ことが出世なのですが

金や地位や名誉を手に入れることが

出世の意味になってしまいました。

 

私たちも出世の本懐を

考えなくてはなりません。

ただお釈迦さまの問題だけでなく、

人として生まれ出た本当の意味

このことが分からなかったら

生れてきたことが無意味に

なってしまいます。

 

先日、老人大学で

セカンドライフということが

問題になっていましたが

人間の人生ということから

考え直してみると

退職後の方がファーストライフでは

ないかと思うのです。

在職中はいろいろの制約や時間が

あって、思うように思索ができません

 

無職という最高の時間は

出世の本懐を考えることができる

のではないかと思います。

私たちにとっての究極的関心です

アルティメイト・コンサーンと

言った方もいらっしゃいます。

この問題を考えなければ

死んでも死にきれない

生れたことの意味を忙しさに紛れて

忘れてしまいます。

気がついたときには、

時すでに遅し、お棺の中も

ということになりかねません。

 

ドラマで出てきた何気ない一言

「本懐」

ドキッとする重たい言葉です。

 

心の片隅にでも

忘れないようにしておかなければ!

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地蔵盆

2017-08-24 20:28:15 | 住職の活動日記

処暑がすぎたというのにこの暑さ

今日も京都は36度

日向に出ると息苦しいほどです。

 

子供たちにとって夏休み

最後の楽しみは「地蔵盆」

京都は意外と思える程お地蔵さまが

町内のあちこちにお祀りされています

それも大切に、

通りすがりに見ると

毎日のようにお社を掃除されて

いる方を見かけます。

 

しかし、私のいるこの地域では

子どもさんの数も少なく

地蔵盆の声は聞こえないようです。

 

お釈迦さまが亡くなられて

次の仏さまが現れるまで

56億7千万年の時がかかります。

その無仏の時代を導いてくれるのが

お地蔵さまです。

辻辻に立って子供たちが

道を間違えないように

見守っていらっしゃるのです。

 

それから、

中陰(四十九日)の

35日(五七日・いつなぬか)

の守り本尊がお地蔵さま

この時のお裁きをされる方は

閻魔大王です。

ですから、閻魔さまとお地蔵さま

裏表のような関係です。

 

地蔵菩薩というのですから

菩薩さまなのですが

普通の菩薩と違って

飾りを付けておられません。

仏さまは本来無一物といって

袈裟だけを付けた姿、

それに対し、

菩薩はさとる前の姿ということで

頭には宝冠、腕には腕輪

イヤリング、ネックレスと

たくさんの飾りを付けておられます

ところが、

地蔵菩薩だけは頭は丸坊主

手には錫杖と宝珠だけを持った姿

他の飾りは着けておられません。

 

ということもあってか

地蔵菩薩は観音さまと並んで

とても身近な人気の仏さまです。

 

三浦先生もとても愛された

お地蔵さま

高野山にいらっしゃった時のお寺

地蔵院、

西京極幼稚園にも本尊も

お地蔵さま

洛南高校の本尊も

お地蔵さまです。

 

左手には宝珠、右手には錫杖

立って働くという意味でしょう

ほとんどのお地蔵さまは

立った姿に作られます。

左手の宝珠は智慧を表します

世間の濁った知識を済ませる

という意味でしょう。

右手の錫杖はいかなる問題も

逃げることなく、

大地に足を付けて歩んでいく

という姿を現しているのでしょう。

 

町内のお地蔵さまは

一年の汚れを洗い清め

顔にはお化粧をされ

まえかけも新調されて

美しいお姿で

また一年間子どもたちを

見守ってくださるのです。

 

この暑さでは地蔵盆のお勤め

本当にご苦労さまでした。

これで、暑い夏も去ってくれると

ありがたいです。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マインド・フルネス

2017-08-23 21:08:35 | 住職の活動日記

最近のテレビ、健康や美容の番組

結構多いように思います。

というか、

そういう番組が気になりだしたのかも

しれませんが??

 

昨夜の「たけしの家庭の医学」

3時間もの長時間でしたが

ついつい見てしまいました。

 

老化の謎というか、

「テロメア」というキーワードが

靴ひも、と言っておられましたが

この部分が細胞分裂して

若さを保っているのですが

段々短くなって

細胞分裂できなくなると

それが老化で、皮膚のたるみやしわ

が出てくるということです。

 

そのテロメアの長さが

人によって違うということで

なぜ違うのか??

それは「思いよう」ということです

エエッ!、と思うのですが

物事をネガティブに考えるか

ポジティブに考えるかで

違ってくるということです。

 

何でも悲観的に考える人は

テロメアが短いとか

楽観的に考える人は長い

という結果が出ていました。

 

しかし、

人間、取り越し苦労というか

やはり先のことには

心配や不安はつきものです。

また、

経典には覚鑁上人という方が

『忘想に纏われて衆罪を造る』

と言っておられます。

人間の諸悪の根源は妄想です。

悪い未来を想像して

いらぬ駆け引きしたり

また人を害してしまうという

ことに妄想は膨らんでいきます。

ですから、

仏教では、事実から事実へ

ということをいいます。

しかし、

人間自分の眼で見て

それを信じて

本当の事実というものは

見ることができないものです。

事実を見た! といっても

それは自分が見た主観の事実で

客観的な事実ではないのです。

 

それで、

ネガティブな人はどうしたら

ポジティブな考えを

持つことができるようになるのか

 

それが「マインド・フルネス」という

直訳すれば「心を満たす」

ということになります。

その実践方法は

椅子に座り、眼を閉じて

自分の呼吸を聞く

という簡単なものです。

これを3分間、一日数回

実践するということです。

 

ネガティブな考えでストレスが

溜まってくると

靴ひものテロメアは短くなり

老化していく

そこで、

マインドフルネスをすると

ストレスを軽減して

テロメアを守ってくれる

ということです。

 

今アメリカではスポーツ選手

企業の方とかいろいろの場面で

このマインドフルネスが

重要視されているということです

 

ある記事に

運動して体を鍛えても

長生きしない!

粗食でじっとしていれば

その方が長生きすると

で、

坊さんが一番長生きするのでは

ということが書いてありました。

 

長生きとかは別にして

先日の座禅ではないですが

座禅して呼吸を整え

お粥という粗食であれば

これが一番いいのかもしれません

 

お釈迦さまも苦行をさんざんやり

たどりついた結論は

「入出息念」

呼吸を整えるということです

座禅でも「一つ・二つ…」と

十まで数え、また一から始める

雑念が出ても、

そのままで数を数える

すると雑念は自然に消えていく

ということです。

 

昨夜のテレビで

アメリカの大学の先生が

研究の結果、「呼吸という」

ことを発見された。

やはり、座禅とかを科学的に

研究されたのかもしれません。

 

おもしろい結論に至ったことは

大変興味深いものでした。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダックスシャープナー

2017-08-22 21:40:40 | 住職の活動日記

えらい、むつかしい名前ですが

鉛筆削りです。

 

 

私にとっての必需品!

もう数えきれないほど使いました

最近ネットで見つけたのが

このDUXシャープナーというものです

 

 

型番はDX4112というもの、

今日届きました。

小さい割には重量感がある

本体は真鍮製です。

 

 

手前の代物もドイツ製

随分使いましたがちょっと切れ味が

悪くなってきました。

 

この小さい鉛筆削りは

持ち運びが便利

そして、

 

 

こんなに短くなった鉛筆でも

削れるということです。

 

物忘れもひどくなって

読んだ本が頭に入りません

それで書くことにしたのですが

それでも、忘れるようです。

 

ただ、書くということは

集中できるというか

三昧というか

読むだけではなく、

書くことによって

読んだ時には気がつかなかった

新しい発見があるのです。

 

それから、

解ったつもりで読んでいた文字

書いてみると意外と

忘れていることも多く

まして書き順もすっかり忘れて

面倒でも、

書き順を調べながら

書いてみるのも面白い!

 

讒言の「讒」という字

書き順を見て初めて

字の構成が解ります。

まあ、めったに書かない文字です。

 

削り具合は一味違うようです。

珍しく、

替刃も準備してあって

刃を換えて行けば一生もんかも

ただ失くさない限りですが、

 

なんてことはない鉛筆削りですが

されど鉛筆削りです。

 

 

また最近はこんな本も調達し

昔を思い出して書いております。

 

 

筆記体という字も

すっかり忘れているもので

書きだすと昔が蘇り

おもしろさも出て来ます。

一つ魂胆がありまして

先日買った

『英語で読む百人一首』

これを筆記体で書いてみたいと

思ったのが発端です。

 

さらには、筆で書ければと

思ったりなんかしています。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする