本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

出来ないことを嘆くより … !

2015-01-24 21:21:35 | 今週の言葉

出来ないことを嘆くより

 

今出来ることを諦めない

 

     岩本悦子

 

岩本悦子さん、御年78歳

現役のアイスホッケー選手

 

その練習風景を見るや

若い人たちにまじって

同じようにその課題をこなしていかれる。

ヘルメットをかぶっている姿を見ると

絶対に年は分からない。

姿勢もシャンとして立派、

やはりたゆまぬ練習の賜でしょう。

 

大体私の年になってくると

出来ないことが少しずつ

出てきます。

出来てもスピードが遅い!!

先日も、

豊国廟の階段に挑戦したのですが、

昔から思うと

考えられないようなゆっくりした歩み、

ま~ それでも

今の段階では、登れるだけ

いいとしなければいけない!

 

岩本悦子さんの言葉のように

デキナイ!、デキナイ! と

嘆くより、

遅くとも今できることを

諦めないでやり続けることが

大事のように思います。

 

全てのこともそう思います。

「出来ない!」

といって悲観して腐ってしまうより

できることから、

一つずつやり遂げていく方が

自信がついてくると思います。

 

いつでも今 !  です。

今出来ることを諦めないで

一つずつです。

 

岩本悦子さんのように

78歳になっても背筋を伸ばし

シャンとして生きていたいものです。

 

 

 

 

 

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生命は力なり。力は声なり。 …

2014-09-07 21:31:55 | 今週の言葉

生命は力なり。

力は声なり。

声は言葉なり。

新しき言葉は

すなわち

新しき生涯なり。

 

    島崎藤村

 

『声字実相義』 (しょうじじっそうぎ)

は弘法大師の著作です。

弘法大師は言葉・文字・声、ということを

とても大切にされた方です。

言葉が迷えば考え方も迷ってしまう、

考え方が間違えば行動も間違ってくる、

行動が間違えば、

人生そのものも間違ったものになってしまいます。

 

キリストも、

「初めに言葉があった。」と

ヨハネの福音書で述べられています。

正確を期すため、

「In the beginning was the Word、

and the Word was with God、

and the Word was God」

 

やはりいずれの宗教においても

言葉というものはとても大切なものです。

 

経典を読んでいましても、

ここまで厳密にいうかというほど

しつこく、繰り返し、言葉を尽くし

述べてあります。

ひっくり返せば、それほど人間の迷いが深いということでしょう。

と同時に、人間は自分の固執を捨て去りがたいものです。

煩悩というより、人間は自分の固執で

悩み苦しむものです。

 

ええ頃加減な言葉ですと、

自分自身の固執を分析できないのです。

分析できないからこそ

更に迷いを深めていく、

難しいかもしれませんが、

難しい言葉に触れて、

考え直し、

実践して、

また失敗して、

さらに考え直し、

また実践する、という

エラー・アンド・トライアル

しかないように思うのです。

 

島崎藤村も、

力は声。声は言葉。

言葉は新しき生涯。

といっておられるように、

お釈迦さまも、誕生と同時に

「天上天下・唯我独尊」

と名乗り(声)をあげられた。

その声がお釈迦さまの人生を決定づけた、

といってもいいと思います。

 

声を発する !!

正しく堂々と声を出してみよう

元気が湧いてきます。

 

 

 

 

 

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努力は定期預金 

2014-07-23 20:54:29 | 今週の言葉

 通りすがりに、店の前に出された

黒板にチョークで書かれた、

この店の今週の言葉なのでしょうか ?

 

    

 

なるほど !!

と、頷かされる一言です。

 

 私たちの心は貯金箱のようなものです。

意識して行ったことはもちろん、

何気なくしたことでも、ちゃんと記録しているのです。

 

 お経のなかでは私たちは生まれると同時に

両方の肩に 「倶生神」 (くしょうしん) という

神さまがいらっしゃると書いてあります。

 

    

 

    

 

閻魔さまの両脇侍としてこの二体の

仏さまが安置してあります。

 

そして、気が付かないのですが

私たちのしたことを記録していかれるのです。

筆と巻物を持った姿に作られています。

これが俗にいう 「閻魔帖」 なのでしょう。

私たちが亡くなると、閻魔さまの前に

私たちの記録が提出され、お裁きを受ける

ということのようです。

 

 このことは、唯識という経典では

「阿頼耶識」 (アラヤシキ) と表現されています。

私たちのした良いことも悪いこともすべて

この阿頼耶識に貯金されていくのです。

その阿頼耶識に貯金されたことが、

また次の行いを生んでいく

というのです。

その繰り返しによって、自分という

人格を作り上げていっているといっても

いいのではないかと思います。

 

だから、ここにある

「努力は定期預金、忘れた頃に

 利息が付いて還ってくる」

ということも、言い当てていて

私たちの心を見抜いていると思います。

 

だから、ゆめゆめ

日々の行いをあだや疎かには

してはいけないのです。

今読んでいる 「十地経」 でも

四威儀 「行住坐臥」 すべての行いを

間断なく、一念一念に努めなければ

と、繰り返し繰り返し出てきます。

何もお経には難しいことを書いてあるのではなく、

ただ、嘘をついてはいけない

誤魔化してはいけない、

それは人に対していけないのではなく

自分に対して、自分の心を誤魔化し

自分の人生までも誤魔化していくことになるのです。

 

真言宗の中興の祖と言われる

覚鑁上人 (かくばんしょうにん) も

『行住坐臥知ると知らざると

犯すところのかくの如き罪』

といわれ、日々の行いを厳しく諌めておられます。

 

見えないけれど、両肩には

倶生神がいらっしゃることを

忘れないように

日々努力です。

 

 

 

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弱い自分を見る !

2014-06-08 07:40:46 | 今週の言葉

 W杯も間近に迫り、

先日来、最後の強化試合がありました。

とても興奮する、見応えのある試合でした。

しかし、課題もたくさんあったようです。

 

その一つに本田選手の仕上がり具合が

あるようです。

どの時点に自分のピークを持っていくか ?

彼も悩んでいるのでしょう。

 

「 弱い自分を見る 」

 

とは、本田選手の言葉です。

ACミランで10番を背負って

戦う、その重圧もあります。

練習すればするほど、

弱い自分が見えてくる、

ということです。

 

しかし、弱さを知るということは

とても大切なことです。

 

私たちものんびり生きていく分には

「 煩悩 」 なんて、

感じないのです。

目的をもって何かやる、

修行に励む、ということも、

その時に初めて妨げが

見えてくるものです。

やればやるほど、

自分の悪さも見えてきます。

そして、弱さも見えてきます。

 

何もしなかったら、

何でもできると思う

自分しか見えないのです。

 

「 成功しようと思えば

 何もしないことですよ 」

 

とは、三浦先生の言葉です。

何かすれば、

必ず失敗する

そして、自分の弱点も見えてくる。

それをさらに乗り越えていくところに

本当の修行が出てくるのです。

 

弱さを知らない人間ほど

怖いものはありません。

また信用できないものです。

 

今が悩み時なのでしょう。

本田選手、

必ず、その道を見つけているはずです。

W杯本番では

その自分の持てる力を遺憾無く

発揮してくれることでしょう。

 

弱い自分を見る

 

いい言葉です。

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「憎らしき三毛と思えば、三毛もまた … 」

2014-06-02 07:43:46 | 今週の言葉

 憎らしき三毛と思えば

 

 三毛もまた、

 

 三毛もまた憎らしき人と

 

 見るらん

 

 西京極幼稚園から毎月発行されている

「 たんぽぽ 」 6月号が届きました。

 いつも三浦先生の言葉が紹介してあります。

今月は 「 自分の影 」 という題で話されています。

すこしだけ紹介します。

 

 自分が相手の人を憎いと

思っているならば、相手の人もまた

同じように、自分のことを憎いと

思っているものでございます。

昔の歌に、

 「憎らしき三毛と思えば

 三毛もまた、

 憎らしき人と見るらん」

というような歌がありますように、

自分が相手に好意をもてば、

相手もまた、

自分に好意をもつもので、

それが人の世の人情というものでありましょう。

 なぜそのようになるかは分かりませんが、

 

何か心の中に法則のようなものがあって、

そのようになってしまうわけでありましょう。

それは、言うなれば 「自分の影」 と

いうものだと思います。

その影をいくら消そうと思っても、

それは自分の作っている影ですから、

自分がその影をなくすようにしなければ

その影はなくなりません。

つまり、自分の心の中に、

相手を憎い奴だと思う心を

なくさない限り、

相手からもまた憎しみの心は

消えないのであります。

 

 ほんの少しだけなのですが、

この後、話は続きます。

洛南高校の生徒さんに毎月

21日 「 御影供 」 に話された

ものです。

 私にとっては読むたびに新鮮に響いてきます。

そして、この 「 憎む心 」 ということも

ずいぶんと悩んだものです。

「 憎むな !」、と言われても

その時はわかったようでも、

また気がつけば、憎む心が

頭を出してきます。

 

 その続きは、

 

そういう心は、みんな縁によって起こり

縁によって消えていきます。

人間はそのように

条件的存在でありますから、

その起こってくるところの

原因や根本問題を徹底的に

明らかにしていくことが大切でありました、

それを学習、勉強と申すのだと

私はそのように思うのでございます。

 

と述べられています。

 

 

 

 

 

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見たり聞いたり、何かしたこたア …

2014-05-25 17:56:26 | 今週の言葉

 先日届いた 「 サントリーウェルネス 」 の

『 美感遊創 』 という月刊誌、

今月の言葉は、

 

 見たり聞いたり、

 何かしたこたア

 そりゃこれからのち

 どっかで生きて働く。

 

という、島木健作さんのことばでした。

なるほどと頷く言葉です。

 

 心は貯金箱のようなものだと言います。

一番奥底の心を 「 阿頼耶識 」 アラヤシキ

といいます。

「 アラヤ 」 は蔵という意味です。

人間のすべての経験をためて貯金していく。

だから、蔵 ・ アラヤ と表現したのでしょう。

 「 ヒマラヤ 」 とは 「 ヒマ ・ アラヤ 」

ヒマ は雪ですから、雪の蔵という意味です。

 この第8番目の意識 「 阿頼耶識 」 は

善悪どちらもそのまま収めていく意識です。

 その点で怖いのは、

良いことも、嘘ついたことも、

その嘘ついて誤魔化して、うまく騙せた、

ということまで、貯金していくのです。

 

 今私たちが無意識にやっていることは

その貯金した利息のようなものです。

 ウソばっか言っている人は

嘘の貯金しかありませんから、

その利息として、嘘しか出てこないということです。

 

 見たり聞いたり、何かしたことは

良しにつけ悪しきにつけ、

そのことは後の人生で必ずどこかで

生きて働くということです。

 

 日々の生活、

ゆめゆめ疎かにはできません。

 

 これぐらいと思ってごまかしても

それは間違いなく自分に帰ってきます。

 

 ご用心 !  ご用心   です。

 

 

 

 

 

 

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今週の言葉 9/30~10/6 「 仕事には勤勉  人には慈愛 … 」

2013-09-29 20:45:00 | 今週の言葉

 仕事には勤勉

 

 人には慈愛

 

 社会には奉仕

 

     力の泉 より

 

最後の今週の言葉は

晋亮法印がずっと書き続けていた

『 力の泉 』  より頂きました。

 

 洛南高校の校訓が

 『 自己を尊重せよ 』

 『 真理を探究せよ 』

 『 社会に献身せよ 』

ということです。

これは仏教の三帰依文 ( 仏・法・僧 ) を

具体的に実践的に表現したものです。

 

 「 人 と 法 ( 真理 ) と 社会 」

この三つが仏教の根幹です。

がいても、その人を成り立たせるがなかったら

その人は人でなくなります。

人と法だけがあっても、法は生きて働きません。

働く場所が社会です。

仏教の言葉では サンガ ( 僧伽・ソウギャ ) です。

だからこの三つは切り離して考えることはできないのです。

ただ、考えるだけならできるかもしれませんが、

実践の言葉としてみていくと、

一つのことになってきます。

 

 この今週の言葉も 三帰依で始まり、三帰依で終わりました。

三浦先生に教えて頂いた 「 洛南高校の校訓 」

自分なりにそのことを実践してきた  つもりですが、

それから、祖父に反抗した自分

が、 奇しくも祖父の言葉で締めくくるとは

なんとも不思議な気がします。

 

 これからどういう形になるかわかりませんが

別な立場で書き続けていけたらと思っています。

 

 また、その時はよろしくお願いします。

 

わがいほは  

   みやこのたつみ 

 しかぞすむ

   よをうぢやまと

 ひとはいふなり 

 

という喜撰法師を何かヒントにしたいと思っております。

 

 

 

 

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今週の言葉 9/23~9/29 「のちの世と きけば遠きに似たれども

2013-09-22 15:48:59 | 今週の言葉

   のちの世と

 

きけば遠きに似たれども

 

 知らずや今日も

 

  その日なるらん

 

         ( 古歌 )

 

 

〇 後生 ( ごしょう ) といえば、

  死んでからさきの事と思て居りますが、

  私は、もっと広い意味に

  解しては何うかと思います。

〇 十年後も後生で有ます。

  一年後も後生であります。

  一と月後も後生であります。

  一時間のちも、一分のちも、後生であります。

〇 私達は今の行動が、

  将来にどういう影響があるかを考えて、

  その行ひを反省し、

  つつしまねばならぬと思います。

〇 それは現在が原因となって、

  将来の結果を招くからで有ります。

〇 自分の心を反省した時に、

  明日はどうなるか、来年は何うなるか、

  考えなやんで、

  イライラクヨクヨして居るのが、

  今日の心で、それが、ストとなり、

  闘争となるのであります。

〇 よろしく私共は、現在の暮らしを

  わざと乏しくしてでも、

  将来の大計画を確立せねばなりません。

〇 将来の計画のなりたたぬ生活ならば、

  それは本当の生活とはいはれないで有りましょう。

〇 将来の見通しのなりたたぬ政治ならば、

  本当の政治とはいはれぬで有りましょう。

〇 私達は心をおちつけて、

  明日は何うなるかを考へ、

  来年はどうなるかを考へ、

  死んでから何うなるかを考へて、

  そこに歓びと安心とを見出しうる生活こそ

  望ましい生活ではありませんか。

〇 歓びと安心とをうみ出す生活が、

  後生の一大事で、

  何をもって、

  この後生の一大事を体得すべきか、

  宿題中の宿題ではなかろうかと思います。

 

 以上は先々代 「 第十七世晋亮法印 」 が

毎月書き続けたはがき伝道 『 力の泉 』 を

載せさせていただきました。

 

 

   

 

もともとは、こういうハガキに書かれて

葉書伝道として郵送されていたものです。

それを、100号を記念して

 

   

 

こういう本になりました。

第三輯 ( しゅう ) とありますから、

三百ほどの葉書が編集されたものでしょう。

ページをめくると、

 

 昭和8年以来戦時中の物資困難の時代にも、

白紙五六枚づつもらい集めたり、

裏紙を利用したりして、

一回も休まず発行を続けてきました。

今十年分を集めて第三輯が発行されました。

その主義とするところは、

仏教の六波羅密からとって、

奮闘、忍耐、反省、慈愛、感謝の五つの精神を実行して、

幸福な生活を送ろうとするものであります。

又これを

実行の面から考えて、

仕事には勤勉、人には慈愛、社会には奉仕

この考えで明るい社会をと考えています。

又自分は何であるかを知り、

何をなすべきかその使命をさとり、

その使命はいかにせば、

よりよく果たされるかを反省して、

強く清く生き抜きたいと思っております。

 

以上のようなことが、 「 自序 」 として

書かれてあります。

 

 彼岸にあたり、先代の考え方に

心触れ、今一度自分を見直すのも

彼岸の供養かと思います。

 

 

 

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今週の言葉 9/16~9/22 「心は命の鏡である 磨いて … 」

2013-09-15 20:44:17 | 今週の言葉

心は命の鏡である

 

磨いて汚れを取らないと

 

美、醜はわからなくなる

 

          山下 清孟

 

 

「 山下 清孟 」 ( きよはる  先生、

洛南高校のブラスバンドを

日本一にされた先生です。

 その息子さんは、

「 ツトム・ヤマシタ 」 という方で

打楽器奏者として有名な方です。

 お友達に 「 ミックジャガー 」 とか

いらっしゃるようで、世界的にも有名な方です。

 

 山下清孟先生、授業の合間を縫っては

東寺の御影堂に参禅しておられました。

そして、お昼には東寺のうどんを

よく一緒に頂きました。

 平成三年十月六日、ご逝去

ちょうど来月は二十三回忌にあたります。

 

     

 

満中陰のとき頂いた扇子です。

 

 「 清貧、愛、座禅こそわが人生の通奏低音 」

ただひたすら自分の人生を磨いてこられたように感じます。

 「 座ってみると幻の如きものが、

   とめどもなく現れる。

   これはどうしたことなんだろう ?

   ほとんど無限に近い、

   取りとめも無いもの。

   百鬼夜行とはこのことか ?

   追い払っても追い払っても

   行き着くところが無い 」

と、おっしゃておられます。

 

 私たちも同じことで、

「 聞法 」 という、教えを聞くということを

常にしていかないと、

本当のことがわからなくなってしまいます。

人間悪い癖で、

 「 本当のことがわからないと

    本当でないことを

   本当にしてしまう 」

という、ことがあります。

 

 洛南高校にブラスバンド部を作ったとき、

楽器を持ったことのない生徒ばかりだったそうです。

その生徒にマンツーマンで時間の経つのも忘れて

教えられました。

 「 これがやね !

   吹けるようになるのや ! 」

と、そのとき話される笑顔がとても印象的でした。 

 肩書きとか一切気にされず、

ただ、子どもたちがどう分かってくれるか、

教えていけば必ず出来るようになる、

という信念が先生を突き動かし、

そのことだけに情熱をかたむけてこられました。

 

 そして、

最後の言葉は、

 「 これでじゅうぶんや。

   もうええやろ、

   行くで 」

と、ツトムさんに向かって放たれた

一言でした。

 常日頃から、

 『 決心次第で必ずちゃんと死ねる。

   きちんと旅立つことは可能だ 』

と、繰り返し話しておられました。

 

 ふと先生のことを思い出したのは

不思議にも先生の二十三回忌を

目前に控えてのことでした。

 

 今改めて、先生の姿を思い浮かべ

その言葉を考え直しておりました。

 

 ( わたしも、崇正に

   「 もう、行くで ! 」

  といって逝けたらと思っていますが ? )

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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今週の言葉 9/9~9/15 「自分の道は自分にしかわからない」

2013-09-08 18:51:56 | 今週の言葉

 自分の道は

 

 自分にしか

 

  わからない

 

     渡辺恭良

 

 

 TBS 日曜日 6:30 から放送される、

『 夢の扉 』 という番組です。

 毎週楽しみに見ています。

そして、日本人の凄さに力をもらうような気がします。

とても元気が出るテレビです。

 9月1日 は 「 疲労回復のメカニズム 」 

がテーマでした。

 先生は 『 渡辺恭良 』 ( わたなべやすよし ) さん、

もともとは脳科学の先生だったそうです。

国家プロジェクトを任され、寝食を惜しんで

研究に没頭された。

 ところが、自分が疲労で倒れてしまった。

いろいろ調べていくうちに、

人間にとっての三大アラームといわれている

『 痛み 』 『 発熱 』 『 疲労 』

この三つのうち、痛みと発熱については

解明され、その研究者はノーベル賞を受賞されたそうです。

 しかし、 『 疲労 』 については誰も研究されなかった。

毎年、 「 過労死 」 では年間120人、わかっているだけで

正確に調べると数万人に上るといわれています。

そして、 『 ka-ro-si 』 ( 過労死 )

という国際語にもなっています。

 それなのに、誰も研究する人がいない。

一人で、研究するしかない !

尋ねてみても、返ってくる答えは

 「 疲れは休めばなおる 」

 「 病気でもないのに ! 」

ということで、他の先生方からは

胡散臭い目で見られ相手にされなかったそうです。

そこで、出てきた言葉が、

 

 『 自分の道は 自分にしかわからない。

   人のやらないことをやる

   一人になってもやる。 』

 

ということだったのです。

 この言葉を聞いたとき

お釈迦さまを思い出したのです。

 お釈迦さまも

「 人間 何のために生まれて

  なにをして生きるのか

  答えられないなんて … 」

と、悩まれた、

しかし、返ってくる言葉は、

苦行 や 瞑想 そして楽しい生きなさい

そんなことだけだったのです。

お釈迦さまの悩みを他の修行者は

あざ笑っていたのです。

 

 しかし、千年続いた闇でもマッチ一本の

明かりで破られてしまう。

だから、人間の迷いも千年万年続いたとしても

一人の目覚めた人が出たら、

その迷いは一瞬にして消えてしまう。

そこに、勇気をふりしぼって

その人間の迷いの構造の解明

に立ち向かわれたのです。

 

 渡辺先生も同じ心境ではなかったのではないでしょうか ??

 

そして、ついに 「 疲労の原因 」 を突き止められた。

生まれてから死ぬまで泳ぎ続けるマグロ

それから何万キロも飛ぶ渡り鳥

そこには 

 『 イミダペプチド 』

という物質が大きく作用している。

そしてその物質が疲労を快復する。

ということを明らかにされた。

 

 そして、『 疲労度計 』 というものまで

作られた。

これに指を入れるだけで、

その人の疲労度が2分30秒で

数値化される。

 

 脳は疲労を自覚できない、

ということです。

ですから、働きすぎとかが

自分ではわからないのです。

ところが、この 『 疲労度計 』 をつかうと

客観的に自分の疲労が

わかるということです。

 

 このことも凄いことながら、

誰も手をつけなかった 『 疲労 』 ということに

立ち向かって行かれた、

そこに、

 『 自分のことは 自分にしか分からない 』

という先生の言葉が重みを持ってきます。

 

 

 

 

 

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