本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

老い

2007-08-31 09:56:46 | 住職の活動日記
 アンチエイジングではないですが、時間が空いたら 『 トレセン 』へ

でもなかなか、目立った変化はありません。
 
 それもそのはず、真面目に通ってるわけでもありません。

 話を聞くと、皆さんあまり変化がないようです。(際立って)

でも、それでいいのだと、最近思うようになりました。

それは 『 星野富弘さん 』 の文に出会ってからです。

  
  怪我をして全く動けないままに、将来のこと、過ぎた日のことを思い、

  悩んでいた時、ふと、激流に流されながら、元にいた岸に泳ぎつこうと

  もがいている自分の姿を見たような気がした。そして思った。

  『 何もあそこに戻らなくてもいいんじゃないか…
 
    流されている私に、

    今できるいちばんよいことをすればいいんだ。 』

  そのころから、私を支配していた闘病という意識が少しづつうすれていった

  ように思っている。歩けない足と動かない手と向き合って、歯をくいしばりながら

  一日一日を送るのではなく、むしろ動かないからだから、

  教えられながら生活しようという気持ちになったのである。


 明治時代は平均寿命は40歳ぐらいだそうです。

 来年は還暦、すこしづつすこしづつ、現状を受けいいれながら、

努力をして、元に戻ることは考えず、それなりに頑張ろう!!
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プチ エコ

2007-08-27 23:35:20 | 住職の活動日記
 笑われるかもしれませんが、ささやかながら、エコしてます。

クーラーから出る水を樽に溜めて庭木にやっています。

結構な量になりますよ。漬物樽ですが一日で一杯になります。

 明日28日、お不動様の縁日です、本蔵院名物のお赤飯を炊きます、

それで大量のお米のとぎ汁がでるのです、

バケツになんと8杯ほどになりました。

 妻との共同作業よろしく、バケツリレーで庭木にやりました。

ここのところ、全く雨が降りません。木々も大変喜んでくれたことでしょう。

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いい香りがします !!!

2007-08-27 09:48:59 | 住職の活動日記
 本堂の前からいい香りが漂っています。

小さな蘭の花が咲いていました。

たまに咲いてくれます。

頂いて、その後手入れの仕方もわからず、ただひたすら水だけあげてました。

 名前もよくわかりませんが、小さい花ですが、

とても高貴な香りを漂わせています。

   蘭くんに感謝!!
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今週の言葉8/27~9/2

2007-08-27 09:40:05 | 住職の活動日記
 人生、あきらめない。常に夢を見続けることや。         がばいばあちゃん


 「 佐賀のがばいばあちゃん 」のことばです。

師匠が一番困窮されている時、みんなで寄せ書きしました。そのときの言葉が、

 『 いつでも夢を 』 でした。

 その時はこんな辛い時に、よう、こんな言葉が出るな! と不思議でした。


しかし、いま思うと、がばいばあちゃんと同じように、苦労した人のことばです。

人はどういう夢を持つかで、その人の人生は決まってくると思います。

 仏教では、未来・将来のことを 『 当来 』 (とうらい)と表現します。

『 当来 』 まさにきたるべき です。

現在のなかに、未来はすでに内包されている、というのです。

 未来にどういう夢を持つかで、現在の行いが決定されてくるのです。


 いま、大阪では 『 世界陸上大会 』 が開かれています。

この日に向けてどの選手も 『 金メダル 』 をめざして精進努力と練習を積み重ねて
 
こられてきてるはずです。

 将来の目的が決まるから現在の行動がきちんとなる。

 仏教的表現では、『 願いが現在の行いを荘厳する 』 ということになるのでしょう

本当の夢かどうかは、現在の行いで決まると思います。

夢だけ語って、一歩が出ない人、それは寝てみる夢です。

本当の夢を持った人は、持った瞬間から、それは行動となって表れます。


 夢がないと、決まって 『 どうせ 』 という言葉がつくはずです。

「 頑張たって、どうせ〇〇 だから 」


 できる! できない! を超えて、出来るからやる 出来ないからしない

ではなく、結果は天に任せるとして、

 夢・願い を持つことが、一日一日を活力ある豊なものにしていくのではないでしょうか
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その後のアゲハの幼虫

2007-08-26 23:35:43 | 住職の活動日記
 ずいぶん大きくなったと思っておりましたら、

突然姿が見えません。

 たぶん、さなぎになったのでしょう。

 くまなく探しましたが、見当たりません。

 人間に発見されるようなところでは、自分の身をさらさないのでしょう。

 でも、どんなふうになってるのか、見たかった。

今度は、立派な蝶として、出会いがあるのですね。それも楽しみです。

 また今、先日まで黒い小さな虫が、今また、立派な緑色の幼虫に変わりました。


 この命の変化に驚かされます。

      元気に育て!!
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今週の言葉8/20~8/26

2007-08-19 23:36:30 | 住職の活動日記
     いま死んだ どこへもゆかぬ ここにおる
       たずねはするな ものはいわぬぞ    一休


 一休さんはおもしろい、含蓄のある、歌を詠まれるものです。

 いま、世間では 『 千の風になって 』 がはやっているようです。

そのなかで、チョッと気になる文句が 『 お墓に私はいません 』 

というくだりです。
 
 よく質問を受けます。お盆のときお坊さんは仏壇にお参りに来られる、

私たちはお墓にお参りに行きます。どちらにご先祖さまはいらっしゃるのですか?

 
 簡単には 『 手を合わせて、お参りするところに、

          ご先祖さまはいらっしゃるのですよ。』 と答えます。

 
 悲しいかな、私たちの頭は、「 あるか、ないか 」 「 あるものは目に見える、

目に見えないものはない 」 という、すべてのものを実体化して見てしまう、

そういう考え方になってしまったようです。


 梁塵秘抄に

 仏は常に在ませども 現つならぬぞ哀れなる
人の音せぬ暁に 仄かに夢に見え給う

 とありますように、

 人の音せぬ、という人間の煩悩妄想が無くなったときに、

 仏さまは仄かに現れてこられるというのでしょう。


 一休さんの歌 『 千の風になって 』 そして 梁塵秘抄 と

照らし合わせて見られると、なんか、仄かに分かってくるのではないでしょうか。
 
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命のリレー

2007-08-18 21:55:58 | 住職の活動日記
 先日紹介しました、アゲハの幼虫、雨とかで育たなかったようです。

しかし、よくしたもので、命のリレーは続いてました。

ふと山椒の木に目をやると、少しづつ大きくなっている、

アゲハの幼虫を発見しました。この猛暑の中、元気に育っているようです。

よかった! よかった!


 更に、金魚の子どもも元気に泳ぎまわっていました。

池の隅の方で、大きな金魚が来ない所で、ちょろちょろ泳ぎ回っています。

本蔵院の小さな池の中、

いろんな小さな生きものにとっては、大きな大きな世界です。


 ここでも、命のリレーが続いている。

 なんと言う素晴らしいことか !
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今週の言葉8/13~8/19

2007-08-12 22:23:43 | 住職の活動日記
     自分が今  生きているのは
         先祖が自分の中に 生きているからだ


 お寺で一番忙しいお盆が始まります。

 縁ある人、今は縁のなかった人も、みな平等にお迎えして、

ご供養するのがお盆の行事です。

 とてもいい言葉に出会いましたのでご紹介します。


     ご先祖さまの石並べ

 ある夏の日のことでした。8月12日、お盆に入る日の前日のこと。

30代のお母さんと、小学校3年生ぐらいの女の子が、墓地のある木陰でしゃがみこみ、

なにやら石を並べています。側には水の入ったバケツがありましたから、お墓の掃除にみ

えたのでしょう。

 「 これリサちゃんの石 」 お母さんが白っぽい石を置きます。

女の子の名前は 「 リサ 」 というようです。

「 リサちゃんが生まれたのは、おとうさんとおかあさんが出会ったからよ 」

お母さんが青い石を二つおき、木の枝で線を引きます。逆三角形で三人が結ばれます。

「 それからね、お父さんにもお父さんとお母さんがいて、お母さんにもお父さんとお母

さんがいるでしょ 」  「 おじいちゃんとおばあちゃんでしょ 」

「 そうよ 」 お母さんは四つの石を並べ、線で結びました。

「 そのおじいちゃんとおばあさんにも、お父さんとお母さんがいたのよ 」

今度は石が八つ並びました。

「 その大きいおじいちゃんとおばあちゃんにも、お父さんとお母さんがいたのね 」

今度はリサちゃんが石を十六個並べました。

「 お母さん、そのまたおじいちゃんとおばあちゃんにも、お父さんとお母さんがいるの

ね 」  「 そうよ 」

「 今度は三十二個ね。」「 でも、石と石がくっついて、もうこれ以上並ばないわ 」

「 そうね 」

「 いつからこうなってるの 」

「 うーん わからないわ。ずっと昔からよ。

  でもね、リサ、こうしてご先祖さまが命のリレーを続けてきたお蔭で

  今の私たちがあるのよ 」

「 ふーん 」

「 たとえばね、このなかの誰かがいなくなったとするわよ… 」

そう言ってお母さんは、リサの曾おばあさんの石をつまんではじき出しました。

「 曾おばあさんがいないと、おばあさんがいない、と、 お母さんがいない。

  ということは、リサも生まれてこないのよ 」

「 ふーん 」

「 人はみんな、こうした命のリレーでご先祖さまとつながっているのよ 」

「 ふしぎ ! 」

「 そうよ。その不思議なご先祖さまのリレーにありがとうって、手を合わせるのが

  お盆よ 」

「 ふーん 」

「 じゃあ、これからお父さんのご先祖さまのお墓の掃除に行きましょう。

  それから、すべての人のご先祖さまにも手を合わせましょうね。 」

 バケツを手にした親子は炎天下の墓地に向かって消えて行きました。


 お盆という行事を見事に表現していると思います。   
 
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今週の言葉8/6~8/12

2007-08-04 11:32:54 | 住職の活動日記
 少し早いのですが、来週は出張なので、…


サラリと流してゆかん 川の如く
   サラリと忘れてゆかん 風の如く
       サラリと生きてゆかん 雲の如く


 『 念ずれば 花開く 』 で有名な坂村真民さんの詩です。

 この詩の裏には、ずいぶんとご苦労があったことでしょう。

人間生きていくには、自分の業を背負い、人のしがらみの中で、

生きていかなければなりません。

そんな簡単に 『 サラリ 』 となんて生きてゆけないはずです。

そこを 『 サラリ 』 と受け止められる、なぜだろう?


 お釈迦さまだって、普通の常識から言えば、ひどいことをされたもんです。

妻子を捨て、王子様でありながら、国を捨てて、家出されたのです。

そして、自分の国は滅ぼされていく、それを静かに見守っておられた。

 悟りを開いてみれば、この世は光り輝く 『 お浄土 』 と感得された。

妻子にしてみれば、勝手に家出して 『 光り輝くお浄土 』 なんて

呑気なこというな! といいたいところでしょう。


 この世は、世間的に見れば、絶対に 『 サラリ 』 となんて生きてゆけないはずで

す。でも考えてみる問題です。自分でもよくわかりませんが、一歩間違えると、

『 サラリと流してゆかん 』 なんて、無責任極まりない言葉になってしまいます。


   『 サラリと流してゆけば 』 苦労はないですよね。


 でも、苦労して生きた方が、結論として 『 サラリと流してゆかん 』 という

心境になられたのでしょう。

 簡単そうで、奥深い言葉です。
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