車運転中に「眠らない魂」こんな言葉がふと浮かびました。
魂は眠らない、ということでしょうが。
眠らない魂の方がいいような気がします。
お寺に木魚があるでしょう。
お魚は眠るかもしれませんが、まぶたを閉じないので、
眠らない喩えとして、魚を使うようです。
修行中は寝てはいけないということで
魚を木で彫って、眠らないように木魚を使うようです。
「修行中は眠らない」その心を木魚で象徴的に表しているのでしょう。
東寺にいるときに、仕事が一段落して、
ヤレヤレと、チョッと一服してる時に限って、
師匠の三浦先生にみつかって、「一服してはいかん」と
よくおこられたものです。
「人間に一服はない、一服する時は死ぬ時でいい」
「一服ぐらいいいじゃないか」と
怒られながらも、内心はそう思ってました。
また、精進とは「一服しない心」を言うのだそうです。
いま読んでます、安田先生の『十地経論講義』のなかに
『我々、人間だからくたびれるんです。それから睡眠もとらんならんし、
眠らんならんけれども、菩提心(ぼだいしん)には
眠るということはない。一瞬たりとも眠るということはない。
菩提心が眠った人間を支えとる。』
という言葉が、なんかひっかかってました、
わかったようで、わからんようで、
そんなこんなんで、
今日、『眠らない魂』なんて言葉が浮かんだのでしょう。
そうだ、本当の事を願う心は
『寝ても醒めても』思い続けているのではないか。
たとえば、身近な例ですと、
本気で人を好きになったら、寝ても醒めても
思いつづけますでしょう。
その心は、眠らないですよね。ずっと思い続けますでしょう。
その心を宗教的な立場で考え直してみると、
その思い続ける心が、悩み迷い、苦しんでる私たちを
支えつづけているような気がします。
すべての人に『眠らない魂』が心の片隅に
燃えつづけていると思います。
人間は休んでも、『眠らない魂』が燃えつづけている、
なんかいいじゃないですか、
そんな、発見が今日、クルマ運転中にありました。
魂は眠らない、ということでしょうが。
眠らない魂の方がいいような気がします。
お寺に木魚があるでしょう。
お魚は眠るかもしれませんが、まぶたを閉じないので、
眠らない喩えとして、魚を使うようです。
修行中は寝てはいけないということで
魚を木で彫って、眠らないように木魚を使うようです。
「修行中は眠らない」その心を木魚で象徴的に表しているのでしょう。
東寺にいるときに、仕事が一段落して、
ヤレヤレと、チョッと一服してる時に限って、
師匠の三浦先生にみつかって、「一服してはいかん」と
よくおこられたものです。
「人間に一服はない、一服する時は死ぬ時でいい」
「一服ぐらいいいじゃないか」と
怒られながらも、内心はそう思ってました。
また、精進とは「一服しない心」を言うのだそうです。
いま読んでます、安田先生の『十地経論講義』のなかに
『我々、人間だからくたびれるんです。それから睡眠もとらんならんし、
眠らんならんけれども、菩提心(ぼだいしん)には
眠るということはない。一瞬たりとも眠るということはない。
菩提心が眠った人間を支えとる。』
という言葉が、なんかひっかかってました、
わかったようで、わからんようで、
そんなこんなんで、
今日、『眠らない魂』なんて言葉が浮かんだのでしょう。
そうだ、本当の事を願う心は
『寝ても醒めても』思い続けているのではないか。
たとえば、身近な例ですと、
本気で人を好きになったら、寝ても醒めても
思いつづけますでしょう。
その心は、眠らないですよね。ずっと思い続けますでしょう。
その心を宗教的な立場で考え直してみると、
その思い続ける心が、悩み迷い、苦しんでる私たちを
支えつづけているような気がします。
すべての人に『眠らない魂』が心の片隅に
燃えつづけていると思います。
人間は休んでも、『眠らない魂』が燃えつづけている、
なんかいいじゃないですか、
そんな、発見が今日、クルマ運転中にありました。