本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

眠らない魂

2007-01-30 23:52:56 | 住職の活動日記
 車運転中に「眠らない魂」こんな言葉がふと浮かびました。
魂は眠らない、ということでしょうが。
眠らない魂の方がいいような気がします。
 
 お寺に木魚があるでしょう。
お魚は眠るかもしれませんが、まぶたを閉じないので、
眠らない喩えとして、魚を使うようです。
 修行中は寝てはいけないということで
魚を木で彫って、眠らないように木魚を使うようです。
「修行中は眠らない」その心を木魚で象徴的に表しているのでしょう。

 東寺にいるときに、仕事が一段落して、
ヤレヤレと、チョッと一服してる時に限って、
師匠の三浦先生にみつかって、「一服してはいかん」と
よくおこられたものです。
「人間に一服はない、一服する時は死ぬ時でいい」

「一服ぐらいいいじゃないか」と
怒られながらも、内心はそう思ってました。

 また、精進とは「一服しない心」を言うのだそうです。

 いま読んでます、安田先生の『十地経論講義』のなかに

『我々、人間だからくたびれるんです。それから睡眠もとらんならんし、
眠らんならんけれども、菩提心(ぼだいしん)には
眠るということはない。一瞬たりとも眠るということはない。
菩提心が眠った人間を支えとる。』

 という言葉が、なんかひっかかってました、

 わかったようで、わからんようで、
そんなこんなんで、
 今日、『眠らない魂』なんて言葉が浮かんだのでしょう。

 そうだ、本当の事を願う心は
『寝ても醒めても』思い続けているのではないか。

たとえば、身近な例ですと、
本気で人を好きになったら、寝ても醒めても
思いつづけますでしょう。
その心は、眠らないですよね。ずっと思い続けますでしょう。

 その心を宗教的な立場で考え直してみると、
 その思い続ける心が、悩み迷い、苦しんでる私たちを
支えつづけているような気がします。

 すべての人に『眠らない魂』が心の片隅に
燃えつづけていると思います。
 人間は休んでも、『眠らない魂』が燃えつづけている、
なんかいいじゃないですか、
 そんな、発見が今日、クルマ運転中にありました。
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今週の言葉1/29~2/3

2007-01-28 23:53:24 | 住職の活動日記
  そのうち
  そのうち
  べんかいしながら
  日がくれる
           相田みつを

 あっという間に1月も終わろうとしています。
1月の締めくくりと、気を引き締める意味で
この言葉を頂きました。
 
 そのうち お金がたまったら
 そのうち 家でも建てたら
 そのうち 子どもから手が放れたら
 そのうち 仕事が落ちついたら
 そのうち 時間のゆとりができたら

 そのうち……
 そのうち……
 そのうち…… と、
 できない理由を
 くりかえしているうちに
 結局は何もやらなかった
 空しい人生の幕がおりて
 頭の上に 淋しい墓標が立つ

 そのうちそのうち
 日が暮れる
 いまきたこの道
 かえれない


 ぞっとするような、厳しい言葉です。

 星祭のお札を書いてました。
60歳! 誰のこと? 
これが自分の年なのか! 実感がわかない、
気持ちは昔のまま

 京都から帰って、はや20年  あっという間です。
これからの20年、あっという間に過ぎていくのだろう。
しかし、20年生きるという保証はどこにもない。
 
 本当にこれから、一日一日が勝負だ。
 あわてることなく、一歩一歩確実に歩んでいこう。

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実はすごい方でした。

2007-01-27 00:35:43 | 住職の活動日記
 いつもは只のお花の先生かな? と、位にしか
思っていませんでした。
 今日はすごいものを持ってお参りに見えられました。

「特許が取れました。」

「ええ?」
「松の木下には草は生えないんです。
 そのことに目をつけまして、
 松の葉っぱから除草剤を作ったんです。もちろん無農薬です。
 そしたら田圃にいろんな虫達が帰ってきました。」

「これはすごいことですよね。」

「日本はもちろん、アジアのお米を作られるところへ
 指導に行きます。」
「それで、名前を『みろく』とつけました。」

 『みろく』とはまたすごい、仏さまの名前です。
お釈迦さまが亡くなられた後、56億7千万年して、
この世を救う為に現れる仏さまが『弥勒菩薩』(みろくぼさつ)
なのです。
 ほんとに、この除草剤が地球を救う、貴重なものとなるでしょう。

 普通のお花の先生かな?そのわりにはやけに草花の事が詳しい、
位にしか思っていませんでした。
 こんなすごい研究をされてるなんて、
本当に驚きです。

 その方の名前は「緒方敏郎」さんと言います。
日本農林規格登録認定機関 オイスカ・オーガニックの会長さん
でもあったのです。
 道理で、納得。
 しばし、弥勒菩薩のことにからめて、除草剤、
これからの、アジアの農業、地球環境のことについて
話が弾みました。
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涙が止まらなかった

2007-01-24 23:54:33 | 住職の活動日記
 夕方、「熊本の動物愛護を考える会」主催の
『いのちのメッセージ』パネル展を見に行きました。
人間の勝手で、捨てられた小さな命、
そのいのち達は、動物愛護センターに保護され、
人間に裏切られたことも知らず、
また迎えにきてくれることを信じて、
つぶらまなこで、檻のなかで、静かに待っている。
しかし、その先にあるのは「ガスの部屋」。

 クッソという思いが込み上げてくる。
このことを書きながらも、今も涙が止まらない。
何とかならないのか。

 「熊本の動物愛護を考える会」のホームページを見てください。
そして、小さないのちたちのために、
私達にできることを今一度考えてみてください。
どうぞ、すこしのお力を下さい。

(少し感情的になりましたが)

 生きるとは、残酷ですよね。
仏教の十善戒の第一は「不殺生戒」(殺すなかれ)

 人間の生は(生きるといことは)、他の命の犠牲のうえに成り立っている。
生きるということは、他のいのちを殺生する、(食べるということ)
他のいのちを頂けなければ(食べなければ)自分を殺生する、

 生きるということは、大きな矛盾です。

 私の大事な金魚(元は餌金、餌になる金魚)
しかし、家にたまにやってくる白鷺にとっては大事な食料、
どちらも大事…

 「殺生とは殺して生きる」

だから、本当は人間が生きるとは、大きな責任があるのです。
人間が生きる意味を見出せなかったら、
今まで頂いてきた(食べてきた)たくさんの命を無駄にしてしまいます。
人間だけが食い散らかして、食べ残し、
多くの命を無駄にしていいのでしょうか。

 人間は万物の霊長といいますが、今、地球を無茶苦茶にしているのは
人間ですよね。
 何を以って、万物の霊長といえるのでしょうか。???

 それは、唯、人間だけが「命の意味」を問う事のできる
かけがえのない存在だからではないでしょうか。
 と、私は思うのですが、

         ご意見を


http://blog.goo.ne.jp/soushou1
 崇正ブログも一緒に見てください。
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93センチになりました

2007-01-23 00:10:29 | 住職の活動日記
 去年の夏、うちに来た時は小さかったのに
今では
お寺の中では最大級の大きさになりました。
 「本蔵院のみなさま大きくさせていただいて
 ありがとうございます。
 まいにちのんびりさせていただいてます。」銀太 

http://blog.goo.ne.jp/soushou1/
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女性はすごい

2007-01-22 23:52:20 | 住職の活動日記
 お参りに行ったお宅で、
「今年八十になりました。それで市のほうからお祝いがあり、
行ってみると、ほとんど女性だったんですよ。
やり女性の方が強いのですかね。」
 とおっしゃってました。

 確かに、お参りに行ってても、
ご主人を亡くされた奥様は、なんか日に日にお若くなっていかれるような
気がするのですが?
 反対に奥様を亡くされたご主人の方はと言うと
なんか、だんだんと、しょぼくれて(失言)いかれるような…

 これは仏教のほうから言っても、一理あると思います。
師匠から聞いた言葉ですが、

  『雑事は仏事』

 雑用雑事が仏さまの仕事である。
確かに、雑事といいますか、下座行(げざぎょう)
簡単にはかがんでやる仕事、雑巾がけとか、草抜きとか、

 ここにヒントがあると思いました。
雑用雑事を毎日、こなしているのは女性ですよね。
日々仏さまの仕事をしてるわけですね。
  (どうりで強いわけか!)

 最近、新聞・テレビ・雑誌でよく取り上げられるのが
脳科学のことです。
 どうしたら頭の脳が活性化したとかありますよね。
見てましたら、包丁を使うというのも
切ったり、剥いたり、刻んだりということは
すごく前頭葉が働くそうです。
 本当はパソコンよりも手で書くという作業の方が
脳のためには良いようです。
基本は 『読み・書き・そろばん』 ということのようです。

 読み-まあお経を読む(まあこれはヨシ)
 書き-昔ほどではないが、筆を使ったりすることが多い
 そろばん-これが意外と難しい
  (最近始めた事ですが 1から1000まで数える)
  ついでに足踏みの機械に乗ってやるのですが
  600番代700番代とかなってくると、かなりとちりますよ。
  一度チャレンジしてみてください。

 『世の男性諸氏よ 雑用雑事に 挑戦しよう』

  『ボケないで元気な老後を夫婦一緒に迎えましょう。』

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今週の言葉1/22~1/28

2007-01-21 22:32:56 | 住職の活動日記
      『人に負け
        己に勝ちて
          我(が)を立てず
       義理を立てるは 
           男なりけり』   一休

 今週は一休さんの言葉を選びました。

 小さい頃、祖父の膝のうえで「負けるが勝ち」「負けるが勝ちぞ」
とよく言われました。
 「なんで」と思いつつ、ずっとわかりませんでした。
しかし、この言葉は心のどこかで、ことあるごとに叫んでいたようです。
 ベビーブームの頃で、周りや先生からは人に負けるな
と言われ続けてきました。

 今振り返って、この言葉を味わってみると、
実に、厳しいことばであります。
また、一休さんらしからぬ句のようでもあります。

 前にもご紹介したと思いますが、
時の、本願寺の蓮如上人とも親交が深く、
蓮如上人のご本尊の「阿弥陀如来」を枕に昼寝したとか、
 「阿弥陀には まことの慈悲はなかりけり
         頼まぬものは たすけたまわじ」と
蓮如上人に問われると、
 すかさず、蓮如上人は
 「武蔵野の 葉ごとに 月は宿れども
         露なき草に 月は宿らじ」と
歌を返されたという、話もあります。
 
 一休さんの有名な歌には
 「門松は 冥土のたびの 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」

 「釈迦という いたずらものが 世に出でて 世の人々を 惑わしにけり」

 「女をば 法(のり)の御蔵(みくら)というぞ
         釈迦も達磨も ひょいひょいと生む」 

 というような風刺的な歌が多いようです。

 今週の言葉のような歌は、一休さんらしからぬ、
正面から一本というような「歌」はめずらしいような気がします。

 なかなか、この歌のようには出来ませんが
深く心にとどめておきたい「歌」です。 
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ブログは生きもの

2007-01-21 00:26:34 | 住職の活動日記
 いろんなことが思い浮かびます。
これを書こうと、ブログの下書きとして残してます。
ずいぶんたまってきました。
ところが、昼間浮かんだ感動はもう夜には消えているのです。

ほんとうに そのときそのときが勝負ですね。
貯めたらアカン。

 ベッキーさんでしたか、携帯を使って、
リアルタイムにブログを編集されてることを以前テレビで見ました。
その時は、えらいまめにめんどうなことするんやな、と思ってました。
が、今になってみると
頭に浮かんだこと、感じたこと、感動したこと、
疑問に思ったこと、その時そのとき、書いていけたら
どんなに素晴らしいかと思いました。

 そう今日は、お参りの途中というかお仏壇の前に坐った途端
携帯がなりました。
 東寺の三浦文良さんから、「ちょっとすいません」とお宅の方に
お断りをして、電話に出ました。

 「めずらしい方が尋ねてこられましたよ。」
ユウカイさん(漢字の名前は忘れました)フランス人のお坊さんです。
お医者さまだったんですが、密教に興味をもたれ、
青木融光というお坊さんのもとで出家得度され、
フランスでお寺まで開かれた方です。

 当時、東寺にいる頃、これも後七日御修法のつながりで、
せっかくフランスからお見えになり、密教の勉強をしているということで、
お勤めの終わった道場を、一般公開前にこっそりお参りしていただきました。
そのときも、えらく感動され、その後何回か
フランスより14日の道場公開を目指してお見えになりました。
  
 随分久しぶりに来られた様子です。
お会いしたいと思いながらも、あまり長電話も出来ずに
切りました。
 お互いに年を取ったでしょうね。

 
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花キン

2007-01-19 11:37:20 | 住職の活動日記
 今日は金曜日ですね-花キンというのでしょうか。
私は経験がありませんが、土日と連休になるので、
花の金曜日というのですか?。
 明日あさってが休み、という今日はやはり愉しいものでしょう。
 
 これは人間の心と体がバラバラだから愉しいのです。

 金曜日の午後過ぎてくると、なんとなく心がうきうきしてくるのでは?
しかし、日曜日の午後を過ぎた頃から、なんとなく心が重い。
明日からまた、仕事か。

 事実は、金曜日は仕事、終わるまで仕事に集中、
土曜日曜は48時間、好きに自分の時間として楽しめばいい、
月曜からはまた仕事に集中する。
 というのが本当なんですが。

 どういうわけか、金曜にもなってくると、仕事中にもかかわらず
休みのことが、頭の中を駆け巡ります。
 日曜の午後になると、まだ休んでいるのに、
月曜からの仕事のことが、頭の中に浮かんできます。

 昔話に、座禅してたら、となりの婆さんに3年前に
米3合貸してたのを思い出した。
という笑い話みたいなこともあります。

 人間なかなか『心と体』が一緒になるということは難しいのです。
修行時代、師匠から、掃除をしていると
『箒と体がバラバラになってるぞ』とよく叱られました。

 仏教ではそのときそのとき、そのものになりきることを
『無住処涅槃』(むじゅうしょねはん)という言葉で、
悟りの境地を表現しています。
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永代供養墓 島崎観音廟

2007-01-18 23:34:31 | 住職の活動日記
 毎月18日1時より、菩提樹苑の島崎観音廟では
永代供養墓の総供養があります。
18日はお観音さんのご縁日の日にあたります。 
 ここ菩提樹苑のお観音さんの日は天気がよくなるとのジンクスがあり
今日も昨日とは打って変わって穏やかな日になり、
良いお参りが出来ました。

 永代供養のお墓も全国にたくさんありますが
毎月、お名前を読み上げてご供養しているのは当院だけではないかと思います。

 今日も新しい方が見学にお見えになりました。
一緒にお参りされて、大変納得されたご様子でした。

 ある方のご相談が発端でした、
「私が亡くなった後どうなるのでしょうか。」
「あと誰もお参りしてくれる人がいないのです。」
それから、
 そういうご相談が続きました。
ご縁の方がいなくなっても、寂しくない、誰でも気楽に
通りすがりにでも、お参りできるようなお墓を作ろう。

 試行錯誤のうえ、たどりついたのが
現在のお墓の形でした。
 高さ4メートル長さ15メートルのお観音さんのレリーフです。
そのお観音さんに抱かれるような形で
個別のお墓が並びます。
 (菩提樹苑のホームページもご覧下さい)
これだけ大きなお観音さんのレリーフでしたら将来、
熊本の名物になるのでは?  との思いも込めて、
 桜も満開に咲き、うぐいすも鳴き、
有縁の方が亡くなっても、寂しくならない、また
 熊本市内が一望でき、まさに極楽浄土ではないかと、
  (自画自賛!!)思っております。

 なんと言っても毎月ご供養できるのが一番ですね。

 これからこういう形の永代供養のお墓が注目されますし、
求められてくるような気がします。

 通りすがりにでも、ぜひ、お立ち寄りください。

今日はお寺の宣伝になってしまいました。お許しを!
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