本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「 稟受 」  ( カリスマ )

2012-01-31 15:18:52 | 住職の活動日記
 珍しい字に出会いました。

  稟受 ( ひんじゅ ) と読みます。

または 「 稟性 」 というようにも使います。

 明治のころの方は、こういう難しい文字をよく使われたようです。

漢字に対する力があったのでしょう。

 「 精神主義 」 を唱えた 『 清沢満之 』 という方も、

また、熊本出身の 『 高群逸枝 』 という方も使っておられます。


 漢和辞典には 「 天から受けた性質 」 とあります。

「 稟 」 は、禾偏もありますから、

年貢、とか 「 ふち 」 扶持米、さらに 米蔵 という意味もあるようです。


 どういう場面でこの字に出会ったかというと、

『 十地経 』 というお経の中で、

努力の世界と努力を超えた世界、  と、こういうことがあって、

初地から七地までは、努力を積み重ねていくという、

『 八地 』 が 「 不動地 」 といって、

お不動さまの 「 不動 」 ということです。

「 動かない 」  というより、 「 動かされない 」

または、寝ても覚めても、とうい 「 不断 」 に行じていく

やったりやらなかったり、時々やったりとかではなく、

やり続けていくというところに、 『 不動 』 という内容があるようです。


 そのなかで、 『 八地 』 からは

努力がなくなっていく、必要としない、

『 地 』  ということの、 「 地 」 が持っている力、

「 七地 」 までは、努力によって付け加えていくのですが、

「 八地 」 からは、持ってるものが開かれていくということです。

 その 「 地 」 が持っているものの力ということで 稟受 という表現をしています。

 「 打てば響く 」 ということがあります。

理解するということではなく、

なんかよくわからないけれども、 心に響いてくる、 ということがあります。

自分の中にあったものが、出会ったものによって、

   そうだ !!  と  頷き 

心の中に、すとんと落ちることがあります。

 それは、自分が本来持っているものに響いたのでしょう。

打ったことを縁として本来自分の中にあるものが現れてくる、ということです。


 本来は、この 『 稟受 』  とか  『 稟性 』  ということを

ギリシャ語では  カリスマ

( Charisma ) ということにあたるようです。

 本来持っている、 『 素質 』  勝れた素質、  恵まれた素質、

という意味でしょう。

 今では 「 カリスマ 」  ということも、

少し別な意味で一人歩きしているようですが ?

    …    …


 今日は 『 稟性 』 『 カリスマ 』 ということが、

      心に響きました 。   ので、






  
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おはようございます。!

2012-01-30 09:53:53 | 住職の活動日記
 朝日にあたる 「 バラ 」 がとても綺麗でした。




    



とてもゆっくりした成長です。

今年の正月から、まだ蕾でしたが、ゆっくりゆっくり膨らみ始めています。




   



 本当にしばらくの間、楽しみです。


これは、昨日の写真です。


 太陽にすかされた花びらがとても美しいです。

  「 真っ赤に流れる、バラの血潮 ?  … 」

 ではないですが、そのいのちの働きまでも透けて見えるようです。


 今は、空も    というところですが、

起きたときはどんよりと、曇っていました。


  そのときの ばら です。


     



     今日もがんばりましょう。  

            








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今週の言葉 1/30~2/5  「 言うは易く 行うは難し 」 

2012-01-29 20:52:11 | 今週の言葉
      「 言うは易く 行うは難し 」 
             やす  おこな  かた



 昔から言い尽くされた言葉ですが、あらためて自分に置き換えて考え直してみると、

本当に難しいことです。

 私たちは、いろんな場所でお話しする機会も多く、

言うことだけは立派かもしれませんが、その実践となると、  

本当に難しいものです。


 今もテレビ 「 ナダル 」 と 「 ジョコビッチ 」 の優勝を賭けた試合が

続いています。

 テニスなどしたことのない私が見ていると、

何とはなしに出来るような気になってくるのが不思議です。

当然、ラケットを握ったら振ることすら出来ないでしょう。

 ここ数日、試合を観戦しただけで、「 ああだこうだ 」 いうのが

おかしな具合です。


 本当に 「 言うは易く 行うは難し 」 なのです。


 幸せになる方法を説く方が、必ずしも自分が幸せとは限りません。

経済学者の方が必ずしもお金を儲けをして財産家というわけではありません。



また、

 「 沈黙は思想の妊娠期である 」

と、亀井勝一郎さんが述べておられます。

 私たちは ( 特に、私は ) 人から良いことを聞くと、

すぐに、エラそうにしゃべりたがるものです。

 それを一度、沈黙の中に沈潜させることが必要、とおっしゃっています。

借り物ではなく、自分の言葉とするまでに、噛み砕き、心の底からうなづける

そういう時がいるのです。

 どれほど深い 「 沈黙 」 を持ちえるかが、その人の実践と

言葉に味わい深いものを与えてくれると思います。


 お釈迦さまが悟りを開かれたとき、

すぐさま、菩提樹の下から立って、悟りの内容を説かれませんでした。

「 梵天勧請 」 という形で表現されています。

 お釈迦さまの悟りを聞きつけて、娑婆世界の王である 「 梵天 」 が

お釈迦さまの前にひれ伏し、 「 どうか悟りの内容を説いてください。」

とお願いされます。

 しかし、お釈迦様は、「 説かない 」 とおっしゃいます。

最初の七日、次の七日、次の七日 …  と

通いづめられます。


 「 何故説かれないのですか ? 」

  『 私の悟った法は、微かで妙なるものです。

    たぶん、自分勝手で欲深い人間にはわからないであろう。 』

 「 しかし、世の中には穢れの薄い人間もいます。
 
   必ずや、あなたの教えを受け取ることの出来る人もいます。

   どうか、悟った教えを説いてください。」


と、さらに懇願されます。

そして、ついに四十九日目に座を立って、最初の教えを説かれたと

お経には書いてあります。


 お釈迦さまも、 四十九日間の 「 沈黙 」 が、その教えをさらに吟味し、

深く深く自分のものとして、具体化されていったのでしょう。


 そこからは、

お釈迦さまの説法を 「 獅子吼 」 と表現されるように、

亡くなられるまで、説き続けられたのです。

解るとかわからない、を超えて、説かずにはおれない、

 ( わかってもらえるから話そう、というのではないのです。)

だから、ライオンが吼えると、喩えられたのでしょう。

 自分に対する非難が起こっている村であれば、その村を通り過ぎるのではなく、

わざわざその村に出向いていって、法を説かれた。

という話が残っています。

 そこが本当の実践なのでしょう。


 そのたとえではないのですが、

東寺にいるころ、お寺の修復事業で、募金活動に回りました。

よく、断られるときもあるのですが、

「 断られても、何回もいくのです。!! 」

 と、三浦先生の叱咤激励もあり、

恥ずかしさをこらえて、再度、お願いに行くのですが、

そこから、不思議と色々な展開があったことを思い出します。


 最近は 「 沈黙 」 ということも忘れているようです。


 「 言うは易く 行うは難し 」


 噛み締めなおす言葉です。






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『 初不動 』  を控えて

2012-01-27 21:54:38 | 住職の活動日記
 いよいよ、明日は、今年最初の 『 不動護摩 』

『 初不動の大祭 』  です。

諸事万端整えて、明日の初不動に臨みます。

 今日もお参りの方々が絶え間なく続き、その合間を縫って、

全員協力体制で準備を進めました。

 やっと、整えたと思った矢先、ご逝去の報が入りました。

明日あさってと段取りよく、それぞれ分担して勤めなければいけません。


 テレビでは 「 ジョコビッチ 」 さんのテニスが始まっています。

テニスもよくわからないのですが、さすがに世界1位の選手だけあって

見ごたえがあります。

「 錦織選手 」 はとても残念でした。

もし勝っていれば、この ジョコビッチと対戦するところでした。

しかし、テニスはとても長い試合です。

あれこれ用事を済まして、居間に戻ってきますと、まだ対戦中です。

まさに死闘ですね !!

どちらも頑張れ    です。



   


 その対戦をよそに 「 アヤちゃん 」  とても幸せそうな眠りについています。



   



 今が一番幸せ   

自分ひとりになり、家族全員の幸せを一身に受けています。

ちょっと以前は、花子に銀太、もいて、

ストレスもたまり、血が混じった胃液をあげていました。




    


 毛並みもよくなり、これが15歳のおばあさんでしょうか ??

にゃんとも …  わが世の春というところでしょう。 



 カメラの気配に気づき、

    


 「 なぬ~ ! 」 と、ちょっと目を覚ましたものの、



うん~~  もうだめ

    



 これが最高      というところでしょう。


 アヤちゃんの顔に癒されながら、明日の英気をいただきました。






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自分のことは  …  ??

2012-01-26 20:30:12 | 住職の活動日記
 昨夕、遅くに、

  「 こんばんわ !  先日の写真が出来たけん 」

と、友人が届けてくれました。


 この年になると、お分かりと思うのですが、

 自分の写真なんか見たくもありません。


案の定、えらくふけた年寄りが写っています。

 届けていただいたのに申し訳ないのですが、封筒に入れてゴミ箱へ


 昨日の話ではないのですが、

自分が考えている、思っている自分と

写真の自分は、どうも      …  …   

かけ離れているような   きがする  のです。

 たぶん、写真の自分は、写されたタイミングが悪かった、  とか

角度が悪かったとか、言い訳をしつつ

これはどうも本当の自分ではないと思ってしまいます。

 しかし、第三者が見れば、

そのままの写真ですよ !!     といわれるのが落ちですが、


 昔から、

  「 自分のことは四つ辻に立って聞け 」

といわれますが、

自分が考えている自分と、人が見ている自分では大きな差があるようです。

人には差がないのです、

自分が勝手に、自分の姿を思い描いているだけなのでしょう。




    




 これ、バーチャルの世界で作り上げた自画像です。

自分ではこんな風に思っているのです。


 しかし、周りの人が見ている自分とは

捨ててしまったのですが、写真の姿なのでしょう。

 捨ててしまわずに、机の前において、


  「 あなたの姿はこれなのですよ !! 」


と、思い知らせなければいけないのです。


 「 自分 」  といっても

自分が考えている自分と、周りの人が評価している自分とは

大きな差があるようです。

 どうしても、自分が一番輝いていたころの自分を描きながら

生活してしまっているようです。


 80の女性に聞きました。

  「 80歳ってどんな気持ち ? 」

 すると、

  「 気分は娘タイ !   」

 と答えが返ってきました。


今朝のテレビでも、
 
   銀さんの娘、四姉妹、インタビューに答えて、

  「 幾つから老後でしょうかね ? 」

 97歳の長女の方  「 さ~  100歳ぐらいでしょうかね 」


 ほんとに、自分の姿とはわからないものです。  

                 ?????




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「 敵は自分の内にあり ! 」

2012-01-25 20:57:37 | 住職の活動日記
 「 今の自分には痛い言葉でした。」

というコメントをいただきました。

昨日の勉強会、

どのような言葉でも、「 自分にとって痛い言葉 」 と受けとめられた、

その感覚が大事だと思います。

 「 とてもためになる話でした  !? 」

という、ご感想は、   ま~どうでもいいような話なのです。

 本当の話は、切れば血が出るようなもの、なのです。



 なかなか、自分がかわいいものですから、

素直に人の話が聞けません。

どうしても自分の都合に合わせて、都合のいいように聞いてしまいます。


 「 無始よりこのかた、妄想に纏 ( まと ) われて衆罪をつくる 」


という一文が、 「 密厳院発露懺悔文 」 ( みつごんいんさんげほつろもん )

お経の中に書かれてあります。


 「 無始より … 」 私たちが生まれる前からということでしょう、

自分が一番かわいいという、「 妄想 」 に纏われているという、


 だから、ちょっとやそっと、「 痛い話し 」 を聞いたくらいでは

この妄想は破れないのです。

 私たちの心は上手にこの 「 妄想 」 によって撥水加工されています。

だから、大事な話を聞いても、自分に都合が悪かったなら、

弾き飛ばしてしまうのです。


 先日 テレビの番組で 「 受験の塾 」 の話しが出ておりました。

その先生方が頭に 「 克己 」  と書いたハチマキをして教えておられました。

やはり、己のわがままな心に打ち勝つ、ということでしょう。

 そして、自分の遊びたい、怠けたい心に打ち勝って

受験を勝ち取ろう、ということなのでしょう。


 物事がうまく運ばないと、

人のせいにしたり、回りの環境が悪かったり、条件がそろわない等と

自分が問題にならないのです。

しかし、 敵は自分の内にあり  です。

 自分がかわいいという考え方が欠点を外に見るのです。

この考え方を見抜かれたのがお釈迦さまです。

 悟りを開かれる前に 「 降魔 」 ( ごうま )という場面があります。

 ただじっと座って悟りを開かれたのではなく、

自分の敵と戦った、という歴史があります。

 悟りを開かれたとき、

   「 我は戦いに勝てり 」

 との言葉を発しておられます。


  「 汝の第一軍は楽欲ぞ、第二軍は不快なり、第三軍は飢渇ぞ、

    第四軍は渇愛ぞ、第五軍はこれ堕懶、第六軍は怖畏ぞかし。

    第七軍は疑なれや、第八軍は虚栄と剛情、第九軍は名利にて、

    第十軍は自讃毀他なり。」


自分に都合のいいこと、といいますが

ここまで細かく分析されたところに、おしゃかさんのすごさがあります。


 人間、自分の敵が見つかった、ということが大事なところです。





    ( 当たり前に何の苦もなく過ごしていたら、

      敵なんかいないですよね !! )







 
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寒さの中で !!

2012-01-24 22:06:26 | 住職の活動日記
 今朝は、ここ最近では、一番の冷え込みではなかったでしょうか。

週間天気予報では 「  」 マークが出ていました。

けれども、雪は降らず、気持ちよく晴れ上がりました。



    



 すっかり葉を落としてしまった 「 アジサイ 」 、

私の目から見ると、この姿も味があるものです。




    



 でも、ちゃんと春の準備を整えています。

寒さの中、かたい 新芽 をゆっくりと膨らましています。


バラの花

    



お正月から、ゆっくりゆっくり、蕾が膨らんでいます。

寒い時期に咲く花は、とても長い間その姿を楽しむことが出来るのもうれしいものです。

先日まで、気温も緩んできたので、ふくらみだしたのでしょうが、

今日からの冷え込みにびっくりしていることでしょう。



  ひたすらなる 「 信 」

     すべての葉をおとしてしまって

     冬を生きている

     雪やなぎ

     やまぶき

     もくれん
   
     沙羅双樹

     榎

     あじさい

     …………

     …………

     でも よくみると

     みんな

     既に

     芽を用意している

     蕾まで用意している

     固く

     固く

     その芽を 守り

     固く

     固く

     その蕾を 守りながら

     まだまだまだ

     なかなかなか

     やってこない 「 春 」 を信じて

     冬を 生きている



     おがみたくなるような
   
     植物たちの

     「 信 」 の  姿


  
                       東井義雄




アジサイを見ていると、東井先生の詩を思い出しました。





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「 こんにゃく  … ?? 」

2012-01-23 15:49:02 | 住職の活動日記
 おじいさまの祥月命日、

お孫さんもそろってのお参りです。

 家に着くと、中から、大きな声が聞こえています。


 「 でしむこうじんみらいさい … 」


もう皆さんそろって、お経の稽古の様子、

おばあさまが教えておられます。


    



 でも、ひらがながふってありますので、

もう、じゅうぶん大きな声で読めるのです。


 お経が始まると、小さな声で一緒に読んでいただけました。

お勤めが終わると、

 「 おぼうさんにしつもん 」

 「 『 こんにゃく 』  って、どういういみですか ? 」  

どうもこの言葉にはまられたようで、

 兄弟して笑いが止まりません。     




    

そういうと、  …   #$#? あわてて経本を取り出し、


   



 「 衆生被困厄 」 ( しゅうじょうひこんにゃく )

いつもそらんじて、お経は口から出てくるのですが、

経本のなかの場所が、ぱっと出てきません。


 そうこうしているうち、

お子さんたちは、つぎつぎと興味がわいてきます。



 「 『 毒薬 』  とかあるよ ! 」


   と、  お経の中にこんな言葉があるのが不思議なのでしょう。


 「 念彼観音力 」

これは何回も出てくるよ  !!


 お経の見方がとてもいいのです。

漢字ばっかりでわからない、 と最初から見ようともしないのが普通です。

 それを、   わからないけど  

あちこち、ページをめくられている様子が、

お経になじんでおられるという、感じを受けました。


 お経に接するということはこういう姿勢が大事です。

何回も何回もあちこち見てみる、お経の漢字になれてくる、

これがお経を読む姿勢なのです。

 

 しかし、今日は一本やられました  

「 こんにゃく 」  といわれて、ぱっと切り返せなかったのです。

まさかそこから出てくるとは、   

想定外でした。


 しかし、とてもうれしかったのです。

  ( 今度は腕を磨いておきます。 )









   
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今週の言葉 1/23~1/29 「 愚かさとは、深い知性と謙虚さである 」

2012-01-22 21:13:08 | 今週の言葉
           愚かさとは、

       深い知性と謙虚さである。


                    平澤 興


 おりにふれて、 『 平澤 興 先生 』 の本を読んでいるのですが、

その中で、この言葉に出会いました。


 『 癖は飾りもの 』 という題で書いておられます。

     ( 少しご紹介します )

        

   欠点をなおせというよりも、長所をのばしなさい。

   長所といえども癖である。

   この方の癖をのばせば、

   悪い癖もその大きさの中にかくれてしまう。

   そして、かくれた癖は時に応じてその人の味わいとなり花となって、

   その人に芸術味を与えることになる。


   癖がその人の芸術になるまで、

   それくらいになるまでに成長しなければ、

   一人前の人間とは言われない。

   人間が大きくなれば、癖は飾り物になる。


   人の欠点が目につく間はまだ駄目です。

   それらの欠点が、飾りに見えてくれば、ほんものでしょう。


   ほんとうの大物は、

   よい意味でどこか足らぬところがある。

   それがまた魅力であり、風格である。


   人物が出来れば出来る程、

   大賢は愚に似たりで、

   話すほどに、飲むほどに、いわゆる癖のない

   型にはまった人にないものが風格として出てくるものである。


   愚かさとは、深い知性と謙虚さである。

   人に窮屈さを与える真面目さでは、

   ほんものにはなれない。


   一杯飲みながら、人から悪口を言われながらも、

   面白いなあと言えるほど、

   深さとおろかさ ( 謙虚 ) が大事である。

   その悪口に対する反論はやすやすと出来るが … 。 

   楽しくにこにことして飲むのは、

   常識でいう真面目さ以上のものである。


   反対する場合は一言、毅然として言うがよい。

   多言はいらない。



   人は単に年をとるだけではいけない、

   どこまでも成長しなければならぬ。


と結んでおられます。

 抜粋ですがご紹介さていただきました。


 スティーブジョブズさんが   常に愚かであれ

といわれていたことを思い出します。

 本当の愚かさとは知性と謙虚さに裏打ちされたものなのです。


 それから、平澤先生の実践の言葉で、

  「 一にも努力、二にも努力、三にも努力 」

という言葉が頭に残っています。

「 愚かさ 」 という、境地にまでなられたのは

ひとえに、並々ならぬ努力の賜物なです。






  
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フラワーショップ 「花春秋」 から 株式会社 「花春秋」 へ

2012-01-21 22:05:36 | 住職の活動日記
 天草の大矢野で小さなお店から出発され、

そのとき、「 お店の名前を付けてください 」 とお見えになりました。

 一緒に考えながら、いろいろ候補は出たのですが、

『 花春秋 』 に決まりました。

 それから、天草・本渡にも支店を出されるようになり、

平成21年には本店の大矢野のお店を鉄筋コンクリートで新築され、

今年になって 「 熊本市内 」 にもお店を構えられました。

今日はその 御祓い です。


 


 掛け軸の 「 お不動さま 」 にご出張いただきます。


それから、少しよもやま話、

 「 熊本市内は花のお店も多く大変でしょう ? 」


 「 それでも、あせらず、丁寧な満足していただける仕事をさせていただきます。

   花春秋さんに頼めば大丈夫、といわれる仕事を、
  
   一歩一歩していきます。」


とてもこの言葉に感動しました。

儲けるより、一つずつ信頼していただける仕事をしたい、


そうですね、 「 一気にはいけません。」

何ごとも信頼していただけるということが大切です。


 「 天草では 『 花春秋 』 さんに任せておけば安心です。」

といわれるようになりました。 


若い皆さんの力で勝ち取ってこられたのです。


 お布施をいただいたとき、



   



 『 花春秋 』 このお店の名前を完全に自分のものにされたように感じました。

ただ、命名しただけです。

そこから大変なご苦労があったことと思います。

『 花春秋 』 というお店が、立派に歩き出しています。

フラワーショップから 「 株式会社 花春秋 」 になったのです。


 これからも、信頼されるお店になっていけば、絶対大丈夫です。

お不動さまも静かに見守り続けておられることでしょう。




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