『 勇気をもって
自分の信じた道を
歩いて行く 』
三浦俊良
先生がお書きになった 『 東寺の謎 』 という本を読み返しておりました。
( この 『 東寺の謎 』 は 「 巨大伽藍に秘められた空海の意図 」
という副題がついていて、平成13年に 『 祥伝社 』 から出版され
現在も書店で平積みされているほど人気の本です。)
一番最後の 「 わたしの歩いてきた道 」 という章は、何回でも読み返し、
また、原点に戻り、頑張ろうという勇気を頂く場所でもあります。
今週の言葉はその中から頂きました。
そこのくだりをご紹介します。
「 よその真似はしなくてもいいとおもいます。
勇気をもって自分の信じた道を歩いていく。
人がなにをいおうと迷わずにいくことです。
人間が迷うのは、ほかに迷わせるものがあって迷うのではなく、
自分が自分に迷っているのだとおもいます。
だから、ほんとうに真面目に道を求めてやっていく。
こういうことが人間の生き甲斐だとおもいます。」
… 中略 …
( 息子が歌手になりたい ! といいだしたとき、
止めてくれるものと思って、三浦先生に相談にいったのです。
息子の目を見て 、
「 あなたなら出来る、しっかりおやりなさい ! 」
といわれました。
その時は自分のことで一杯でしたので、 なぜ ??
と、先生の心が理解できませんでした。
が、ほんとうは、どの道でもいい、一生懸命にすれば
それがその人の生き甲斐であり、人生なのです。
『 坊主にしよう 』 というのが親の欲なのです。 )
「 いろいろなことがありました。
そのなかでわかったことは、人間はいつも崖っぷちにたっているんだ。
崖っぷちにたって明日もわからない、
一寸先もわからないところにたっているのが人間なんだということです。
明日もあさってもあるとおもうのが問題なんです。
ちゃんと生きているということは、
目標に向かって命をかけ、そして願いを込めてやりとおすこと。
『 信に死して願に生きる 』 ということです。
人間は損した儲かった、好きだ嫌いだ、という世界を
いっぺん ( ) カッコにいれて、
生まれかわった身にならないといけないとおもいます。
生きているんですから迷いもすれば悟りもするでしょう。
あのときこうすればよかったとか、という後悔の念や、
あれが欲しいという欲の念、
あの人は嫌いやという好き嫌い、
怠けたい、いやになった、そして誹謗や邪魔といったことは
生きているあいだは消すことができません。
だから ( ) カッコにいれて、大願をたてて、
わたしはこの道をいくんだと決めたら進んでいくことだとおもいます。 」
不思議なもので、何回読んでも、新鮮に受け取れるのです。
そして、その時の先生の顔が浮かんできます。
顔というより、先生の声の響きです。
声の響きには、私には叱咤激励のように聞こえてきます。
また、自分が恥ずかしくなってくるものです。
『 真剣に生きてるか ! 』
と、問われているのです。
自分の信じた道を
歩いて行く 』
三浦俊良
先生がお書きになった 『 東寺の謎 』 という本を読み返しておりました。
( この 『 東寺の謎 』 は 「 巨大伽藍に秘められた空海の意図 」
という副題がついていて、平成13年に 『 祥伝社 』 から出版され
現在も書店で平積みされているほど人気の本です。)
一番最後の 「 わたしの歩いてきた道 」 という章は、何回でも読み返し、
また、原点に戻り、頑張ろうという勇気を頂く場所でもあります。
今週の言葉はその中から頂きました。
そこのくだりをご紹介します。
「 よその真似はしなくてもいいとおもいます。
勇気をもって自分の信じた道を歩いていく。
人がなにをいおうと迷わずにいくことです。
人間が迷うのは、ほかに迷わせるものがあって迷うのではなく、
自分が自分に迷っているのだとおもいます。
だから、ほんとうに真面目に道を求めてやっていく。
こういうことが人間の生き甲斐だとおもいます。」
… 中略 …
( 息子が歌手になりたい ! といいだしたとき、
止めてくれるものと思って、三浦先生に相談にいったのです。
息子の目を見て 、
「 あなたなら出来る、しっかりおやりなさい ! 」
といわれました。
その時は自分のことで一杯でしたので、 なぜ ??
と、先生の心が理解できませんでした。
が、ほんとうは、どの道でもいい、一生懸命にすれば
それがその人の生き甲斐であり、人生なのです。
『 坊主にしよう 』 というのが親の欲なのです。 )
「 いろいろなことがありました。
そのなかでわかったことは、人間はいつも崖っぷちにたっているんだ。
崖っぷちにたって明日もわからない、
一寸先もわからないところにたっているのが人間なんだということです。
明日もあさってもあるとおもうのが問題なんです。
ちゃんと生きているということは、
目標に向かって命をかけ、そして願いを込めてやりとおすこと。
『 信に死して願に生きる 』 ということです。
人間は損した儲かった、好きだ嫌いだ、という世界を
いっぺん ( ) カッコにいれて、
生まれかわった身にならないといけないとおもいます。
生きているんですから迷いもすれば悟りもするでしょう。
あのときこうすればよかったとか、という後悔の念や、
あれが欲しいという欲の念、
あの人は嫌いやという好き嫌い、
怠けたい、いやになった、そして誹謗や邪魔といったことは
生きているあいだは消すことができません。
だから ( ) カッコにいれて、大願をたてて、
わたしはこの道をいくんだと決めたら進んでいくことだとおもいます。 」
不思議なもので、何回読んでも、新鮮に受け取れるのです。
そして、その時の先生の顔が浮かんできます。
顔というより、先生の声の響きです。
声の響きには、私には叱咤激励のように聞こえてきます。
また、自分が恥ずかしくなってくるものです。
『 真剣に生きてるか ! 』
と、問われているのです。