『 型 』 を身につけ、本物に触れ、
感性を養っていけば、
心が満たされ、
美しく生きることができる。
90年以上続く 『 理容米倉 』 。 その3代目、米倉宏さんの言葉です。
米倉さんの生き方には確固たる美学があり、そこには美しく、
生きるためのヒントが隠されているようです。
「 理容師としての専門の知識や技術は、 『 型 』 として
身につけなければならないものです。
『 型 』 というのは先代からもらった貴重な財産。
歌舞伎役者さんは、一生かけて自分の 『 型 』 を
作り上げるために修行されるそうですが、
理容師も同じなのです。
そして、もう一つ大切なことは、
感性や情緒を身につけること。
そのためには、 私自身が 『 本物 』 を知らないと
いけないと考えています。 」
この言葉を聞きつつ、思い出すのは、
三浦先生がいつも口にされていた 『 型の大切さ 』 です。
西京極幼稚園でも、園児たちに 『 型 』 を教えていかれました。
意味よりもまず 『 形 』 です。
お辞儀はこうするのですよ。並び方、座り方、歩き方まで、
日常生活でも何気ない動作の中にも 『 型 』 たたき込んでいかれました。
まして、保育発表会になると、
足先から、指先に至るまで厳しく指導が入りました。
なんでそこまで、と思われるかもしれませんが、
形を教えていくことで、その動きに美しさが出てくるのです。
私の子どもも、小さいころは 「 米つきバッタ 」 というあだ名でした。
誰に対しても挨拶は90度くらい頭を下げてお辞儀をするので、
そういうあだ名が付いたのでしょう。
私たちのお寺での修行も 『 型 』 を身につけていくことから始まります。
お参りするときの作法、日々の所作、一つ一つ 『 型 』 叩き込みます。
道元禅師も、
『 威儀即仏法 』 ( いぎそくぶっぽう )
と、いうことが教えの中心です。
「 形を整えていくことが仏さまの教えである 」
「 行住坐臥 」 すべての立ち居振る舞いが
仏さまの教えにかなっていなければいけない、
ということです。
歌舞伎の世界でも、能の世界でも、
『 型 』 を身につけることが至難の業です。
顔の前に手をかざすだけで、悲しみの表情を表す。
なんでもない所作ですが、これが身に付くまでには
長い修行が必要なのです。
最後に米倉さんは続けます。
「 基本的な身だしなみも、毎日続けることでひとつの 『 型 』 になります。
この 『 型 』 を持っている人は、
品格が備わっている人が多いと感じます。
また、 『 型 』 を身につけ、本物に触れ、
感性を養っていけば、心が満たされ、暮らしを楽しめるのではないでしょうか。
楽しいと感じながら生きることこそ、
美しく生きることにつながるのではないかと思います。」
なるほどです !!
年とかではなく、
立ち居振る舞いの所作が、『 自分の型 』 になるまで
修行していくことが、心も身体も喜ぶことでしょう。