本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

煩悩即菩提

2015-10-31 20:15:14 | 十地経

弘法大師は「煩悩即菩提」と

おっしゃっています。

煩悩を断じて菩提のさとりを

得るのではない。

煩悩がそのまま菩提になるのだ

ということですが、

言葉ではわかるような、

気もするのですが … ?

 

「渋柿の渋そのままの甘さかな」

 

という一句で、

「煩悩即菩提」

ということを説明します。

渋柿の渋をとってしまって

甘くなるのではない、

渋そのものが日に照らされ

風に晒されて、

甘くなっていくのだと、

 

浄土真宗の親鸞聖人は

「不断煩悩得涅槃」

と説かれています。

煩悩を断ぜずして、

涅槃(さとり)を得るのだと、

 

時代は違えども

やはり同じことを説かれています。

 

仏教では二つの障りがあると

説いています。

一つは煩悩障(ぼんのうしょう)、

もう一つは所知障(しょちしょう)、

です。

やはり障りということが

私たちを悩ませるもとです。

 

「さわり」ということですが

子どもの頃、熱が出て

なかなか引かない、

すると

祖父がお祓いをしてくれます。

「隣のお墓で遊んだろ!」

幽霊風をもらっていると …??

しかし不思議と熱が下がったのです。

よく、何かの「おさわり」が

ありませんかとお見えになります。

身近なところでは、

「さわり」もそのように

頻繁に使われます。

 

しかし、厳密には

煩悩障・所知障ということで

「さわり」ということをおさえています。

 

「煩悩」ですから、

煩い悩まされるということです。

人を好きになる

それ自体は煩悩ではありません。

好きになるとその人を愛着して

何とかして自分のものに

しようと働きかけます。

愛着するということが

煩悩になってくるのです。

しかし、この煩悩障は

そういう訳で分かりやすい

身に降りかかって来て

悩み苦しみます。

まあ、自覚症状があるのです。

 

ところが、

問題はは所知障、

これは痛くもかゆくもありません。

所知障は知が妨げという

ことではなく、

起こるべき智を起させんように

しているということです。

たとえていえば、

分別ということも、

いいものはいい、悪いものは悪い

悪いものを避けいいものを求める

ということで、

何も障りがあるとは思えません。

ところがえてして

人間というものは、

自分の考えたことにとらわれて、

それに固執してしまう、という癖

というか、心の構造が

そうなっているようです。

自分の意見は絶対だと、

間違いない、と

客観的に自分の考えを

見ることができればいいのですが

なかなかそうはいきません。

そこに分別ということも

固執してしまうと、

なかなか破ることが困難になってきます。

 

経典では、そのことを

「法執」(ほうしゅう)といっています。

 

迷いを捨てて悟りを求めると

迷いを捨てなければと、

迷いと涅槃というように

二つに分けて考えてしまいます。

そのわけて考える

そこが分別ということです。

 

だから、どっちが根元的かというと

所知障、智障というほうが

智の障りというほうが

分からないように根源的に

心の奥にはあるから問題なのです。

 

どちらかというと

煩悩障対治という

煩悩に重きを置いたのが

小乗仏教といわれるもので、

大乗仏教では、

煩悩障はむしろそのままに

しておいて、

もっぱら智障を断ずると、

智障を断じたなら

煩悩障は自然に断じていく

 

そういうところに

煩悩即菩提、

不断煩悩得涅槃

煩悩はそのままで涅槃を得る

という、

所知障を対治することで

煩悩障は転じていくわけです。

 

「煩悩即菩提」

ということも、

「さわり」という

煩悩障・所知障ということが

明らかになれば

説明がつくのでは …

 

と、ざっとしたことで申し訳ありませんが

また、折にふれて ということで

 

 

 

 

 

 

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リリー&ローズ

2015-10-31 11:17:54 | フラワー

白を基調に、

清々しい花が活けられました。

 

    

 

今はまた秋のバラも見頃のようです。

ユリも一輪入りるだけで

その生け花がとても豪華になります。

 

 

    

 

左にも大きな白のユリが一輪、

 

 

    

 

後ろにも白とピンクのグラデーションの

ユリが一輪、

 

 

    

 

右には一本長く伸びる白いバラ、

 

全体として、

 

 

    

 

ユリとバラで清楚でありながら

とても豪華な花が入りました。

 

 

裏ワザ、

 

   

 

この花の下は箱を二段に重ね

それをセロテープで止める。

そのセロテープを隠すために、

葉を長く割いて、編み合わせて

帯にして巻いているということです。

 

 

 

 

 

 

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蜘蛛が蜘蛛を捕獲した。

2015-10-30 17:55:29 | 住職の活動日記

まあ、不思議な光景に出合いました。

見過ごせばそれでいいのでしょうが、

何かしら気になり、

 

(蜘蛛が嫌いな方は見ないでください)

 

 

 

    

 

家の基礎のところに

二匹の蜘蛛がいます。

蜘蛛の網を張っているのかな??

しかし、

どうも様子が違う、

 

 

    

 

小さいクモの方が大きい方に

なにかしらけん制している様子、

 

 

    

 

 

離れたり、飛びかかたりしながら、

小さい方が強いようで、

大きい方に突進しています。

 

 

    

 

段々と大きい蜘蛛の方が

蜘蛛の糸で絡み取られてきてます。

 

 

    

 

大きいクモも動きが悪くなってきています。

不思議なもので、クモでも

自分の糸はくっ付かないのに

他のクモの糸だと絡み取られ、

動けなくなるようです。

 

 

    

 

 

小さい方からしたら自分の5倍もある

ほどの大きさです。

大きい方が強いようですけど

もう、お年なのかもしれません??

 

 

     

 

 

大きいクモもとうとう観念したようです。

すっかり動けなくなりました。

 

さてこれからが大変の様子、

絡み取って動けなくなったクモを

自分のすみかでしょう、

上の換気口のところまで

持ち上げなくてはなりません。

 

一生懸命でしょう、

この大きなクモを捕獲できたのは

小さなクモにとっては大漁旗です。

 

 

    

 

 

カメラを逆さにして見ると、

やっと持ち上げて、

これから自分の棲家の穴に

入れ込むところです。

 

クモが蜘蛛をとるなんて、

始めて見る光景でしたが

いずこの世界も命がけです。

 

「殺生」という字も

読み方によっては

殺して生きると読めます。

 

 

 

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奥村歯科医院も南瓜祭り!?

2015-10-29 21:29:38 | 住職の活動日記

口の中の感覚も微妙なもので

なにかしら歯の表面が

ざらざらする!

ガムを噛んでいると

歯の欠片のようなものがくっ付いて

出てきた。

それから、神経に響くような

自分の感覚では

上の歯と思っていたのに

診ていただくと、

上は異常がない 

さらに調べてもらうと

なんと、下の歯が少し欠損

無事に     立派に

人間の感覚というか痛みの感覚は

不思議なもので、

上が痛むと思っていたのに

下だったり、 …

 

以前、父も心臓が苦しいと

急遽、入院したのですが

調べてみても異常はないと、

しかし痛みは収まらないという

更に全体を調べると

なんと胆石だったということがあり

痛いということは

あちこち飛び回るようです。

 

 

ところで、

やはりこの頃はどこでもでしょう

 

    

    

 

町中がお化けのカボチャだらけ、

ということで、

10月のお飾りはカボチャがテーマ

 

   

 

 

まあ、かわいい!!

 

    

 

こんなお化けのカボチャも

 

   

 

お化けになる前の

カボチャたち、

 

    

 

こちらはカボチャの王子様

でしょうか??

愛嬌のあるカボチャたちです。

 

なんでも自分たちのものに

してしまう日本人、

それだけ

寛容性があるのかもしれません。

本来はキルト人の祭りとか

それが日本では商業ベースに

のせられて、

経済効果も莫大とか、

海外では宗教的意味合いも強い

お祭りなのでしょう。

その意味はさておき

面白い形だけを取り上げて

自分のものにしてしまう

日本人の良いところでもあり

節操のない一面なのかも

しれません。

 

仏教的立場からいうと

寛容性も大事なことですが、

一歩間違うと

純粋性を失い堕落しかねない

そういう一面も孕んでいることに

気を付けないといけない

気もしますが  … ???

 

 

 

 

 

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葉っぱ

2015-10-29 20:56:10 | 住職の活動日記

色ずき始めています。

これから紅葉が楽しみです。

花も美しいのですが

葉の姿もまた味があります。

 

    

 

わが家の牡丹の葉、

もうハタラキも終り

次第に枯れ始めています。

 

   

 

山法師の紅葉も始めりかけて、

しかし、この地では立派な紅葉は

望めないかもしれません。

 

    

 

ケヤキも落葉は

いつも掃除するのに大変ですが、

このグラデーションが

一番美しいのではないででょうか。

また、葉の図柄が面白い

 

    

 

シクラメンの葉っぱも

それぞれに模様も違い

不思議なようで

じっと見ていると興味を

そそられます。

 

お寺の庭でも、

葉っぱの新旧交代が始まりました。

 

    

 

アジサイも自分の身を捧げて

働きが終わった葉を

虫に食べさせています。

そして、その下には、

 

    

 

もう来年の新芽を準備しているのです。

その隣の「シバサカキ」

 

    

 

よく見ると、葉っぱがところどころ

虫食い状態です。

いました!!

葉の下にはカイガラムシでしょう。

とても立派に成長しています。

目を凝らすと、

いやはや、無数のカイガラムシが

このままでは「シバサカキ」が

やられてしまう。

枝を持ってきて跳ね飛ばしたのです

来年は立派な新芽を

つけてくれるでしょう。

 

 

    

 

アジサイが終わった後には

彼岸花が元気な葉を出しています。

これから終わっていく葉もあれば

新芽を出して、

太陽の光を浴び

栄養を吸収していく

葉っぱもあるのです。

 

葉は蒸散といって、

水分を蒸発させます。

その力で根から水と土の養分を

吸い上げ全身に運びます。

 

これからハタラキを終えて

眠りにつく木もあれば

新芽を出し栄養分吸い上げ

球根を太らし、

来年の花のために貯える

植物もあります。

 

秋も深まり、また

愉しみの季節でもあります。

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ウロウロするな !!

2015-10-27 17:22:49 | 住職の活動日記

「うろうろするな !」

なにかしら、

そんな声で目が覚めました。

なんだか、まだ、ウロウロ

しているのですね!

ふと … ?

 

漢字で書けば、

「有漏、有漏」とも書けるのでは?

 

『漏』とは、「もれる」、で

仏教用語としては「煩悩」のことです。

煩悩を「もれる」という表現は

なにかしらピッタリです。

本人には分からないように

妥協しながらもれだしている

それが煩悩のようです。

 

一休さんもこういう歌を

「有漏路より無漏路へ渡る

 一休み(ひとやすみ)

雨降れば降れ風吹けば吹け」

と詠んでおられます。

一休という名前の由来でしょう。

有漏路とは煩悩のある世界

この世のこと、汚れた世界で

穢土ともいわれます。

無漏路とは悟りの世界のこと

煩悩の無くなった世界ということです。

 

私たちも、有漏路から無漏路へ渡る

その途中なのです。

そこには雨も嵐もあります。

雨も嵐も踏み越えて

行くが男の生きる道です。

 

また、有漏無漏と言うことは

とても大切なことで、般若心経に出てくる

六波羅蜜の修行も

智慧波羅蜜がなければ

無漏の行にはならないのです。

 

布施の行でも、

俗的には、まあ…

人に対しては善いことをしておくと

まわりまわって自分にも

良いことがありますよ、

ということになると

有漏の行になってしまい

自分自身の物惜しみの心を

対治するという行には

ならないのです。

 

私たちも修行に入るのですが

それが一つのステータスのように

なってしまえば、

せっかくの行も有漏の行に

なってしまいます。

修行と言っても最終は

「般若波羅蜜多」というように

般若、智慧の行なのです。

その智慧によって自分の我執を

打ち破る。

智慧によって執着を破る、

そのことによって精神が解放され

物事が自由自在に見えてくる、

 

行住坐臥という

毎日の行動がありますが、

行くも座るも臥すも

仏作仏行と言われるように、

三昧の中で起き、三昧の中で眠り

三昧の中で歩き、三昧の中で食事をする

全生活が三昧にあるという

そうなってこそ、

すべてが無漏の行になってくるのでしょう。

 

妙に我執で見てしまうと

せっかくの経典も有為に

なってしまうし、

我執を離れれば、テレビのドラマも

一つの教えとして聞こえてくる

何かそのような展開があるようです。

 

うろうろしないように!!!

 

 

 

 

 

 

 

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夕日をおがむ

2015-10-26 17:42:57 | 住職の活動日記

なんだかわかりませんが、

夕日を眺めていると心が落ち着く、

一日中部屋の中であれやこれや

ふと気がつくと

もう5時を回ろうとしている。

 

    

 

外にでてみると

日が沈みかけている。

まぶしいような真っ赤な夕日、

秋の日はつるべ落としというように

日が落ちていくのは早い

 

    

 

あっという間に …

 日が沈んでしまう。

 

    

 

空を見るとまだ青空に

白い雲がたなびいている

 

    

 

いよいよ茜色に染まっていく

 

京都新聞、日曜版

「平等院」が英語で紹介されていた

to show Buddists’ paradise

と、「極楽浄土を表現した」

といういみでしょう。

ブッディスト・パラダイスが浄土?

なんだか、ピンときませんが

 

藤原貴族は宇治の地に

極楽浄土である平等院を建立

阿弥陀如来をお祀りして

このお堂に座して

「日想観」夕日をおがみ

極楽浄土を観想したのでしょう。

 

平等院の鳳凰堂前には

池があります。

この迷いの世から池を渡り浄土へ

そこには阿弥陀さまが

お待ちになっている。

 

浄土を観じるには

日想観、水想観、地想観、…

と順々に観想していく

まさに平等院はそのような目的で

建立されたのでしょう。

 

一日の締めくくり

人生の締めくくり

それはやはり夕日をおがむ

ということのように思います。

 

真っ赤に燃え、空を茜色に染め

日が落ちていく

それを観想すると安らぎを

覚えます。

やはり、夕日をおがむということは

人間の本来持っている

彼岸への憧憬を表しているように

思います。

 

 

 

 

 

 

 

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秋が深まっています。 …ING

2015-10-25 17:13:40 | 住職の活動日記

昨日は「霜降」

もう霜が降りるころです。

天気晴朗なれど … 風は肌寒い

 

    

 

宇治の植物公園は大勢の人

ハロウィンということで入場無料

いたるところにカボチャが

意味を知ってかどうかわかりませんが

仮装した子供や大人たち、

 

    

 

コスモスも元気、

 

   

 

育ててあるせいでしょう

一輪が大きい

 

    

 

人も蝶も、このいい季節を満喫しています。

 

    

 

虫たちにとっても

最後の栄養補給、

これから次の世代に託します。

 

 

    

 

一歩日陰に入ると肌寒い、

服装も困ります。

めずらしい「ジュラシックツリー」

世界最古の種子植物

この大きくなったものが

あの恐竜たちが生きていた

あの時代に生えていたのでしょう。

 

   

 

欅も色づきはじめ

 

   

 

この淡い色の変化が

なんとも優しい色合いです。

 

    

 

 

よく見かけそうな花のようですが、

「ジュニアプロフェージュ・チェリー」

という難しい名前、

 

    

 

同じ品種でオレンジです。

 

温室の中では、

プチ演奏会が、

 

    

 

ヒメショウジョウヤシ、の下で

 

   

 

インド音楽の生演奏

手前の大きな花は

 

    

 

ユツスリマローティ… なんとか??

という花

 

    

 

パイナップルも大きくなりつつ

いま ING です。

 

   

 

ホワイトキャンドルという花

温室は聞きなれない花ばかり、

 

   

 

たしか? カトレア

温室もこれからが見ごろです。

 

外にでると陽の光もやや力なく

 

   

 

トケイソウ・レッドアップルという

リンゴの身の回りに刺が生えている

 

    

 

菊花展もあったようで

入口には大きな懸崖が見事に

咲き誇っていました。

 

外にでると日陰には

 

    

 

アジサイが花も終り

もとは白い花、このまま枯れて

葉も落ち、また風情ある姿を

見せてくれることでしょう。

 

    

 

最後に天高く咲き誇っている

ダリアにお別れして、

ちょっとした小一時間ほどの

JIJI散歩でした。

 

これからは日中と夜との

温度差に気をつけましょう。

 

 

 

 

 

 

       

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般若教学vs唯識教学

2015-10-24 21:16:01 | 十地経

たいそうなタイトルですけど、

今日読んでるところで

とても面白かったので

記憶に残すためにも記しておきます。

 

いつも唱えている「般若心経」

般若教学のいちばん有名な

お経です。

「色即是空・空即是色」

という『空』ということが中心課題、

空という真理によって

妄想を否定しようとしているのです。

しかし、未了義といってまだ十分に

応えきっていない。

身了義ということは間違いではないけど

的確でないということです。

 

空こそが真理だと、

確かにそうですけど、

ややもすると事実も妄想も

否定してしまいかねません。

その行き過ぎの解釈の危険性から

それを見直そうとしたのが

「唯識」という教学です。

 

大乗仏教が起こったのは

お釈迦さまが亡くなってから

500年後のことです。

般若の教学は大体2世紀ごろ

起こっています。

無著・世親という方によって

般若教学に遅れること200年後

4世紀ごろです。

その教えを受け継いだのが護法、

その弟子が戒賢、

その教えを勉強したのが玄奘

あの玄奘三蔵、「三蔵法師」です。

 

玄奘が国禁をおかしてまで

インドのナーランダヘ行き

学びたかったもの一つがこの

「唯識三十頌」です。

 

破邪顕正(はじゃけんしょう)

ということがあって、

正しいことを証明するためには

間違いであることを証明して

打ち破らなくてはなりません。

 

般若ということは真理ですけど、

それを明らかにするためには

真理でないものを否定しなければなりません。

空ということは破邪なのです。

人間の妄想を打ち破るのです。

つまり人間はものを抽象化する

何でも形あるものとして

何でもあるようなことに置き換えて

考えてしまう癖をもっています。

 

その人間の執着を打ち破るには

「空」ということは

力があっていいのですけれども、

力余って、

否定する必要でないものまで

否定してしまうという

そういう危険性も持ち合わせて

いるのです。

 

人間は迷うというけど、

何かについて迷うのです。

何もないものに迷うということはありません。

迷うということが成り立つためには

迷う材料がいるのです。

 

昔からの唯識の喩ですが、

縄をヘビだという。

それを遍計所執(へんげしょしゅう)

と、妄想というのです。

ヘビはいない、けれどもヘビはいない

といって、縄までないとは言えない。

ところが、般若の場合は

縄も蛇も否定してしまう。

妄想を起してくるようなものは

本当のものでないということで

縄まで否定してしまう。

 

ところが唯識はそこが厳密で、

縄はある。縄まで否定しない。

ただ問題は、縄が縄であると

認識されているのと、

縄が蛇だと受け取られているのと

違いがあるのです。

何でもないようですがここが大事で

何でも否定するのではなく、

唯識教学は存在それ自体を

明らかにしていこうという

立場があるのです。

 

一切は空であると、

一切皆苦と何もないんだと

何かかっ歩していくようで

力強い一面はあるのですが

あるものはある、

どういうふうにあるのか

そういうことを緻密に

研究されているところに

唯識教学の面目があるようです。

 

般若と唯識

仏教の大きな流れですので

折に触れて

対比しながら学んでいくことが

大事なことのように思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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TOP HAT

2015-10-23 21:13:56 | 住職の活動日記

実にすばらしいミュージカル!!

という話をしていたら、

先日行ってきました。と

今はちょうど、大阪公演のようです。

25日までとか、…

これは時間があればぜひ見られたら

と、おすすめの舞台です。

 

    

 

たまたま、SIBUYAのヒカリエという

THEATRE Orb というところで

 

    

 

始めて見るミュージカルですが

 

    

 

TOP HAT という

踊りも素晴らしいし、歌も

本物に触れたという感じです。

 

最後には盛り上がって

客席まで下りてこられて

舞台と客席が一体となったような

歌と踊りが包み込んでくれた

そんな雰囲気です。

 

   

 

カーテンコールは写真OKということで

 

   

 

演奏される方も舞台の下で

ぶっ通しの演奏で

指揮者の前に置いてある楽譜は

分厚い辞書みたいなものでした。

 

年に一回くらいは

こういう本物の舞台を見れたら、

願って心豊かに後にしたのですが、

今日また、行ったよ!!という

話で前の感激を新たにしました。

 

 

 

 

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