本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

60歳からのノートレ!?

2016-01-16 20:49:45 | 漢字

先日の京都新聞、

一面の下の欄、書籍の広告

「60歳からのノートレ」

もの忘れ、認知症にならない

四字熟語・ことわざ 思い出しテスト

ということが目にとまり、

どの位できますか?

ということでチャレンジ …

 

1.精神 〇一

2.〇身〇霊

3.再〇再〇

4.〇耕雨読

5.〇情〇感

6.大〇不敵

7.〇醒半睡

8.博覧〇記

9.藪から〇

10.〇方〇土

 

という例題が出ていたのですが、

〇のところを埋めていくという問題です。

 

だいたいわかったのですが、

8.の「博覧〇記」がわりません。

辞書を引いてみると、

「博覧強記」とでています。

ひろく古今東西の書物を見て、

物事をよく覚えていること。

という意味になります。

 

一番ショックだったのが、

「〇方〇土」 です。

どう考えてもわからない ?

ギブアップ   

答えをチラッと見てみると、

なんと、

「西方浄土」です。

一番先に答えがわかなければ

いけない問題です。

まさか、

ここに仏教用語が出てくるとは

 

知っているようで、

知らないことばかりです。

 

この本も3万部突破 !!

とあります。

これは買って勉強すべきか!

 

物事を知っていく楽しみより

考える習慣を身につける、

ということが大事なように思います。

 

また、仏さまのことを

「一切智智」(いっさいちち)

ともいいます。

ありとあらゆることを

知り尽くしている、という意味で、

だから、「無学」ともいいます

何も知らないから無学と

いうのではなく、

もはやもう何も学ぶことが

なくなったという意味です。

 

人間でもどんなに頭を使った人でも

脳の半分も使っていないそうです。

そこには、

あらゆることを知り尽くす

というより、

ただの知識を増やすということではなく

知った知識を深めていくというか

知識を自分のものとして、

知ったことを実践して

自分の身につけていくという

知った知識が智慧となっていく

そういう知り方です。

 

成長ということもありますが

成熟していくということもあります。

 

知識もどんどん知っていくという

ことが成長とするなら、

知った知識を実践を通して

自分のものとしていく

それが成熟ということになる

のではないでしょうか。

 

ありとあらゆることを

知り尽くしても、

一番身近な自分自身が分からない

という、悲しい現実があります。

 

どんなに知識を増やし

それによってお金を得て

名誉や勲章をもらったとしても

自分自身が分からなかったら

こんな不幸なことはありません。

 

認知症にならないよう

もの忘れしないよう

脳みそを鍛えて

肝心の自分自身を知ることに

力を注がなくては !!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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お茶は静かに育っている

2016-01-15 17:55:01 | 漢字

住んでいる近辺も造成が進み

だんだん宅地になっているようです。

 

  

 

その隣では、

いっぱいの太陽光を受けて

お茶が静かに育っています。

 

  

 

よく見ると、白い小さな花が

 

  

 

咲きだしています。

葉っぱから光の力を受けて

栄養を蓄えているのでしょう。

 

「茶」というと

喫茶店ということが思い浮かびますが、

コーヒーを出しても喫茶店

お茶が出てこないのに喫茶店、

 

『喫茶』ということも仏教語というか

主に禅宗で使われるようです。

「喫茶喫飯」(きっさきっぱん)という

対の言葉で使われます。

 

「喫」という字は、

食するとか飲むという意味です。

逢茶喫茶・逢飯喫飯

茶に会えば茶を飲み

ご飯に会えばご飯を頂く、

究めて当たり前のようですが、

そこには、

お茶を作った方、淹れた方の

心を思い、

ご飯がここに来るまでの

その道程を思い作る方の

心に接するという

一杯のお茶を頂くにも

そこには真剣勝負のような心で

頂くということでしょう。

 

そのものになりきっていただく、

掃除のときは箒になる、

床をふくときには雑巾になる。

そのものになりきるということを

特に重要に扱うのです。

若い頃、

師匠の三浦先生に

「箒と体がバラバラになっている」

と、注意を受けたものですが

その時はよく分かりませんでした。

箒はただ動いているのでしょうが

心ここにあらずで、

早く終わらないかな~、

お腹がすいたな~、と

他のことを考えていたことを

見抜かれたのです。

 

「喫茶」ということには

もう一つ意味がありまして、

縁組を取り決める、という内容です。

お茶の木はいったん植えたら

植え替えることができない。

それで、女性が一度嫁いだら

二度と結納を受けない

ということに喩えたのです。

そこから、縁組を決めるということを

喫茶といったようです。

 

「喫茶店」

という字もよく見れば不思議な感じです。

「お茶しませんか」

といっても、飲むのはコーヒーか

ジュースか

めったにお茶は飲みません。

 

喫茶喫飯

一杯のお茶、一膳のご飯を

頂くにも当たり前に食べるのではなく、

そこに思いをいたして頂くと

味もまた変わってくるのではないでしょうか。

 

そしてまた、

喫という字には

「満喫する」というようにも使います。

もともとは十分に飲み食いする

ことから、満足するという意味に

「醍醐味を満喫した」

というようにも使います。

また、政治の方では

「喫緊」の事として」というように

使うようです。 

 喫茶の「喫」もただ飲み食べるだけでなく

幅広い意味をもっているのも

おもしろいものです。

 

 

 

 

 

 

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室町椿

2016-01-14 18:05:35 | 住職の活動日記

宇治の植物公園で「室町椿」が

例年より2カ月も早く開花した、

という記事が京都新聞にでていました。

 

今朝も冷え込みました、外気は1度

昼からは気温も上がり10度になりました。

 

   

 

これが「室町椿」です。

平成9年2月、

平等院の庭園を発掘中、

室町時代に堆積した泥の中から

ツバキの種が出てきたそうです。

それを発芽させ、サザンカに接木をして

平成15年に初めて開花したということです。

例年ですと、2月か3月ごろの開花、

今年は暖冬の影響でしょうか?

1月4日に第1花が開花して、

 

  

 

今50個のつぼみがあるそうです。

 

  

 

縄文蓮というのもありますが、

長い年月眠り続け、

その種子が芽を出し花をひらく

命の長さに驚きます。

 

   

 

蕾も可愛く、室町の種が花をひらいた

感慨ひとしをで愛でていました。

 

ふとその横で気になったのですが、

 

    

 

ここの植物園の喫茶店「無憂樹」

という名前です。

お釈迦さまの人生を3本の木で

象徴的に表しています。

無憂樹のもとで生まれ、

菩提樹の下で悟りを開き

沙羅双樹の中で涅槃に入られた。

 

なんでだろう??

喫茶店の名に「無憂樹」を使われた、

と思いつつ、寒いので温室へ

 

   

 

温室はほの温かく、

小さな水蓮が暖房用のライトに

照らされて花を開いています。

 

トロピカルな南の色とりどりの

花を眺めながら、

 

   

 

鬱蒼と茂ったこの木、

これが「無憂樹」です。

葉も、

 

  

 

こんな大きな葉をしています。

花もあるようですけど

もう枯れてしまったようです。

 

お釈迦さまのお母さんマーヤ夫人が

無憂樹に手をのばした途端

お釈迦さまはお生まれになったと、

出産で里帰りの途中、

ちょっと日陰を多く作っている

無憂樹の下で休まれたのでしょう。

 

インドの暑さでは、たぶん

この大きな葉の下はとても

涼しいのでしょう。

 

この無憂樹から喫茶店の名前は

付けられたのでしょうか?

もっと横文字の名前が一杯あるように

思うのですが、??

あえて「無憂樹」を選ばれたのですね。

 

そして面白い花も、

 

   

 

ムクゲノボタンという名前です。

たしか、朴槿恵大統領の

「槿」がむくげの花を表しています。

こういう可憐な可愛い花なのですね。

 

何回もこの温室は訪ねるのですが

行く度に新しい発見があるようです。

 

 

 

 

 

 

 

        

 

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DAIGOさん、醍醐さんおめでとう!

2016-01-13 17:53:24 | 漢字

DAIGOさんと北川景子さんの

婚約記者会見は清々しいものでした。

お二人のお人柄が伝わってくる

そのような記者会見でした。

「DAIGO」とは面白い名前と

何かしら気になっていたのです。

 

仏教では「だいご」といえば

醍醐という言葉もあるし、

悟りを表す「大吾」という

まあ、さとりを表す言葉もあります。

 

明日が結願を迎える

「御七日御修法」の大阿闍梨を

醍醐寺の座主「仲田順和猊下」が

勤めておられます。

いよいよ明日が結願ということで

お慶びもひとしおのことと思います。

 

醍醐、という字も不思議な文字です。

両方とも、「とりへん」の『酉』が

入っています。

酉は本来は、酒を熟成させる

壺の形を現します。

「焼酎」の酎もよく熟成した酒

という意味です。

醍醐の「醍」も本来は

すんだ赤い酒という意味です。

それが醍醐となると、

まじりけのないもの、

牛乳を生成して得られる、

味がよく滋養に富むもの、

そこから醍醐味という言葉も生まれ

仏法の妙理や人格の優れている

ことを表す言葉になったようです。

 

最近は「うまみ」ということで

出汁ということをいいますが、

仏教でも「味」ということを

とても大切にしています。

 

「味」、サンスクリットでは

RASAラサといいます。

お経の中には、

甘い・酸い・鹹(しおからい)・

辛い・苦い・淡い、という

六つの味を書いてあります。

また、

牛乳を精製していく順序を

乳・酪・生酥(しょうそ)・熟酥(じゅくそ)

醍醐、というように表し、

最高に素晴らしい味ということで

「醍醐味」という言葉が生まれたのです。

 

醍醐寺とは山頂で出る水が

なんとも言えない味だったので

そこから「醍醐」という名前が

付けられたようです。

 

そして、醍醐天皇も

ただ一人、お寺の名前を

自分の諡号とされたのです。

そこに醍醐天皇の深い思い入れが

あるように感じます。

 

「味」ということが仏教で使われる、

料理の世界ならまだしも、

宗教の世界で「味」ということを

いうのはおかしな気がするのですが、

そこには、

実践概念というか、

実践から出てきた言葉のように思います。

 

「意味」というじがあります。

何気なく使っていますが、

「意」、とはこころ、

意味とは心の味ということに

なるのではないでしょうか。

 

仏教のことは、

ただ頭で知るということではなく、

味わってみなければわからない、

という、

味わうには、

自分でやってみなければ分からない、

ということが大事で、

人生も味わってみて

始めてわかるということがあります。

 

人生の達人を

甘いも酸いもかみ分けた人、

とといいます。

甘いだけが人生ではなく

苦い思い出、辛いこと、

いろいろな味があるのが人生で

その味が人生を豊かにしてくれる

のではないでしょうか。

 

これから、

DAIGOさんも北川景子さんも

いろいろな味を醸し出していかれる

のではないでしょうか。

本当に嫌みのない飾らない

素晴らしい会見でした。

お二人の幸をお祈りいたしております。

 

 

 

 

 

 

 

 

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意馬心猿

2016-01-11 17:14:57 | 漢字

「意馬心猿」、四字熟語ですが、

仏教辞典にもあるように、

本来は

仏教から出た言葉なのでしょう。

 

経典の中には特にジャータカといって

お釈迦さまの前世の物語が

たくさん残っています。

その主人公は動物たちです。

有名なのは、

「月のうさぎ」という物語です。

 

仏像を見ていても、

鵞鳥に乗った「梵天」

象に乗った「帝釈天」

水牛に乗った「大威徳明王」

それから、「孔雀明王」という

とてもきれいな仏さまも

いらっしゃいます。

 

ところが、「意馬心猿」という言葉は

仏教辞典には、

「我々の心が常に煩悩によって

乱され動かされている有様を

馬や猿に喩える語」

と出ていますように、

あまりいい譬えの動物としては

登場しないようです。

 

お釈迦さまには十名といって、

仏さまを表す言葉が十あります。

つまり、仏といっても一言では

表現できなくて、

その仏の徳を表すのに十の名前を

つけて仏を表現したのです。

そのなかに、

「調御丈夫」(ちょうごじょうぶ)

という名前をもっておられます。

簡単には荒馬を乗りこなした、

つまり、人間の煩悩を乗りこなした

ということなのです。

調御、というのは

御者という意味でありますが

荒れ狂う、走り出したら

どこへ行くかわからない、

私たちの煩悩の激しさ、

その煩悩を調えた人ということです。

 

先日、WOWOW放送で、

「西遊記、はじまりのはじまり」

というのをやっていました。

そこには、玄奘は妖怪ハンターとして

登場してきます。

中国の三大妖怪を次々に

おさめていくというストーリーなのですが、

その最初に出てくるのが「沙悟浄」

そしてそれよりはるかに強いのが

「猪八戒」、

大日如来によって閉じ込められて

いるのが、猿の孫悟空です。

孫悟空と玄奘の対決ですが

玄奘は大日経を唱え三昧に入り

その経典の力で、

孫悟空をおとなしくしてしまうのです。

やはり、孫悟空はこの妖怪の中では

特別に強い力をもっている

そのように描かれています。

 

そこで初めて、

玄奘三蔵はこの三人を従えて

経典を求めてインドへ旅立つ

       …

ところがそのエンディングが

Gメン75、あの丹波哲郎が主演の

その主題歌をバックに旅立つという

一瞬、醒めて、

笑いが込み上げましたが

そういう物語でした。

 

まあ、馬も猿も

意馬心猿といわれるように、

激しい動物の象徴のように

扱われているのでしょう。

 

調御丈夫、というように

玄奘三蔵も中国の三大妖怪

という表現ですが

沙悟浄、猪八戒、孫悟空という

人間の根本煩悩の激しさを

そう表したのではないでしょうか、

その三大煩悩を乗りこなした

よく調えておさめた

というところに玄奘三蔵の

修行の力を示しているようです。

 

「意馬心猿」

確かに、

自分の心を眺めてみると

まさに荒れ狂う馬、

心が定まらない猿のようです。

しかし、

三猿のように別な見方もあります。

さる年にちなんで

また考えましょう!!

 

 

 

 

 

 

 

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F・F・A

2016-01-10 16:50:46 | フラワー

フラワーアレンジの教室も

初活けがあったようです。

FIRST・FLOWER・ARRANGEMENT

ということで、「F・F・A」と、

 

   

 

お正月の宝船もおわり、

正月らしく少し豪華に、

バラを中心に活けられています。

 

  

 

やはり真紅のローズは存在感があります。

玄関まわりが急に明るくなりました。

 

  

 

赤と緑と黄色の配色は

色のバランスがとても好きです。

 

そして季節の花も取り入れて、

 

  

 

やはり水仙も一輪活けられています。

 

寒さも厳しいのでしばらくは

この色鮮やかなアレンジを

楽しむことができるようです。

 

 

 

 

 

 

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水仙

2016-01-09 17:00:59 | 住職の活動日記

「水仙や 寒き都の ここかしこ」

という蕪村の俳句にあるように

今いたるところで、

 

   

 

小さいながらも凛とした姿に

接することができます。

 

  

 

 

しかし原産は地中海、

シルクロードを通って

やって来たのでしょう。

 

中国では、

仙人は天にいるのを天仙、

地にいるのを地仙、

水にいるのを水仙と、

綺麗な花と良い香りが

まるで仙人のようだということで

この名前が付いたようです。

 

ちょうど、昨日から

「御七日御修法」という法要が

始まりました。

8日は御所から御衣が届き

これから21座、1週間の祈祷が

勤められます。

その時にお供えされる花が

梅の小枝と水仙です。

とてもシンプルです。

仏さまの花は時花(じけ)といって

その時々の花をお供えする。

ということのようです。

 

祈祷が勤められる

灌頂院の中は「壁白」(かべしろ)という

麻で出来た白い布で区切られ、

両界曼荼羅が掛けられ、

その前の大檀の四方にも

それぞれの仏さまの机の両脇

梅と水仙の花が供えられます。

 

お燈明の灯りに照らし出される

曼荼羅はとても立体的に見えて

平面的な絵が浮き上がって見える

際立って仏の存在を感じさせる

そのような曼荼羅の本来の姿が

拝めるのです。

 

水仙も英語ではNarcissus

ギリシャ神話に出てくる美少年

ナルシサスは泉に映る

自分の姿に見とれて

花になってしまったのが水仙

という話も伝わっています。

それで、花はやや下を見るように

咲いている、ということのようです。

 

地中海で生まれた水仙が

シルクロードを通り、

平安時代には日本に伝わった

何も特別な花でなく、

時期になると道端や土手に

雑草のごとく生え出てくる

そのような花ですが、

天皇陛下の御衣を祈願する

お勤めにも使われる

なんともその飾らない清楚な姿が

美しいのでしょう。

 

1週間で21座というのですが、

開白と結願は1座になりますので

これから、運座(うんざ)・加座(かざ)

といって一日4座のお勤めになります。

これからが大変と思いますが、

水仙のように清楚な心と姿でご精進を

念じています。

 

 

 

 

 

 

 

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七草粥

2016-01-07 20:15:24 | 住職の活動日記

朝から七草粥を頂き、

お正月で疲れた胃袋を休め、

といわれてますが、

この年になってやっと

その意味が解ってきたようです。

しかし、

今度の咳が続くことで熱も出てて、

この体調不調は

体力を消耗するというか

机に座る根気さえ奪います。

ひたすら、

布団を共にして

テレビを語り部として

過ごしていました。

 

今朝の京都新聞、

「醍醐寺通信」という欄があり、

そこに『後七日御修法』のことが

記してあります。

そういえば、今日は「習礼」(しゅらい)

リハーサルの日です。

明日8日から1週間、東寺で

「御七日御修法」(ごしちにちみしほ)

が開白されます。

今回の大阿闍梨を勤めらるのが

総本山醍醐寺の「仲田順和座主」

なのです。

本当に不思議なご縁のようで、

今の仲田座主が第103世になられ、

いろいろのご縁が積み重なって

今回の大阿闍梨という大役を

勤められるようです。

 

弘法大師以来続く「御七日御修法」も

行く度の変遷もあり、

応仁の乱のあと御所も荒廃し

中断してしまった。

それを再興されたのが

醍醐寺座主80世義演准后(じゅごう)

准后(太皇太后・皇太后・皇后)に

准ずる位ということ、

という方です。

この方は醍醐寺も再興され

特に秀吉のとの縁も深く

「醍醐の花見」を開かれたのも

この方のお力のようです。

 

そして、明治になってからも

明治政府によって廃止させられ

それを場所を東寺の灌頂院に移し

再興されたのが、

雲照律師という方です。

この方も種智院大学の

前身になる「総黌」(そうこう)という

学問所を開いた方で、

醍醐寺座主99世仲田順海僧正の

師匠にあたる方なのです。

(88世順海座主は103世順和座主の父)

ということで、

今回の御七日御修法は一方ならぬ

思いで勤められることでしょう。

 

冬将軍の冬休みも終り

これから寒さが一段と

厳しさを迎えます。

早朝より寒いお堂の中での

世界平和の修法は

さぞや厳しいことと思います。

ご法体大切にご精進されること

念じています。

 

※ 1月14日1時より

 道場公開があります。

 両界曼荼羅・五大尊

 十二天像・息災・増益の両護摩壇

 聖天檀・神供檀と、

 密教の世界が楽しめます。

1時間だけの公開です。

 

 

 

 

 

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京樹会四条烏丸耳鼻咽喉科

2016-01-05 21:17:42 | 住職の活動日記

2日、孫たちが帰った後から

急に熱が出だし、体も震えが来て

案の定、9度5分ある、

3日は熱にうなされ、

とりあえず昼と夜はなんとか食べ

少しずつではあるが下がってきた。

 

2か月間から咳と痰が切れなくて

近くの病院にかかっていたが

良くもならなくて悪くもならない

そんな状態がずっと続いて、

咳も単もだんだんひどくなってくる

様子、

別の病気のことも心配なってくる。

 

「京樹会四条烏丸耳鼻咽喉科」へ、

以前紹介を受けていたのですが、

洛南高校の元教師のS先生の

ご子息が開業された医院で

昨夜電話すると、

「ご案内しますよ」

ということで、四条烏丸の駅で

待っていてくださいました。

 

   

 

お洒落なビルの5回にその医院は

ありました。

 

   

 

先生も私の来るのを

聞いておられたのでしょう。

高校生の時に私のお寺に

遊びに来られた時の写真を出して

「もう20年ほど前になりますね」

その面影が残る笑顔で、

丁寧な問診から、

まずカメラを使って鼻の内部を

「ずいぶん膿がたまっていますね」

これが原因でしょう。

ということで膿を吸い出してもらい

点滴も受けて、…

 

洛南高校を出られて滋賀医大に

入られ、それから耳鼻咽喉科の

研修をされて

今では病院を開業された。

立派な先生になられている。

話し方からもとても信頼を

もてる、こちらが安心できる

そんな先生になられておられた。

 

     

 

薬局もオシャレな作りで

1階にあります。

ちょっと帯を思わせるような柄に

サプリあります、という

 

   

 

その突き当りに薬局はあります。

四条烏丸という町のど真ん中にある

病院では、病院を思わせる

雰囲気をあえて殺しているようです。

 

 

    

 

よく見るとこのビル全体が病院で

ただ一か所「ジュエリー」の店が

入っているくらいで、

ちょっとした総合病院の態を

なしているようです。       

 

 

電車に乗って帰る頃には

身体はずいぶんと楽になって

きている。

咳もおさまってきたようです。

宇治から京都の中心部

少し距離はあるのですが

直通の電車で20分ほど、

信頼できる先生に出会って

本当に良かったと思います。

 

明日の熱が抜けてくれることを

願ってゆっくり休みます。

  

 

 

 

 

 

 

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和顔愛語

2016-01-02 10:17:27 | 住職の活動日記

明けましておめでとうございます。

 

年賀状と一緒に

西京極幼稚園より「たんぽぽ」が

届きました。

やはり心に響く言葉が載っています。

 

「和顔愛語」とは、

仏教経典「仏説大無量寿経」の中に

出てくる。

「和顔愛語」に続いて「先意承問」とあり、

「相手をいたわる気持ちで、

 優しく笑顔で接し、

 相手から言われる前に

 相手の望ことを察して行うこと」

とある。

相手と直接触れる「言葉」とは

とても重要なものである。

しかし、

その大切さを分かっていながらも、

自分に都合のよいときは優しく、

都合の悪いときや

腹の虫の居所により、

悪態な言葉を発してしまい、

子どもの言葉を聞くたびに

痛感させられる。

 

  「ひとつのことば」

ひとつのことばで けんかして

ひとつのことばで なかなおり

ひとつのことばで 頭が下がり

ひとつのことばで 心が痛む

ひとつのことばで 楽しく笑い

ひとつのことばで 泣かされる

ひとつのことばは それぞれに

ひとつの心をもっている

ひとつのことばは きれいな心

やさしいことばは やさしい心

ひとつのことばを 大切に

ひとつのことばを 美しく

 

私たち自身も

「一つの言葉には、

それぞれ一つの心がある」

ことを心に銘じて、

一つひとつの言葉を大切にし、

さらには、

他者への思いやりを育み、

言われずとも相手のために

何ができるか、

そのことを絶えず

心がけられるように、

子どもたちに接していきたい

ものである。

 

とありました。

ほんとうに、何気ない言葉

何気なくしている顔つき

相手に不愉快な思いをさせて

いることがあるようです。

言葉も顔つきも心からでてくる

ものです。

常に心にいい貯金をしていかないと

思わぬところで

自分のちらっとした本音が

出てきます。

金太郎飴のように、

どこを切っても同じ顔が出てくる

そのように修行に励まなければ!!

 

どうぞ今年もよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

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