話を上井牟田の文化財散策に戻します。
歴代庄屋の墓から一旦集落に戻り、広い田んぼと畑の脇を道なりに進みます。
目に見えてきたのは、柏原団地の入口です。
目指す二つ目の史跡「柏原古墳群」は団地の中にあるようです。
地図を頼りに団地の中へ入っていきますが、どうゆう理由か、この史跡だけ具体的な場所が表示されていません。
「確かこの辺りなんだけどな~?」と、不審な中年男性が団地内を歩き回ります。
「おや?」建物の向こうに見覚えのある看板が見えました。
史跡を表す看板です。
ここが「柏原古墳群」に間違いなさそうです。
「昭和56年12月、長崎県教育庁文化課の分布調査により柏原住宅北側に隣接する山林から7基の横穴式石室古墳と3基の積石塚が発見されました。
現存する3基の古墳(横穴式石室)からは、勾玉・首飾り・鏡などが多く出土したと伝えられています。
古墳はいずれも規模が小さく、群集していることなどから6~7世紀頃の豪族の墓と推測されます。」(諌早市の文化財より)
もっと近くで看板や、できれば古墳自体を見たかったのですが、
・・・登れない。
看板さえ何を書かれているのか、この距離では読むことも出来ませんでした。
(何のために看板建てた?)
歴代庄屋の墓から一旦集落に戻り、広い田んぼと畑の脇を道なりに進みます。
目に見えてきたのは、柏原団地の入口です。
目指す二つ目の史跡「柏原古墳群」は団地の中にあるようです。
地図を頼りに団地の中へ入っていきますが、どうゆう理由か、この史跡だけ具体的な場所が表示されていません。
「確かこの辺りなんだけどな~?」と、不審な中年男性が団地内を歩き回ります。
「おや?」建物の向こうに見覚えのある看板が見えました。
史跡を表す看板です。
ここが「柏原古墳群」に間違いなさそうです。
「昭和56年12月、長崎県教育庁文化課の分布調査により柏原住宅北側に隣接する山林から7基の横穴式石室古墳と3基の積石塚が発見されました。
現存する3基の古墳(横穴式石室)からは、勾玉・首飾り・鏡などが多く出土したと伝えられています。
古墳はいずれも規模が小さく、群集していることなどから6~7世紀頃の豪族の墓と推測されます。」(諌早市の文化財より)
もっと近くで看板や、できれば古墳自体を見たかったのですが、
・・・登れない。
看板さえ何を書かれているのか、この距離では読むことも出来ませんでした。
(何のために看板建てた?)