昨日の講義で、とてもよいことを聞けた。
建築教育においても、かつて近代建築が正しいこととされて、何となく、建築も解が一つのような教育がなされてきたということ。
しかし、そうではないということ。
必ずしも、この建物が絶対という解はなくて、敷地や法、コストなど様々な制約条件の中で、答えも変わってくるということ。
当たり前のことですが、改めて、すごく腑に落ちた。
とかく、分析系の研究をしていると、答えは一つ!!みたいな強迫観念にとらわれがちだけれど、きっと、もっと肩の力を抜いてみるのも大切なのかもしれない。
久しぶりにいい話を聞けた講義でした。
なかなか「正解」というのは見つけることは出来ないけれど、たくさんの試行錯誤の中から、「ベスト」と呼べるソリューション(解)を提案したいものだ。
さて、ここでいい話をもう一つ。
建築家H&dMが言っていた言葉。
「建築はワイングラスのようなものだ。」
―どんなワイングラスでも、ワインは注ぐことができるが、ガラスの形状、厚み、口にあたる部分のカーブなどによって、ワインの味は全く変わってしまう。
建築も同じで、設計次第で、いい空間もそうでない空間も生まれてしまう。だから、建築家は、そのワインに合ったよいワイングラス(よい空間)を作らなくてはいけない。
(というような内容だったと思う。間違っていたらごめんなさい。。)
建築教育においても、かつて近代建築が正しいこととされて、何となく、建築も解が一つのような教育がなされてきたということ。
しかし、そうではないということ。
必ずしも、この建物が絶対という解はなくて、敷地や法、コストなど様々な制約条件の中で、答えも変わってくるということ。
当たり前のことですが、改めて、すごく腑に落ちた。
とかく、分析系の研究をしていると、答えは一つ!!みたいな強迫観念にとらわれがちだけれど、きっと、もっと肩の力を抜いてみるのも大切なのかもしれない。
久しぶりにいい話を聞けた講義でした。
なかなか「正解」というのは見つけることは出来ないけれど、たくさんの試行錯誤の中から、「ベスト」と呼べるソリューション(解)を提案したいものだ。
さて、ここでいい話をもう一つ。
建築家H&dMが言っていた言葉。
「建築はワイングラスのようなものだ。」
―どんなワイングラスでも、ワインは注ぐことができるが、ガラスの形状、厚み、口にあたる部分のカーブなどによって、ワインの味は全く変わってしまう。
建築も同じで、設計次第で、いい空間もそうでない空間も生まれてしまう。だから、建築家は、そのワインに合ったよいワイングラス(よい空間)を作らなくてはいけない。
(というような内容だったと思う。間違っていたらごめんなさい。。)