写真は目黒区のHPより。
久しぶりに自転車。早起きして駒沢オリンピック公園へ行ってきた。
横浜からも意外と近くて、自転車でも1時間くらいで着いてしまう。
お目当ては、芦原義信さん設計の管制塔と体育館だったのだが、圧倒されたのは競技場(1964)の方。
設計者は、村田政真。
ネルビにも引けを取らないくらいの構造美。
力強い造形は、代々木体育館にも引けを取らないくらい。
竣工から45年経っても、私の眼にはとてもカッコよく映った。
なんといっても、丹下健三とは対照的に地面にへばり付くように高さが低く抑えられているのがいい。
建物の造形は、この時代の建物らしく、無骨でブルータルだが、高さを低く抑えることで、将来的に周りの樹木が育って、建物を覆い尽くす。そんなやさしさを感じるような建物である。
スタジアムのような大規模施設で、高さを低く抑えるというのは、構造的にもかなり難しいはずなのに、そこに果敢に挑戦している。
今の建築業界を取り巻く経済原理からすると、こんな形の建物は二度と作られることはないんじゃないか。。
やはり、昔の建物ほど、空間にゆとりや余白があるような気がする。
ゆとりがあるということは、変化にもフレキシブルに対応しやすいということなのだ。
ニューヨークの超高層ビルが今でも現役で使うことができるのは、建物の階高が贅沢に取られていたりして、空間にゆとりがあるおかげらしい。
時代の流れで、空調設備などを新たに導入しても、古い建物ほど、スペースにゆとりがあるから、それを格納する場所が十分にあるのだ。
一転して、今の東京を見てみると、六本木ヒルズにしても、ミッドタウンにしても、建物は、「キチキチ」の密度で設計されている。
はたして、50年後、現在の超高層はどうなってしまうのか。。設計者はそこまで考えているのだろうか。。
建物は建てて終わり、ではない。
単なる経済原理だけでは割り切ることのできない部分も含めて、デザインすることが「設計」なのだと私は思う。