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とある所のゴミ捨て場にカメラがありました。コニカの皮ケースに入っていました。丁度飾り用のカメラが欲しかったので、早速拾ってゆきます。
するとなんととコニカ1です。もちろん数字の1はローマ数字なのですが。
このカメラ、昭和22年製造開始で10年間製造されました。戦前に発売予定だった「ルビコン」というカメラが母体です。戦後ほぼ初めて製造された金属製カメラです。国内向けと言うよりは、米軍へのスーベニール用カメラで、彼らにとっては安くてよく出来たカメラだったので、かなり売れたようです。当時一万九千七百円ですので、大体の人は買えるものではなかったようです。
シャッターはコニカラピッドSなので昭和25年以降、ファインダーが紫・黄色着色の二重像合致式なので昭和26年以降製造のようです。しかしレンズがヘキサー50ミリF3.5なので、廉価版モデルのようです。
製造No.52471とありますが、ちょっとよくわかりません。
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さて気になるのは底蓋。「made in occupied Japan」の文字です。「占領下日本で製造」これで昭和26年の9月までの製造になりそうです。つまり占領下末期のカメラとなりそうです。更にケースが「made inJapan」、底蓋の書き文字が昭和26年なので、本当に8月とか9月に製造したもののようです。製造時と、梱包納品時がズレているので、そうなります。
写真でも解ると思いますが、かなりの美品です。ケースにカビも無く、ファインダーにも曇りがありません。レンズにカビもありません。フィルムレールからすると、そんなには使われていないようです。多分フィルムの値段が高かったからと、その後アサヒペンタックスの一眼レフが登場した事が上げられます。
で、このカメラなんと動きます。確か当時シャッターの金属を黒く染める技術に問題があって、シャッター金属表面に薄い油の層がで来て、それが酸化して動かなくなると言う症状があったからです。それは製造末期でも変わらなかったようなので、これは凄い事です。なおカメラのフィルムゲートを開けて匂いをかぐと、カメラらしからぬ匂いがします。機械油の匂いです。カメラ用のオイルはもう少し柔らかい匂いがします。多分修理された事もオーバーホールされた事も無さそうな感じです。本当に使われていなかった匂いです。
さてこうなると使ってみるしかありません。多分シャッターはそれなりにいかれていると思うのですが、どの程度イカレテいるのでしょうか。楽しみです。
なお元の所有者が多分簡単に特定出来る物件です。なので少し遊んでから、何なりを考えるつもりです。発売台数は多いカメラですが、国内の販売台数は少ない事、アメリカでもかなり廃棄されている事が予想されます。マニアックな所では確実に値がつく物件です。なにしろ修理可能なほどに簡単な構造です。シャッターがやっかいか。でも時計を修理出来る人なら簡単でしょう。多分関東カメラサービス当たりなら出来そうなものです。
とはいってもな~。これ欲しかったんですよ。壊れたものでも欲しかった。何しろ戦後日本での精密機械製造始まりを象徴するカメラで、戦中の設計の最先端ですし、アメリカ人に売れる事で、多少は日本製品の安かろう・わるかろう(当時はそう思われていた。実際そう言った事例はある)を緩和した商品でもある。
そして「made in occupied Japan」この文字が欲しかった。
遊んでから、やっぱり持ち主に因果を含めて返すしかないのだろう。
心乱れるよ。これは。