どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

「ハルサイ」祭りブーレーズはなぜ衝撃的だったのか

2015-04-30 22:57:20 | 日記

世の中にはひどく不思議なことがある。読むことはないと思うが、ブーレーズは論文「ストラヴィンスキーは生きている」で構造解析をしているようだ。それ以外でもアンセルメは解析していたと思う。このボックスセットにあるバーナムも多分していただろう。それではなぜこの論文が指揮に反映しなかったのか。

理由の大半は指揮者の生育システムが叩き上げだったというものだ。現在でも存在していると思うが、副指揮者や助手を経て正指揮者になったり、抜擢を受けて栄転するとか、そういったマイスター制度の中で地位を掴み取ってゆく。カラヤンも例外ではない。

ブーレーズの論文は、意味がなかった可能性がある。

だから彼の実演に意味があった。驚くほどクリアーで説得力のある音、テンポの遅さはあるがメリハリの効いた演奏はそれを全く感じさせずに、それでいてバーバルなダイナミズムを確保したのだ。

この演奏以降、しばらく春の祭典の演奏が低迷していると思う。

 

それでは、本人はその衝撃をどう受け止めたかといえば、音をさらに掘り下げる方向に向かったと思います。ただ基本的な解釈は変わっていないと思います。

ただ一つ大きなことがあります。オーケストラ内に音楽大学出身者が増えたことです。そしてそのレベルがとても高くなったと考えています。ブーレーズは前回では自己証明のための指揮をしていましたが、91年は証明する意味より、共同作業になっているような気がします。

そういった意味では91年の録音は、懐の深さがあるように感じています。ただこの余裕が、嫌な人はいるでしょうね。


「ハルサイ」祭りさまよえる方々編

2015-04-30 19:55:35 | 日記

 

さてお次は、ピンとこない指揮者たちです。決して悪い演奏ではありません。

ルドルフ・アルベルト指揮、Orchestre des Cento Soliです。とりあえずウイキにはほとんど情報がありません。ウイキに情報がないということはアルベルトの熱狂的なファンがいないと推察されます。とはいえ廉価版で見かけたような気もします。

データーからは可もなく不可もなくというのが見えてきます。

 

アメリカ人のマイケル・ティルソン・トーマス、ボストン交響楽団ですね。実はサンフランシスコ交響楽団でも振っていて、そちらはグラミー賞をとっています。これは聞いていません。なのでこの演奏から彼がどうかということはわかりません。ただ彼はゲイだとカミングアウトしていることです。東海岸ではいづらかったのかもしれません。

おとなし目の品のいい演奏です。

 

イギリス人のサー・コリン・デイヴィスです。その1963年の録音です。ロンドン交響楽団です。

いい演奏です。でもなにかしっくりきません。多分私がハンガリー人の野蛮に魅了された結果だと思うのですが。

 

そして13年後にコンセルトヘボウで再録音です。何があったのでしょうか。なにか悔しい思いをしたのでしょうか。

あるとすれば、53年にブーレーズが書いた春の祭典のスコア分析を見落として、69年の録音でショックを受けたのでしょうか。そうとしか思えないところがあります。

ただ両方ともピンとこないのは確か。いい演奏ではあります。

 

メトロポリタン歌劇場の常任指揮者ですね。そちらが有名なエーリッヒ・ラインスドルフですが、一応オーストラリア人です。

ドイツ歌劇が得意ということで、かなりいい演奏です。楽しめます。客の聴きどころをわきまえていますが、それが仇となっている気もします。

こういったボックスセットでないと絶対聞かない演奏ですが、拾い物しました。

 

カラヤン大先生です。ベルリンフィルです。言うことないっしょというはずなのが、この演奏。1部でメリハリのついた演奏で唸らせ、2部ではたっぷりと聞かせる演奏です。

でもそのなめらかなレガート奏法やらなんやら、本当に美しいんですね。

なんでこうなったんだろうと本当に思います。譜読みは天下一品だったはずなのですが。

 

どうもカラヤン大先生は、メシアンとブーレーズの論文を読んでなかったようです。いや読んでいたとしても、学者風情がと思ったのかもしれません。そして自分の美意識でクリアできると過信していたのかもしれません。

ところがこの春の祭典を聴く人たちの求めているものは全く違うわけです。

ということで75年から77年の3回に分けて録音をします。5管編成を3回録音用に用意するといえばそりゃあなた、家が立つやらでは済まされません。これが帝王、王道ですが後にこのスタイルをとった人もいない。

この録音、悪くないのですが63年の演奏がイマイチだったせいか、やっぱりどうもよく聞こえません。

カラヤンは変拍子が苦手だったようです。それはストラヴィンスキーも苦手だったのです。

なんでこういった曲書いちゃったのか。


「ハルサイ」祭りおふらんす編

2015-04-30 17:53:03 | 日記

「ハルサイ」おふらんす編です。フランスで活躍した外国人がいても、それは偉大なフランスだからできたのだと言ってはばからないフランス人なので、バレエ・リュッスもストラビンスキーもフランスのものと言いかねない彼らに敬意を表して、フランスから始まります。

とはいえデッカ録音のフランス人って全然いないんですね。ピエール・モントゥだけでしょうか。何しろあの罵声飛び交う初演をくぐり抜けた怪物です。その1956年録音はバージョン不明、Orchestre de la Societe des concerts du Conservatoireですね。本場モンの演奏ということで人気のある録音です。少しエスプリというか、野蛮でオサレな感じがする曲に仕上がっています。

時間的にはフツーなのですが、2部の乙女の神秘的な踊りが異様な長さになっています。

 

スイス人のエルネスト・アンセルメです。生地がフランス語圏なのでフランスと言ってもいいのかな。先のモントゥが初演で、ニジンスキー版の演出で振っていたのに対して、こちらはマシーンに寄る振り付け初演です。第一次世界大戦で疎開中のストラヴィンスキーと出会って意気投合して、そのままバレエ・リュッスの首席指揮者になったという方です。1918年にスイスロマンド管弦楽団を立ち上げ、艱難辛苦しながら楽団を育て上げたのですが、財政が安定したのは38年。その12年後の1950年録音です。

私は1957年の録音に慣れていたのでアレ?というところがありました。もしかすると演奏が苦しかったところがあるのではないのかと。速度的には普通なのですが、最後の選ばれし生贄の乙女のところがたどたどしいところがあります。

 

アンセルメ57年の録音です。この録音は今でも十分に通用する演奏だと思います。ブーレーズが登場するまで、標準的な演奏だったと言えます。まあそれもそのはず、アンセルメは数学者だったのが指揮者になったという変わり種です。この前からあった新即物主義のスコア解釈から一歩進んだスコア分析をしていたのではないのかと思われます。

ただスイスロマンド管弦楽団ですが、5管編成を簡単にできるほどの大きさではありません。それがフルサイズで録音したかどうか、実は疑問です。春の祭典もバレエではオケピットの問題から弦を減らす編成があるわけです。もしかするとこの録音も含め、編成の違う演奏があるのではないのかと思います。

 

シャルル・デュトワです。スイス人ですが、やっぱりフランス語圏です。青年期にアンセルメと交流のあったというだけあって、極めて理知的な音作りをします。私も初めて聞いたときに、ブーレーズとアンセルメはもういらないと思ったほどです。

ただ春の祭典に求めるものは人によって違うわけで、特にオーディオファンからどう見られたかは別です。

比較的遅い演奏の部類に入りますが、遅いのには意味がある、そういった演奏です。音色の変化とかが楽しめます。