どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

コンサートだよ

2016-01-12 00:52:15 | 日記

 

今日も泳ぎに行こうと思う。少し道を変える。ちょっとマリオスに確認による。

 

 

 

今日はマリオスの小ホールで上田合奏団のコンサートがある。かなり選曲が変わっていて、クルト・ワイル編曲の「三文オペラ」管楽編曲版とラヴェルの「クープランの墓・管弦組曲」と意欲的なプログラムなのだが、なぜかモーツアルトの「フルートとハープのための協奏曲」を第一楽章しかやらない。

以前貰ったチラシを紛失、そして時間も15時からと覚えていた。マリオスのホームページからホール予定を確認すると、コンサートとしか書いていない。フツーは上田合奏団ウインターコンサートVol.3 開演15:00~とか書いているものなのだが一切ない。ただ「コンサート」だ。その後も検索するが一切引っ掛からない。これは現地で確認しなければと寄ったわけだ。すると開演14:00となっている。

ということで泳ぐのは中止。

 

 

上田合奏団はどうも、岩大教育学部芸術文化・音楽専攻の学生と市民アマチュアオーケストラやブラスから集まっているようだ。ソリストを含め主要メンバーの経歴はなかなか。だがクープランの墓でハープを使うから神奈川から呼んだというのはわかるが、フルートのソリストを用意して三文オペラとクープランの墓で使わない贅沢さ。一応アンコール曲で出てきた。それでいてバンドネオンの啼鵬さん(すごい名前だな)はバンドネオンだけでなくバンジョーもやって、バイオリンまでやらさせられていたような気がする。作曲家だからできるのかと。

このコンサート、アマ中心だが、岩大教育学部准教授の牛渡先生が指揮というので、品質保証がある。この方岩手大学の吹奏楽部、あの無法者集団を、3年で立て直したという実績がありまして、彼が集めたのが上田合奏団なので絶対ひどいことは起きません。むしろ期待できるものです。

オマケに入場料無料です。

 

 

水泳に行こうと思っていたので、少し腹を空かせていた。これがコンサートに切り変わったのだからちょっと軽食くらい食べたいと思って、マリオス5階のコンビニに行くと無くなっていた。それでは最上階の喫茶店は?昼食バイキングで軽食ではないし、時間が足りない。それでは、隣のアイーナのコンビニはどうかと行ってみたら改装工事中。同じアイーナの松屋は軽食と言えるのかどうか。マリオス5階のツルハでスナック菓子を買おうと行くとお休み。自販機コーナーはウイダーゼリーとカロリーメイトと柿の種しかない。アイスもあったがそれは少し違う。

駅まで行きましたよ。結局焼きそばパンで妥協しました。

13:20分に着いて13:55分までこうして半径100メーターをさまよいました。

 

 

しかし三文オペラの編曲版だから多少は難しいのだろうと思っていたら、三文オペラは現代音楽だったのねという難しさがあった。単純な音に聞こえていても、こうやって音を重ねているのかとか、こうやってずらしているのかというのがよくわかった。そういったことは、音楽をわかってスコアを読めるか、実際に聞いてみるしかない。どんなに過去の演奏を聴いてもわからないものだ。

その上クルト・ワイルとブレヒトの組み合わせは、どうも厄介なものがある。初期に上演ごとにセリフを変えたバージョンがあるようだ。当然ワイルの死後は決定版一つにまとまっているが、もしかすると上演ごとに変更があった可能性もある。1930年録音なんて演劇に近い。音楽は劇付随という感覚はある。1958年の録音では、ラストにメキメッサーが入っている。そういった曲なのだ。その上多言語化は最初っから容認。中身さえ合えばいいよということから、ドイツ語版だけではなく英語版から様々な版がある。どれが正統かという解釈は最初っからない。古い録音は下手すりゃクラシックの演奏者でもいじっている。なので歌い回しもドイツ語が正しいと言えないし英語のジャズ版もいいとも言えない、少し不安定な曲でもある。

その上個性派の歌手ばかり表に出るから、裏方がどんなに面倒なことをしていても気がつかないのだ。

で私なのだが、多分会場にどの程度クルト・ワイルが好きな人がいたのかわからないが、もしも全員が私だったら、みんな歌って踊っていたろう。とにかく楽しかった。でももうちょっと歌が欲しかった。でもそれは高望みすぎる。

「フルートとハープのための協奏曲」第一楽章のみという贅沢さはなんとも言えません。その前にマリオス小ホールですが、こんな使い方が正しいように思います。小編成のオーケストラとかブラスアンサンブルの方があっているような気がしていました。ちょっと響きすぎるのです。そういった意味で、マトモなモーツアルトでした。

その前にハープの生音は、30年前に聞いたっきりかな。小さい編成で小さいホールというのはとってもいいことだ。

「クープランの墓」はえらく簡単に聞こえて、とんでもなく面倒くさい曲というので有名なのです。なので間違いなく市民オケは敬遠するでしょう。でもすごく良かったです。

薄々感じていたのですが、原曲のピアノですがものすごく上手い人がやると何にもない曲になってしまう、変な曲なのです。何か持っている人でないと、何かが出ない曲のような気がしていました。で、今日よくわかりました。この曲に取り組む気合みたいなもの、祈りといってもいいのかもしれない、それがないと難しい曲なのだろう。

それがあったと思う。

 

 

アンコール曲はビゼーの曲だった。確かカルメンの間奏曲だったと思うが。美しかった。

もう少し客が入っていい演奏会だと思う。その上一番いい席に誰もが座ろうとしないあの伝統はなんなんだろうな。多分関係者が多いのだろうな。

なんでいい席で聴き倒したくならないのだろうかな。第2部前で柵をくぐってど真ん中に座ったのだが、どうしてあそこががらんどうなのだろうか。そっから埋まって欲しいものなのだが。

最高気温が0.1度と微妙な真冬日もどきだった。ところどころナイスに凍った道を帰った。


初除雪

2016-01-11 00:52:02 | 日記

 

今日は珍しく早起きをした。「お麩らんす」が余っていたので、「麩レンチトースト」を作って食べた。スープには以前アイスキューブにしておいた裏ごしかぼちゃを牛乳に解いて作ったパンプキンスープだ。

そういえばバターが最近入手しやすくなった。とは言っても業務用は今でも大変なようだ。

 

 

雪は5センチ降ったのだが、もう出動した時には4センチ以下になっていた。とは言っても、コイツはまだ動かしたことがないんだな。ホンダのハイブリット。今までの全幅700ミリから900ミリへと一気に大型化した。力技では回せません。左右のクロラーを操作してターンします。なんで練習が必要です。

わかったポイントは、マニュアル操作の方が危機管理しやすいですね。オーガハウジングが道路の段差に引っかかりやすくてマニュアルできめ細かくコントロールした方がやりやすいようです。またスピードも出ますし。ターンはまだまだ練習が必要ですね。そして、ターンするところの微地形でなかなか曲がってくれないことも判明。結構めんどくさいですね。

でもやっぱり楽。あっという間に作業が終わりました。

 

 

そういえば今日は成人式のようです。着飾った人がいました。でも着飾りすぎて二十歳に見えない女性多数。髪を盛りに盛って染め染めて、濃いメイク&光物メイク、ちょっとかわいいアクセと合わせて、もう年齢不詳です。二十歳が一気に24歳キャバ嬢に見えてしまいます。

オジサンから見たら勿体無いの一言ですね。オジサんからのアドバイスとしては、1)全部盛りをしたい気持ちはわかる。でもそれでは二郎系ラーメンだよ。全部盛りをしたければそれぞれの具を軽くすること。髪を盛り上げたらアクセは少なめにとか、結婚式披露宴並みの袴を軽いものにするとか。

2)姿勢が悪くならないようなセッティングを心がける。髪を盛ったら服は軽くしないと、姿勢を維持できない。ただでさえ履きなれない草履だったりすればなおさらのこと。そもそも着慣れていない羽織袴の場合は、頭盛りすぎると着崩れないことを気にしながら頭を支えるという、かなりな重労働になる。そこをお高いレンタルの重たい羽織袴にしてしまうと、当然姿勢が崩れるわけだ。そうするとパーツは綺麗なのだが、全体えらくちっちゃく見えてしまって損をする。

3)やっぱりそこまでしたいなら、夏からトレーニングしなければいけない。夏祭りには気合を込めた髪型と浴衣で。秋には和装の日を作って何処かに出かけよう。髪は浴衣ほどは盛れないが、それでもかなり重いものになる。当然初詣もそうだ。それ以外に体幹トレーニングをするべきだ。草履はほとんど爪先立ちに近い歩き方になる。足の親指の使い方で決まる。そこをあえて再現するために、ハイヒールでかっこいい歩き方というのをテレビドラマやファッションショーの映像から探してみよう。あれは爪先立ちでの歩き方でないとできないんだね。低いヒールで練習するのがいいだろう。いきなり高いヒールだと、変な癖がつくからやめた方がいい。よくいるだろ、腿を高く上げて歩いている人、ああなるから。

オジサンはうるさいねぇ。

 

 

今日は除雪で半日つぶれると思っていたので、ポッカリ空いた時間をどうしようか。除雪前に汗を掻くだろうと思って、風呂を沸かしていたのだが、入るには早すぎる。買い物に行ってもまだ時間がある。

ということで響に行く。

リヒャルトシュトラウスの「ツアラトストラ」をかけてくる。こうなりゃカップリングの「家庭交響詩」も聞かねばならないだろう。

 

 

年賀状のモデルを響においていたのですが、気がつくと不穏な感じになっています。猿!寝てていいのか!確かに私が選んだ、一番バカっぽい猿だったが、ここまでバカだとは。

やはり今年は、かなり経済の読みが難しそうです。

なおこの人形は15日過ぎたら回収しようかと思っています。あんまり意味ないですしね。

 

 

5センチ降った雪もたちまち1センチに減り、裏道は多少凍っているものの、かなり乾いています。

あの除雪機を使いこなせずに終わりそうな気がしてきた。


特に何もなし

2016-01-09 21:02:37 | 日記

 

今日もまたのんびりと過ごした。15年のバイロイトのジークフリートを聞いた。このリングは今年で6年目でと思う。だからラジオで毎年聞いているのだが、年を明けてのこの情勢ではえらく痛い。

ワーグナーの可塑性とも言える舞台解釈の幅だが、このバージョンは石油利権をめぐる騒動という解釈になっている。火の山は石油タンクが燃え上がるという仕掛けだたりするようだ。そもそもの話のきっかけを作った神ヴォータンは代理人としてジークムントを作るが、契約の神であるという制約でジークムントを殺さなければいけなくなる。だがその息子のジークフリートに望みを託すが、結果世界は滅亡するのだ。

そのジークフリートが大蛇と化したフンディングを倒すのは、カラシニコフ銃だった。そうジークムントの形見の剣ノートゥングはカラシニコフに改造されるのだ。大蛇を待つ間にカラシニコフをガチャガチャいじる音とか、大蛇に向けてぶっ放す音が入っている。

5年前から始まった舞台で、当初はものすごいブーイングだった。今回はブーイングよりブラボーが多いように感じたが、確かに初演はブーイングだったろう。だが今ならわかる。完璧にわかる。

この演出は今なのだ。5年前からの予言のような演出になってしまった。確かに10年前からの情勢をリングに起き変えることは可能だった。だがよく分からないところはあった。

 

 

バイロイトでのリング解釈は、古典的なものからものすごく尖ったものへと変わってきている。この20年は資本主義体制の問題を取り上げたものが多いように感じる。その中でやっぱり今のが一番尖っているのだろう。

そう、アメリカは利権のために何をしてきたのだろうか。それはロシアもそうだ。イランもサウジも大国といわれる国はやってきたことだ。ただ子飼いのゲリラを見殺しにした結果、とんでもない孫を生んでしまったのだ。

 

 

そういえばサウジアラビアの石油国営企業、サウジアラムコがサウジの株式市場に上場するようだ。

どのような判断でそんなことをするのだろうか。サウジの市場の倍額の株式が現れるのだ。それが何を意味するのか。金額が巨大過ぎて、一時的に市場が混乱するのは目に見えている。中期に見てもサウジの株式の2/3を占めるものがあれば、サウジアラコムの業績のみに支配される市場になる。窒息した市場には誰も集まらなくなる。

サウジアラビアでの先行上場の思惑は何故なのだろう。まずニューヨークやロンドン市場の基準を満たしていないからというのがある。多分なのだ。ここまで巨大だと現在の赤字と短期の将来性での赤は大きい。会計基準の問題はないにしても、多分ここがひっかったのではないのだろうか。

次にサウジでの上場は、特定の人や国家に買わせるという意味なのではないのか。通常の株式譲渡とだと期待できるのは配当のみだ。ただ上場していれば利上がり益や換金性を持つ。ただ、これだけの株式を売るのだから特にその換金性を担保しなければいけなったのだろう。

なおこの上場はどのような形であっても、サウジアラビアの歴史転換なのだ。サウジアラビアは独立しても石油利権はイギリスに握られていた。それをアメリカ資本と共同で奪い返し、石油生産はサウジのもの、販売はアメリカのものとしてサウジアラムコを創設した。だがそれも問題があり、OPECを結成、国家単位での原油カルテルを結成して販売価格の独自性を作った。

起源としては民族主義から始まった独立から、国土を取り戻す運動でもあった。価格決定権も持った。だがそこから先は、実は何もできなかった。お金があってもできなかった。

 

 

サウジアラビアは二原論の罠にかかってゆく。宗教は現世主義に妥協するが、政府に宗教の普及拡大を要求する。国内では宗教の徹底化、そして国外へのワッハーブの伝道、それは補助金とともに動いた。各地に学校が作られワッハーブが急速に広まる。

その中で、逆に王制の腐敗やそれと同列に宗教界の堕落が言われるようになる。言論封鎖している社会とはいえ、政府批判がアルカイダを生み出した。その力はまだサウジ内にはある。シーア派の有力者を殺したのは、その時にIS支持者の宗教者を4人殺すためだったと言われている。

国内にある不平不満を、国民にサウジアラムコの株式を渡すことで解消しようというのであろうか。

 

 

オバマ大統領が銃規制の大統領令を出して、涙を流していた。ただ届出強化というのが現実の規制、ネットで銃が買える国家というのは、大統領の力を持ってもここまでしかできないのかと思った。

ただその頃だがテキサス州で銃携帯に対して規制がなくなったと思う。変な映像が出ていた。どっかのスーパーでのおっさんらが突撃銃を下げて歩いている映像だった。そのおっさんだけだったらいい。他にもおっさんが二人、同じような格好で歩いていたのだ。確か一人は2丁持っていたか。

まずはその体力に感嘆しよう。あれはかなり重い。

ただどうなんだろう、Tシャツ短パンであれは防御も攻撃もないだろう。ランボーみたいに上半身裸でバルカン砲を撃つというのはありえないから。その上日本のような小さなスーパーではないにしても、敵に向かって正しく打てるのかどうか。だいたい外れて跳弾で遠くにいる誰かを殺してしまうだろう。その距離最低1キロ。敵に当たっても1キロ。

何かものすごいロマンティックな映像でした。何にも考えていないんだな。

 

 

ドナルド・トランプの暴言は、計算づくだという話があった。確かにそうだ。最初にジェフ・ブッシュを叩き潰したのは政治献金の話だ。多少一貫性はないが、ただトランプというブランディングは全て成功しているようだ。

なんらか使えればいいな。ただあそこまでは無理としても。

 

 

そういえば、「空飛ぶスパゲッティモンスター教」での結婚式がニュージーランドで認められたという、古い記事があった。

アメリカの保守派の非科学的な教育方針に対してのパロディとしての宗教だが、まさかこれで結婚式を行う奴がいるかと。ちなみにパロディ宗教であるので、隣のオーストラリアでは認可されていない。多分ニュージーランドもそうだろう。私もそうだ。

だがこいつは楽しい。ということでニコニコ大百科から、FMSを貼らせてもらおう。ただ、2005年にカンザス州の教育委員会の討議で始まった、つまりインテリジェンツ・デザインに対する反論で、揶揄するためのものだったのが、ここまで大きくなっている。

無神論のための神であり、今の神のあり方を問う宗教?なのだが、多分信ずるものは救われるだろう。

ただ発泡酒や第3のビールを飲んでいる日本人は、多分地獄にいるのだろう。

 


私は暇なのだが

2016-01-09 01:11:27 | 日記

 

今日は珍しく仙台からお客さんがあった。響に行きコーヒーを飲む。

ほんとこういった時便利だわ、この店。喫茶店だから使ってもたかが知れた金額だし、それでいて最大の満足をあたえてくれる。今回はヘビー級2点、マンデリンとケニアのデミタスで行く。特にケニアは最高だ。これは仙台でもそうそう飲めないだろう。

だが仙台にはこのクラスの店はないのだろうか。多分ないだろうが、それにしてもおかしい。今度調べてみよう。ここまでではなくともありそうなものだが。

 

 

クルト・ワイルを聞いていたが、彼の曲も難曲ぞろいだ。どこが難曲かといえば、綺麗ではいけないが下手なのはもっといけないのだ。ヘタウマ、それが大切。物凄く上手い人が、わざと下手くそにしたらアウト。その意味で難曲なのだ。高度な音楽性と、ノリの良さと、個性が大切。器楽と男性歌手はそれでもなんとかなる。だが難曲にしているのは、実はヒロイン役がいないということだ。個性が大切だが、それは並大抵ではできない。色っぽく力強く、少女であり女であり、男勝りであり頼りなく、恋をしていても非情、つまりフツーの女性だ。それをできる歌手はかなり限られる。

今家にあるディスクでも、ウテ・レンパーはこの点かなり合格なのだが、良すぎる。もう少しチープでなければいけない。同じディスクで、ジェニー役にミルバが当てられているが、存在感が凄まじすぎてどこにでもいる娘ではない。そもそもこのディスクでルネ・コロはどうなんだ。

それではテレサ・ストラータスはかなりいい。だが今度は色気がない。それではマリアンヌ・フェイスフルはどうか。アイドルから酒とドラックに溺れてズタボロの鬼気迫る声は、場末すぎる。エラ・フィッツジェラルドは、声はともかくとして、うますぎるのだ。ジャズシンガーの欠点は、うますぎることだ。

いつの日にかロッテ・レーニャを超える歌手が現れる日を期待したい。まあ彼女への当て書きというところはとても大きい。

 

 

我が家のオーディオだが、自作プリアンプを使いやすいようにパソコンの前に持ってきた。するとナゾのチリチリというノイズが出るようになった。パソコンのそばだからノイズが出やすいのはわかるのだが、出たり出なかったりする。さてさて、原因は外ずけハードディスクだろうと見当はつく。だがもっと変なことが直接原因だった。

使っていなく接続していない、DVDドライブのUSBケーブルと電源線が触れていたことが原因だった。使っていないし電源も入っていないのが、悪さをしているというのはどうゆうことなのか?

全くわからない。ただ共鳴が起きていた可能性はある。外付ハードディスクがマックのタイムマシーンで起動するたびに起きているようだ。ちょっとこの辺りの配線を見直さなければいけないだろう。

 

 

中国の株式市場が、サーキットブレーカーをやめた途端、相場が安定し始めた。不思議なものだ。他国から5%上下で15分休んで7%上下で市場取引停止というのは厳しすぎないかと言われていたようだ。その厳しさが逆に不安定さを産んでいると指摘されている。

やめたら、時間制限内での売り買いの中でどうしようかと考える余裕が生まれたようだ。値下げの強い株に買いが入るとか、当たり前のことがやりやすくなったようだ。逆説的に言えば、昨年の暴落から民衆の方が学習してきたというべきだろう。

とは言え市場というより、賭場の性格がまだまだ強いようだ。

中国の株式市場もそうだが、もう少し危なさそうな案件がある。中国は元安を容認するようなのだ。ニューズウイークだが実はこれはヤバイ。中国産品は人件費が安かったから安く作れた。さらに元を安めに誘導した。だがそれも問題になる。国際経済に合わせるため擬似的な変動相場に成ると、人件費の高騰と、このところの経済成長の停滞でたちどころに下がった。

経済成長の停滞だが、過剰生産が解消できないという問題が大きい。鉄が代表例だろうか。鉄鉱石をガンガン輸入した中国だ。そこには乱立していた製鉄会社があった。競争で輸入していたのだが、それが今では鉄を売るのではなく鉄鉱石を売っている。

この状態で元安が進むと、いかに全てがあるとする中国でも、輸入量が激減するのではないのか。それが原材料のコモディティ市場に影響し、アフリカや中南米に影響を落とす可能性が出てきている。石油も1バレル20ドル台が言われている。それでいてサウジアラビアは過激だ。このままで行けばサウジは海外資産を取り崩すのではないのかと言われている。そうオイルマネーが引くのだ。もしもそうなれば株式は相当恐ろしいことになる。あとはアメリカのジャンクボンドだ。世界景気が下がる要因はいくらでも揃ってしまった。

申年は、騒がしい相場になると言われている。確かに既にそういった状況だ。新年早々、よくないことばかりだ。


七草

2016-01-08 01:36:37 | 日記

 

七草粥を食べる日、だそうな。確かにスーパーには具材は売っている。だがどう考えても東北の風習ではない。だから毎年売れ残る。ただこの暖冬で雪がないので野山を探すと全部材料は手に入れられそうだ。ダイコンとカブは買ったほうがいいか。

ということで、今朝はフキノトウのパスタにした。昨日見つけたものを美味しくいただきました。これで東北の春を制覇した気分です。京都の風習なんて、どーでもいいわ。

なお明日になるとスーパーで七草が投売りになるはずです。そこを狙ってかき揚げを作ると、美味です。なお水分が多い具材なので揚げたててお願いします。

 

 

今日は午前中、ラヴェルの歌曲ばっかり聞いていた。ウン、難しい。クラシック歌曲難易度上位なのはとてもよくわかった。

しかしラヴェルという作曲家は、手癖が見当たらない人だ。同じようなメロディラインがとても少ない。民謡とか採取してきたせいもあるのだろう。これがドビュッシーとかプーランクとか、フォーレもそうか、メロディラインに手癖がある。名曲と言われているもの以外を聞くと、その手癖が嫌になる程出てくる。歌曲もそうだ。

どうもラヴェルという作曲家は、音楽の構造に関してアイディアが豊富な人で、その骨格を作り上げるのがすごかったようだ。室内楽などそうだ。結果、構造に合うメロディラインを選択したので、手癖が見えないのだろう。逆に構造とその骨格ばっかりなゆえにオーケストラレーションは「魔術師」とまで言われても、ここに手癖が出たのだろう。

まあ構造構造と言ってきた先輩方たちが、以外とグズグズだったというのもあったと思う。だから頑張ったのかもしれない。

そのせいか、歌曲は難しい。ほんと難しい。これって歌えるのというくらいで、ゆとりのないシャンソン。遊びのないシャンソン。それでいてシャンソン。ピアノはラヴェル特有の演奏困難。

誰もがたじろぐよな。でもいいんだな。ドビッシーより美しい。構造がきちんとしていないとこれが出てこないのだ。日本の戦後作曲家が魅了されたのはよく分かる。ほんとよく分かる。

 

 

午後は泳ぎに出かける。1500メートルだけ泳ぐ。とは言え最後の50メートル10本は辛かった。

 

 

イエメンのイラン大使館をサウジが空爆したのか。誤爆かもしれんが、サウジの持っている最高機材で誤爆ねぇ。

いい加減にしろ。

 

 

姫神山も出さないと悪いな。

 

 

今日人と話していて思ったのだが、楽てなんだろう、ということだ。楽ってどうもわからない概念だ。一日中ゴロゴロできるのが楽なのか、それでいてテレビのチャンネルをシャッフリングするのは、退屈だということだ。

この楽という概念は、どうも肉体労働中心だった時代に出来たものなのではないのかと思う。苦行のような肉体労働から解放された時が、楽なのだ。で、江戸時代日本人の90%が農民だった。だからそうなるのだろうか。少し違うような気がする。

楽というのには楽しいという意味もあるが、簡単という意味もある。楽して稼ぎたい、というのは簡単で高収入という意味だ。

私は楽って、効率のいい状態だと思うのだが。

高校からサイクリングをしていたが、もう少し楽に走りたいと思ってウエイトトレーニングをした。楽というのはそういったものだろう。

 

 

楽という概念がわからない。パチンコにいって負けて、その結果が仕事に出てしまう人を知っている。一攫千金を目指した結果仕事が荒れるのはいただけない。

とは言っても私は楽をしている。最近もう嫌われていいやと思っているからだ。

屁をしても一人