御茶ノ水駅から会場は近い。
南方熊楠の名は知っているが、どんな人物か? 読み方も難しく不可思議な説を弄する変な巨人のイメージを抱く。
そんな南方熊楠のシンポジウム「南方熊楠のエコロジー思想とは何か?」があるというので聴きに出かけた。
○日時:平成23年10月2日(日)13:30〜17:00
○場所:明治大学アカデミーホール 主催:和歌山県
○開催趣旨
南方熊楠(1867-1941)は、和歌山県出身で、民俗学の分野における近代日本の先駆者的存在であり、博物学、宗教学の研究や、植物学、特に「隠花植物」と呼ばれていた菌類・変形菌類・地衣類・蘚苔類・藻類の日本における初期の代表的な研究者。 今からちょうど100年前に生物どうしのつながりの重要性、つまり現代の生物多様性の考え方に通じるエコロジーの思想で自然保護運動を展開した。熊楠の視点は生命のつながりの重要性だった。東日本大震災は私たちの生活に計り知れない影響を与えたが、自然への畏敬、命の尊さを改めて考え直さなければなりません。「生きる」ことは独りではなく、人と人がつながり、自然との共生のなかで生きている。シンポジウムを通して、熊楠のエコロジー思想を現代社会に問いかける。
●基調講演
「熊楠とエコロジーの物語−そこに愛と神があった」荒俣宏氏(作家)
熊楠はすでにエコロギーと訳して、その精神を提唱していた。
講演は、かなり専門的で熊楠をダシにしたエコロジーの話題の印象だった。
ヘッケルの造語「ココロジー」から地球を論ずるとき、人間を中心にするが、地球は単一の生命体である。この視点から人間が存在しつづけて善いのかと問う。
●講演
①「生命誌の世界と熊楠」 中村桂子氏(JT生命誌研究館館長)
西洋学問は科学、東洋思想は仏教、日本は日常の自然が根底にある。熊楠は「心」と「物」の交叉するところを「事」と考えた。
②「熊楠のエコロジー思想」 井川憲明氏(元明治大学農学部教授)
熊楠の「心・事・物」は連鎖し合っている。五感に直感を加味した六感、さらに感性の進化を加えた七感を生命愛としてアニミズム(霊感)を考えた。コスモロジー宇宙論から曼荼羅化を考え出した。
アルネ・ネスは反人間主義的立場がエコロジー思想といった。
エゴ中心的アプローチをするのが西洋的世界観で、エコ中心的アプローチをするのを東洋的世界観(生命中心主義)という。
③「熊楠の愛した“生物多様性の宝庫−熊野”」 黒田大三郎氏(環境省参与)
世界の森林率は31%。日本は69%と圧倒的に高い(スリナム、ガボン、ガイアナ、フィンランド、日本の順)。日本では高知84%、岐阜、山梨。
3者の講演を通して、はじめに難しく語った荒俣氏の話に関連づけられ肉付けされるように感じた。←写真は和歌山の神島(天然記念物)。
●座談会
「紀州的エコロジーのススメ」
荒俣宏氏・中村桂子氏・井川憲明氏・黒田大三郎氏・仁坂吉伸氏(和歌山県知事)
メディア慣れした荒俣氏の巧みな進行で活発な討論がすすむ。
偶然、震災後に和歌山が岩手の支援をしていた。熊楠を許した柳田国男「遠野物語」との縁を感じる。
熊楠シンポシ゜ウムを聴いた後も、相変わらず謎の人である印象のまま残る。
意外なのは、そんな熊楠が皇室とも縁があったこと。昭和天皇が田辺湾沖合いの神島(かしま)に訪問した際、熊楠は粘菌や海中生物についての御前講義を行ない、最後に粘菌標本を天皇に献上した。
*NHKテレビで12月17日(土)14時から放映予定
粘菌の研究には自然環境保護が必要不可欠であり、熊楠のエコロジー思想は分かるような気がします。
12月17日のNHKテレビを観てみたいと思います。
ただ、おおよそエコには関係のない企業が『私達はエコ活動に取り組んでいます』と車にワッペンを貼り付けて走ってます。理解に苦しみます。
存じあげておりませんでした。
とてもエライ方のようですが、風貌がちょっと変わってますよね・・
でもエコロジーの精神はやはり大切にしたいですね~
だまされる人の気持ちが理解できません。
いまの時代に、何の努力もなしでうまいもうけ話などあるわけがありません。あるとすれば
自分の能力で探し出す類のものです。
>南方熊楠と言えば粘菌の研究で名前を知っている程度でしたが、民俗学や考古学に精通・・・
iinaはその逆で、民俗学で知り、粘菌のことは初耳でした。
(タミリン) さん へ
シュークリームとドリンクセットを食べてみたいiina。
おいしそうです。涎!
さいきん、シュークリームに縁遠くなっています。
宮大工は、千年単位で建築を考えるそうですよ。
樹齢千年の木材を使って修復ないし建築し、千年先の修復のために植木しておくと申します。
してみると2千年から3千年を見通していると申します。
(ハイジ) さん へ
エコ活動をアピールしすぎるのを不審がるのでしょうが、何もしないよりは善しとしなくては
ならないかも知れません。
エコを求められる時代なのでしょうね。エゴにならぬよう気をつけなくてはなりません。
(イヴォンヌ) さん へ
フィヨルドは北半球のイメージでしたが、南半球も当然あるのですね。
ミルフォードサウンドの水面は、鏡のように凪いで見え、美しいです。
南方熊楠は、無冠の巨人ですが、凄いインパクトのある方のようです。
海外にいても おばさんはいろいろ女のおつきあいが大変でして・・・。
そんな時 植物や鳥、昆虫たちが 人間にとってどんなに貴重な存在かを思い知らされます。
熊楠さんは あんなに昔に あんなに田舎で
(和歌山の方ごめんなさ~い)育たれたのに
すばらしい研究や思想を持った方だと,
本帰国したらゆっくり知りたいと思っている人
のひとりです。
もっとメディアが大きく取り上げてほしいなあ。
自然を愛した熊楠の古里・和歌山には京都から近いですから、里帰りされた際には足を延ばして
南方熊楠記念館を訪ねるのも面白いかもしれません。
和歌山県西牟婁郡白浜町3601-1(番所山)
棟方志(むなかた しこう)といい南方熊楠(みなかた くまぐす)といい、読み方が似ています。
今、騒いでるエコのことではない思う。
そんあものとは次元が違う。
このシンポジウムの印象は、熊楠をダシにこじつけたエコロジーのようでした。
つい先日も、テレビで放送していました。
南方に人生は日本人の生涯としては、特異なものであったですね、でもそれが真の学者の生涯であったような気がします。大東亜戦争の始まった年に、亡くなりました。彼は、この日本国が江戸時代を脱し、そして明治維新の発展の終焉に近い年に亡くなりました。彼はその後の日本の運命を知ることなく死んだ、まさに日本の近代史(明治維新から敗戦まで)の時間を生きた人でした。彼が死んだとき、その価値を正当に理解できた人は極ごく、少数であった筈です。生物が何によって生かされているか?などを、あまり真面目に思う人は少なかったですから。
小さい頃から抜群の記憶力と好奇心の塊であった様ですね。和漢三才図会や本草綱目などは、読み進めて頭に入れてしまった、逸話が記されています。彼は、漱石と同期らしい、留学先のアメリカからヨーロッパを放浪し、英国に暫らく暮らし大英博物館に通い勉強を続けた、色々な雑誌に投稿し、もう少しでケンブリッジの日本学の講座を持てたが不運にも果たせなかったですね。彼が日本に帰ったとき、着のみ着のままの、ひどい姿であったといいますね。学位も取らずに帰ってきた熊楠に、弟は冷たかったようです。
世間的な栄達に何ら興味と価値を見出さなかった熊楠にとって、世間の風はもとより冷たかった。彼は、森に出掛け、自分の世界に邁進することで自分を救ったのでしょう。その後の一生を和歌山の森で得た粘菌の分類に一生を注ぎ込んだ。熊楠を理解した人の一人に、やはり生靴学者であった昭和天皇が居られます。和歌山を訪れた陛下に、ご進講をしたときのお土産に、キャラメルの空き箱に入れた粘菌の標本があるそうです。天皇はこの贈り物を大変に喜んだらしい。
そのとき、昭和天皇と南方熊楠の二人は、真の心につながりを認識したのでしょうね。