![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/65/659d45296761b67b02100c8736483523.jpg)
石舟斎が修行中に天狗を切ったと思ったら天狗はいなくなって代わりに巨石が2つに割れていたと伝える。石舟斎の強さがこんな伝説を生み、それが語り継がれたと思える。
この伝説の一刀石は、柳生の里から薄暗い山道を30分ばかり歩かねばならないが、たしかにあった。
柳生石舟斎宗厳は、戦国末期に上泉伊勢守について新陰流の秘伝を授けられ、新たに無刀の術を極め、柳生新陰流を創始した。
新陰流は人を痛めつけるための技ではなく、人を生かす「活人剣」こそがその極意とされ、それゆえに無刀取りという神技にいきついたのだと思われる。
その五男の但馬守宗矩は、将軍家の兵法指南役として秀忠・家光に柳生新陰流を教授し、将軍側近をつとめ一万石余で大名の列に加わり、後に大目付の要職についた
陣屋跡、家老屋敷、柳生一族の墓が点在する剣豪の里だった。
<注> 写真は、15年ほど前に撮影。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
![](http://www.geocities.jp/ina570//b-mo.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0090.gif)
この伝説の一刀石は、柳生の里から薄暗い山道を30分ばかり歩かねばならないが、たしかにあった。
柳生石舟斎宗厳は、戦国末期に上泉伊勢守について新陰流の秘伝を授けられ、新たに無刀の術を極め、柳生新陰流を創始した。
新陰流は人を痛めつけるための技ではなく、人を生かす「活人剣」こそがその極意とされ、それゆえに無刀取りという神技にいきついたのだと思われる。
その五男の但馬守宗矩は、将軍家の兵法指南役として秀忠・家光に柳生新陰流を教授し、将軍側近をつとめ一万石余で大名の列に加わり、後に大目付の要職についた
陣屋跡、家老屋敷、柳生一族の墓が点在する剣豪の里だった。
<注> 写真は、15年ほど前に撮影。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
![](http://www.geocities.jp/ina570//b-mo.gif)
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近鉄奈良駅前から二十数キロ歩いて膝を痛めたことを覚えています。
陣屋跡や家老屋敷は見学したように思いますが、一刀石は見ていません。
見事に割れていますね。
伝説が生まれるのも頷けます。
舞の海は100kgに満たないあの小さな身体でよく小結まで上りましたね。
技のデパートと言われ、数々の技を仕掛ける彼の相撲は見応えがありました。
吉川英治 著「 宮本武蔵 」
山田風太郎 著「 伊賀忍法帳 」
が浮かびます。
この岩を、一刀で割るとはさすがな石舟斎です。
しかし使った刀は「五右衛門」に借りた斬鉄剣かな?
拙ブログでも昨年7月宮崎県の「笠松山」頂上下の展望所で観た石とそっくりでした。
この様な大きな岩がなぜ真っ二つに? と思ってましたがやっと謎が解けました。
http://blog.goo.ne.jp/goo1951-2007/e/d2fe7e32a3213c64d6acf57d6f221f5b
柳生石舟斎は若い日に、日向の国の山奥でも人知れず修行をしていたという
何よりの証拠です。~しかしその事実を知る人は誰もいない。 ←アホぬかすな(^.^)/~~~
・保険は無駄になるほどありがたい。
>費用と精神面でやわらぎます。
やはり保険は絶対必要ですね、同感です。
保険が無駄になれば、それは幸せなこと
柳生の里が奈良県にあることも知りませんでした。
とても勉強になります。
>人を生かす「活人剣」
どういう技なのだろうと興味が湧きます。
大人の定義は難しいものですね。
きょうは、成人の日ですが、30歳になって成人を実感し古里でその儀式をしようと呼びかけた方を、きのう報道して
ました。iinaもそうでしたが当事者は、なかなか実感しずらいものですね。
近鉄奈良駅から柳生の里までの20数キロ歩いたとは、お疲れさまでした。途中に石仏もありましたから、面白そうな
コースです。
(あQ) さん へ
子連れ狼に登場する裏柳生は、悪の総帥でしたね。
柳生石舟斎は、塚原ト伝の弟子でもあったらしです?
(ムツゴロウ)さん へ
こどもがいると、岩の大きさがわかるでしょう。
実際には、どうやって真っ二つにわったのでしょう?
(「のべ山R会」のK) さん へ
なるほど、石舟斎は日向の国の山奥で修行をした形跡が残ってますね。岩を真っ二つに割る練習をしていました。
たまたま、数日前の新聞のコラムに岩を割る力について触れていました。岩の隙間を水が染み込み凍ると簡単に
割れてしまうそうです。この隙間を木々の根が入りこんだりして作るのだと申します。やはり、自然の力は凄い。
(モカ)さん へ
iinaの幼いころに、歯磨き粉を使っていた記憶があります。
一時の流行であったのかどうかは定かではありません。
戦後に、練り歯磨きが主流になったとすれば、戦争を知らないiinaとしては練り歯磨き浸透する間際を経験したのかもわかりません。
塩歯磨きのシェア争いが、「松廊下での刃傷」の要因となって、吉良藩と赤穂藩との対立に発展したとする説もありそうです。
iinaは、こんな風に考えます。↓
「忠臣蔵~罪深いひと~」
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/d423729f151f4a9959464b683c1b3c49