源氏の名刀・髭切が、iinaのホムペ『もののはじめ』の「一条戻橋」に登場するので、髭切と膝丸の兄弟刀をブログに採り上げたことがある。
その髭切と膝丸が東京国立博物館に特別展「旧嵯峨御所・大覚寺」に、今日から揃い踏みする。1月21日~3月16日
鬚切は、北野天満宮所蔵(重要文化財)と分かっていたが、膝丸は行方知れずになっていた。
実は、この記事から大覚寺に所蔵されていたことが分かった。
1月13日付読売新聞記載
源氏多田満仲が天下守護の勅宣をうけ、天下の守りには良い剣が必要として、鍛冶師に太刀を打たせた。鍛冶師は八幡大菩薩に祈願して二振りの剣を成した。
源 満仲が罪人で試し切りして、鬚まで切った方を「髭切(ひげきり)」。膝まで切った方を「膝丸(ひざまる)」と命名。
その後、髭切は源 頼光に伝わるなどし,持主は点々と移る。
[ 髭切の持主系図 ]
満仲-頼光-頼義-義家-為義-義朝-平清盛-後白河天皇-熱田神宮-頼朝-最上兼頼-北野天満宮
名前変遷系図
髭切-鬼切-獅子の子-友切-髭切
[ 膝丸の持主系図 ]膝丸物語
満仲-頼光-頼義-義家-為義-熊野別当教真-熊野別当湛増-箱根権現-義経-曽我兄弟-頼朝
名前変遷系図
膝丸-蜘蛛切-吠丸-薄緑/薄縁 (うすべり)
【 膝丸と髭切 】
その髭切と膝丸が東京国立博物館に特別展「旧嵯峨御所・大覚寺」に、今日から揃い踏みする。1月21日~3月16日
鬚切は、北野天満宮所蔵(重要文化財)と分かっていたが、膝丸は行方知れずになっていた。
実は、この記事から大覚寺に所蔵されていたことが分かった。
1月13日付読売新聞記載
源氏多田満仲が天下守護の勅宣をうけ、天下の守りには良い剣が必要として、鍛冶師に太刀を打たせた。鍛冶師は八幡大菩薩に祈願して二振りの剣を成した。
源 満仲が罪人で試し切りして、鬚まで切った方を「髭切(ひげきり)」。膝まで切った方を「膝丸(ひざまる)」と命名。
その後、髭切は源 頼光に伝わるなどし,持主は点々と移る。
[ 髭切の持主系図 ]
満仲-頼光-頼義-義家-為義-義朝-平清盛-後白河天皇-熱田神宮-頼朝-最上兼頼-北野天満宮
名前変遷系図
髭切-鬼切-獅子の子-友切-髭切
[ 膝丸の持主系図 ]膝丸物語
満仲-頼光-頼義-義家-為義-熊野別当教真-熊野別当湛増-箱根権現-義経-曽我兄弟-頼朝
名前変遷系図
膝丸-蜘蛛切-吠丸-薄緑/薄縁 (うすべり)
【 膝丸と髭切 】
川西では源氏関係の神社やお祭りがあります。
それにしても、さすがに源氏の名刀は凄いですね。
朝の髭剃りに、電気カミソリを使っていますよ。
北野天満宮の宝物一覧に、「太刀 銘安綱(鬼切)」と その名が見えます。
髭切に関する記述は『平家物語』劒の巻にあるものの、史実として捉えてはいけない
が一般的な見識なのだとか。
TB(Forth!) さん へ
TBを頂いていたのを、いま知りました。
コメントが遅れて失礼しました。 m(__)m
義経が討たれた後、「膝丸」は兄・源頼朝のもとに渡ったため、
「髭切」も頼朝が天下をとったときに、後白河天皇に戻されて
いたので、皮肉にもそこでかつての兄弟刀が源氏の元に戻った
のですね。
酒呑童子の腕を落とした「髭切」こと「鬼切丸」を見てみたいです。
もののふ(武士)が持つにふさわしい刀剣です。
ありがたいことに、こんな展覧会で石上神宮所蔵の非公開の七支刀(国宝)を見ることが出来ました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/1f8515228b2c0b2f3791d2f0491c006d