モミジの永観堂として千百有余年の歴史を持つ京都有数の古刹。永観堂の呼び名で親しまれるが正式名は無量寿院禅林寺。
冒頭は、見えている臥龍廊を登ると多宝塔にいたり、市内を眺められ見晴らしがいい。
本尊は首を左に振り返る阿弥陀如来仏で「見返り阿弥陀」と呼ぶ。承暦時代(1077頃)に永観律師が住職のころ、貧しい病人に徳を施した永観を慕いいつしか永観堂と称されるようになったという。iinaは、拝顔したが公開されぬこともあった・・・。
南禅寺
南禅寺で一番、目につくのが大きな三門。この三門で石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と名セリフを吐いたとして知られる。
iinaが楼閣に登ったときも、やはり絶景かな…であった。
天井には、狩野探幽筆による天人と鳳凰の図が描かれ極楽のよう。知恩院三門、東本願寺御影堂門とともに京都三大門の一つに数えられる。
水路閣
琵琶湖疏水が南禅寺境内を水路橋で通過している。1888年(明治21)完成。
疏水は、琵琶湖取水口から山科・蹴上を経て京都に入る運河。蹴上から鴨東運河・鴨川運河(インクライン2ヵ所)を通り伏見で宇治川に流れ約20キロ。
蹴上からの京都市内
<注> 写真は、15年ほど前に撮影。
噛まれたら死ぬこともある蜘蛛とは、物騒です。
この蜘蛛だったかどうか定かではありませんが、数年前に報道されていました。神奈川にも進出とは くも(蜘蛛)った
ものです。
南禅寺の三門は、特別拝観できるときがあって登ると、市内が見渡せ「絶景」でした。会社の寮のあった蹴上の高台
からの写真を追加したのでご覧ください。
(楽母) さん へ
改築したばかりなのに、雨漏りかもという不安を払拭できぬとは、気がかりですね。
iina宅も、風呂場の水道洩れに、改築した際に世話になった工務店を経由して本業の方に修理してもらったら、
高額を請求されました。
本業の水道屋と左官屋が見積もった代金の3倍ほどの請求でした。手配師が取りまとめ料を上乗せしている
のでしょうね。いろいろ言い訳してましたが、前に世話になったことでもあり払いました。
蹴上からの京都市内を早朝に撮ったのを見つけたので、追加しておきました。会社の厚生寮あったのですが、
いまは老人ホームになっているのだそうです。
(六五六) さん へ
>えぃーかんじ で かんどー しました
永観堂「えいかんどう」だから、
「えいかん」じ と 「かんどう」を考えつくとは、ウマい !
(mone) さん へ
写真のタイミング
永観堂からの眺めを撮ると逆光になって好い写真にならなかったのですが、永観堂と南禅寺に近い蹴上からくっきり
とした市内の写真をみつけたので、追加アップしておきました。
会社の厚生寮から朝早くに撮ったため、空気が澄んでいてきれいに写ったものと思われます。
写真は、撮る時間帯によりますね。
立山連峰を撮るのに、われわれがさっさと撮って帰ろうとすると、前から居た方は帰ろうとしないので、尋ねると陽が
傾いた立山を撮りたいので、待機していると返事したので、そんなことを認めたのです。
(「のべR山会」のK)さん へ
冒頭の「矢筈岳」は、姿が好いです。
iinaなら、この姿をカメラで撮ろうとは考えますが、登って制覇しようとは思いません。
K点を越えて極める、さすがなKさんです。
南禅寺境内の水路橋は、琵琶湖疏水を流すものですから、熊本の「通潤橋」と同じですね。
近くにインクラインというのもあります。 こちらは、インクを流すのではなく、舟を運ぶ線路です。
もみじの永観堂~本当に紅葉の配色が何とも、言葉であらわせない美しさですね
この景色、自分で見て自分で写真に撮りたいです。
南禅寺~このお寺も良く耳にします。
そして、素晴らしいですね~日本3大「山門」
境内の水路橋は、熊本の「通潤橋」と同じような感じですね
本当に歴史を感じ、良い目の保養になります。
・熊野那智大社の別宮、飛瀧神社のご神体とされ
日本一の落差を誇る名滝の「那智の滝」と確かに同姓同名です。
こちらも「如意輪寺」境内のすぐそばにあり、宮崎県指定の「名勝」です。
川嶋神社も初めて訪れてみましたが、丁度イチョウの落葉で素晴らしい庭園風景を見ることが出来ました。
さすがに 絶景かな
息子がすぐそばの学校に通っていたせいもあって、6年間授業参観だの、PTA行事だのって忙しく通いました。
春と秋は学校に行こうとするのに、観光でのんび~り歩いている人に阻まれてなかなか進めない、ってこともありました。
水路閣は上を歩いたんですけど、ちょっと怖かったです。
楼閣に上って石川五右衛門のように「絶景かな、絶景かな」と言ってみたいですね。
20㎞に及ぶ水路閣、明治の人々はすごい技術を持っていたのですね。
五重塔の耐震性と言い、日本人は素晴らしいです。