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竜馬の不幸

2005年09月07日 | 歴史
「自分は見廻組の一員として坂本竜馬を暗殺した」
ブリキ屋を営む息子の家に身を寄せて隠居していた渡辺一郎が、臨終前に言い残した懺悔のことばが大正4年8月5日付朝日新聞の記事になった。
彼は、品のいい小柄な人物で、剣術教師をしていた。府警にも教えに行き、銃剣術大会の審判もつとめた。その際、試みに木銃をとって立ち合ったところ、誰もかなう者がいなかったという。

見廻組・佐々木唯三郎指揮による組織的行動によって竜馬は殺害された。その刺客たちの名は、旧幕臣見廻組幹部今井信郎の供述書によれば、佐々木唯三郎、今井信郎、渡辺吉太郎(一郎)、高橋安次郎、桂隼之助、土肥仲蔵、桜井大三郎であった。
隊長も刺客たちも竜馬が何者かを知らなかったようであった。ただの町道場主が、ただ腕だけを買われてやむなくでかけたという。

竜馬は、幕末の末期に、革命の暴力化-鳥羽伏見の戦いのような-を避けるべく大政奉還という一種魔術的な時勢収拾策を打ち出し、これが成功した直後、本来ならかれを恩人としてありがたがってもいい幕府側から殺されてしまう。
この成功の前後、竜馬は「もう浪士は不要になる。ひとまとめにして北海道の屯田兵として入植させよう」と考え、実際に海援隊の2,3人を選び、下調査のため蝦夷地へ出発させている。かれの目論見には、浪士三千人を入植させるという数字まで入っていた。
このことが、幕府の密偵の耳に誤伝して、「土佐の豪侠坂本竜馬が、浪人五千を率いて入洛する」という、話の筋まで暴動的なものに変わっていた。幕府側が驚き、おそらく密偵組織を総動員したにちがいない。
さがしたところ、河原町の醤油屋近江屋を下宿にしている男がそうだということになって、襲撃方を見廻組に命じたらしい。

坂本竜馬の不幸は、大政奉還を着想してそれを成功させた歴史的プランナーとして殺されたのではなく、新時代に不要になるはずの浪士群を始末しようとし、それが京都で大暴動を引き起こすという風に誤伝され、その滑稽な風説によって殺されたというところにある。


.           「歴史と視点」(見廻組のこと)司馬遼太郎より
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1 コメント

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誰れと呑むきかい(呑気) (iina)
2005-09-10 12:24:53
maha-vairocanaさん、こんにちは。

そうですね、坂本竜馬ははなし好きの土佐っ子でお酒も強そうだし、なにより脱藩自由人だから誰とでも交わってもらえそうで一緒に呑みたいですね。

西郷どんは一度ふれたらその器に引き込まれるほどの器量おおきい人だといいますから、iinaにその器をはかる秤に自信をもてないものの同席したいです。

信長は目を吊り上げて睨みつけられると、いつ機嫌を損ねて斬られるかも知れず、安心して呑んでいられそうにありませんね。そこで、”生きている”信長に小声でつぶやくのです。iinaの歴史上の特権を使って、

「明智光秀が謀反」と、、、
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