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必ずコメントに参ります by iina

人外の人-2

2007年03月27日 | 歴史
江戸の古地図に白く塗られた地区がある。そこに人外の人は押し込められて住んでいた。存在しないという印であったのか? 隅田川から山谷堀に入った浅草の今戸の一角にその場所がある。
士農工商の下に置かれて卑しめられた。それにもかかわらず、ある種の格式を与えれた不思議な人 弾左衛門だんざえもんが興味をひく。

弾左衛門は、幕府から関八州を含める十二カ国のえた・の支配権を許されえたがしらとよばれていた。
威儀は一万石、財力は十万石といわれ、財政は貢銀、貢米が中心で、他に皮革の専売的な製造販売と灯芯である。総て無税だったため収入は大きかった。無税は恩典ではなく、「人外の人」として扱っている以上租税をとる論理が成立しないというだけのことで、更には租税まで穢れているということもあったろう。

今戸の新町しんちょうは、一個の城下町とみられなくはない。
南北三町、東西一町余りの細長い土地で、総坪数2604坪という広大なもので板塀をめぐらし、正門は長屋門になっている。真鍮の金具を打った中爵門があった。江戸期は、門をもって格式が決められていた。目を盗んで分を越えた門を造ると厳重に処分されたから、この門は公認のもので、よほど家格の高い大名でなければ許されない。
弾左衛門家は古来そういう格式だからという「由緒」という幕府体制のひとつの原理によって認められている。
邸宅に役所がある。
十五人の重役が詰めている。家老が三人。御用人が三人。公事方三人。勘定方三人等で、その制度や職名は幕藩を小規模にしたものといっていい。また、与力、同心のような司法官もおり、町奉行と同様な白洲で裁判をし、伝馬町のような牢もあり、仕置場もある。

年頭の回礼には、小さな大名さながらの行列を組んだ。行列の先頭に帯刀の徒士が立ち、槍持で進む。四民の下に置かれていながら限定された職分だけは四民の上の武士の行装が認められているというのは矛盾だ。
屋敷を出て弾家の廊内を通るとき「下に居ろぅ、下に居ろぅ」と声をかける。
廊に出るとこの声はかけない。
路傍の人々は大名行列と思って、軒下に隠れたり前方を横切らぬよう注意するが、やがて弾左衛門の行列と気づくとそうはしなくなる。また、大名の行列は先頭に槍を立てていくが、弾家の行列はかつぐため、それに気づく箇所を作ってあることであった。

家紋は、多くの大名のようにいくつかある。本来は、丸に十の字の轡紋で、薩摩の島津家と同じだ。替門が桐であるのは足利氏以来武家の名門は大抵そうであった。豊臣秀吉が創始した五三ノ桐紋と同じである。桐と菊に限っては私的に用いてはならぬ禁令が出ているので、弾家にも許されたのは何かいわれがあると思われる。
羽織の紋は、笹竜胆(ささりんどう)のようで車紋になっている。村上源氏、宇多源氏と清和源氏の代表紋だ。
その富は大名をしのぎ、その格式は廊内だけに通用するものでありながら武家貴族の格式、容儀と寸分かわらない。
                      『胡蝶の夢』司馬遼太郎著より

『弾左衛門とその時代』塩見鮮一郎著に次の一文がある。
はじめて、十二代弾左衛門(周司)が新町に迎えられて、まるで大名のような厳しさで白山神社、亀岡八幡宮、本龍寺に参るところがある。
「亀ケ岡八幡宮之御参詣、同御菩提所今戸町本龍寺御廟参行列」とか、
「烏帽子狩衣ニて右之通り御参詣ニ付於神前中、森日向正殿御祓有之夫より周司様其他一同同殿に御入」など、まるで徳川家の行列を見ているようである。
ただ、槍を立てて持つことは許されず、肩にかつぐ。槍を肩にかついだ行列は、すぐに頭と知れるわけであった。

[参考:浅草弾左衛門と葵の紋]
   果たして、行列に葵の紋を使っていたかについては、未だ傍証中 
.
                                つづく


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8 コメント

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住んでいる。。。 (kyopyong)
2007-03-28 01:05:15
すごいなあ。
私は入谷の近所に住んでいるので
山谷は近くです。
まだいったことは無いですが、吉原辺りなら
休日の散歩コースです。
こんな歴史の溝のようなことがあるなんて
革製品や、食肉産業とか、そういう歴史を感じる
名残が沢山ありますね。
司馬遼太郎かあ。読みたいなあ。
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部落のはじまり? (楽母)
2007-03-28 13:14:15
士農工商・・・おもに大変な思いをしている農・・の階層の人たちに『あいつらよりはマシだ』と思わせる為にえたとか層を作ったんですよね? (これでも史学科全く覚えてませんが) 司馬さんの作品は読んだの少ないです。 思い出したのは住井すゑさんの『橋のない川』 京都にはいまだに・・・地区があります。
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藤村の「破戒」 (motoko)
2007-03-28 22:31:39
iinaさん、今晩は。
浅草にも、そのような所があったのですね。
私の愛読書は、藤村の「破戒」です。
瀬川 丑松の悲しいまでの苦しみ、なんど読んでも
涙がうかびます。
住井 すゑさんの「橋のない川」も揃えてあります。
人間に、階級があったのかと・・悲しいですね。
私の田舎では、苗字でだいたい分り、あの人は・・といって、指を4本出します。
職業も、食肉関係が多かったようです。
子供心には、意味が分りませんでしたが・・・・・。
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桜とコメント ちらほら (iina)
2007-03-29 17:58:26
(kyopyong)さん へ
「恐れ入谷の鬼子母神」
桜がちらほら咲きはじめましたね。桜はこれからですよ。
手帳を繰ってみると去年は、長くたのしめました。
昼休みは、隅田公園に弁当をもって花見することにしています。
ことしは、きょうがはじめで、去年は1週間たのしみました。
桜が終わったのではなく、大いに桜をたのしんでください。
さらに浅草界隈は、いろいろ史跡がたのしめます。

(楽母)さん へ
牢(老)名主さんとは、云いえて妙な語呂ですね。
ことばは、いまも江戸時代の名残がのこっていますねぇ~。
士農工商は、"米"を主にした封建社会なのでより圧せ差別されたようです。
乞食も弾左衛門支配下の職で勝手にやれなかったようですよ。
人の嫌がる仕事を請け負って、差別されたのだとか。
囲内に住みますが、町に出て仕事をしたようです。
司馬遼太郎作品は資料に裏打ちされていて面白いです。
もちろん、脚色した小説です。

(motoko)さん へ
鼻高々ならいいですが、
高血圧の高リスクは避けたいです。
胡蝶蘭は綺麗です。
司馬遼太郎著の『胡蝶の夢』をいかがですか。
きょう天気に誘われて、昼休みに隅田川で弁当をひろげました。
その帰りに弾左衛門屋敷跡を取材して、『囲内』をアップしました。
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Unknown (k-74)
2007-03-29 23:16:05
どうもはじめまして。

TBありがとうございました。

また訪問させていただきますね。
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Unknown (同和日記管理人)
2007-03-30 04:19:04
トラックバックありがとうございます。
差別というものの中に理解ができないものもあるものです。
エタ・ヒニンの歴史の不思議さ・・・差別開放というお題目の多くに歴史を本当に知っているのか・・・という活動も多くあるのには腹が立つものです。
差別を叫びながら、差別を作ることで大きな利権を確保したいという連中も置くいるのです。
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桜満開 コメント嬉しiina~ (iina)
2007-03-30 22:35:58
(k-74)さん へ
「ニッポン靴物語」に興味をもたれたのですね。
要約してブログにアップしたのは刺激があったのだと思います。
iinaも弾左衛門に興味をもちました。
まだ行列の謎は解けていませんが。
いまの3Kどころか多くの人が避けたがる生きていくのに、
必要な仕事をやっていたのですね。

(日記管理人)さん へ
ひさしぶりに弾左衛門をアップしました。
浅草に勤めて、『胡蝶の夢』司馬遼太郎著を読んで知ったのですが、不思議な役職ですね。
同和問題に限らず、利権に群がる者はいるものです。
浅草弾左衛門は、被差別人でありながら古くからの「由緒」に裏づけされた格式を持っていたとは、西洋人には理解し難いはなしと思います。
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(☆ペコの月面宙返り☆)さん へ (iina)
2007-04-23 17:41:00
>何を知らないといけない?
>何を誤解する?
そんなイメージになりますね。
小中学校では、同和問題を教えているのですか?
地域によって、温度差があるのでしょうね。
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