義経首塚碑 兜を象っている
源義経は兄の頼朝から怒りをかい、追い詰められ奥州(岩手県)平泉の衣川館で自害した。その首は奥州から鎌倉に送られ、腰越の宿に到着すると、そこで和田義盛・梶原景時によって義経かどうか確認された。伝承では、弁慶の首も同時に送られ首実検後に捨てられたが、二つの首は白旗川を上りこの地に辿り着いた。
このことを頼朝に伝えると、白旗が源氏の旗であることから、白旗明神としてこの神社に祀るようにと指示した。この碑は、H11年に立てられたが、以前は簡単な碑だった。
弁慶の力石
元(霊)玉、神石とも呼ばれ、この石に触れると健康になり病気をしないという言い伝えがある。昔、茶店で一服した農家や町内の若者たちが亀の甲羅に似たこの巨石を持ち上げて力比べをしたといわれている銘石。
白旗神社を祀る山は旧東海道方面から眺めると巨大な亀の形に見えたところから、縁起の良い亀形山と名づけられた。
場所: 藤沢市藤沢2-4-7 藤沢町田街道が国道1号線-藤沢バイパスと交差する所
新しい政治の型を模索する中での軋轢でしたのでしょうね。
仕事では各地を回った割には知らないことばかりです。
ありがとうございました。
昔は兄弟といえども権力者の上に立ちそうな弟は、いろいろな理由をつけて抹殺されましたね。
源平合戦であれだけの働きをしながら、梶原景時の讒言によって、兄頼朝の義経を見る目が変わったと伝えられています。
戦上手な弟だけにもう少し他の接し方が無かったのか?
歴史に「もし」はありませんが、もし義経が生きていたならその後の歴史はどのように変わっていたのだろうか?
歴史が好きな人には想像が膨らみそうです。
乗馬を一度経験してみたいですね。
私は若い頃、観光地で写真撮影用の馬にまたがったことがありますが、馬の背は思ったより高かったように思います。
乗馬して歩いたり、駆け足すると気持ちがいいでしょうね。
頼朝と義経を女の目でしか見えませんが二人の生きてきた環境の違いはともあれ。男同士は昔からいろんな意味で戦う動物だと思います。
歴史上の人物又現在でも親兄弟でも競争しあっていると思います。前進する競争なら最高。
かなりマニアックなブログなのに、恐縮です。
由緒ある神社であると改めて知ることが出来ました。
頼朝も、憎しみの上に討った義経の首を
>白旗が源氏の旗であることから、白旗明神としてこの神社に祀るようにと指示した
祀れ~とよくぞ申してくれました。
>山
故事にも「早起きは三文の徳」と言われてますが
本当に早朝の登山は気持ちよいです
山々が朝日に輝いている姿は本当に美しいですね
iinaさまもまた留年(卒業取り消し)しされて富士山への再挑戦いかがでしょう
自分の住んでいるところから富士山が見えるなんて、うらやましいお話です。
社殿周辺は静かだったことが印象的でした。
義経については、まぁ、色々と謂われがありますが
「そんな時代」に生まれてなくて良かった
と思いました。
何気なく最近利用できるようになった「読者管理」を見ていて気づきましたが、(sugiura)さんとは『吾亦紅』で
知り合いになったようでした。
吾亦紅の記事は、「みゆき生け花教室」でしたが、みゆきさんはsugiuraさんの亡くなられた奥様らしく、かといって
そのブログの運営者は別の方で男性とプロフィールにありました?
sugiuraさんから読者登録いただいたので、コメントの遣り取り後に当方も登録したのですが、「読者登録中」に
なっているものの貴ブログ上には未登録になっています?
新しい機能ですから、利用勝手が分かり難いと先ほどgoo管理者宛てに質問状を出しました。結果は、しばらく
お待ちください。
(らいちゃん) へ
空芯菜(クウシンサイ)とは、面白い名の野菜ですね。
なんとなく哲学的なにおいのする名であり、名は体を表しているかのようです。野菜も、グローバル化の時代
ですから、用途に応じ食べられているのですね。
司馬遼太郎曰く「義経は日本最初のアイドルである」と語っています。同時に、義経は政治馬鹿であったとも
けなしています。頼朝は、身一つの源氏の棟梁という由緒正しい家柄だけが頼りで、自らを護る軍隊を持たない
危うい立場にいたことを理解せずに、武家政治を目指していたにもかかわらず皇室から勝手に褒美をもらうこと
は許せなかったようです。
しかし、頼朝の子の時代に源氏三代で果てたことを考えれば、なんとか本心を伝えておればよかったのにと
思わずにいられません。将来見通しが甘かったと同時に、それほど危うい源氏であったことを証明しています。
(kawaiihukutyan)さん へ
景色の好い10階のプールで泳いでのんびりするのも、人生いろいろです。
頼朝と義経は、異母兄弟ですから確執もいろいろとあるのでしょうね。
(コスモタイガー)さん へ
「義経北行」は伝説だろうと思いますが、非業の死をした人気者でしたから死なすのが惜しく伝説になって生き延びたのでしょう。
遊行寺は、踊り念仏をはじため一遍上人が宗祖ですから盆踊りの元祖です。全国を遊行して歩いてこの地に寺を建てるのを
許されたのはご縁でした。ご縁といえば、藤沢に住んでいたので寺の境内の藤嶺学園藤沢高校で教員の実習をしました。
とはいえ、当時は遊行寺の由来などに興味はなく、ただ歩いた程度ですから、上に知ったようなことを並べましたが、こんどは
気を変えて宝物館にでも出かけ勉強したくなりました。
また、オコシください。
(延岡の山歩人K)さん へ
天狗ヶ城の頂上で、天下を制覇したようなお顔です。・・・ぼけて見えませんが、そんな雰囲気ですよ。・・・
先日、録画した「天空のラピュタ」を観ましたが、そんな風情にも思えました。
それにしても、空にラピュタ島が浮いている発想は素晴らしい。その発想を「アバター」がいいとこどりしたよう
に感じました。宮崎駿氏はクレームをつけなかったのですね。逆であれば、著作権侵害といわれるのでしょうか?
頼朝も、伝わるところでは義経を殺しておいて兄に逆らったのではないと涙したり、白旗神社で祀るのを指示して
も仕様がありません。心情を吐露したのが本心であったとしても、非情な政治家でした。
もっとも、当時の立場にいる頼朝の身になって考えると止むを得ないところがありそうにも思えたりします。
(さくらなみき)さん へ
旅の計画は、たのしいです。
列車に乗って出かけ、目的地で自転車を使うのですね。手荷物で持ち運ぶとは、本格的なサイクリングです。
トルコの事件が起こる日本ではありませんが、道中は気を付けて走ってください。
帰ってからの旅日記を期待しています。それとも、旅のさなかにブログアップでしょうか。鉄分補給してお出かけください。
義経北行伝説、夢がありますね。
ジンギスカンは少々無理にしても、蝦夷地ぐらいなら、「伝説」では片づけられないほどの史跡があるようです。
コスモタイガーも、信じたいような信じたくないような、微妙な感じです。
遊行寺については、盆踊りの発祥云々は、初めて知りました。
勉強になります。
ブログ中にもありますように、私のフランチャイズは「時刻表」と「マラソン」で、その流れで歴史にも興味を持ち始めました。
なお、現在、中山道&身近な古道も更新中です!
(今日も先ほど更新しました)
またぜひお越しくださいね。
名古屋の長い一本道は有名ですが、どこまでも何処までも長かったのを覚えています。
道は、獣道が人の道になり、やがて国の道になっていきますから考えてみると面白いですね。そんな古道を「時刻表」と
「マラソン」で巡るなんて面白いご趣味です。
少し前に、1300年前の飛鳥・奈良時代に平城京から発した古代の道について、ブログにアップしました。↓
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/1242d83e85c42e5475365c33c370a305
(sugiura)さん へ
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