門司港
2011年12月14日 | 旅
JR門司港駅は、大正3年(1914年)に建てられた九州で最も古い木造の駅舎で、駅としては全国で唯一国の重要文化財。外観のデザインは、ネオ・ルネッサンス様式といい左右対称的。
銅像の和布刈神事は、神職三人が松明で照らして鎌と桶を持ち厳寒の海に入り和布を刈っているところ。
iinaが幼いころは水族館があり、春には花見したり、秋は菊人形展が催うされ遠足などで見学したもので、この地は今でこそ閑散としているが、みんなの憩いの場所だった。
奥の高い建物が旧門司三井倶楽部で、アインシュタイン博士夫妻が宿泊し部屋も、当時の状態のままに保存。 門司港のレトロな雰囲気がブームというが、駅舎と界隈に工場が随分と建ってチンチン電車が走っていた記憶はあるが、その他は覚えてない。 |
←旧大阪商船 中央部に八角形をした塔屋が印象的。当時は大陸航路の待合室として多くの旅人で賑わった。 |
旧門司税関 | 国際友好記念図書館 大連市に帝制ロシアが建てたドイツ風建築物を、複製した建築。ドイツ系ハーフテンバー洋式による茶と白のコントラストが美しい。 |
門司港
この門司港から下関に、関門連絡船が日に53往復通っていた。iinaも幼いころに、祖父に連れられて船で往復したとき、海にクラゲがたくさん浮いていたのを記憶している。
明治34年から昭和17年の関門鉄道トンネル開通を経て、昭和39年まで航行された。
座ったり立ったりの戦傷病者グループで、アコーディオンやギターを弾いて物貰い(寄付)していた時代です。
小学生の頃は、遠足にチンチン電車で門司港まで乗って、和布刈へ歩いて行ってたのです。電車内がうるさいと客に叱られてました。
門司港と下関の連絡船も、祖父に連れられてわざわさ見学しましたっけ。
海に、クラゲがたくさん浮いてました。
旦過市場が2度も火災に遭うなんて哀しいです。今度は、よく行った映画館も失われてしまいました。
ハイ、iinaも小倉出身です。
やはり、古里は薄味のうどんです。
「田楽」は、なんとなく東北の味ですが、門司にもありましたか・・・。
門司へは、小学生のころは小倉からチンチン電車に乗って遠足で行きましたょ。
秋は、和布刈で菊人形を見学しました。
巌流島を手向山から眺めました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/5be3fd99a9bea6204a2a705a191a619f
小倉は頻繁に行くんですけどね。
今は門司港駅も塗り直され、
中段に写っているレストランの船(後半はロバート秋山さんのお父さんが経営していました)も無くなっちゃいました。
では、また来させていただきます。
今後ともよろしくお願いします。
人の流れ、モノの流れになくてはならぬものでした。
今、モータリゼーションとともに消えていく存在のようです。
地方の時代といわれた時代から、北陸新幹線は東海道新幹線ができてから50年後に設置されました。
北海道ではやがて鉄道は80%は消えていくようです。
テレビで「バス路線の旅」とかやってますが消えていく存在のようです。
アーカイブとして古い駅を残していきたい。
湯野上温泉駅です。
https://blog.goo.ne.jp/musshu-yuu/e/5423f611d98d109a52920b129d51406b
コメントありがとうございました。
汽車も走っていますょね。
JRは、一本の線路が日本津々浦々をつないでいますから、旅情を誘います。青春18きっぷ・は利用価値があるようです。
天竜二俣駅が国登録有形文化財で現役でした。そういえば、門司港駅が現役の重要文化財でした。東京駅も重文です。
また、会津鉄道の湯野上温泉駅は茅葺き屋根の駅舎でした。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/6acf0d45adc3e342b45a9a52f4df3d7e
* 比企の丘さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上(iina)に置きました。
iinaは、100万都市の時代に北九州市になった時代の小倉出身です。
もっとも、「大里」のいわれは古里を離れて知りました。
おひさしぶりでした。
何とか気力、体力共に回復してきております、
小倉のご出身でしたか?門司から小倉に出るのに翌電車を利用してました。今では懐かしいです、現在は環境にやさしい工業町をめざして
観光を誘致してます、産業観光と銘打って工場見学ツアー組んでます。
幼児のころ、汽車が関門トンネルを通っているときに、親が「いま、海の下を通っているんだよ」と教えたと申します。
そのとき、「海の下にいるのに、どうして濡れないの?」といったらしいです。・・・そんな時代もありました。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/3f8ff23c450a93adb9012d7b92e8e952
想像以上に、文化遺跡があちこちに点在していて、雰囲気のある素敵な町でした!
iinaも最近は、いつもとはちがって美術館めぐりしてますよ。
九州国立博物館に行ったのが契機になったか、おととに東京国立博物館で「出雲展」、その前が出光美術館
に尾形光琳の「琳派の絵画展」と続いています。
ある人に会うため一人旅した・・・とは、ロマンチックですね。
iinaも熊本で仲間と別れて博多でひとに逢いました。といっても、13年ぶりの同性の友人でした。
ある人に会うため一人旅した折、仲介人の地元の方に門司まで案内してもらいました。
レトロな素敵な町でした♪y蘇ってきます。ありがとうございます。。。
まだ小倉の街には戦争で障害を負った人が寄付を求めて楽器を鳴らしている時代に、バナナの叩き
売りが人を集めてました。門司に近かったのに、バナナは高嶺の果物で風邪をひいた時くらいしか
口にできなかったです。
無法松が住んだ町に友がいたので墓も知っていますが、倒れた小学校はいまはなく結婚式場になって
ましたが、そこに石碑が建ってました。
http://blog.goo.ne.jp/maidoike3
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今後ともよろしくお願いいたします。
また、訪問させていただきますのでよろしくお願いいたします。
むかし「潜水艦いまだ浮上せず」という映画がありました。密室からの逃亡劇でした。
戦時中は門司港にも潜水艦がいたでしょうか・・・?
(鷲谷芝嵐)さん へ
芝嵐さんも門司港にでかけでしたか、シランかった。 (^^ゞ
(らいちゃん)へ
「〒」を表すのに「ゆうびん」と打ち込むと、出てきます。
iinaも「手紙」の「て」から「〒」に転訛したように思ってました。
「逓信(ていしん)」から「丁(てい)」を経て「〒」に至ったのは説得力があります。
「〒」のいわれに刺激されて、「門司」の’いわれ’を誰に’いわれ’なくても調べてみたくなりました.
門司の歴史は、大化元年(六四五)に和布刈神社付近に「文字ヶ関」が置かれていたことから始まる。
平安期から鎌倉初期へかけて、九州地方を統率した太宰府の第一の関所となっていた。
和布刈神社は、古くは“隼人明神”ともいわれ、社伝には神功皇后の三韓討後の奉祀、仲哀天皇九年
の創建とある。
毎年、旧暦元旦の未明に行なわれる“和布刈神事”は、和銅年間(七〇八~一五)以来という古い歴史
をもっている。
(ぼたん)さん へ
ホントに映画出演ですか。いくら戴けるのでしょう哉?
えっ? 犬だけにワンコイン。
やはり、ワンランク上の大枚ワンダフルな金額にしないと好い演技しないワン。
表参道界隈のイルミネーションは、まぶしい。
(ハイジ) さん へ
JR九州-鹿児島本線の起点駅ですから、改札口から始発電車が停車してるのが見えます。
「旅情」のラストシーンは、キャサリン・ヘプバーンがローマの始発列車から手を振って別れる場面
を思い浮かべます。もじもじする雰囲気にあふれてますよ。
(イヴォンヌ)さん へ
’難波’といえば、’なには’なくても「住吉大社」の港を思います。
ここが港であった風情は石灯などで感じるものの、いまでは港町であることを思わせません。
門司港の方は、九州から一番本州に近く、下関が目の前に流れの速い関門海峡にさえぎられて隔たって
見渡せます。
ここから下関への連絡船いいですね。情緒ありそうです♪
駅の前に立ち自分の愚かさを考えると恥ずかしくて、もじもじしちゃう。
しかし、個々に見学していないので、このような重要な建物とは知りませんでした。
門司港レトロ展望室に上がって夜景を眺めたのを覚えています。
初めて知りました~