浅草寺で見残しになりそうな場所を集めたょ。 仲見世裏通り↑
ブログ開設当初は、写真の容量の加減が分らずに小さなサイズばかり投稿していたのを大きくして再(一列を2枚にしてご覧ください)
なにしろ、コロナ禍下に近隣の町や旅にも出かけられずに後援会や観賞事から遠ざかり、ネタ不足に伴い初期投稿記事を見直すことにした。
屋根のついた仲見世
必ず通る宝蔵門とその右隣にある二尊仏
本堂横の薬師堂 池に鯉
鎮護堂(ちんごどう):浅草寺本坊の伝法院の鎮守で「お狸さま」と呼ばれる。 非公開の伝法院
奥山の奥に、大衆演芸の木馬館がある。その先にはストリップのロック座があり、その先に浅草演芸ホールがあらわれる。
2005年に完成したばかりの六区通り。
↑クリックを! 浅草を代表する芸人33人の写真を掲示している。
雷門前の交差点にあったカラクリ時計。三社祭りの神輿を担いだ人形や、伝統の踊りを舞う人形たちが歓迎してくれたが、いまはない。
2005年09月19日付 見残し浅草 前のイメージ
ブログ開設当初は、写真の容量の加減が分らずに小さなサイズばかり投稿していたのを大きくして再(一列を2枚にしてご覧ください)
なにしろ、コロナ禍下に近隣の町や旅にも出かけられずに後援会や観賞事から遠ざかり、ネタ不足に伴い初期投稿記事を見直すことにした。
屋根のついた仲見世
必ず通る宝蔵門とその右隣にある二尊仏
本堂横の薬師堂 池に鯉
鎮護堂(ちんごどう):浅草寺本坊の伝法院の鎮守で「お狸さま」と呼ばれる。 非公開の伝法院
奥山の奥に、大衆演芸の木馬館がある。その先にはストリップのロック座があり、その先に浅草演芸ホールがあらわれる。
2005年に完成したばかりの六区通り。
↑クリックを! 浅草を代表する芸人33人の写真を掲示している。
雷門前の交差点にあったカラクリ時計。三社祭りの神輿を担いだ人形や、伝統の踊りを舞う人形たちが歓迎してくれたが、いまはない。
2005年09月19日付 見残し浅草 前のイメージ
日本武尊が酒折を経(へ)て来て休んだ石だから、名づけられたのでした。
更家さんも、八王子駅を経(へ)て韮崎駅に下車しました。
iinaも、九州から父の転勤に伴って東京に遊びに来て、八王子の公立高校の編入試験に縁あった八王子が人生の岐路でした。
浅草年間行事をまとめてますから、参考にしてください。コロナ禍下ですから日程などはご確認ください。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/5407097e93a14969309e2bd295bba985
そうでしたか、六区通りが綺麗になったのは2005年でしたか。
浅草界隈の記事、私も今後の散策の参考にしたく、続編を楽しみにしています。
かなりの数があると思いますので、飽きずにおつき合いいただけると、幸いです。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/566789f082267213fc7a1a17bd5028a4
この記事の前後に「赤間神宮」と「関門大橋 」を置いています。
> 私が浅草に行ったのは55~56年前のことですから、今の写真を拝見すると随分変わっています。
iinaの浅草は2005年の写真で、伝法院だけが最近のものなのです。そのため、カラクリ時計はなくなりました。
行動自粛に伴い古い浅草界隈を写真を普通サイズにして再び投稿しようと考えました。
そうでした、「耳なし芳一」を聴けたのも、このころ2006年のことでした。懐かしいです。
浅草六区の演芸館にも入ったことがありますが、「六区通り」のようなきれいな通りではありませんでした。
もう東京に行くこともないでしょうね。
ブログにアップされる写真を見て、半世紀以上前の思い出を懐かしむことにします。
本堂の横っちょも、見残してます。
浅草寺に池というのも、iinaさんに教えてもらわなければ、見る機会はありません。
あらためて、観光し直したいです。