室生寺は、女人高野の名で呼ばれる古刹。
鎧坂(よろいざか)
金堂
奈良後期の宝亀年間(770~780)、桓武天皇の東宮時代に病気平癒のため、龍神信仰の室生山で行われた祈祷の霊験で快癒したことを感謝し、天皇の発願で興福寺の僧・賢(けんきょう)が国家鎮護の寺、室生寺を建立した。後に弟子の修円が寺観をととのえた。
寺は、女人禁制の高野山に対して女性に門戸を開いたことから「女人高野」と呼ばれるようになった。
弥勒堂(重文)に弥勒菩薩立像(重文)、衣文の美しい釈迦如来坐像(国宝)を安置する。いずれも貞観時代の仏さま。
金堂(国宝)の釈迦如来立像(国宝)、十一面観音立像(国宝)も量感たっぷりの貞観仏。ことに十一面観音は光背、衣装とも極彩色で少女のような愛らしさ。本堂(国宝)に安置されている貞観の如意輪観音坐像は女性たちを見守り続けてきた。
そんな仏さまを間近に拝める。
五重塔(国宝)は、屋外に建つ最小の塔で高さ16.1m。
* 18年ほど前の関西のテレビ「歴史街道」に放送された画像を使用。
鎧坂(よろいざか)
金堂
奈良後期の宝亀年間(770~780)、桓武天皇の東宮時代に病気平癒のため、龍神信仰の室生山で行われた祈祷の霊験で快癒したことを感謝し、天皇の発願で興福寺の僧・賢(けんきょう)が国家鎮護の寺、室生寺を建立した。後に弟子の修円が寺観をととのえた。
寺は、女人禁制の高野山に対して女性に門戸を開いたことから「女人高野」と呼ばれるようになった。
弥勒堂(重文)に弥勒菩薩立像(重文)、衣文の美しい釈迦如来坐像(国宝)を安置する。いずれも貞観時代の仏さま。
金堂(国宝)の釈迦如来立像(国宝)、十一面観音立像(国宝)も量感たっぷりの貞観仏。ことに十一面観音は光背、衣装とも極彩色で少女のような愛らしさ。本堂(国宝)に安置されている貞観の如意輪観音坐像は女性たちを見守り続けてきた。
そんな仏さまを間近に拝める。
五重塔(国宝)は、屋外に建つ最小の塔で高さ16.1m。
* 18年ほど前の関西のテレビ「歴史街道」に放送された画像を使用。
「死と滅亡のパンセ」とは、タイトルからしても難しい本ですね。
ブログのメンテナスが長引くこともありますが、焦らずに待機していればいずれ再開されます。
gooブログでは、予約ができますから何個でも先の日程で記事を残すことができて便利です。
(mone) さん へ
写真にみるベタふみ坂は、雪がつもってますから滑って登り難そうです。
北海道送の新鮮なイクラ、ホタテを、お寿司とはおいしそうです。
iinaは大阪時代に、当時テレビで毎日5分放送した「歴史街道」を参考に、あちこち観光しました。monechanは、滋賀ですから、その気になれば行ける距離ですよ。^^
失ったままです。
残念な事って妙にのこりますね!
これは、まことに見事な凛とした赤富士です。
http://blog.goo.ne.jp/kaichi70/e/92ae87d1d288daa30c04d4e588b052ee
富士山の近くに住む特権ですね。
陽射しが、あたたかく かんじられます。^^
むかばきに 向かわば向かえ 下駄ばきで / iina
なお、
行縢(むかばき)山のような険しい岩場のつづく山には、けっして下駄履きで登らないでください。
柳に風と、受け流してください。 m(_ _)m
シャクナゲのころの室生寺にお出かけでしたか・・・。
此処の五重塔は、その後台風で倒壊したはずですが、お寺のホームページ上でも国宝としています。
どうかは、案外と難しいかもしれません。
室生寺には、大阪時代に有志の忘年会をこの近くの別荘でやったのです。そのとき、準備前に手持無沙汰で、歩いてお寺を
詣でました。おすすめのお寺です。
その別荘というのが、本物の丸太で造った先輩の手造りログハウスなのでした。風呂の水回りと窓だけは専門家に任せざるを
得なかったと話していました。
こんな山の中に、こんな立派なお寺が…という印象が残っています。
シャクナゲのお花を観に行ったことが有ります
懐かしいです
あの五重塔は国宝だったのですね・・・
奈良に行く用事はあっても、少し離れていると足が向かないものですね。
車では、西名阪自動車道の針インターから行くようです。
昔、ゴルフをしていた頃、このインターはよく利用したものです。
宇陀市や桜井市のお寺巡りもしてみたいですね。