

犯人は、見廻組与力頭の今井信郎である。
今井家に伝わる龍馬殺害の実録が残る。
[京都河原町の近江屋の二階の場面]
組頭の佐々木只三郎から「情報で坂本龍馬の隠れ家が判明。直ちに、きゃつめを殺せ」の命を受け、信郎が近江屋の二階座敷に入った時、八畳間に浪人風の男が二人座っているのを見た。信郎にはどちらが目指す龍馬なのかわからなかった。そこで、膝を折って、
「坂本先生、お久しぶりです」と叮嚀に頭を下げて挨拶をした。すると、右手にいた一人が顔をこちらに向けて
「どなたでしたかなあ」といった。
信郎は瞬間、太刀を抜き放ちざまその男の額を力一杯に横に払った・・・と。
この悲劇の現場を見届けていたものに一幅の掛け軸がある。京都国立博物館に保管されている白梅と寒椿を描いた軸で、三四滴の血痕が確認できる、

つまり、座っている龍馬を刺客も座ったまゝ横にないで斬った。今井家に伝わる実録通りである。
その今井信郎は直心影流の榊原鍵吉門下の免許皆伝の講武所師範で「片手打ち」という独特の剣法を編み出した逸材。剛剣の持ち主であった。
「小太刀打ちといろいろいな本に書かれていますが間違いで、重い長剣を使った」とのこと。
というわけで、斬った人は今井信郎で決まり。
問題は斬らせた黒幕は誰か。
大政奉還を受けて、新政府は慶喜を筆頭に有力大名らの諸侯合議制にする公武合体論で動き出した龍馬は、いまや危険な政敵として排除すべき人物になった。

武力による断固倒幕を一豪たりとも揺るがそうとしない薩摩の二人。西郷隆盛と大久保利通。
事件の前日に大久保は国もとより京都に戻り、武力倒幕のための総指揮を執る。戦いの前に「邪魔者は消せ」である。当夜龍馬の居所を知る手立てをもっている者は大久保が一番であった。
明治新政府は、龍馬暗殺の2か月後「暗殺禁止令」を出している。よほど後ろめたい事情があったのであろう。
さらに、逮捕され自供した今井信郎に対する刑の軽さ「禁錮5年、のち3年で出所」は不審である。その除名嘆願をしたのが西郷隆盛であった。
戦前において龍馬がそれほど人気者でなかった理由はそういうことになるのではないか。
歴史の大道を闊歩しはじめたのは、司馬遼太郎の「龍馬がゆく」まで待たねばならなかった。
(「産経新聞」夕刊に1962年6月21日から1966年5月19日まで連載) [龍馬没後150年]
「ぶらり日本史散策」半藤一利より

どうなんでしょうか ?
では、黒幕は誰でしょうか ❔
黒幕は会津藩?薩摩藩?土佐藩?紀州藩?幕府?
海援隊のいろは丸が紀州藩の明光丸に沈没させられたとして賠償を払った恨みから紀州藩説もありました・・・❔
* 団塊亭日常さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上(iina)に置きました。
以前から西郷隆盛の名がくすぶっていましたが、果たして・・・❔
永井尚志説を、はじめて識りました。
> 今井信郎の実弟、今井省三は龍馬殺害を命じたのは大目付・永井尚志であることを明確に述べている。
永井尚志は、旗本最高位の若年寄。
https://www.walkerplus.com/trend/matome/article/128016/
(三島由紀夫の父方の高祖父にあたる。)
* (小松)さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上(iina)に置いています。
(竜馬暗殺事件)
いまの日本は、あまりに平和ですから幕末の世のことは理解しがたいものです。
幕末に多くの人たちが死んだ屍の上に、現代がのっかっているといえそうです。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/2cbc99e3df9b2a54297042a906aa19b1
小説を一筆 書けそうですね。
影絵で再現した龍馬暗殺シーンを見てきました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/00b141413870ee91eaee08b23a8ed758