極楽寺は、仰々しい名を冠するので行きたいと思いつつご縁がなかった。地獄と極楽行を裁く閻魔大王を祀る円応寺には学生時代に行ったからようやく訪問を果たせたが、小さな茅葺の山門も境内も素朴で質素な印象を受ける静かな古刹。
鎌倉では唯一の真言律宗。開山は忍性、開基は北条重時。1259年創建。
金堂、講堂などの伽藍以外に49の支院からなる大寺院だったが、天災や戦火で多くを消失した。 重要文化財である秘仏、清涼寺式釈迦如来立像は正月と4月8日に公開される。
鎌倉十井のひとつとして知られる「星の井」は、昼間でも井戸の中に星の影が見えるらしい。
「南無虚空蔵菩薩」の白いのぼりが、びっしりと並んだ石段の上にあるのが虚空蔵堂。ここは、極楽寺切通しにある。
十一人塚
鎌倉幕府が滅んだ一味散々な1333年(元弘3年)5月19日、鎌倉へと攻め寄せる新田義貞軍は極楽寺、化粧坂、山ノ内の三方から攻撃した。
新田勢極楽寺方面の総大将を務めた大館宗氏は、戦いの序盤に鎌倉勢を押し込むも猛反撃にあい大館宗氏と11人の部下は討ち取られてしまう。その遺体をここに埋め十一面観音の像を建てて鎮魂した。石碑だけでなく、遺骨も埋葬されている。
鎌倉側から見た稲村ケ崎
鎌倉 左手に由比ヶ浜、正面が材木座。
稲村ヶ崎は、新田義貞の鎌倉攻めの際の古戦場で、 新田義貞が海に黄金の太刀を投げ入れて龍神に祈願すると、潮が引き、稲村ヶ崎を突破できたという伝説があると、以前にiina様の説明があったように思います。
この伝説は小学校の頃、意味を知らないまま唱歌「鎌倉」で歌っていました。
今なら歴史を思いつつ、歌うと思います。
唱歌 鎌倉
♪七里ヶ浜の 磯伝い
稲村ケ崎 名将の
剣投ぜじ 古戦場
極楽寺坂 越え行けば
長谷観音の 堂近く
露座の大仏 おわします
くたびれる山道でした。↓
http://blog.goo.ne.jp/kaichi70/d/20130519
利休鼠の 雨がふる
稲村ヶ崎で、新田義貞が海に太刀沈めて潮を引かせたのは、『太平記』に記された伝説ですが、先にご案内したとおり
近年では干潮時を利用して攻め入ったとされているようです。
moneさんは、鎌倉幕府に縁が深かったのですね。^^
一味散々な1333でなくてよかったです。
江ノ電でも極楽寺を採り上げました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/ca64e0ed6fa708aa8c8899fef25eea35
ついには、空からも極楽寺に迫りました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/882a133f5bc16b11ddb5acd46dde5305
(mannmo)さんのブログアドレスをコメント上に置きました。