また、囃子方・唄方が庵屋台の中から江戸情緒溢れる庵唄を披露し各所望所(しょもうしょ)を廻る。
永禄2年(1559)城ヶ端城主荒木大膳の招きに、浄土真宗の善徳寺が福満の里から来往して門前を中心に拓かれた。絹織物の町として繁栄し、京都との文化交流によって元禄文化の花も開いた。ところが、享保期に不況となったことから人々は神をまつり、招福除災、町内繁栄を願った。
享保2年(1717)に神輿がつくられ、獅子舞や傘鉾の行列も始まり、享保4年8月15日の祭りには曳山ができた。
祭は、5月14・15日開催だったのが、つい最近の平成18年から4日・5日に変わったのを本記事を編集していて知った。これがホントの後の祭り。
先に案内のとおり祭がGWに集中しており、この期間に観光すれば主要な祭を一巡できてしまう。
山車の彫刻は、八尾曳山と同じく素晴らしい。八尾には商人の粋な祭を感じるが、城端は傘鉾や端唄屋台があるせいか雅てみえる。
ご覧の町並のとおり趣がある。秋の麦や踊りとともに好きな町だ。
また、中心となる町は石垣の上の高台に広がり、城郭のように形成されている。
からくりは東上町鶴舞山・寿老人の脇人形に「綾織人形」が飾られ、手と顔を動かして舞う。 東下町東耀山・大黒天の両脇座に操り人形の「ラッパを吹く人形」と「逆立ちかるわざ人形」を配する。出丸町唐子山・布袋の脇人形として高砂山の人形の尉を「旗持唐童子」、姥を「笛吹唐童子」に改造。また、「梯子渡人形」もからくりに仕立てて飾られている。
<注>写真は約20年前です。
芝嵐さんは、お年の割りに飲み込みが早いのですね。はじめて胃カメラを飲んだのに、
スムーズであったとは・・・。
保険は、お賽銭代わりですから、何の病気にもならぬ方が健全なのです。
・・・胃カメラを飲んだことのないiinaでした。
追、
富山には新潟からは近いので、来年にはiinaブログを参考にしてお出かけください。
おわら風の盆を除けば、宿は取れると思います。
(ハイジ) さん へ
城端は、情緒深い町並みです。
商店街も軒並を連ね、雨よけと雪よけになっていて、自然とアーケードになっています。
あるいは、世界でもはじめてアーケードを採用した町なのではと感心させられました。
お囃子が、町中を賑やかにはやし立てます。
こちら「素晴らしい風景!!」です。TB有難う御座いました。早速、載せさせて頂きました。
とても詳しいお祭りの解説、今後の参考にさせていただきます。城端曳山いいですね。
ありがとうございました。
日本海側から五箇山へは、庄川に沿って上りますが、いまは高速が通じて行きやすくなった
ようです。
20年前に仕事を終え、独りでコキリコ祭に上ったときは、ガソリンが少なくて時々赤く
点滅するのが心細く平家の落人が悪戯しているのかと怖い思いをしながら進めました。
単に、道が登ったり下ったりするのでガソリンタンク容量が点滅させたに過ぎません。
http://blog.goo.ne.jp/ji1hid/e/283669ebc7190939caf8be855f3014f5
このむぎや踊りがよくて、富山赴任中は毎年家族で見物に出掛けました。ともかく、町が城のような台地にあって雰囲気の好い
城端なのです。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/4ab98920177f572e8db25ae2405f6df8
ですから、7月には町内の善徳寺である虫干法会にも出向きました。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/1cae9392f17ccd258e336ac4acab90d2
なにしろ、富山のことを嫌いと公言する永 六輔でさえ城端が好きと話します。(^^ゞ すっかり、城端に魅了されたiinaでした。