神奈川県立谷戸山公園をたまに散歩する。そこに伝説の丘があるも、とってつけたようであり新しく名づけたのだと思っていた。
ところが、此の地に三つの伝説があったのを、遅ればせながら今頃になって知った。
①観音様と大蛇
「皇国地誌残稿」によれば、612年(飛鳥時代)、この辺りが地響きをたてて揺れ動いたので不動明王をまつって祈ったところ、揺れがおさまった。
その隣の山に堂を建て、僧が毎日お経を読むようになると、蛇穴が谷戸に住む大蛇がこの僧を食おうとしてやってきた。
しかし、お経の力で大蛇は僧に近づくことができなかった。やがて大蛇はお経を聞くうちにその御利益で成仏できた。
水鳥の池
伝説の「蛇穴が谷戸」とは、上の「水鳥の池」があるあたり。
僧が住んだお堂があったのは、下の里山体験館から見て谷の向かい側で、「本堂山(ほんどうやま)」と呼ばれていた。今はここを「伝説の丘」と呼ぶ。
里山体験館の前に広がる田んぼを「大坊谷戸(だいぼうやと)」といい、大坊とは寺の僧が住んでいた場所のこと。昔はこの田が池で、水面に夜空の星が映ったことから星の谷(ほしのや)とも呼ばれた。「②星の谷伝説」
里山体験館 伝説の丘から見おろす
また、伝説に出てくる明王堂、一本杉、蛇穴谷戸などは地名に残る。
いまのテニスコートがある辺りの奥の丘が明王(みょうおう)、または明王堂と呼ばれている。
③観音堂の伝説
奈良時代に、この地に行基が諸国強化のために訪れた時には、本堂山に小さな堂があった。行基自ら聖観音像(40センチ程)を彫り、新しい御堂を建ててそれを本尊として安置したと伝える。
その後、怪火に見舞われた御堂は、たちまち火炎に包まれ、本尊を取り出すひまもなくすべてを焼失した。
ところが観音像は猛火の間を抜けて南に向かって飛び出し、杉の枯れ枝に光明を放ちながら止まったので、住職の理源は霊地を南に求め、現在の地(入谷)に御堂を再建した。それ以来火災の難が無くなったという。
妙法山星谷寺(しょうこくじ)別名:星の谷観音(ほしのやかんのん)が、伝説の丘から飛び出した観音像が逃げのびた場所である。
この場所からは国定公園丹沢・大山の最高峰の蛭ガ岳(1673m)や大山詣で名高い大山(1252m)が見える。
> 星谷寺へ >>
いまの地名などに名残りをとどめているとなると、物語りとシンクロ出来ますね。
伝説もあったとは、見直しました。
明日18日に採り上げる 星谷寺は、道沿いにある気になっていたお寺でしたが、これを機に訪ねてきました。
秋に谷戸山公園を散策のついでに、巨木探訪好きな私は2本の見事なイチョウ見物すべく星谷寺も散策してました。
けどこちらの記事を拝読し、私の散策欲は実に正しかったのね。と驚きました。
「伝説の丘」はそういう意味でしたか。こちらのモミジの黄葉と孟宗竹の緑色のコラボ画像をゲットすべく、秋には毎年のように出かけてました。今回記事に貼り付けの絵地図をじっくり見て、位置的なものを把握しました。現在ではだいぶん変化してますね。私は高低差があると迷子になりがちな人なので、地図と実際の場所が頭の中で繋がってない感じがまだします。
これからも記事を楽しみに。
季節ごとのお花が咲いて、自然を楽しむことができます。
そのうえ、伝説にまつわる地を巡れますから楽しさが増えました。観音さまが飛び地した「星谷寺」は、小田急線沿いに下って、踏切を渡ると直ぐです。
芹沢公園にも、花見に出かけています。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/444b143e5b51885e24959ff0ef33cd62
(あられ)さんのブログアドレスをコメント上に置きました。