八幡神社の総本宮に出かけてきた。大分県の宇佐市に位置し、十年ほど前に一度立ち寄ったが、そのときはホームページ⑧に独立した頁をもつ いまほどには意識していなかった。朱色が鮮やかなのはお色直ししたばかりで好いタイミングで訪ねたものだ。
欽明天皇32年(571)に八幡神が告げ顕れたのがはじまりといい、現在では全国四万社の総本宮だ。
神がはじめて仏教と融合したのが八幡神で、この化身である人聞(じんもん)菩薩によって国後(くなしり)の六郷満山の仏教が開華したといわれている。
「宇佐の地方神であった八幡神が八世紀には朝廷と結びつき、国家神にまでになったと記されている様に、突如として躍り出た神である。」と由緒書きにある。聖武天皇が大仏建立を決断しかねている時、宇佐八幡は託宣を下し、天神地祇を率い誘いて建立を成就せしめるであろうと、神々の先頭に立ったのである。多くの神々の先頭に立てたのは、仏教に帰依した最初の神であり、各神社も迷っていたからであろう。
その後、数百年ぶりに宇佐神宮が表舞台に再登場する。称徳天皇の御世に、道鏡を天皇にすべきかについて神託を求めた有名な宇佐八幡の託宣がそうだ。
宇佐は、USAでありどうにも大きく化ける地名ではあり、SをつけるとSUSAとなり、素盞嗚尊(すさのお)となる。
原始宇佐の信仰は、御許山を水源とあがめる水神ではなかろうか。この磐座信仰が宇佐氏であった。
ここに祭祀に関わった大神(おおみわ)氏、辛嶋(からしま) 氏二氏が神宮の創祀譚を持ちこむ。宇佐氏の原始磐座信仰へ、辛嶋氏のシャーマニズムが持ち込まれ、その上に大神氏の譽田別の八幡信仰が重なったのである。ちなみに辛嶋氏は素盞嗚尊を祖とする。
国家的大事業として東大寺を建立するのに、銅と鋳造技術の提供と云う現実的手段を持ち合わせていたのがこの宇佐神宮であった。伊勢神宮と云えども銅を産するすべはなかった。あわせて大仏に塗る金が不足すると金は必ず国内より出るという託宣を出し、やがて陸奥国(むつのくに)から金が献上され東大寺近くの手向山八幡が分霊として祀られた[参考:⑦]。八幡神は奈良の人々に強力な印象を与え、国家神としての第一歩を踏み出した。
つづく
欽明天皇32年(571)に八幡神が告げ顕れたのがはじまりといい、現在では全国四万社の総本宮だ。
神がはじめて仏教と融合したのが八幡神で、この化身である人聞(じんもん)菩薩によって国後(くなしり)の六郷満山の仏教が開華したといわれている。
「宇佐の地方神であった八幡神が八世紀には朝廷と結びつき、国家神にまでになったと記されている様に、突如として躍り出た神である。」と由緒書きにある。聖武天皇が大仏建立を決断しかねている時、宇佐八幡は託宣を下し、天神地祇を率い誘いて建立を成就せしめるであろうと、神々の先頭に立ったのである。多くの神々の先頭に立てたのは、仏教に帰依した最初の神であり、各神社も迷っていたからであろう。
その後、数百年ぶりに宇佐神宮が表舞台に再登場する。称徳天皇の御世に、道鏡を天皇にすべきかについて神託を求めた有名な宇佐八幡の託宣がそうだ。
宇佐は、USAでありどうにも大きく化ける地名ではあり、SをつけるとSUSAとなり、素盞嗚尊(すさのお)となる。
原始宇佐の信仰は、御許山を水源とあがめる水神ではなかろうか。この磐座信仰が宇佐氏であった。
ここに祭祀に関わった大神(おおみわ)氏、辛嶋(からしま) 氏二氏が神宮の創祀譚を持ちこむ。宇佐氏の原始磐座信仰へ、辛嶋氏のシャーマニズムが持ち込まれ、その上に大神氏の譽田別の八幡信仰が重なったのである。ちなみに辛嶋氏は素盞嗚尊を祖とする。
国家的大事業として東大寺を建立するのに、銅と鋳造技術の提供と云う現実的手段を持ち合わせていたのがこの宇佐神宮であった。伊勢神宮と云えども銅を産するすべはなかった。あわせて大仏に塗る金が不足すると金は必ず国内より出るという託宣を出し、やがて陸奥国(むつのくに)から金が献上され東大寺近くの手向山八幡が分霊として祀られた[参考:⑦]。八幡神は奈良の人々に強力な印象を与え、国家神としての第一歩を踏み出した。
つづく
TBありがとうございました。
宇佐神宮へ行かれたんですね。
八幡総本宮だけあって、広くて荘厳な感じがします。
私は、その昔、マジソンスクウェアガーデンのバッグが大流行したときに(当時小学生)、USAと書かれてあるのを見て、「え?なんで宇佐? これは宇佐のバッグなの?」と本気で思った記憶があります。
地元の人間は、宇佐のことを「USA」とか「アメリカ」とかアホなことを言うことが多いです。
iinaさんの文章をなるほどぉ~と思いながら読ませていただきました。
続きもまた読ませていただきます。
あっ、邪馬台国が宇佐にあったという説もなかったですかね??(定かではないですが)
私はてっきり、ストックされてある写真と思っていました。
すみません。
宇佐神宮って、実は凄いんですネ!!
勉強不足でした・・・(>_<)
18~22日まで別府の温泉につかってきました。
19日は午前中に地獄めぐりして、午後に宇佐神宮にでかけたのです。
17日に「日本縦断駅伝」の応援だったのですか、知らなかった。地元の応援は選手たちの励みになりますね。すれちがったかも分かりませんネ。残念!
10年前の出張のとき仕事を終えた帰りに立ち寄って、二礼四拍手一礼と教えられ、そんなものかという意識で参拝した程度が、随分と知識を膨らませました。
ブログの⑧をクリックしてみてね。
>邪馬台国が宇佐にあったという説もなかったですかね??
iinaもその説に記憶があります。宇佐のいわれを知る者としては頷く内容でしたヨ。
さっそくのコメントをありがとうございました。
ひろちゃん へ
本当もなにもブログもBBSにもiinaは嘘はつづらないから信じてちょ~だぃな。ストック写真の場合は、その旨告げるよ。
亀川バスだったか、福岡―別府間の高速バスが2000円なら毎月でも出かけたい気分だよ。今回は親父の3泊4日ながら湯治が目的で、地獄めぐりも宇佐神宮もひとり行動なんです。
宇佐神宮は全国に点在する八幡神社の総本山としか
知りませんでした。
iinaさんのブログを読んで勉強になりました。
HPもちらっとみせていただきましたが、
勉強になります。
又訪問させて頂きます。