ふたりは同じ時期に京都の四条に暮らしており、住んでいた家は直線距離にしてわずか200メートルしか離れていなかったとか。
専門家の解説を拾うと、次のとおり。
「近世日本絵画史を代表する伊藤若冲と与謝蕪村は、正徳6年(1716)に生まれた同い年の画家でした。若冲は京都錦小路の青物問屋に生まれながら、画業に没頭し、晩年に至るまで独自の画風を打ち立てます。蕪村は大坂毛馬村に生まれ、江戸、北関東、東北などを放浪遍歴の後、京都へ移り、俳句とともに文人画の世界で大成しました。若冲は彩色鮮やかな花鳥図や動物を描いた水墨画を得意とし、蕪村は中国の文人画の技法による山水図や俳画を得意としていました。一見すると関連がないようですが、ふたりとも長崎から入ってきた中国・朝鮮絵画などを参考にしています。
本展覧会は、伊藤若冲と与謝蕪村の生誕300年を記念して開催するもので、若冲と蕪村の代表作品はもちろん、新出作品を紹介するとともに、同時代の関連作品を加えて展示し、彼らが生きた18世紀の京都の活気あふれる様相の最も輝かしい一断面をご覧いただきます。」
若冲は、極彩色の作品に、写実性と想像上の世界を巧みに織り交ぜたことで、奇想の画家とも呼ばれた。
蕪村は、俳人として知られており、松尾芭蕉、小林一茶と並んで江戸俳諧の巨匠の一人。中国の文人画の技法による山水図や簡単な筆遣いで、俳句と絵が響きあう俳画を得意とした。
若冲は、奇抜なデフォルメされたデッサンに驚かされる、象など見たこともないだろうに、中国の絵を参考にしたとしても立体的な象の姿を連想し視点を代えて着想した絵に驚かされる。蕪村は墨水画の印象が強かったが、彩色した絵も多く描いていた。
サントリー美術館のある六本木の東京ミッドタウンから見た庭の様子。展覧会は最終日であったため混み合っていたので、此処で暫し くつろげた。
その番組を見て、若冲の鮮やかな筆遣いに驚き、見入ってしまいました。
テレビではなく、実物を見てみたいものです。
>岡山から発着していた宇高連絡船の「紫雲丸」沈没事故は、60年が過ぎても らいちゃんには風化していないのですね。
宇高連絡船は小学校の修学旅行で乗ったことがあるので特別な想いがあります。
>住んでいた家は直線距離にしてわずか200メートル
そうだったのですか 初めて知りました
二人の画風は全く異なりますね
蕪村は 俳人としてもあまりりも有名ですが
絵は 素人が描いた様な感じを受けます
そこがまた素朴で 魅力ですね
そんな大涌谷では火山活動が活発と、何やらキナ臭くというより、硫黄臭いですが、iinaも寿命が7年延びるという黒卵を
食べてました。
今朝のテレビが黒卵を温泉なら作れるか実験したところ、限られた条件下でないと黒卵にならぬことを示しました。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/303a1bb09ae501284ed3d0e6c5f4bcf9
そういえば、天下の別府でも卵を海地獄に吊るしてましたが温泉卵は黒くなかったですね。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/a5186aac43369d0a4306b8ba0fdec444
若冲を直に鑑賞したのは、2度目か3度目ですが非凡な極彩色の絵に見惚れてしまいました。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/939ca07aafd20945bf23308b1954bfb6
同い年の若冲と蕪村の生誕300年という組み合わせの展覧会でした。
若冲の彩色感性に驚かされますが、説明書きにあったタイトルのうぐいすはメジロでした。それにしても、見たことのない
象や虎を、ときに写実的に、ときにちょっぴりユーモラスに描いていました。
>蕪村は 俳人としてもあまりりも有名ですが 絵は 素人が描いた様な感じを受けます
一般にはKさんが抱く印象ですが、蕪村もときに巧みな山水画であり、ときに質朴な墨汁で濃淡を描いていました。
蕪村の絵もじっくり観てみたいものです。
富士山は、まわりの状況に応じて様々な姿に変わります。
「湘南の浮世絵」でも、それを画家が巧く描いています。
展覧会「若冲と蕪村」は、最終日で混んでいました。
でも、タイトル写真のとおり「招待券」でしたから、無料でしっかり鑑賞してきました。^^
圧倒するような強い絵に感動~
でも多くの絵が 国外に流れてしまっているのは
とても残念です。
六花も美術館巡り大好きですが 未だ若冲の絵に
出会ったことありません。
もし、その時に交流があったとしたら、その影響を推測するのは楽しそうです。
若冲の絵についてのTV番組が放送されてましたか。
しかも、目黒川沿いに10線も鉄道が走っているとは、都会の真っ只中ですね。
目黒といえば、目黒のさんましか思い浮かびません。(^^ゞ
>若冲の彩色鮮やかな絵のファンですが、同じ時期に、二人が、京都で200メートルしか離れていない家に住んでいたというのは知りませんでした。
日本人のスケールを外れた極彩色の絵画でした。若冲と蕪村では、対極の位置づけと思わせます。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/939ca07aafd20945bf23308b1954bfb6