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故郷忘じがたく

2011年03月03日 | 歴史
天明の頃に、ある医者が薩摩に行き先祖が渡来して200年近くにもなれば古里の朝鮮を思い出すこともないでしょうと尋ねると、老陶工は、『さにあらず故郷ぼうじがたく』と語った。

十六世紀の豊臣秀吉の戦争の最中に日本に拉致されてこられた者たちは、異郷で姓を変えることなく、家業の製陶を立派に成功させながら脈々と生きてきた。
城下に住んではと勧める島津義弘の厚意を断った気骨をもつ人々が、鹿児島の錦江湾そばの苗代川に集落を構えたのは、ただ故郷を思わせたからと伝わる。君父の仇はともに天を戴かずとまなじりを決して述べたことを義弘は諒として年貢を免じ屋敷を与え武士の礼遇が与えられた。

昭和41年のソウル大学で十四代沈寿官氏は、日本による36年間の圧政(日本による統治)への反感に対し、その通りであるとしながら、「言うことはよくても言いすぎるとなると、そのときの心情は後ろむきである」と語り、「あなたがたが36年をいうなら、私は370年を言わねばならない。」と学生たちを相手に涙ながらに語った。
聴衆は拍手をしなかった。しかし、かれらの反応は無視や沈黙でもない。代わりに起こったのは、思いがけない青年歌の合唱だった。歌は講堂をゆるがせた。沈氏は壇上でぼう然となった。涙が眼鏡を濡らした。



短編『故郷忘こきょう ぼうじがたくそうろう』司馬遼太郎著のこの箇所は思わず目に涙がにじむ。ことによると日本人以上に日本や薩摩の心性を理解し、母国の言葉を忘れても父祖の国の歴史と伝統を大事にする人たちの心根とは何なのだろうか。
「ふるさとは遠くにありて思うもの」とは、室生犀星がいったがこれほどまでに強い望郷の念がすさまじい。


彼らは陶器窯のなかった薩摩に薩摩焼をもたらし、天下に白薩摩ありと知れ渡った。(黒薩摩は庶民向け)
慶応3年(1867年)にはパリ万国博覧会に出展、国際的評価を得た。


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9 コメント

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おはようございます (ippu)
2011-03-03 07:20:00
≪・・・・・これほどまでに強い望郷の念がすさまじい≫
そした感情を懐かずに済む私は幸せ者です。
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200年というと (おくだっち)
2011-03-03 08:58:14
7代~10代目でしょうか。
先祖から望郷の念を受け継いだのでしょうね。
祖国への思いとはそれほど強いものなのでしょうか?
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故郷の空 (鷲谷芝嵐)
2011-03-03 09:16:24
日本の心の歌「故郷の空」
この歌が好きで、よくCDを部屋に流します。
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明治は遠くなりにけり (らいちゃん)
2011-03-03 12:10:53
昔の日本人は、国を想い、藩を想い、家族を想い、そして人格を磨き、礼節を重んじる立派な人達でした。
それが現在はどうでしょう!
愛国心を否定し、社会の規律より個人の権利を優先する個人主義の蔓延。
義務は果たさず、自分の不幸を全て社会の責任に転嫁する風潮。
政府においても、年金問題に見られるように、保険料無納付者もまじめに納付した人と同じように給付するという不平等政策で正直者が馬鹿を見る政策の策定。
国の安全保障から外交、経済、内政すべてにおいて、最大不平・不幸社会を作ろうとしている現状に全く気がつかない総理大臣。
そして、法案が成立しないのは全て野党の責任だとする責任転嫁に腹立たしくなります。
学校教育のみならず、民主党政権までが平等をはき違いするゆがんだ平等主義の遂行や責任転嫁を主張してはばからない総理大臣にはうんざりです。
正に、"明治は遠くなりにけり”です。
何とかしてくれませんか。
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コメントに 感慨 (iina)
2011-03-04 09:14:27
(ippu) さん へ
コメントは励みになります。
自由時間の多い身となって、パソコンを開ける時間を自重してのめり込まぬようにして
います。精々、午前中ないし11時で〆ます。もちろん、時として夜に開くこともあり
自侭ではあります。

国内の古里への想いでも、さほどに感じませんが父の場合はこだわりが強かったです。
まして、異国に連行されてこられた身には故郷への念は余程に強いものであるらしいです。
司馬遼太郎が採り上げるほどに興味ある話題ではあります。



(おくだっち) さん へ
異国に嫌々連れてこられた人たちですから、そのルーツを記憶していることは、
奴隷として売買された黒人の思いに似ているのではないでしょうか。



(鷲谷芝嵐) さん へ
横田めぐみさんも、「故郷の空」を歌ったでしょうか。
日本の戦国の頃は、先進技術(製陶)を自国で採り入れたくて拉致したようです。それが
花開いて薩摩焼の白薩摩を天下に示したのです。



(らいちゃん) へ
いま感じましたが、草花は異国に連れてこられても、ただ生き抜くことのみに精力を
張ります。
『東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ』等と感慨に耽るのは人間
だけです。

>昔の日本人は、国を想い、藩を想い、家族を想い、そして人格を磨き、礼節を重んじる立派な人達でした。
その遺伝子は、現代の日本人にも受け継がれているのだと思い、向後も似た軌跡をたどる
ことでしょう。ただ、昨今の「事件」等々を見るにつけ嘆かわしいと感じているのではと、一面
とらえることができます。
歴史を経るに従って、細々としたルールないし法律が規制を深め、息苦しくなってきた分、
それを破る者たちへの鬱憤が社会に満ちているとも感じます。善いはずなのに、この閉塞感
は何なのでしょう。
冬に感じる春への期待感が、嘗てはあったという思いが、現代では感じにくいと思う気持ち
は何処から湧くのでしょう。歳だからと思いたくはないながら、事実その通りなのでしょうか?
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TB(すぴか逍遥) さん へ (iina)
2011-03-04 09:32:48
沈寿官を扱った『故郷忘じがたく候』を読んだ直後に、タイミングよく歴代沈壽官展
が開かれていたのですね。
陶器のことはわかりませんが、写真で白薩摩を拝見するとその精巧さに驚かされます。
日本古来の形をとりいれた焼き物を除けば、唐風というイメージを感じました。それも
芸術品ですね。
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物より心、感性が生きる力を育てるのでしょうね (PON)
2011-03-05 11:28:21
「故郷忘じがたく候」是非読みます。

今は心の時代、感性の深度が大切に思います。
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Unknown (すぴか)
2011-03-05 23:28:41
こんばんは。
TBとコメントを頂きありがとうございました。
実をいいますと、沈壽官展でこの本『故郷忘じがたく候』を買ってきたのに、まだ開いていませんでした。
早速読み始め感動の真最中です。
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コメントに 返信 (iina)
2011-03-06 09:42:10
(PON) さん へ
陶器のことはよく知りませんが、白薩摩は遠いむかしのことでなく、いまも脈々と
息づいていたのですね。
「故郷忘じがたく候」は短編ですから、読みやすいです。



(すぴか) さん へ
「積ん読く」よりも、折角本を求めたのならお読みください。
司馬遼太郎が14代沈寿官氏に出会ったことで書かれたようです。
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