1925年3月22日朝9時30分、此処芝浦・愛宕山頂の東京放送局仮放送所から、日本のラジオ第一声「JOAK(ジェーイ、オーウ、エーイ、ケーイ)」が流れた。
その跡地に、NHK放送博物館が建つ。山の放送局の愛称で呼ぶ、
放送は、ラジオからテレビへ、さらに衛星放送、ハイビジョン、デジタル放送へと大きく進歩・発展してきた。
放送博物館では、こうした放送の歴史に関するさまざまな実物展示をはじめ、「番組公開ライブラリー」や「図書・史料ライブラリー」なども公開している。
226事件のとき投降呼びかけを放送した。 昭和天皇が玉音放送のために録音したレコード盤機。
昭和の茶の間
愛宕山トンネルの上に山の放送局がある。
その跡地に、NHK放送博物館が建つ。山の放送局の愛称で呼ぶ、
放送は、ラジオからテレビへ、さらに衛星放送、ハイビジョン、デジタル放送へと大きく進歩・発展してきた。
放送博物館では、こうした放送の歴史に関するさまざまな実物展示をはじめ、「番組公開ライブラリー」や「図書・史料ライブラリー」なども公開している。
226事件のとき投降呼びかけを放送した。 昭和天皇が玉音放送のために録音したレコード盤機。
昭和の茶の間
愛宕山トンネルの上に山の放送局がある。
>昭和の茶の間
長い脚と 大きなチャンネルの付いた
ブラウン管テレビが 懐かしいです
いまなら、東京スカイツリーで、少し前なら東京タワーから電波を出したんでしょう。
講談は、まったく縁がありません。
うっすら雪化粧した山肌に、しっかりした霧氷が無性にうつくしいです。
そうでした。きょう、「霧氷」を歌った橋幸夫を聴いて参ります。といっても、講演会だそうです。
> 昭和の茶の間・・・長い脚と 大きなチャンネルの付いたブラウン管テレビが 懐かしいです
愛宕山に建つNHK放送博物館で見学しました。
(延岡の山歩人K)さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上のURLに置きました。
関係ないですが、愛宕山の裏手に杉田玄白の墓のあるお寺がありましたょ。
NHK放送博物館、行ったことがありませんが、昔懐かしい茶の間のセットや、当時の写真の展示などがあって面白そうです。
比喩の代表で名づけられた架空の呑兵衛さんだと思ってました。・・・実際に存在したとは。
戒名「米汁呑了信士」が愉快です。
朝寝、朝酒、朝湯で、のんびり暮らせて死ねたら本望です。
NHKから届く案内には、渋谷NHKホールばかりでなく、愛宕の放送博物館のものもありますが、今回応募して当選しました。
(更家)さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上の(iina)URLに置きました。