越中在任中の佐々成政に、早百合という名の愛妾がいた。成政の愛を一身にあつめたため他の側女の妬みを買った。どこか無骨な成政は、一途に信じられるものをこの女には需めていた。
ある年の冬、成政と数人の従者は徳川家康に会うために越中から直接に立山を越えた。
生死をさまよう佐良越えの留守中、早百合は小姓岡島金一郎と密通したという知らせが届いた。日頃の成政の早百合に対する心ぶりを嫉んだ他の女たちの讒言であった。
裏切られたと思った瞬間、憎しみの焔が燃えた。一言、「斬れ!」と吐きすてるように言い放った。
決死の佐良峠越えは、家康の変節によって潰えた。そして、早百合までも、自分を謀かったのだと思い込んだ。
成政は思い込みの激しい男であった。主君信長の遺子信雄や家康への期待もこの思い込みから生まれた。或いは秀吉に寄せる憎悪も、この思い込みが不運を招いたのかもしれない。
「もし、立山に黒百合の花が咲いたら、佐々家は滅亡するであろう」
といって、早百合は息絶えた。
早百合の殺された一本榎は、今も神通川に沿った磯部の堤にある。
女たちの讒言によって殺された早百合の怨霊は、この一本榎にとどまり、風雨の激しい夜など、女の生首をさげた鬼となってさまよったという。
「早百合、早百合...」
と、この木の下を七回唱えて回ると、早百合の亡魂が現れるともいった。
明治の頃まで、実際に怪しい火の玉が磯部の堤にあらわれたとか、早百合のぶらり火とも呼ばれた。
立山に、黒百合の花は咲いた。昏い紫の濃い花である。
[ 佐々成政とクロユリ伝説 ]
ある年の冬、成政と数人の従者は徳川家康に会うために越中から直接に立山を越えた。
生死をさまよう佐良越えの留守中、早百合は小姓岡島金一郎と密通したという知らせが届いた。日頃の成政の早百合に対する心ぶりを嫉んだ他の女たちの讒言であった。
裏切られたと思った瞬間、憎しみの焔が燃えた。一言、「斬れ!」と吐きすてるように言い放った。
決死の佐良峠越えは、家康の変節によって潰えた。そして、早百合までも、自分を謀かったのだと思い込んだ。
成政は思い込みの激しい男であった。主君信長の遺子信雄や家康への期待もこの思い込みから生まれた。或いは秀吉に寄せる憎悪も、この思い込みが不運を招いたのかもしれない。
「もし、立山に黒百合の花が咲いたら、佐々家は滅亡するであろう」
といって、早百合は息絶えた。
早百合の殺された一本榎は、今も神通川に沿った磯部の堤にある。
女たちの讒言によって殺された早百合の怨霊は、この一本榎にとどまり、風雨の激しい夜など、女の生首をさげた鬼となってさまよったという。
「早百合、早百合...」
と、この木の下を七回唱えて回ると、早百合の亡魂が現れるともいった。
明治の頃まで、実際に怪しい火の玉が磯部の堤にあらわれたとか、早百合のぶらり火とも呼ばれた。
立山に、黒百合の花は咲いた。昏い紫の濃い花である。
[ 佐々成政とクロユリ伝説 ]
なんかそうゆう映画があった気が。
推理小説系だったかな・・・
アイヌ民族の間では、思い人の身近にこの花をそっと置いておき、相手が手に取れば恋が叶うという伝説があります。
御存知、石川県の県花ですね。
この歌では
“黒百合は恋の花 愛する人に捧げれば
いつかは二人は結びつく・・・・”
と歌われています。
黒百合が恋の花となったのは、早百合さんの怨霊による佐々家の滅亡と引き換えなのかも知れませんね。
今はこの伝説を本当の話だと思う人が多くて困ってます。
しかも出典はかの絵本太閤記・・・。
歴史が勝者の物であるのは仕方ないにしろ、成政もトンデモイメージが付いて可哀想に。
「黒百合の歌」の歌詞は、次のようです。
黒百合は 恋の花
愛する人に 捧げれば
二人はいつかは 結びつく
ああ あああああ あああああああ
この花ニシパに あげようか
あたしはニシパが 大好きさ
(かーさん) へ
悲恋伝説ですから、哀しいですね。
(鷲谷芝嵐) さん へ
「黒い花びら」を連想されましたか、いずれも古い話ですね。(^^ゞ
(ハイジ)さん へ
地方それぞれにふさわしい伝説は面白いですね。
石川県の県花でしたか。
(らいちゃん) へ
一方が恋の讃歌で、越中は悲恋というか怖い伝説です。
(歴史の影)さん へ
「伝説」ですから、実話とは大いに違うようです。
11月24日にコメントをいただきながら失礼をいたしました。
コメントはいつも公開していないもので気が付くのが遅くなりすみません。
黒百合伝説勉強になりました。
聞きかじりの私の記事お恥ずかしい限りです。
これをご縁に御ブログ、時々拝見させてください。
有難うございました。
現代では、「黒百合伝説」や「黒百合の歌」のような知識がそのように感じさせるのかもしれません。
そもそも、黒いものに対するイメージがこのような伝説を生んだのでしょうから、人の情念は怖いようで
愛すべき想像力です。
それにしても、ミヤマキリシマはさすがに仙酔峡の趣きです。^^
Kさんからの便りに、このミヤマキリシマと霧氷を一度は拝みたく思うものです。
この記事にコメント欄が開いているのを、うっかり見落としました。ただ、いつも閉じているのを当てるのは至難です。
さいきんは、拙宅へのコメントもなく寂しく思っているこのごろです・・・。
そうでしたか、眼の負担をなるべく軽減すべくコメント交流は控えているのでしたか・・・残念。