「和服」は、洋服に対しての言葉で、明治維新で西洋風の文化が入って来た時に、日本式の衣服を指す言葉として作られた。
「呉服」は…、文字通り「呉の国の服」。
日本書紀に「5世紀頃、揚子江下流にある呉の国から絹織物の技術者=呉服を招いた」とある。
呉服は、日の暮れる方向(中国)から来た機織職人「くれはとり(クレハタオリ)」と呼ばれ、彼らが作った絹織物を「くれはとり」と呼ぶようになり、奈良時代なると音読みして「ごふく」と言うようになったという。
元々は絹製品を呉服、綿製品は太物(ふともの)と称し、昔は扱う店も別であった。
和服を扱う店は「呉服屋」と呼ばれることが多い。
なお、「着物」は、着る物全般の事。
「仁風導和気」という漢文があり、意味は、仁(思いやり)・風(心、しぐさ)・導(導く)・和(なごむ)・気(気持ち)。
なごみの心は、思いやりの気持ちを導いてくるというもの。「和」とは、白でも黒でもないところも良しとし、性格の違う物を和ませるという意。
お茶は「一服」と言い、それをさらに和ませるのが「和」菓子であるとか…。
「呉服」は…、文字通り「呉の国の服」。
日本書紀に「5世紀頃、揚子江下流にある呉の国から絹織物の技術者=呉服を招いた」とある。
呉服は、日の暮れる方向(中国)から来た機織職人「くれはとり(クレハタオリ)」と呼ばれ、彼らが作った絹織物を「くれはとり」と呼ぶようになり、奈良時代なると音読みして「ごふく」と言うようになったという。
元々は絹製品を呉服、綿製品は太物(ふともの)と称し、昔は扱う店も別であった。
和服を扱う店は「呉服屋」と呼ばれることが多い。
なお、「着物」は、着る物全般の事。
「仁風導和気」という漢文があり、意味は、仁(思いやり)・風(心、しぐさ)・導(導く)・和(なごむ)・気(気持ち)。
なごみの心は、思いやりの気持ちを導いてくるというもの。「和」とは、白でも黒でもないところも良しとし、性格の違う物を和ませるという意。
お茶は「一服」と言い、それをさらに和ませるのが「和」菓子であるとか…。
養蚕が盛んな土地柄で太物商と呉服商、洋物商、生糸商
其れに「太物綿糸商、呉服太物商」なども有りました。
日本を訪れる観光客も和服が気に入っている人が多いようです。
和服を扱う店は「呉服屋」と呼ばれていますが、現在の和服は日本独自に発達した和服文化と思われるので、そろそろ「呉服店」から「和服店」へと名称を変えたらどうでしょうね。
「呉服」は普段は聴き慣れない言葉です(自分だけ?)
TVの時代劇には「呉服問屋の〇〇」としてよく登場しますね
呉服と和服の説明を伺って感服しました(^^)/
疲れそうな記録です。
iinaも、北陸に勤務したので週に土日の2日をスキーして、腕を上げましたよ。^^
北陸を離れて20年経ちますが、以後スキーしていません。(^^ゞ
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/ab0b65e15ae80f68a887f31b371eaeca
はきだめに きものや探し はきものや / iina川柳
ゆかたを買いに浅草を歩いて、こんなお粗末なことがありました。(^^ゞ
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/db5ae56b1ab55ae1571fe03bd382d701
五島列島なら長崎にありますが、五浦半島はなく代わりに茨城県に五浦温泉がありましたから、半島ならぬ「半答」でした。(^^ゞ
そして、きょうの拙宅の話題は、「ごふく」。
四浦では 四の五のいうな 誤解うむ / iina川柳
(五)
なんとなく「コスタリカ」の響きが「たった二国」に似て、平和憲法を守って国民にノーベル賞を・・・。
これが本当の「ごふく=互福」なり。 (^^ゞ
基本的な事なのに知りませんでした。
洋服店と言いますが、和服店とは言わず呉服店と言いますものね。
武蔵は、目力が強く異様な風格を備えていたと伝わり、彼方此方に客分として招かれ、お金に窮したりお金に頓着した気配
さえありません。
>刀とツバは、武蔵が、京都の名門・吉岡一門と全面戦争になった ときに使った物だそうです。
一乗寺下り松に行きましたから、そこで実戦に用いたとは生々しく血なまぐさささえ感じます。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/317508e3f71ecdbc9baceb5e1b1051a4
ちゃんちゃんこも和服で、やはり呉服屋に売っているのでしょうか。
「呉服と和服」の話題は、簡易ホームペーシ゜の時代にラジオで聴いた話を、日記に書いたのをアレンジして綴り直しました。