いま、読売新聞の「時代の証言者」に、 鎌田實氏の『がんばらない』が連載されている。
長野県茅野市の諏訪中央病院医師から院長として「住民とともに作る地域医療」の最前線で活動し、2000年に著書『がんばらない』(集英社)がベストセラー。
病人も医者も共に頑張ることで病を克服するものだが、末期になると頑張れないこともあり「ガンバレ」が負担になることだってあることから、頑張らなくていいのだよの心境に達したことが氏の体験談から語られる。(頑張らないけど、あきらめない)
いまから18年ほど前のiinaの富山時代に、鎌田實氏の講演を聴いた縁があって、この連載を読みつづけている。そのときの講演は、日本人は畳の上で死にたいというが、いまの世の中は病院でしか死ねない。やはり、日本の死生観を尊重して自宅で死ねる体制を整えたいという主題で講演された。
いま改めてその背景を識るにつれ、巡回医療は倒産寸前の病院を建て直そうと追い込まれて信用回復のために取り組んだことであり、やがて地域に受け容れられ、赤字病院を建て直した。真に、必要は発明の母だったことが理解できた。
患者側に軸足を置いた個別の巡回医療を通じて、その時々の医療の問題点をみつけ、例えば畳の上で安らかに死ねるようにできないかの考えに達したのだと思える。
財源不足が今日の医療制度の貧困をもたらしたとは想像できるが、この病んだ医療制度が立ち直るとしたら、此処から日本医療はさらに立ち上がる可能性を秘めているといえそうだ。向後を期待したい。
長野県茅野市の諏訪中央病院医師から院長として「住民とともに作る地域医療」の最前線で活動し、2000年に著書『がんばらない』(集英社)がベストセラー。
病人も医者も共に頑張ることで病を克服するものだが、末期になると頑張れないこともあり「ガンバレ」が負担になることだってあることから、頑張らなくていいのだよの心境に達したことが氏の体験談から語られる。(頑張らないけど、あきらめない)
いまから18年ほど前のiinaの富山時代に、鎌田實氏の講演を聴いた縁があって、この連載を読みつづけている。そのときの講演は、日本人は畳の上で死にたいというが、いまの世の中は病院でしか死ねない。やはり、日本の死生観を尊重して自宅で死ねる体制を整えたいという主題で講演された。
いま改めてその背景を識るにつれ、巡回医療は倒産寸前の病院を建て直そうと追い込まれて信用回復のために取り組んだことであり、やがて地域に受け容れられ、赤字病院を建て直した。真に、必要は発明の母だったことが理解できた。
患者側に軸足を置いた個別の巡回医療を通じて、その時々の医療の問題点をみつけ、例えば畳の上で安らかに死ねるようにできないかの考えに達したのだと思える。
財源不足が今日の医療制度の貧困をもたらしたとは想像できるが、この病んだ医療制度が立ち直るとしたら、此処から日本医療はさらに立ち上がる可能性を秘めているといえそうだ。向後を期待したい。
いずれにしても患者サイドからの、医療の原点というのを穏やかに語ってらっしゃるものだと思います。
こういうお医者様に診てもらいたいです。
鎌田先生は素晴らしい方ですね。こんなお医者さんが日本にたくさんいたらと思います。
病に苦しむ人を救いたいという心から医者になることを目指すもの。
そういうすばらしい先生もまだいるのですね。
最近は、お金持ちの子でないと医大になど行けず、医者も二世の時代。
救急車で運ばれた様態の難しい患者をたらい回しする病院が多いのに寒気を感じます。
仕事やプライベートで同じ立場にいるもの同士がお互い頑張ろうね。とかいうのはわかります。
私は頑張って、とか大丈夫?とかいう言葉を使う時はできるだけ違う表現がないか言葉を探していますね。
地方医療の現状にも目を向けてもらい、地域医療が成り立つような医療制度を確立してほしいものです。
>髪の伸びるのが早い(笑)
夏場は、髪をうっとうしく思うことがありますね。
iinaも髪を切って「ほんとにいいんですか?」と何度も聞かれました。<不審>・・・
古里の九州では中学から男は皆な坊主が決まりなので、聞く必要もないのに何度も
聞かれたことを未だに記憶してます。
いまは、散髪して1ヶ月たった頭髪は薄いながらも覆い加減が丁度好く、ちょっと
鬱陶しく感じる頃合いなのでハムレットのように迷ってます。とりあえず、高校野球
の決勝戦に神奈川代表の東海大相模が闘うので、きょうは見送ります。
『がんばらない』の域になる前にポックリ逝きたいと願うものの、こればかりは
分かりません。
(鷲谷芝嵐) さん へ
鎌田実先生の講演会は、商工会議所の青年部という小規模な会合で呼んだのですが、その内容をよく記憶しています。
ずいぶんと広範囲に活動されているのを最近になって知りました。
(ミミロル) さん へ
お盆の日はとくに見栄えがいいですね。1本つけてくださいな。
何気ない「頑張る」ということばの使い難い時代です。
一方、こんな話もあります。
寝たきり老人を動かす際、介護者の負担は大きく、腰を痛めたりします。それを
テコの原理を使うと少しの力で軽く動かせます。床の接点を狭くして、老人にも
自ら動こうという気持ちを抱いてもらって合図と共に動かすと軽々とできるという
ことでした。(ためしてガッテン)で見たものですが、「頑張る」には極めて微妙な
使い分けが求められます。
(らいちゃん) さん へ
何故か、わらべ歌「ずいずいずっころばし」を思い出しました。
ずいずい ずっころばし
ごまみそ ずい
ちゃつぼに おわれて
トッピンシャン
ぬけたら ドンドコショ
たわらの ねずみが
米くって チュー
チュー チュー チュー
おとさんが 呼んでも
おかさんが 呼んでも
いきっこなしよ
井戸のまわりで お茶碗かいたの だあれ
それほどネズミは農村に身近だったわけですが、いまはネズミ男を連想する時代に
なりました。あるいは背広はねずみ色という按配です。
経営に無知では、「医は仁術」もないのですが、医療制度は医師は増えているのに
地域によって不足したり産婦人科をなくすのは訴訟沙汰を警戒してなりたがらぬ社会的
な背景がありそうです。