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玄冶店-げんやだな

2009年12月17日 | 雑感
人形町を歩いていると「玄冶店(げんやだな)」の石碑をみつけた・・・と書き出すと、”ぶらり途中駅”のよう。実は前所属先のiinaテリトリー内。忘年会に出るために出没したので未投稿を初
大ヒットした春日八郎の「お富さん」の歌詞にある玄冶店げんやだななのだけど、意味までは知らなかった。

江戸幕府の御典医・岡本玄冶が幕府から拝領した土地に建てた貸家が「玄冶店」で「店(たな)」とは貸家のことで、それが地名になったという。
「玄冶店」の現住所は、東京都中央区日本橋人形町三丁目。
             
1 粋な黒塀 見越しの松に
  仇な姿の 洗い髪
  死んだ筈だよ お富さん
  生きていたとは お釈迦さまでも
  知らぬ仏の お富さん
  エーサオー 玄冶店(げんやだな)

2 過ぎた昔を 恨むじゃないが
  風も沁みるよ 傷の跡
  久しぶりだな お富さん
  今じゃ呼び名も 切られの与三(よさ)よ
  これで一分じゃ お富さん
  エーサオー すまされめえ

3 かけちゃいけない 他人の花に
  情かけたが 身のさだめ
  愚痴はよそうぜ お富さん
  せめて今夜は さしつさされつ
  飲んで明かそよ お富さん
  エーサオー 茶わん酒

4 逢えばなつかし 語るも夢さ
  誰が弾くやら 明烏(あけがらす)
  ついてくる気か お富さん
  命みじかく 渡る浮世は
  雨もつらいぜ お富さん
  エーサオー 地獄雨

「粋な黒塀 見越しの松」とはこんなイメージ
黒塀と座敷と通りとの間に庭を設けた松




もともとこの歌は歌舞伎の「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし」の中の一節をモデルに作られた歌。

妾の[お富]と恋に落ちた[与三郎]は、それがばれて滅多切りにされたあげく海に投げられてしまった。
奇跡的に命が助かった[与三郎]は、体中の傷を武器にゆすりたかりで生計を立てていた処、カモにしようと訪れた家に[お富]がいることを発見。
[お富]が住んでいる家がここ[玄冶店]であったというわけ。


せっかくなので、有名な一節をどうぞ! セリフは流れるような節まわし
~しがねえ恋の情けが仇(あだ)、命の綱の切れたのを、どう取りとめてか木更津から、
巡(めぐ)る月日も三年(みとせ)越し、江戸の親には勘当受け、よんどころなく鎌倉の、
谷七郷(やつしちごう)はくい詰めても、面(つら)へ受けたる看板の、
 疵がもっけの幸いに、切られ与三の異名をとり、押借(おしが)り強請(ゆす)りも習おうより、
慣れた時代の[源氏店(げんやだな)]、
 その白化(しらばけ)か黒塀(くろべぇ)に、格子造りの囲いもの、死んだと思ったお富とは、
お釈迦様でも気がつくめえ。
 よくもお主(ぬし)は達者で居たなぁ~



<注>「水天宮」のつづきでした。
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12 コメント

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ご新造さんへ (おくだっち)
2009-12-17 08:36:01
いやさ、お富 久しぶりだぁな~ の啖呵
何処で覚えたのでしょうね?

ゲンヤダナ 歌詞を歌でしか聴いたことが無かったので何のことか知らずにいました^^

変換しても 原野だな だし・・
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Unknown (Rancho)
2009-12-17 10:46:19
iina樣
TBありがとうございます。

いや~~、ホンマ、知りませんでした。
面白かったです。ありがとうございました!

江戸の『与話情浮名横櫛』が今までより身近に感じました。
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恐れ入りやの鬼子母神 (656)
2009-12-17 12:12:54
水天宮といい、お富さんといい、イワレを知ると親しみが増します。
春日八郎さんの歌をいっしょに歌ってしまいました。
なつかしかったです。
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いやさ、お富~ (鷲谷芝嵐)
2009-12-17 13:05:22
歌はもちろん承知していましたが、この歌の由来を知り勉強になりました。
いやさ、お富~・・・・
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トラックバックありがとうございます (robo)
2009-12-17 15:47:25
お富さんが発売されたのは私が生まれる5年も前。でも小学校ぐらいまでは時々歌番組で流れていました。
歌詞の意味も由来も知りませんでしたが、春日八郎さんの顔は少し覚えています。
こんな由来があったんですね。
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Unknown (銭無のとっつあん)
2009-12-17 19:04:42
「玄冶店(げんやだな)」って、そうだったのですか。
玄冶さんの貸家とは、お釈迦さまでも知らぬ仏…、お釈迦さまは知らないでしょうね。

それで、借りている人のことを「店子」というのですね。
勉強になりました。
返信する
コメントに恐れいりましたぁ (iina)
2009-12-18 09:17:26


(おくだっち) さん へ
落語を題材に、その背景は学のある解説でした。
おくだっちさんは、和歌の素養をおもちでしたか。
枝雀の落語は、滅茶苦茶に大笑いしてましたが、後半はピリピリしすぎて
観ていて苦しかったです。そうしたら自殺してしまいました。
しかし、惜しい落語家を亡くしたものです。


(Rancho)さん へ
ひさしぶりだよ、乱鳥さん。
一月歌舞伎座で、福助のお富さんと染五郎の切られ与三郎を演るのですか。
歌舞伎座のさよなら公演ですね。
歌舞伎座の木戸銭も、大衆向けなのだから気安く行けるように安くして欲しいですね。


(656) さん へ
人形町界隈は、他にも薬研堀や伝馬牢屋跡などがあります。
またの機会に写真も撮って来てアップしたいです。


(鷲谷芝嵐) さん へ
歌は、メロディを主にしているためか意味を理解しないまま歌いつづけて
いることがママあります。
「お富さん」などは幼いころに耳にはいったので、そんな歌の典型です。
曲と語呂(歌詞)のながれで記憶しています。


(robo)さん へ
年の瀬になると懐メロの放送が増えます。
「お富さん」は、はじめて意識に残った歌のように記憶しています。幼い
なりに、あの明るい歌をよく歌っていましたっけ。

先日、「ためしてがってん」だったか、両眼の盲点を探して緑内障か否かを
診断する絵があるのを知りました。
見えない箇所があったなんて識らなかったので、自分の盲点をその診断で
みつけたときは、カルチャーショックでした。



(銭無のとっつあん) へ
趣味と実益を兼ねた好いご趣味ですね。
そういうのを苦手にしているので、ただぼぉぅっと眺めるでけです。m(__)m
やはりひとさまが作ったものをいただくだけで、満足してしまいます。
もっとも、ことしは隠居生活一年生なので、そのうち気が変わるかも
わかりませんが・・・。
まだ、押さえ気味に暮らしています。


                  
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御典医だった (更家)
2015-05-31 07:34:25
"♪エーサオー 玄冶店♪”は、子供の頃、意味も分からずに、よく歌っていました。

大人になって、渋谷の百軒店(ひゃっけんだな)に飲みに通う様になって、店(たな)が貸家のことだと知りました。

しかし、玄冶(げんや)が人の名前で、江戸幕府の御典医だったというのは、今回、初めて知りました。
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(更家) さん へ (iina)
2015-06-03 13:09:42
吉川英治の「宮本武蔵」に、武蔵が木曽路を歩いて「男滝」が出ていましたか。

iinaは、留守をしたこの11日間に司馬遼太郎の「宮本武蔵」を読みました。史実に則って描かれていましたが、なかなか
面白かったです。
見てきたような嘘を書きとは、小説家を指して使われることですが、司馬氏の描く武蔵は実際にはどうだったのでしょう。

玄冶店の店(たな)は、貸家のことだったの「だな~」  (^^ゞ

昨夜に、もどって参りましたので、ひきつづきよろしく ご愛顧ねがいます。

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驚き! (mokko)
2019-05-11 21:42:30
この玄冶店の石碑、mokkoが3月まで働いていた
会社のほぼ目の前ですよぉ~
まったく気づきませんでしたぁ~
駅の出口から会社の入口までが徒歩数十歩だったから
ろくに周りをみてなかったんですねぇ~
いやぁ~もったいないことをしましたヾ(;´▽`A``アセアセ
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