お父さんのマリポタ日記。
マリノスのこと、ポタリングのこと。最近忘れっぽくなってきたので、書いておかないと・・・
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※西加奈子(1977年、イラン・テヘラン市生まれ。エジプト・カイロ、大阪育ち。2004年に「あおい」でデビュー。「通天閣」で織田作之助賞受賞。「ふくわらい」で河合隼雄物語賞受賞。15年「サラバ!」で直木賞受賞。ほかに「さくら」「きいろいゾウ」「円卓」「舞台」「漁港の肉子ちゃん」「ふる」「i」「おまじない」「夜が明ける」など)



●「死ぬまで生きる」 そんな思いが

 カナダで、がんになった。2021年コロナ禍の最中、滞在先のカナダで浸潤性乳管がんを宣告された著者が、乳がん発覚から寛解までの約8ケ月間を克明に描く。祈りと決意に満ちた初のノンフィクション。

 バンクーバーって大阪弁やったんか! ということにまず驚いた。いや、そんなことはないのだが、大阪弁の人は英語も大阪弁に訳すんかい!というのは、よく考えれば当たり前かもね。そのツッコミどころ満載の大阪弁が、がん闘病という重いストーリーの深刻さを笑いに替え、安心感さえ与えてくれる。大阪弁って便利やね。

 途中で山本文緒さんが亡くなられたことがでてきたことにも驚いた。山本さんは2021年10月13日に永眠。そうか、同じ時期だったのか。山本さんはがんで余命宣告をされ抗がん剤治療を続けたが、副作用のあまりのひどさに緩和ケアを決断した。その様子を遺作となった「無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記」に書き綴った。まさに命をかけた作品だった。

 「人はいつか死ぬ」。健康だとつい忘れてしまう。がん宣告はそのことを唐突に、しかし揺るぎない現実として突きつけてくる。「まさか私が」「なんで私が」。生活が一変し、始まる闘病。それもコロナ禍の上、言葉が通じず、文化も違う海外。書かれていない、もっともっと酷く辛いことがあったに違いない。そして寛解で終わりではなく、治療は続き、人生も続いていく。「本当にこれで終わりなのか」。日常を取り戻したけど「幸せすぎて怖い」。すさまじい。

 「死にたくない。少なくとも『もう死んでいいか』と納得できる日なんて、私には来ない気がする。きっと死ぬ瞬間、最後の最後まで、それはもう、本当にみっともなく、恐がり続けるだろう」。

 「がんになって良かったことは『それの何が悪いねん』、そう思えるようになったことだ。みっともなく震えている自分に『分かるで、めっちゃ怖いよな』、そう言って手を繋ぎ、肩を叩きたくなる」。

 がんになることで見えなかったものが見えてくる。「死ぬまで生きる」。闘病記を読むといつもこう思い知らされる。幸いにしてがんは宣告された翌日に死ぬことはなく、猶予期間が少なからずある。そこで何をするか。どう生きるか。自分の身体のボスは自分。自分で決められる状態なら自分で決めていきたい。先のことは神のみぞ知る。今日と同じ明日が来るとは限らないのだ。

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